リスキリング(学び直し)が注目される今、リベラルアーツ(教養教育)としての茶道を見直してみませんか。今回は再生医療のバイオベンチャー、ヘリオス代表取締役社長兼CEOの鍵本忠尚氏に、未来に向けたビジネス探求における心の整え方や感性の磨き方についてお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)

鍵本忠尚(かぎもと ただひさ) ヘリオス取締役兼代表執行役社長CEO
鍵本忠尚(かぎもと ただひさ) ヘリオス取締役兼代表執行役社長CEO
1976年熊本県生まれ。2002年九州大学医学部卒業。2003年米シリコンバレーのJETRO事務所でインターン経験後、九州大学病院に眼科医として勤務。2005年大学発バイオベンチャー「アキュメンバイオファーマ」を設立。眼科手術用補助剤「BBG250」を開発し、2010年欧州で販売開始。2011年再生医療・細胞医薬品の実用化を目指し、iPS細胞の関連技術による医薬品開発ベンチャー、「ヘリオス」(旧・日本網膜研究所)を設立。再生可能エネルギー関連のスタートアップ企業、「パワーエックス」の取締役会長も務める。2018年からヘリオス代表取締役社長兼CEO(現職)

ベンチャー企業の社長として多忙な中、茶道を始めたきっかけを教えてください。

 私は熊本市健軍(けんぐん)本町の出身で、実家が熊本市最古(西暦540年設立)の神社の前にありました。毎日参道を通り神主さんと親しみながら幼少期を過ごしたので、神道への共感や感性が育ったのだと思います。当時、医者だった父が自宅に石や杉苔(すぎごけ)を集めて「茶庭」を造ろうとしていたこともあり、幼い頃から茶道への憧れも芽生えていました。

 本格的に茶道を学ぶようになったのは44歳のときです。2020年のコロナ禍で出社や登校ができなくなった時期、自宅では妻が子供の教育、私が家族の料理を担当することになりました。よく伺っていた日本料理店「青柳」(東京・港区)のご主人、小山裕久さんに料理を教わるうち、「日本料理の『上位概念』であるお茶を勉強してみては」と言われたのがきっかけです。そのときから、業躰(ぎょうてい:裏千家家元の名代)の奈良宗久先生に師事しています。

 実は中学生の頃、古代ギリシャの哲学者プラトンの『イデア論』を読み、感銘を受けました。仏教でいう「五識で感じられる現実世界」は不完全であり、その奥に「イデア界」という「目に見えないが想念の中だけに存在する完全な世界」があるという考え方です。確かに、世の中には数多くの法則があり、すべてがそれに従って動いていますが、私たちはその結果を見ているにすぎず、真実(アルゴリズム)はイデア界にあるのだと感じたものでした。

 後に茶道を始めて、このイデア論を思い起こしました。イデアの中でも最も堅牢(けんろう)で長く続くものとして、プラトンは「真善美」を挙げています。千利休は茶道の中に、(点前という)型を通じてイデアを「暗号」として埋め込み、体を動かして経験する中でのみ「不立文字」としてイデアを感じとることができる「道」をつくりあげたのだと思います。
 したがって「型」は練習して体に染み入り、さらに抜けた先に浮かび上がる真善美のイデアを、空間を共にするお客に想起させる効果において、とても大事だと思います。

中学生の頃は油絵も描いていたそうですね。イデア論に通じるものがありましたか。

 はい、絵もまったく同じで、「絵画とは見る人の心の中に美のイデアを思い起こさせる、その範囲において意味がある」と思います。美のイデアは、描く人の能力と見る人の感性が一致しないと想起されません。茶道も同様で、人によって様々な「お茶の型」がありますが、亭主の思いが五識を経てお客に伝わり、さらに心の中で真善美のイデアとして再構築されるところまでいくかどうかが、茶道の醍醐味だと思います。それが私の思う「一座建立(いちざこんりゅう) 」なのです。

「幼い頃から茶道への憧れは芽生えていましたが、本格的に茶道を学ぶようになったのは44歳のときです」(鍵本氏)
「幼い頃から茶道への憧れは芽生えていましたが、本格的に茶道を学ぶようになったのは44歳のときです」(鍵本氏)

主客の心が響き合い、茶会の本質を実感

茶会に行ったり、ご自身で開催なさったりすることも多いです。印象に残っている茶会について教えてください。

 「亭主と客が互いに響き合った」と感じた、忘れられない茶会が3つあります。

 1つ目が、3年前に松尾豊先生(東京大学大学院工学系研究科教授)を主客にお招きしたときです。先生の研究室と弊社は、AI(人工知能)による創薬などの共同研究を行っています。

 先生にとって初の茶席とのことで、席中ずっと黙っておられましたが、終盤に一言「私はお茶を完全に理解しました」とおっしゃったのです。茶道を長年稽古していても、なかなか口にできない言葉ですよね。それをさらっと言われたので「どういうことですか」と尋ねると、「席中で花が一輪落ちた」とお答えになりました。

 その席では数百年前の中国の茶碗(わん)を使ったので、茶室には百年単位の時間軸が存在していたことになります。主客という人間の命を数十年と考えると、茶席で最も短い生命が花なのです。生命がなく永遠の時を生きる茶道具、そしてこの世に生を受けてしばしの時間を許されている亭主と客が「命を相照らす」瞬間に、最も短命である花がその命を終えたという構造を、松尾先生は「メタ認知」として一瞬で理解なさったのだと思います。このとき、「真」のイデアが鳴り響いたと感じました。

 2つ目は昨年、大徳寺大慈院の戸田惺山(せいざん)住職との茶会です。初めのご縁は富士山の山頂火口部で開催なさった茶会に伺ったときでした。富士山の霊気と山岳信仰の歴史を肌で感じながら登山し、朝日を浴びて般若心経を唱えて開く茶会に参加し、素晴らしい体験をしました。
 後日、再度座禅を学び直そうと大慈院にお伺いし、朝座禅を組み、まだ薄暗い茶室にお招きいただいたのです。すると床の間に、庭で摘んだばかりのみずみずしいカボチャの花が一輪、ポンと置かれていたのです。茶室のしつらいは、つい「きれいに見せよう」と作為を働かせがちですが、この花の作為のなさに圧倒されました。

 茶席でカボチャの花をこのように生けることはまずありませんが、「何がきれいで何が高価か」というのも私たちのどうでもよい記憶で勝手に決めていることです。すべての命は等しく美しく、花(生命)はあるがままで完全であると知らされ、これが禅のひとつの境地であり、真善美を貫くイデアなのだと実感した瞬間でした。頭をかち割られたような思いをしました。

点前をする鍵本氏。この茶室で松尾教授を正客に招いた茶会を行った
点前をする鍵本氏。この茶室で松尾教授を正客に招いた茶会を行った(写真提供:鍵本忠尚氏)

 3つ目は結果的に「茶会」になった出来事です。1年前に高齢の父が体調を崩して入院し、ついに自力で食事もとれなくなりました。最後の茶懐石を食べさせたいと思い、羽釜で炊きたてのご飯に熱々の汁を作って病室に持っていったのです。

 病床の父の口に食事を運ぶと、「うまい、うまい」と顔をクシャクシャにして喜んでくれました。末期の茶となった薄茶を点(た)てて茶碗を口元に持っていくと、お茶が喉を通っていくときの父のうれしそうな表情が、亭主としての私にとって何よりの喜びとなりました。そして食事のあと父は、「ようやく分かった」とつぶやいたのです。「私の心も身体も宇宙からの借り物だったのだ。それを今から宇宙にお返しするのだ」と。これが最後の言葉になりました。

 その3日後に病院に呼ばれ、病室に駆けつけました。父の右手を私の右手でとり、私の左手を父の頭頂にあてていると、まるで座禅を組んだときに体の境界が消えてゆくように、互いの体温が行き来し、父と私の境界が消えていきました。
 父の呼吸が静かに納まったとき、私に生命を与えてくれたその生命体自体が、私の両手の中で静かに、そして実にきれいに宇宙へとほどけていきました。この茶席の花は、父自身だったのです。
 そのとき「宇宙とは、生命とは、生きるとは、死ぬとは」といった文字にするのも不浄と感じるような、真善美のイデアにどっぷりつかったような感がありました。それまでの人生観が変わったのです。あえて表現するなら、妙心寺退蔵院の松山大耕住職に以前教えていただいた「不二(ふに:唯一無二であること)」という心持ちでした。

 3つの茶会は、どれも人生の大事な道しるべを示してくれました。

ベンチャーとして前人未踏の領域に「道」をつくる

ご自身で茶杓(しゃく)も削るそうですね。ご紹介いただけますか。

 自作した茶杓をいくつかご紹介します。初めて削ったのが真ん中の白竹の茶杓で、銘を「無曇空(くもりなきそら)」と付けました。小学生のときに人生で初めて、「一点の 曇りなき空 心かな」という俳句を詠んだことがあり、ここからとりました。

鍵本氏自作の茶杓。左から究竟(くきょう)、涅槃(ねはん)、無曇空(くもりなきそら)、神鳴(かみなり)、廻天(かいてん)。(写真:スタジオキャスパー)
鍵本氏自作の茶杓。左から究竟(くきょう)、涅槃(ねはん)、無曇空(くもりなきそら)、神鳴(かみなり)、廻天(かいてん)。(写真:スタジオキャスパー)
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 左から2番目は、父の末期の頃の作です。煤(すす)竹で、先の方に行くにしたがって竹の色が薄くなっています。「父の命が宇宙にほどけた風景」を削り、銘を「涅槃(ねはん)」と付けました。

 右から2番目の茶杓は、銘を「神鳴(かみなり)」といいます。明治から昭和初期の実業家で、電力事業を推進した松永安左エ門は「電力の鬼」と呼ばれ、耳庵(じあん)という号で茶人としても知られています。実は私は、耳庵と誕生日が一緒なのです。耳庵は1875年12月1日、私はその100年後の1975年同日生まれで、縁を感じていました。日本や世界のエネルギー・電力供給システムへの課題意識から、2021年に蓄電システムの開発・販売会社パワーエックスを立ち上げましたが、「電力」という共通点で耳庵とつながっているように思います。

 耳庵が削った「山蟻」という銘の茶杓があり、そこからインスピレーションを得て作りました。「電力の鬼」にちなんで荒々しさを表現し、電気といえば雷ということでこの銘を付けました。

バイオベンチャーとして、決して平たんではない道を選択し進んでいます。茶道の精神が生かされることはありますか。

 茶道も「道」ですが、私の原風景には先ほどお話しした実家近くの神社の参道、「神に向かう道」があるような気がします。

 もともと医師でしたが、この世界では誰かが既に決めた病気の診断方法に従って診断した後は、薬や手術という、これも誰かが作ってくれた選択肢を選び続けることが仕事です。医師として仕事を続ける選択肢もありましたが、あるとき「自分がやらなければならないことは何か」と自問したのです。米国に行ってバイオベンチャーの存在を知り、これを日本でも実現するという新しい道を開くことに、人生をささげたいと思いました。

 28歳で最初の会社をつくったとき、日本でバイオベンチャーは成立しない、と言われました。前人未踏の領域に踏み込むと、様々なリスクがついてきます。自分のつくった会社が潰れることがあるかもしれない。ただ会社が潰れても、つくった道が残れば意味があります。自分の命と引き換えにしても世の中に何かが残る、そんな人生をデザインしたいと考えたのです。

 世界の最先端で価値を創造している企業は、多くの場合リスクを負いながら、それでもいつか人類に役立つと信じています。これこそ、人間にしかできない仕事だと思うのです。

 私たちのようなシリアルアントレプレナー(連続起業家)は、社会が3年、5年、10年先の未来に何を必要とするのかを見極め、それを先取りして会社やサービスをつくっていくことが重要です。ノイズが多い世界ですから、必要なものを見極めるには「心」を深く静かに整え、メタ認知の感性を研ぎ澄ませないといけません。茶道、禅、そして神道は、「静かな心」を実現するのに最適で、現代と未来の社会を構造化して見るためのひな型がちりばめられていると感じます。

 このたび、前述した茶会で肝胆(かんたん)相照らした松尾先生と一緒に会社をいくつかつくることになりました。あの茶会がなければ、こうした流れにならなかったかもしれません。茶席での時間を超越した無言の交わりの中、五識を超えて互いを深く知り合うことで生まれるビジネスは、いわば茶会の成果といえるかもしれません。

「茶道、禅、そして神道は、『静かな心』を実現するのに最適で、現代と未来の社会を構造化して見るためのひな型がちりばめられていると感じます」(鍵本氏)
「茶道、禅、そして神道は、『静かな心』を実現するのに最適で、現代と未来の社会を構造化して見るためのひな型がちりばめられていると感じます」(鍵本氏)

鍵本忠尚氏がお薦めする茶道の本

 式年遷宮とは社殿などを造り替えてご神体を移す儀式で、伊勢神宮では20年ごとに行われる。本書の著者は伊勢神宮、靖国神社に奉職し、神宮祭祀(さいし)や式年遷宮制度史などに関する講演も行っていた。
 「著者の小堀氏は、特にパワーエックス創業の際にご指導いただいた恩師です。日本で茶道が好まれる背景には、アニミズム的神道文化があると思います。神社や(茶室の)露地には、心が落ち着く要素がありますよね。自然界のあらゆるものに神が宿るとするアニミズム信仰が日本人の体性感覚には深く根付いていると思います。茶道では、自然界のように不完全(侘び寂び)な道具や環境をあえて作り、それゆえに心理的作用反作用の法則で、見た人の心の中に完全な美のイデアを想起させるという、合理的な心理的『型』が成立しているように思います。祭祀とは、完全と考えられる神の前に不完全な人を配し、完全を希求する際に生まれる心理エネルギーを共有することで一体感が生まれる現象です。式年遷宮は2000年続く祭祀の『型』であり、点前という『型』を通じて人々の心に『日本の美』というイデアを再生産しようとする茶道の働きと通じるものがあると思います」(鍵本氏)

取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 写真/稲垣純也


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