ロジカルな解説から将棋界で「教授」とも呼ばれる勝又清和七段は、東海大学数学科を卒業した異色の棋士。『「次の一手」はどう決まるか 棋士の直観と脳科学』(勁草書房)、『最新戦法の話』(浅川書房)など多くの著書を持ち、名観戦記の筆者としても名高い勝又七段は、東京大学教養学部はじめ、各所で将棋に関する講義や講演など行い、その奥深さや魅力を伝えている。勝又七段に将棋とビジネス、AI活用、将棋の歴史、将棋の魅力が分かる本などについて聞いた。1回目のテーマはビジネスにも通じる「形勢判断」のポイントです。

勝又清和(かつまた・きよかず)
将棋棋士。1969年3月、神奈川県座間市生まれ。1983年に第8回中学生名人戦で優勝し、奨励会に入会。師匠は石田和雄九段。95年に四段昇段、プロ棋士となる。2020年七段。対局はもとより観戦記では早くから才能を発揮。2013年から2024年度まで東京大学大学院総合文化研究科客員教授を務めたほか、学校や職場、カルチャーセンターなどで幅広く将棋の指導や普及に尽力。

将棋をビジネスに例えて解説するようになったのはどんなきっかけだったのですか?

勝又清和七段(以下、勝又) 将棋AIについて講演を依頼された時、将棋の分からない方に棋士が盤上でどういう視点で考えているか説明するために、ビジネスで例えようと思いました。将棋を指す上で大切なのは、未来の局面を予想する「読み」と、局面の優劣を判断する「形勢判断」、この2つが将棋の両輪です。時々刻々と変わる局面を判断し、未来を予想して次の手を指す。これはビジネスと同じではないでしょうか。

 作家で文藝春秋を創刊した菊池寛は将棋について、「将棋とはとにかく愉快である。盤面の上でこの人生とは違った別な生活と事業がやれるからである。一手一手が新しい創造である」という言葉を残しています。経営やビジネスの最前線と、常に新たな創造の場である盤上は共通点が多いはずです。まずは将棋の「形勢判断」について説明しましょう。

形勢判断はどのように考えればよいのでしょうか?

勝又  「駒の損得」「駒の働き」「玉の安全度」「手番」の4つの要素があります。

《形勢判断の4つの要素》
・駒の損得
・駒の働き
・玉の安全度
・手番

勝又 「駒の損得」は「金銭のやりとり」に例えることができます。駒の価値は高い順に飛角金銀桂香歩の順とされています。自分が100点の駒を取られて失うと相手が100点得をして、その差は200点になる。ということで価値の低い歩でもおろそかにできません。しかし、その価値は絶対ではありません。

局面によって駒の価値が変動するということですね。

勝又 駒を飛び越す桂馬や、攻守の要である金は終盤に価値が上がります。盤上にある香車の価値はそれほど高くはないですが、手持ちの駒になると価値が上がる。さらに相手に歩がないときは、香車の価値が倍になります。時と場所に応じて、価値が変わる「変動制」なんです。これも人材には、適材適所で活躍できる場所とタイミングがあるというのと同じです。

2つ目は駒の働きということですが。

勝又 これも適材適所と通じるものがあるのですが、「駒の働き」が「社員(の働き)」です。この「駒の働き」が最も重要です。優秀な社員が多ければ「駒損」の状態でも優勢になり戦えますが、遊んでいる社員が多いと人件費がかさむばかり。赤字になり、業績も上がらない。

将棋でも遊んでいる社員、つまり遊んでいる駒がいると赤字になりますか。

勝又 チェスは取った駒を使えませんが、将棋では取った駒が使えるので、相手に取られると、相手の武器を増やしてしまう。日本の将棋ならではのルールで、自分の駒がヘッドハンティングされてしまう。とはいえ、駒を取られないように1手かけて逃げるのはコスト、つまり人件費がかかってしまう。

駒の損得以上に、駒の働きを数値化するのは難しそうですね。

勝又 盤上のどこにいれば、その駒が働いているかを判断するのはとても難しい。端っこにいる「と金」でも取れる駒が近くにあれば働きますから。勝つためには、遊んでない駒を作ることが大切です。そして相手の駒を「遊ばせる」、つまり仕事をさせないことです。

 持ち駒はいわば現金です。持っていても使いそびれると宝の持ち腐れになってしまう。つまり「駒の損得」と「駒の働き」が将棋の経済ゲームである要素です。

玉を捕まえるために重要な「安全度」と「手順」

「駒の損得」と「駒の働き」が経済的な要素ということですが、あとの二つ「玉の安全度」と「手番」はどういう存在ですか?

勝又 将棋は多く駒を取ったほうが勝ちというゲームではありません。最終目的は玉を捕まえることです。このために大事な要素が「玉の安全度」と「手番」です。将棋本では「玉の堅さ」と書かれていることが多いですが、私は「玉の安全度」としています。

それはなぜですか?

勝又 相手の駒の位置、陣形によって安全度が変わるからです。玉が丸裸でも、相手の駒がいなければ安全です。「堅さ」というと自分の駒だけを見てしまいがちですが、「安全度」ということで、相手の駒を見るという意識が強くなるからです。この安全度をさらに細かく見ると3つの要素があります。

(1)金銀の守り
(2)玉の逃げ場所
(3)敵の攻め駒の位置

勝又  「金銀の守り」は玉を守るガードマンである金銀の配置です。「玉の逃げ場所」は文字通り玉が逃げられるスペースで、将棋用語で「玉の広さ」と言います。「敵の攻め駒の位置」は敵がどこから攻めてくるかという意味です。 以前は「金銀の守り」を一番重視していて、金銀はなるべく玉に密着するようにしていました。しかし、現在は「玉の逃げ場所」と「敵の攻め駒の位置」をより重視するようになりました。金銀の密着度を高くして、玉を囲んで守るのではなく、自陣全体に金銀を配置して、「玉の広さ」を重視するようになりました。

 また、敵の駒の配置によっては、最強の囲いと言われた「穴熊」も、現在では評価があまり高くありません。つまり、こうすれば安全、この形になれば安全、という「固定値」がないと表現をしています。

形勢判断の最後の要素が「手番」ですね。

勝又 手番は仕事のスピードです。相手の玉を捕まえるまでの速さ、手順です。ここでは「読み」も必要です。何でもできる、主導権を持っている局面を「手番が来た」「手番がある」と言います。王手をかけられている場合は、それを回避しなければいけないから、「手番がない」と言いますね。

 王手をかけられた時だけでなく、大事な駒が取られそうとか、ここから侵入されそうだから防いでおくというように、対処しなくてはいけない時も「手番がこない」といいます。こういった「やらなくてはいけないことが多い」局面を、将棋用語で「忙しい」と言ったりもします。これが仕事のスピード、マルチタスクで仕事をこなすところと重なりますが、ちょっと表現が難しいですね。

4つの形勢判断の要素は、それぞれどの局面で重要になりますか?

勝又 駒の損得、駒の働き、玉の安全度、手番の4つの要素のうち、序盤は「駒の損得」と「駒の動き」、終盤は「手番」や「駒の安全度」がより重要です。

 序盤から玉が危険な局面になることはまれなので、最初からここに気を使う必要はない。「駒の働き」を、徐々に良くしていくことを心がける。終盤は駒の損得よりも速さが重要。「手番」と「玉の安全度」が大事になってくるわけです。序盤と終盤では要素の重要度が逆なのです。

(次回へ続く)

取材・文/岡部敬史 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/小野さやか