英語も日本語も堪能なバイリンガルと聞くと「羨ましい」と思うかもしれないが、特有の悩みや心配もある。『 アブダクション英語学習法 認知科学者がAI時代に伝えたい独学の技法 』(日経BP)の著者、今井むつみ氏が、バイリンガルの子どもにかかる特有の負荷を、認知科学の観点から読み解く。
バイリンガルに特有の「認知の負荷」については、興味深い実験結果が報告されています。米ノースウエスタン大学のビリオカ・マリアン教授らによる、英語とスペイン語を話す人たちを対象にした実験です(*)。被験者には、それぞれのモノリンガルだけでなく、英語とスペイン語のバイリンガルの人たちもいました。
この人たちに、「ハエを探す」という視覚タスクを課しました。被験者が見ているのは、ハエのほかに3つの画像(合計4つの画像)が映し出されたスクリーンです。そして、被験者の視線の動きを、アイトラッキングの技術で追います。
実験1:「ハエ」のほかに「旗」「葉っぱ」「引き出し」の画像が映し出される
実験2:「ハエ」のほかに「風車」「指輪」「引き出し」の画像が映し出される
音が似ているものについ目が向く
英語のモノリンガルの人は「ハエ」を探すときに「ハエ」だけでなく「旗」の画像にも目を向けました。なぜなら、英語では、「ハエ=fly(フライ)」も、「旗=flag(フラッグ)」も「f(フ)」で始まり、音が似ているからです。
一方、スペイン語のモノリンガルの人は、「ハエ」に加えて「風車」の画像にも目を向けました。なぜなら、スペイン語の「ハエ=moscas(モスカス)」と「風車=molino(モリノ)」も、音が似ているからです。
では、英語とスペイン語のバイリンガルはどうかというと「ハエ」と一緒に「旗」の画像にも「風車」の画像にも目を向けました。つまり、ハエを探すとき、英語で音が似ている「旗」にも、スペイン語で音が似ている「風車」にも注意が向くのです。
バイリンガルは脳が活性化しやすく、制御が必要
ここからわかるのは、バイリンガルの場合、同じタスクを課されたとき、モノリンガルより多くの可能性が頭のなかに浮上し、脳が自動的に活性化してしまうということです。
さらに、そうやって活性化した脳を、文脈に合わせて制御しなくてはなりません。英語で答えるべき場面であれば、スペイン語の情報を抑えこみ、英語の情報に集中する。スペイン語で答えるなら、その逆です。
このとき、脳のなかでは実行機能と呼ばれる仕組みが働き、不必要な情報を制御します。つまり、バイリンガルの場合、同じタスクでも活性化される情報がモノリンガルより多く、そのぶん、制御も多くしなければなりません。それだけ、認知の負荷は大きくなります。
このように認知の負荷が大きいことは、バイリンガルの人たちの思考と発達にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。
これは簡単に結論を出せない問題です。
子どもの思考と発達には、ポジティブにもネガティブにも働きます。ただ、バイリンガルに育つことは認知の負荷が大きいことは確かで、知っておいてほしい事実です。
バイリンガルに育つことが、子どもの思考の発達にどう働くかは、状況にもよります。
バイリンガルと一口にいってもさまざまで、定義すら定まっていません。
モノリンガルの定義は、あまり難しくありません。ある一つの言語を主に話し、ほかの言語は知らないか、知っていてもあまり使っていないという状況です。けれど、バイリンガルには多種多様な状況がありえます。
例えば、英語バイリンガルなら、両親の一方の母語が英語で、他方は違うという人もいます。また、両親ともに日本語が母語という英語バイリンガルもいます。そういった人のなかには、家庭では日本語を使っていたけれど、学校では英語を使っていたという人もいれば、海外に移住してバイリンガルになったという人もいます。そのほかにも、さまざまなケースがあるでしょう。
ですから、バイリンガルだからどうだ、こうだと、単純な一般化はできません。
バイリンガルだから羨ましい、憧れるというのも短絡的ですし、バイリンガルだから大変だね、かわいそうだねと一概に評価するのも短絡的です。
バイリンガルであることの評価は、そう簡単にできません。
バイリンガルが「ダブルリミテッド」になるリスク
マリアン教授によると、全世界に暮らす人の過半数がバイリンガルかマルチリンガルだそうです。
意外に思うかもしれませんが、自然に育てばバイリンガルやマルチリンガルになるという地域は、世界に多くあります。例えば、欧州のルクセンブルクは、ルクセンブルク語のほかに、フランス語もドイツ語も公用語で、小学校では3つの言語をすべて学びます。カナダは英語とフランス語が公用語で、どちらも使える人が多くいます。
そういうなかで、バイリンガルは今、世界的な問題にもなっています。
バイリンガルのなかには、戦火を逃れた難民の子どもたちもいます。母国で政治的・経済的に過酷な状況に置かれ、母語とは違う言語を使う地域に移住した保護者を持つ子どもたちもいます。日本にも、家庭では日本語とは違う保護者の母語を使っていて、学校では日本語で勉強しているという子どもが多くいます。
こういった子どもたちは、社会的なサポートがないと、保護者の母語も、移住先の言語も十分に習得できないという中途半端な状態のまま大人になってしまいます。どちらの言語習得も不十分という「ダブルリミテッド」の状態に陥るのです。
ダブルリミテッドの増加は、社会的なリスクにもなり得ます。ダブルリミテッドに育った子どもやその家族といった、個々人にとって人生のリスクになるだけではありません。
なぜなら、母語の獲得とは、考える力の獲得にほかならないからです。

・『言語の力 「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?』ビオリカ・マリアン著・桜田直美訳(KADOKAWA/2023)
・Shook,Anthony. Marian,Viorica. Covert Co-Activation of Bilinguals’ Non-Target Language: Phonological Competition from Translations. Linguist Approaches Biling, 9(2): 228–252. doi:10.1075/lab.17022.sho.
[日経ビジネス電子版 2026年5月22日付の記事を転載]
今井むつみ(著)/日経BP/1980円(税込み)
