「経営戦略」という言葉は、いつ、どこで生まれたのか。どのように学問として変遷を遂げたのか。テイラーとメイヨーから始まったといわれる経営戦略の歴史を、『 マンガ 経営戦略全史〔新装合本版〕 』(日本経済新聞出版)の著者、三谷宏治さんに聞きました。ポジショニング派とケイパビリティ派という対立構造から解き明かします。
経営に軍事用語の「戦略」を取り入れる
経営戦略という言葉は、「経営」と「戦略」が組み合わさった言葉です。もちろん最初にあった言葉は「戦略」で、それに「経営」がくっついてきたわけです。
「戦略」というものは、『孫子』が書かれた紀元前500年とかそれ以上前からずっと存在していました。それは、戦いとはどうあるべきなのかを検討するための概念で、「作戦」や「戦術」よりも上のレイヤーの論点です。
『孫子』の中で、私が面白いと思ったのは、「戦う前にやることが戦略」「どう戦うかではなく、どこで戦うか」「戦場をどこと定め、どうそこに持っていくのか」などの箇所です。戦い方を検討する前に「どこに注力するか」を考える点は、現在の戦略的資源配分や事業ドメイン論にもつながっています。
例えば、相手の戦力が80で自分は100だとしましょう。でも「目の前に山があって、敵が右から来るか左から来るか分からない」という状況下で、もし左右両方に50ずつ戦力を配置したら必ず負けます。敵はどちらかに集中するので、80対50となってしまうからです。左右どちらかに100集中するか、いったん引いて戦場を変えるかしないと負けてしまいます。
このように戦いの方向性を決めるのがもともとの「戦略」でした。その軍事用語を「経営」に取り入れていったのが「経営戦略」の始まりです。
「経営戦略」はいつ生まれたのか
経営というものは約130年の歴史しかなく、フレデリック・テイラーとエルトン・メイヨーから始まったといわれます。テイラーは「仕事の生産性をどう科学的に上げるのか」ということを考え、その後メイヨーは「生産性向上にはヒトのモチベーションや人間関係が大事だ」と考えました。
その後、さまざまな経営施策がトライされていく中で、「バーナード革命」という言葉でも知られるチェスター・バーナードが「経営戦略」という言葉を初めて使いました。彼自身は学者でもなんでもなく、ベル(のちのAT&T)の地域子会社の1つを経営していた経営者でした。彼は世界恐慌(1929~38年ごろ)で多くの企業が倒産の憂き目に遭うなか、なんとか会社を生き残らせることができました。
そして、生き残った者として、「どんなに厳しい環境でもやりようはある。経営者は組織をシステムとして機能させるために、(1)個々人のモチベーション、(2)個人や組織間のコミュニケーション、(3)組織を超えた共通の目的、の3つを提供する必要がある」と自身の著作で主張しました。そして「(3)共通の目的」のことを「経営戦略」と名づけたのです。
ゆえに経営戦略の最も根源的な定義は、「組織を超えた共通の目的」と言えるでしょう。ここから本格的な経営戦略論の歴史が始まります。
ポジショニング派vsケイパビリティ派
経営戦略論にはさまざまな流派があり、マギル大学のヘンリー・ミンツバーグは『 戦略サファリ 』(現在は第2版が販売中。ヘンリー・ミンツバーグ、ブルース・アルストランド、ジョセフ・ランペル著/齋藤嘉則監訳/東洋経済新報社)で10種類に分かれると主張しました。私は極限までシンプルにしたら大きく二分できると考えています。ポジショニング派とケイパビリティ派の2つです。
ポジショニング派は、「まず市場やニーズがあるところを見つけて狙っていこう。どうやって実行するかは後からでよい」と言います。ポジションが先で、どうやってやるか、すなわちケイパビリティは後だと。
他方、ケイパビリティ派は、「まず自分たちは何が得意なのか見極めてから、どこを狙うか決めるべきだ。能力もない分野に参入しても意味がない」と言います。ケイパビリティを日本語にすると「企業能力」のようなものです。昔の例で言えば、ホンダはエンジンという技術に強みがあり、そのエンジン技術というケイパビリティを使って、バイクから車へ、さらには農機具や発電機といった分野に狙いを定めて参入し、成功を収めました。
日本企業躍進でケイパビリティ派優位に
両派の争いをたどると、当初はポジショニング派が強く、1970~80年代にかけてケイパビリティ派に移行していきました。それは「きちんとした戦略がない」と言われていた日本企業が、1970年代から世界的に成功し始めたからです。
例えば、ホンダの幹部はバイクでのアメリカ市場参入の経緯に関し、「なぜ、競争が最も厳しいアメリカ市場を狙ったのか」と聞かれ、「戦略的な理由やどこを狙う・崩すといったことは検討していない」「でも、どうせやるなら一番厳しくて大きな市場に挑戦したかった」と答えています。
ホンダに限らず、コマツやキヤノンといった「戦略なき無鉄砲な日本企業たち」が世界的に大きな成功を収めたので、こうした事例を前提に経営戦略論を論議せざるを得ませんでした。そのような背景で、ケイパビリティ派が1970~80年代に伸びていきました。
イノベーションの時代に突入
1990年以降、日本企業の影が薄くなっていくにつれ、「やはりポジショニングだ!」とか「両方組み合わせないとダメだ」とかさまざまな主張がされてきましたが、この30年は、やはりイノベーションの時代です。もちろんそこには、ポジショニングから来るイノベーションもあれば、ケイパビリティから来るイノベーションもあります。
例えば、グーグルは、高精度の検索エンジンという圧倒的な技術(ケイパビリティ)を中核にイノベーションを起こしました。当初は赤字がたまっていく中でも、検索件数をとにかく増やして人を引きつけ、最終的には「検索語による広告」という収益モデルを見つけました。これにより「今、何かに興味関心のあるヒト」向けの広告を細かく打てることになり、これまでとは異なる広告主(個人を含む)に、違った価値を提供できるようになりました。ケイパビリティが先で、ポジショニングは後だったのです。
このように、イノベーションもどちらからスタートするかはさまざまなケースがあります。ですが、やはりこれまでのような経営戦略論は、ポジショニングにせよケイパビリティにせよトレードオフという考え方が強く、右に行くのか左に行くのかどちらか決めようとします。二兎(にと)追うものは一兎(いっと)をも得ず、だから。
でも、イノベーションのあり方は右に行くか左に行くかではなく、真ん中にある山をぶち壊すことであり、トレードオフではありません。これまではどう失敗しないかというのが経営戦略でしたが、イノベーションの場合には積極的に失敗しようとします。デザイン思考もそうですが、先の読めないVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代の経営戦略のあり方は、よりハイリスクで試行錯誤的なのです。
取材・文/永野裕章(日経BOOKSユニット) 写真/小野さやか
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