『 拡張生態系 生命から照らす人類・地球・科学の未来 』(舩橋真俊著/祥伝社)は、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)リサーチディレクターの舩橋真俊さんが書き下ろした、700ページ近い大作。「拡張生態系」とは、人間の力で生態系の多様性や機能を高めることによって、食料問題や環境問題を根本から解決しようという一大パラダイムである。舩橋さんインタビュー3回目は、学校教育、SDGs(持続可能な開発目標)、クマ問題と多岐にわたった。
全国の学校授業に取り入れてほしい
日経BOOKプラス編集部(以下、──) 「拡張生態系」は学校教育にも取り入れられているんですね。
ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチディレクター 舩橋真俊さん(以下、舩橋) 将来的に文部科学省の教育方針がどうなるかにもよりますが、教科書的に使える知見はすでにありますし、一部の教科書には私の書いた文章が掲載されています。もっとも教科書に載ることを望んでいるのではなく、全国津々浦々の学校の校庭できちんと拡張生態系を学んでほしいですね。国語・算数・理科・社会はもちろん、学校で習うすべての教科は拡張生態系を通じても学ぶことができます。
実際に鳥取県の米子北斗中学校・高等学校では、拡張生態系を取り入れた授業を行っています。あるとき、生徒の1人が「世界中でカマキリが減っている」というニュースを目にしました。生態系全体で見てみると、カマキリのエサになるバッタなどが減っていて、さらにはバッタが育つための植生が失われています。
このことを知ったその生徒は「生態系のバランスを保つためにも、ある程度までカマキリを増やさないといけない。授業でカマキリが増えるカマキリ島を作ろう」と提案してくれました。こうした柔軟な発想は大人ではなかなか難しく、子どもたちは次につなげる行動ができるのだと感心しました。
今の生命科学では、生きている生物の個体を作り出すことはできません。せいぜい組織の一部を幹細胞として取り出したり、体細胞を基に遺伝子の一部を組み替えたりする程度。そうであればすでにある生命や生態系をより良くマネジメントしつつ、補助的な道具として科学技術を使い、文明を転換していかなくてはいけません。とりわけ今の慣行農業(編集部注:農薬や肥料を用いる一般的な農法)など食料生産の方法を変えていく必要があります。
科学者や技術者というのは、どうしても科学技術万能主義に偏りがちです。先鋭的な研究開発をする上では動機づけになりますが、文明全体で見たとき、その方向が状況によっては間違っている場合もあります。一般の市民はすべての科学技術に精通しているわけではありませんから、最先端の研究をしている学者が「この技術で世界が良くなる」と言えば、簡単に信じてしまうことがある。非常に危ういと思います。
現代の世界的な課題を解決するには、科学技術だけではなく、社会科学的な素養や文学・美術といった余白を感じる力も大切です。
SDGsの8割は対症療法?
本書を読んでドキッとしたのは、「SDGs(持続可能な開発目標)の具体的な169のターゲットを解析すると、その8割が対症療法であり、それ自体を個別に目指しても合成の誤謬(ごびゅう)に陥るリスクがある」と述べているところです。それぞれの現場で部分最適を目指しても、全体では逆効果になっているのでしょうか。
舩橋 今の世界を見ると逆行していると思います。これは「拡張」の逆の「縮退」という現象で、格差が広がり、社会が分断されながら目先の経済的な利益を追っている状況です。では、どのようにして新たな全体最適に到達するかというと、歴史を振り返れば、文明の方向が大きく切り替わったのは、日本の場合、明治維新でした。それはかなりの痛みを伴うもので、当時はそこら辺の辻で人を斬っているような争乱の時代でした。
フランスではフランス革命で国王がギロチンにかけられ、米国では独立戦争や南北戦争で米国人同士の殺し合いが起きました。しかしその動乱を通じて、近代国家の枠組みが形成されていったのです。人類史を見れば文明の転換期には人がたくさん亡くなります。
今のところ、環境問題だけを原因とする大規模な戦争はまだ起きていません。しかし、気候変動や環境劣化が紛争の要因となっている地域は、すでに世界各地に現れています。明治維新ぐらい深刻な状態は世界のいつどこに現れてもおかしくないのです。
私は、そうなる前に情報公開をしようと思いました。願わくは江戸城の無血開城のように戦争を起こすことなく、数世代のうちに食料問題や環境問題を解決できたら、という期待を込めて本書を書きました。それがうまくいくかどうかは、この本が活用されるかどうかにかかっています。
企業内でSDGsに関わっている人たちも、持続可能な社会を作ろうと努力をしていると思うのですが、実際にどうすればいいですか。
舩橋 まだ真剣度が足りないのかもしれません。クビになる覚悟でもやろうと思っているでしょうか。スタートアップは倒産リスクも覚悟で起業するわけですが、SDGsへの取り組みを同じレベルでできますか。少なくとも明治維新の際は「これが認められなければ、人を斬るしかない」という切実さで尊皇攘夷運動をしていました。もちろん、今の倫理観では許されないし、それが正しかったかどうかは別ですが、そのくらいの切実さがあるかどうか。
世界に目を転じてみると、アフリカなどの半乾燥地では、砂漠化によって普通の農業がどんどんできなくなっています。その一方で人口は増えており、貧困が加速しています。ある意味、環境問題の未来を先取りしている地域です。将来的に世界のどの地域も直面する課題の典型例がアフリカにあるので、私はアフリカで先行して実証実験を行っているわけです。
クマ問題も拡張生態系で解決できるか
ところで環境問題と言えば、昨年、日本ではクマによる深刻な被害が発生しました。シネコカルチャーでより良い農業が実現すれば、クマの被害も減りますか。
舩橋 クマだけを対象にして解ける問題ではないですね。生態系全体が関係しています。クマを入り口に、生態系と人間社会の関わり方はどうなっているのかと考え、クマは、イノシシは、ハンターは、農業は、というふうに問題を解いていくべきかと思います。
クマの生態については『シートン動物誌4 グリズリーの知性』(アーネスト・トンプソン・シートン著/今泉吉晴監訳/紀伊國屋書店)が参考になります。1900年前後の米国で野生のクマが人を襲うかどうかについての知見が多く書かれています。本来クマは臆病な動物なので、めったなことでは人を襲いません。ただ、襲う例はゼロではない。では、何がクマを追い立て人を襲わせているのか。それを想像する力が現代人には足りません。
例えば、我々は「母グマは子グマを守るためには人を衝動的に襲う」という思い込みがあります。ところがこの本には、「母グマの目の前で子グマを袋に入れて持ち去っても、母グマは悲しそうにぼうぜんと立ち尽くしていた」と書かれています。訳が分からなくなりますね。つまり、それぐらい我々は野生動物の内部で起こっていることを知らず、偏った自然観を持っているということです。少数の危険事例のみに注目して、すべてのクマが凶暴な行動を取るというような先入観を持つことなく、野生動物との境界や保全、習性についての理解を進めるべきです(*)。
私たちはクマの身になって考えることができるでしょうか。それができれば、イノシシでも森でも、微生物の身にもなれます。それはまだ記号化されていない実態的な情報を感知する力でもあります。私たちは社会経験や教育において、そうした能力をそぎ落としてきました。
アイヌの人たちにはクマの子どもを見つけると、神の化身だと言って自分たちの集落に連れ帰る文化がありました。一緒に相撲を取ったりして育て、最後は殺してカムイ(自然)へ送ります。都会に住んでいる現代人には理解が難しい考え方かもしれませんが、アイヌの人たちが住んでいた地域では、縄文時代にまで遡る数千年もの間、持続可能な生活が営まれていました。
『拡張生態系 生命から照らす人類・地球・科学の未来』でも触れましたが、アマゾンで暮らしているヤノマミ族は、昼間も薄暗い熱帯雨林の中にいるので、時間の感覚が現代生活のような規則的な区切りになっていません。距離の認識も異なるため、遠くにいて小さく見える牛を「あの虫」と呼んだりします。当然、事業計画を作って投資家にプレゼンするような社会制度とは無縁です。では、彼らは劣っているのかといえばそうではない。ヤノマミ族の文明もおそらく数千年は持続可能です。
クマの身になって考えられるかということは、私たち日本人が、アフリカをはじめ環境危機や社会格差の矢面に立っている国々の人々の身になって考えられるかというのと同じです。もしそれができるなら、格差や環境問題は決して解決できない問題ではありません。
最後に『拡張生態系』をどのように読んでほしいですか。
舩橋 分厚い本ですが、どこから読んでもいいように書いています。コラムだけ先に読んでもいいですし、拡張生態系の理論をしっかり理解したい人は第2章・第3章を読んでください。難易度は高くなりますが、拡張生態系に懐疑的な人でも、論理を追っていけば分かるように書いています。社会実装や今後について書かれた第4章・第5章から実践的に読み解く人や、背後にある科学哲学をまとめた最終章から読んだほうが分かりやすいという人もいます。心の向くままに自由に読んでもらえればありがたいです。
https://open.spotify.com/episode/1JXyicyU9cW8KCqTXsThbP
文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集)写真/鈴木愛子


