映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』はアメリカの分断による複数州の連邦離脱と勃発した「内戦」を描く。隠れた見どころは「海外戦場ジャーナリスト」が国内を取材行するミスマッチにある。「現代の南北戦争」は19世紀とは違う。書籍『アメリカ映画の文化副読本』(渡辺将人著)の著者が米大統領選挙直前に楽しむ作品解説をお届けする。
アメリカ内戦を描く作品の矛盾
アレックス・ガーランド監督の映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日(Civil War)』(2024年)が劇場で話題である。Civil Warを直訳すると内戦だが、アメリカではtheをつけてthe Civil Warとすると「南北戦争」を意味する。それになぞらえて、アメリカの分断が再び19世紀の南北戦争のような武力闘争に発展するという架空の世界を描いている。
憲法を改正して勝手に「3期目」に突入してしまう権威主義的な大統領の連邦政府から19の州が離脱し、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」が政府軍に刃向かい、首都ワシントンに攻め上る。
賛否両論を巻き起こすことが映画の狙いだったとすれば大成功である。Netflixのドラマ『ハウス・オブ・カード』で起きる出来事は大げさだが、政治家の駆け引きや野心の描写は極めて正確だと現役の連邦議員も認める。筆者も同感だ。だが、あの種の政治的リアリティは『シビル・ウォー』が目指しているものではない。
アメリカの一般レビューで『シビル・ウォー』否定派に多いのは文脈の欠如への批判だ。なぜ内戦が起きたのか、なぜ大統領はFBI(米連邦捜査局)を解散し、アメリカ人相手に武力行使するのか(空爆といってもダスティン・ホフマン主演『アウトブレイク』[1995年]の感染症拡大防止「一掃作戦」のようなものか無差別なのか不明)。
それらの理由が謎めいている上に、共和党寄りのテキサス州と、民主党寄りのカリフォルニア州が一致結束するのはおとぎ話だ。むろん、カリフォルニア州が民主党優位になったのはここ最近の話で、ニクソン、レーガンの歴代大統領、シュワルツェネッガー知事を生んだカリフォルニア州南部は長く共和党の地盤だった。
だが、SFや宇宙人来襲ものによくある「この世の終わり」系映画として楽しめと言われても、設定の矛盾が気になって仕方がないのかもしれない。
作品をめぐる世代間ギャップ
2021年1月の米議会襲撃事件や権威主義的な大統領がドナルド・トランプを想起させるし(監督は事件以前の2020年に脚本に着手したとして関連を否定)、「西部勢力」の兵隊には黒人がいて「善玉」として描かれている。
作品自体は「共和党映画」でも「民主党映画」でもない。アメリカ国内の反応ギャップはむしろ党派ではなく世代に表れていた。映画専門誌「ザ・ハリウッド・リポーター」が2024年4月の全米公開時に行った出口調査では観客は超党派だったが、過半数が18歳から34歳だった。
筆者も簡易的な聞き取りを米政治関係者にしてみたが、中年以上の人は作品を「見ていない」(アイオワ州共和党委員)、「作品を知らない」(民主党連邦議員)などムラがあった。共和党主流派に多い「南北戦争マニア」には「私が関心があるのは本物の南北戦争の方だ」とやや子供じみた感情的な反発もあった。
他方、若手には好評で、「迫力と興奮に満ちていた」「(インディーズ製作会社の)A24らしい」という褒め言葉が多く聞かれた。ビデオゲーム世代にはIMAXの大画面で再現される臨場感の刺激がストレートに消費されている。
だが、リアルな戦闘シーンが文脈なしに詰め込まれることに、それが「自由」をめぐるアナロジーなのか、大統領の何に反発しているのか、大人は「意味」を求めたがる。
テーマの主軸はジャーナリズム
突っ込みどころが多いことは否定しない。アメリカの内戦で中東や中国、ロシアはどう動くのか。海外米軍基地や核兵器管理はどうなるのか。国際情勢もエネルギー環境も科学技術も兵器も南北戦争時代とは違う。いくら分断が進んだといっても、「内戦」にはブレーキがかかる要素が多すぎる。
設定を細かくすれば破綻するのは自明で、戦闘描写も南北戦争を想起させるワシントンDC市街の白兵戦中心である方がいい。そうした演出にしている最大の理由は、この映画の主軸のテーマが「ジャーナリズム」だからだ。ニューヨークから4人のジャーナリストが大統領の単独取材のためにワシントンに1台の車で向かう道中に困難が待ち受けるという筋書きだ。
1年2カ月の間、1度も取材を受けていない大統領(一方的な演説はテレビで垂れ流している)。彼の肉声を確保することがスクープになる。「内戦」に陥るほど国がぼろぼろになっても、アメリカに最後まで残る民主主義の鑑(かがみ)は「ジャーナリズム」だという監督の明確なメッセージが響く。
そのためにフォト・ジャーナリストである必要があった。この動画配信時代に、決定的現場でカメラのシャッターを切る主人公たちの目指すものはアナクロニズムにも思える。だが、白黒のスチール写真という想像力を要求する媒体こそ現場を力強く伝える力があるとメディア論では語られてきた。
湾岸戦争以降に「テレビ戦争」になったことで戦争がかえって他人事になっていき、写真だけが時間差でずしりと重いものを伝える(『戦争とテレビ』ブルース・カミングス著/渡辺将人訳/みすず書房)。
会社を超えたジャーナリストの競争と友情
アメリカは国内が近代戦争の「戦場」になることに慣れていない。真珠湾攻撃を除くと、9・11テロ以外は外からの攻撃がなく、国土が「戦場」になったことがない。そのため「内戦」が起こるという仮想現実で、海外戦場系ジャーナリストが「アメリカの国土を取材する」というミスマッチがこの映画の一つの隠し味になっている。
ホワイトハウスや議会での政治報道、また地方都市の犯罪報道でも、メディア各社間には競争と仲間としてのハードボイルドな絆があるが、国際報道の現場にもそれはある。現場での社を超えた師弟間のリスペクトや、たまにしか会わないが現場で再会するだけで興奮がよみがえる独特の仲間意識。危険を共にしてきた者同士、競争しているはずなのにどこか支え合う関係だ。
この国際取材報道の独特の空気と絆は筆者にとっても懐かしい。映画の主人公の属するロイターのような通信社など海外メディア、そして彼らが使う情報屋である「ストリンガー」との「貸し借り」は、社の上司にも伝えない現場の者同士による秘密だ。
外に出るといつも同じ顔ぶれに出会う。前に会ったのが平壌とか北京、クアラルンプールとかイスラマバードなど、常に久しぶりで海外の「現場」でしか会わない独特の関係性だ。
映画冒頭では、ニューヨークのホテルのバーで、ジャーナリストたちが「たむろ」するシーンがある。そこで繰り広げられる競争や牽制(けんせい)、そうした緊張感がありつつも、ネタを探り合うという友情に満ちた情報交換のあの雰囲気は本当にリアルだ。
実験作として興味深いロードムービー
この映画で描かれる「戦場」は、本来は国際報道分野であり、彼らの主戦場は海外にある。だからアメリカの伝統的なメディアではなく海外通信社が主役になる。
CNNはアメリカ国内を報道する部門と海外部門が分かれていて、戦争やアジア、中東などの海外報道は英国訛(なま)りだったりする外国人記者が担当する「区別」がある。これらの「非アメリカ国内系」メディアでは所属する記者やカメラマンの出身地や国籍もさまざまで、アメリカの国内的なテレビネットワークとは雰囲気が違う。
一方で、アメリカ国内しか知らず、海外基地に駐在してもコンパウンド(敷地)内で過ごしアイオワやテキサスの感覚のままでいる米軍人が、アメリカ国内の凄惨な戦場現場をプレスに目撃されたらどうなるか。彼ら軍人たちを取材するのが、MSNBCだのFox Newsといったドメスティックなアメリカの香り満載の記者ではなく、国際色豊かな「非アメリカ」的なプレスだったら、どんなケミストリーが発生するのか。そのことも実はこの映画の伏線の一つになる。
CNNの海外報道記者クリスティアン・アマンプール(イラン系英国人)が海外特派員としてはアメリカ人に尊敬されたのに、ABC Newsの日曜「お茶の間系」トークショーのホストとしては散々な低評価だったのはなぜなのか。彼女の英国訛りは、バグダッドからのライブでは「海外感」を増すスパイスでも、ハロウィンや感謝祭の話題をぺちゃくちゃ与太話するにはあまりに「外国風」すぎた。
フォト・ジャーナリストならば、「海外通信社」感を出すにはドンピシャだ。独自取材にこだわる主人公たちは一匹狼(おおかみ)の集まりで、戦う者たちの片側の目線に偏る組織的な「従軍報道」を好まない。
戦場になってしまった土地の市民生活の温度を知るには、戦車と一緒に行動せず、ドライブのように旅をするのがいいだろうし、「内戦」で敵味方の概念がいよいよおかしくなってくる現場では、ますます価値がある。「海外」と「アメリカ」が国土の中で交錯する新型のジャーナリストのロードムービーとしては興味深い実験作だと言える。
その意味では、映画『シビル・ウォー』鑑賞で有用なのは、どのみち設定の矛盾が気になって仕方がなくなるような細かい政治知識よりもジャーナリズムをめぐるあれこれの知識なのかもしれない。
キルスティン・ダンスト、25年ぶりにワシントンへ!?
新聞ジャーナリズムに関するテーマでは、古くはウォーターゲート事件報道の「ワシントン・ポスト」を描いた『大統領の陰謀』(1976年)、近年では「ボストン・グローブ」がカトリック教会の児童虐待の闇に切り込んだ実話を基にした『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)など名作揃(ぞろ)いだが、どれも舞台は大新聞ばかりで、過度に英雄化されているところもある。
アメリカのブン屋の泥臭い世界と街ネタを絡めている作品のほうに、リアルな日常やアメリカのジャーナリズムの底力が透けていることがある。
マイケル・キートン主演『ザ・ペーパー』(1994年)は、大新聞に引き抜きを受けるほどの実力派の記者が一癖も二癖もある熱い仲間たちの現場が好きだからと、小さなタブロイド紙に居続ける。黒人が冤罪で逮捕される。その冤罪を暴くために市警の警官に署内でリークさせる手法、写真部の新人の快挙など、輪転機を動かす締め切りまでの日々の慌ただしい興奮は間違いなくどのメディア映画よりリアルだ。
テレビ報道については、1990年代に一世を風靡(ふうび)した人気コメディドラマ『マーフィー・ブラウン』のように業界を面白おかしく描くか、ミシェル・ファイファー主演映画『アンカーウーマン(Up Close and Personal)』(1996年)のようにおとぎ話としてサクセスストーリーを美化するにとどまるものが多い中で、古さを感じさせない秀作が、若き頃のホリー・ハンター主演映画『ブロードキャスト・ニュース』(1987年)である。テレビニュースの権威の虚構性の解体を試みた、メディアリテラシー映画の先駆けだった。今でも一見の価値はある(拙著『 メディアが動かすアメリカ 民主政治とジャーナリズム 』[ちくま新書]参照)。
ところで、『シビル・ウォー』の主演キルスティン・ダンストが、映画内でホワイトハウスに絡むのはこれが初めてではない。『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!(Dick)』(1999年)というニクソン大統領とウォーターゲート事件をモチーフにしたコメディがある。
社会科見学で訪れた先のホワイトハウスで大統領に気に入られ、事件に巻き込まれていくストーリーだ。原題のDickがニクソン大統領の愛称だと日本人には分かりにくいため、主演俳優名を冠した謎の独自邦題が製造された。キルスティン・ダンストといえば、この作品の強引な邦題を連想する日本の映画レンタルビデオファンも少なくないだろう(同作は劇場未公開でVHS・DVDのみ日本で発売)。『Civil War』も別題をあえてこう名付けてあげたくなるかもしれない。
『キルスティン・ダンストのホワイトハウス再訪!』
さて再訪なるか。顛末(てんまつ)はぜひ劇場で確認していただきたい。
<7つの文化>でひもといていく「アメリカ」。おなじみの著名作品から日本では劇場未公開の知られざる個性派作品、Netflixオリジナル作品やAmazonプライムなど配信系オリジナルの映画ドラマまで数多くの作品を幅広く紹介。文化が分かるとドキドキや泣き笑いが真に迫る! すべての映画・ドラマファン必読の1冊。
渡辺将人著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)

