復活を狙うアメリカのドナルド・トランプ元大統領の底力はキリスト教保守の支えだ。最高裁判所で保守系判事を指名して中絶を非合法化し、イスラエルの米国大使館をエルサレムに移した。「有言実行」とイスラエル支持が強い追い風になるのはなぜか。書籍『アメリカ映画の文化副読本』(渡辺将人著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成して米大統領選を読み解く作品を解説する。
キリスト教右派を描いた衝撃作
『ジーザス・キャンプ アメリカを動かすキリスト教原理主義』(Jesus Camp、2006年)というドキュメンタリー映画がある。ブッシュ息子政権中に撮影・公開されたこの作品は、ブッシュと共和党を支持するキリスト教右派(保守)を扱った潜入ドキュメンタリーとして当時、大変な話題になった。
夏のキャンプで、神との対話を歌や踊りによって表現する。そうしたキリスト教教育の様子を密着して描いたこのドキュメンタリー映画は、キリスト教国であるアメリカで、子どもを信仰に巻き込む是非について問題提起した作品として秀作だった。
しかし、アメリカにおけるキリスト教の信仰が、なにか狂気めいたものとして誤解されるリスクを抱えていたという意味で、外国人が鑑賞する上ではミスリーディングな「劇薬」でもあった。
本作はアメリカ人向けの作品なので、暗黙の「前提」は共有されている。それは社会に根づいているキリスト教の伝統だ。基本的に無神論者や不可知論者、ほかの宗教の信者などでない限り、市民にとってキリスト教は社会に根ざしたよき伝統だという共通認識がある。世俗派も、その「前提」までは共有している。その上で、子どもへのキリスト教教育の是非を問う作品だ。
だから、世俗的なリベラル派でも、映画に出てくるような妊娠の仕方も知らない年齢の子どもたちに中絶の罪を胎児の人形を使って学ばせることが、一般化できないことはよく知っている。しかし、外国人、とりわけ非キリスト教圏の人には、映画のなかの世界が「アメリカ人にとってのキリスト教」のすべてとして映ってしまう可能性は排除できない。
信仰はコミュニティの重要な一部
外国理解において文脈把握なき「衝撃」はときに有害ですらある。実際に、筆者が大学で事前解説なしで学生に鑑賞してもらうと、「宗教は恐ろしい」「だから宗教はいけない」という、宗教アレルギーに一足飛びにつながる反応が少なくない。
信仰はコミュニティの大切な一部であり、福音派のすべてが映画に出てくるような者ではない。福音派には民主党支持の穏健リベラル派もいて、カトリックのリベラル派とともに、環境保護活動や貧困対策に汗を流す。
地震災害などに際してもかなりの規模の寄付金をすばやく集める民間団体は教会である。マザー・テレサを尊敬し、平和部隊に参加し、感染症にかかった子どもたちのための病院をつくろうとスラムで汗を流すアメリカのキリスト教徒の若者と世界中で会うことができる。
筆者と20年来の親友にも、そういうカトリック信徒がいる。紛争解決学で修士号をとり、必要に迫られてアラビア語を勉強し、中東やインド、パキスタンで宗教間対話をするなど平和活動に従事している。こういう姿もアメリカのキリスト教のもうひとつの顔だ。
ドキュメンタリー倫理ぎりぎりの問題作
ところで『ジーザス・キャンプ』は、ドキュメンタリー倫理においては、ぎりぎりの線を泳いだ問題作だ。筆者自身のテレビ・ドキュメンタリー制作の経験からもいえるが、この種の潜入ルポは、対象への批判精神を取材時に発揮すると何も撮れない。
「初めてカメラが入る」ことを優先するなら、取材対象を理解している「ふり」はある程度欠かせない。本作の2人の女性監督が早期キリスト教教育に好意的と勘違いされ、現場に迎えられているのは間違いない。そうでなければ、隠し撮りなしにここまで教会の実態を撮れないからだ。
作品末尾の付録的なシーンでは、木陰で休む黒人の中年男性に子どもたちが布教目的で声をかける。「死んだらどうなると思う?」「天国にいくよ」と答える男性。女の子は「あの人、ムスリムだったと思うよ」と男の子にささやく。これも道の反対側からそっと撮影している。
声を遠くからクリアに拾うには、子どもたちにワイヤレスのピンマイクを仕込む必要がある。それは教会と親の全面協力がなければできない。公開作品を見て、自分たちが好意的に描かれているとばかり思った信徒の親子らは啞然(あぜん)としただろう。
取材対象が「巨悪」であれば、騙(だま)し討ちに近い手法も例外的に許容されるかもしれない。残酷なのは、実名で登場する子どもたちが、アメリカ社会で「どんな成長をしているか」と好奇の目にさらされ続けていることだ。彼らは「子役」ではない。親の許可を得たというだけで、子どもを実名、素顔で露出させたことは、この作品が批判したかった早期キリスト教教育よりも、ある意昧ではより暴力的で取り返しのつかない行為かもしれない。
2021年までの英米メディアの報道やSNS(交流サイト)での彼らの発信を見る限り、映画で取材された主要な子どもたちは元気に育っている。キャンプに参加していた頃の強烈な原理的な信仰心には疑いを持つようになった子が多いが、特徴的なのはほぼすべての子が現在も敬虔(けいけん)なクリスチャンではあることだ。
そしてキャンプについては少年少女時代の楽しい思い出として記憶していると語っている。そういう記憶の整理の仕方にせざるを得ない面もあろう。自暴自棄になっておらず私としてはホッとさせられた。SNS時代の子たちらしくなかなか耐性がある。
唯一、キリスト教への信仰を完全にやめたという少年は、その理由を父親がゲイであることをカミングアウトしたからだと語っている。『ガーディアン』紙によれば、彼はカリフォルニアの聖地、シャスタ山で「スピリチュアル」の集団と暮らしており、「東洋神秘主義、量子力学、向精神薬」を追求しているという。キリスト教原理主義に幻滅した人としておなじみの「既定路線」で(『アメリカ映画の文化副読本』参照)、ニューエイジ方面の新たな「信じるもの」を探しているようだ。
トランプは現代の「キュロス王」か?
ところで、トランプが出ているキリスト教保守にまつわるドキュメンタリー映画はないのか。2024年のアメリカでの話題作はアメリカの宗教的右派(主に福音派)を描いた『Bad Faith: Christian Nationalism's Unholy War on Democracy』(悪い信仰:キリスト教ナショナリズムの民主主義に対する不浄な戦争、2024年)である。残念ながら日本未公開なので日本での配信を心待ちにしながら、少しかいつまんで説明しておきたい。
『ジーザス・キャンプ』のようには、センセーショナルでもドラマチックでもなく、淡々としたドキュメンタリー映画だが、1970年代の人工妊娠中絶を合法化する連邦最高裁判決や1980年代のレーガン(大統領)期からのキリスト教保守の動きを丹念に整理している秀作だ。これ1本を見るだけで、アメリカの政教分離をめぐる問題やキリスト教が政治にどう関わってきたかが手に取るように分かる。
『Bad Faith』にはキリスト教保守に対する興味深い洞察がいくつか含まれているが、なぜトランプを支持するのかの説明は面白い。それは彼らの一部がトランプを「キュロス王」と見なしているという考えだ。バビロン捕囚の時代を終わらせたペルシャの王、キュロスのことで、彼のおかげでユダヤ人は現在のイスラエルとして知られる地域に戻れたというもので、キュロスは聖書で救済の象徴として登場している。
キュロスはキリスト教徒ではなく、意図的に神に従っていたわけでもなかったが、神が目的を達成するために利用したと理解されている。この映画では、一部の右派クリスチャンがトランプを熱狂的に支持しているのは、トランプがクリスチャンだと信じているからではなく、神がキュロスにしたように、(中絶をなくすなど)神の目的を達成するために彼を用いていると信じているからだと主張している。
「それでもトランプ支持」を生むイスラエル情勢
キリスト教右派には、トランプの女性に対する性的な発言などから、クリスチャン失格であるとして彼を毛嫌いする人が少なくなかった。しかし、トランプを見捨てるか支持するかの二択ではなく、トランプをキリスト教徒として尊敬せずとも、「キリスト教徒に役立つ存在」として捉え直す運動が起き始めた。神がトランプを選んだという考えだ。
イスラエルの団体は、トランプがイスラエルの米大使館をエルサレムに移転する決定をしたことを称え、トランプとキュロスを並べて描いた記念の「神殿コイン」も鋳造している。
キリスト教保守の多くは、トランプが人工妊娠中絶の非合法化を3名の保守系判事の指名で実現したことで用済みとして、2024年予備選でデサンティス・フロリダ州知事などに乗り換えようとしていた。
しかし、2023年10月のハマスのイスラエルへの攻撃とその後の紛争が流れを変えた。イスラエルを強く支持しているのは共和党のキリスト教保守で、必ずしもユダヤ系ではない(ユダヤ系には現在のイスラエル政権への批判も根強い)。
イスラエルを救うにはキュロス王のトランプしかいないと、トランプは再び燦然(さんぜん)と輝きだした。イスラエル情勢は11月の選挙当日までサプライズの種として、民主党の対立候補カマラ・ハリス副大統領を不安にさせる。映画でキリスト教保守を理解しておくと、このあたりが分かって「それでもトランプ支持」が反移民の人や白人労働者だけではないことも見えてくるかもしれない。『Bad Faith』は日本配信が決まったら必見の作品だ。
<7つの文化>でひもといていく「アメリカ」。おなじみの著名作品から日本では劇場未公開の知られざる個性派作品、Netflixオリジナル作品やAmazonプライムなど配信系オリジナルの映画ドラマまで数多くの作品を幅広く紹介。文化が分かるとドキドキや泣き笑いが真に迫る! すべての映画・ドラマファン必読の1冊。
渡辺将人著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)

