イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス……。天才的なイノベーターが生み出したイノベーションはそれぞれ異なりますが、「思考の型」は共通しています。第一原理思考、アナロジー思考、パラノイア思考、物語思考、反逆思考、情熱思考、SF思考など、傑出したイノベーターに共通する「10の思考法」を、本人たちへの取材や100冊以上の書籍から得た知識を基に解剖した書籍『 天才思考 世界を変えるイノベーションを生む10の思考法 』から一部を抜粋・再編集してお届けします。天才の思考法は、日本のイノベーターにも共通しています。連載の第14回では、ホンダ創業者の本田宗一郎の「反逆思考」を取り上げます。=敬称略
ホンダ創業者の本田宗一郎も反骨心が強い人物でした。当時の日本の経営者としては珍しかったのですが、政府の方針にも平気で盾突きました。
有名なのは自動車への参入です。二輪車メーカーだったホンダが四輪車への進出を検討していた1961年、通商産業省(通産省、現在の経済産業省)が「自動車行政の基本方針(後の特定産業振興臨時措置法案)」を示しました。日本の貿易自由化に備え、自動車会社を量産車、特殊車両(高級車・スポーツカーなど)、ミニカー(軽自動車)の3つのグループに分類して、指導する方針でした。
そのために通産省は、自動車メーカーの統廃合と新規参入の制限を実施しようとしていました。参入には四輪車を量産した実績が不可欠とされており、ホンダのホームページには「この法案が成立すれば、四輪車の実績のないホンダは市場参入ができなくなることを意味していた」と書かれています。
自由競争を否定するような政府の方針に宗一郎は真っ向から反対します。通産省に乗り込み、事務次官に対して、「おれにはやる(自動車をつくる)権利がある。既存のメーカーだけが自動車をつくって、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きなものを、永久に大きいと誰が断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって株主総会でものを言え。うちは株式会社であり、政府の命令でおれは動かない」と言い放ったそうです。
もちろん宗一郎が盾突いても、法案提出の動きは止まりません。四輪車に進出できるかどうかの瀬戸際にホンダは立たされます。そこで宗一郎は、法案が成立するまでに、短期間で量産車の生産実績をつくることを決断。実質的に約4カ月半で小型スポーツカーと軽トラックのプロトタイプを開発し、ホンダは窮地を脱します。
法律で禁止されていた「赤いクルマ」
ここでも宗一郎の反逆思考が際立つ場面がありました。宗一郎は量産するクルマを赤にしようと決めましたが、「当時は、国内で販売される自動車の車体色に、緊急車両(消防車・救急車など)と誤認される恐れのある、赤や白を使うことは法律で規制されていた」(ホンダのホームページ)。ホンダの担当者は何度も運輸省(現在の国土交通省)へ通いましたが、取り付く島もない状況でした。
しかし宗一郎は、朝日新聞のコラム欄などで「赤はデザインの基本となるものだ。それを法律で禁止するとは。世界の一流国で国家が色を独占している例など聞いたことがない」(同)と自分の考えをアピールし、ついに運輸省の許可を得ました。
このような宗一郎のエピソードも、イノベーターには反逆思考が欠かせないことを示しています。自分の信念に従い、社会の常識やルールに逆らうことを恐れず、世界のあり方さえも変えようとするのは、宗一郎が本物のイノベーターだったからでしょう。
新刊『天才思考』で詳しく説明したように、ホンダの創業者もイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズのような天才的なイノベーターと共通する反逆思考を持っていました。宗一郎には『俺の考え』という自身の人生論と反骨心について書いた著書もあり、相手が誰であろうと自分の信じることを主張するのが流儀でした。
もし宗一郎が政府の方針に素直に従う常識人だったら、四輪車に参入できず、「シビック」や「アコード」「インテグラ」「NSX」「フィット」「ステップワゴン」といったホンダの名車は生まれませんでした。
ホンダが四輪車に参入できなかったら、当然ながら世界最高峰の自動車レース「フォーミュラ・ワン(F1)」に参戦することもなかったでしょう。実は宗一郎は、四輪参入のプロジェクトと並行して、F1への参戦を準備していました。
ホンダがF1に初参戦したのは1964年ですが、その2年前に社内でF1プロジェクトをスタートさせ、準備を進めてきました。当時のホンダは二輪車メーカーで、四輪車は一台も販売したことがなかったため、無謀な挑戦でした。それでも宗一郎は、「できるかどうかはわからないが、どうしてもやりたいんだ」と決意を語り、日本メーカーとしては前例がなかったF1参戦を成功させました。
私は小学生時代からF1が好きで、とりわけ1980年代後半のF1チーム「マクラーレン・ホンダ」の活躍に心を躍らせました。同チームに所属して名ドライバーとして覇を競ったアイルトン・セナやアラン・プロストと、彼らが駆るF1マシンの姿は今でも忘れられません。
このようなホンダのF1挑戦の原点には、困難だった四輪車への参入に情熱を燃やした本田宗一郎の強烈な反逆思考がありました。

[日経ビジネス電子版 2026年5月13日付の記事を転載]
山崎良兵(著)/日経BP/2640円(税込み)
