社内でのポジションや容姿、家族の属性まで「何かと張り合ってくる人に困る」という声は多いもの。身近な人と自分を比較してしまう心の構造とは? 心理学者・榎本博明氏の日経プレミアシリーズ『【新装版】かかわると面倒くさい人』から抜粋します。

なぜあの人は嫌味を言うのか

 何かと嫌味を言う同僚がいて面倒くさいというのも、よくあることだ。

 売り上げ成績が良くて上司からほめられているのを見ると、
「担当してる取引先がいいんだよな。あそこなら営業努力いらないもんな」
 などと、あからさまな嫌味を言う。陰で言われるのもややこしいが、面と向かって言われるのも反応に困る。

 親しくつきあっている友だちから嫌味を言われるのもよくあることだ。

 社内で新たに立ち上げられたプロジェクトチームのメンバーに抜擢(ばってき)されると、わりと親しい別の部署の友だちが、
「お前はいつもつきあいがいいから、上から気に入られてていいな」
 などと、いかにも能力と無関係な要因で選ばれたとでも言いたげな嫌味を口にする。「親しい関係なのに、なぜ?」と思ってしまうという人もいる。

 このようなことは、プライベートでもよくあることだ。

 しょっちゅう行動を共にしているママ友仲間の間で、
「若くてちょっとキレイだからっていい気になってる」
 というような噂を流され、ママ友のライバル意識にはうんざりするという人もいる。

 自分としては、若いことを自慢するようなことはまったくないし、むしろ年下だからかなり気をつかっている。町内の子ども会などの役割分担でも、「あなたは若いから大丈夫でしょ」などといって力仕事ばかり回ってきて、嫌がらせのように自分だけに重い物をもたせようとするけど、文句も言わずにちゃんとやっている。

 公式な役割だけでなく、みんなでお茶をする際に車を出すように言われたりして、実質送り迎えをしてあげることもある。

 それにもかかわらず、悪い噂を流される。これはまさに関係性攻撃である。いつも一緒に行動している仲間のはずなのに、なぜそんなことを言われるのか、納得いかないという。

 噂を立てられるだけでなく、面と向かって嫌なことを言われることもある。

 親しいつもりでいたママ友から、
「こっちのことバカにしてるんでしょ。大学出てるのを鼻にかけて、ほんとに嫌らしいんだから」
 と言われ、そんなつもりはまったくなかったからビックリしたという人もいる。

「何よ、いつも高級な服ばかり着て、見せびらかしちゃって。旦那さんの稼ぎがいいのをそんなに自慢したいの」
 と、心にもないことを言われ、ものすごく孤独な気持ちになったという人もいる。

 こうした事例では、若い仲間や奇麗な仲間、学歴の高い仲間や裕福な仲間に対する妬みが攻撃性を生んでいるとみることができる。

 それにしても、「親しくつきあっている仲間なのに、なぜ?」と疑問に思うかもしれない。

 だが、身近だからこそ比較意識が働くのだ。そして、職場の同僚とかママ友のように同じような立場だから比較対象として意識されるのである。

 あまり縁のない人物ならまったく気にならないのだが、身近な人物だからこそ比較意識が働いて、「それに比べて、自分は…」といった思いが湧き、つい相手を引きずり降ろすような行動に出てしまうのである。

反映過程と比較過程

 心理学者テッサーは、自己評価維持モデルというものを提唱している。

 自己評価維持モデルは、人は自己評価を維持もしくは上昇させるような行動をとるというのを前提としている。そして、対人関係において自己評価の上昇と低下を導く2つの心理的過程として、反映過程と比較過程を対比させている。

 反映過程とは、身近な人物の優れた属性や業績の栄光に浴して自己評価が上昇するといった心の動きを指す。素晴らしい人物と自分を同一視すること(重ねること)で自己評価を上げるというわけだ。

 たとえば、友だちや知人がオリンピック代表選手として注目されていたり、ニュースキャスターとして活躍していたりすると、
「自分はあの人と親しいのだ」
 と誇らしく思い、周囲の人にそのことを吹聴したくなる。それまではとくに親しいというような思いはなかったのに、やけに親しげな気持ちになる。それにより自己評価が高まる。

 いわば、自己評価を高めるために、そのような活躍している友だちや知人との心理的距離を縮めるのである。

 有名になった途端に、つきあいのなかった親戚や元同級生から連絡が来るようになるという話がよくあるが、それはこの反映過程によって自己評価を上げようという心理が働くことによる。

親しい同性同士のつきあいでは比較対象として何かと意識されがちになる(写真:taka/stock.adobe.com)
親しい同性同士のつきあいでは比較対象として何かと意識されがちになる(写真:taka/stock.adobe.com)
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「人は見た目じゃない」という言葉の背景

 一方、比較過程とは、身近な人物の優れた属性や業績との比較により自己評価が低下したり、反対に身近な人物の劣った属性や業績との比較により自己評価が上昇したりする心の動きを指す。ここでは、相手が優れている場合について考えてみる。

 たとえば、友だちや知人が社会人野球で活躍していたり、会社で順調に出世していたりすると、
「あいつは活躍しているのに、自分は何やってるんだろう」
「うらやましいなあ、それに比べて自分は…」
 と落ち込み、自己評価が低下する。

 反映過程と比較過程、どちらの心理過程が動き出すかは、そのときに問題になっている属性や業績への本人の関与度(重要視し、関心をもつ程度)によって決まってくる。

 自分にとって重要な意味をもつ属性や業績が問題となる場合は、比較過程が活性化されやすい。

 その場合、友だちや知人の優れた属性や業績によって自己評価が低下するため、関与度を低めたり、心理的距離を遠ざけたりする心の動きが生じる。

 たとえば、異性にモテたいという思いが強い人は、容姿容貌は強い関心をもつ要素であるため、身近な相手が美人だったり、カッコ良かったりすると、比較過程が働き、
「うらやましいなあ、それに比べて自分はみじめだ」
 と自己評価が低下する。

 そのダメージを最小限に抑えるために、「人は見かけじゃない」と容姿容貌の重要性を低めたり、その人物に冷たい態度をとって心理的距離を置こうとしたりする。心理的距離が遠くなれば、比較過程は喚起されにくくなり、自己評価をあまり低下させないですむからだ。

「あの人は、ちょっとモテるからっていい気になってる」
 などと悪口を言い触らしたりするのも、自己評価を低下させた人物に対して鬱憤晴らしをしつつ心理的距離を遠ざける試みと言える。

有名人の友だち自慢をする人の反映過程

 一方、自分にとってたいして重要でない属性や業績が問題となる場合は、反映過程が活性化されやすい。

 この場合、友だちや知人の優れた属性や業績によって自己評価が上昇するため、関与度をさらに高めたり、心理的距離をさらに縮めたりする心の動きが生じる。

 たとえば、プロ野球選手になりたいという希望をもっている人にとって、友だちが野球の全国大会に出場することは、
「すごいなあ、それに比べて自分は全然芽が出ない」
 というように比較過程が動きだし、自己評価の低下につながる。

 しかし、研究職に就きたいという人にとっては、スポーツは自分にとって重要な意味をもたないため、反映過程が動きだし、
「あの選手は友だちなんだよ」
 と周囲の人たちに自慢げに言い、周囲からも、
「ほんと? すごいね」
 と言われたりして、まんざらでもない気分になり、自己評価を上昇させる。

 友人選択さえも、自己評価の維持に有利なように行われていることがわかっている。

 つまり、自分にとって重要な領域では自分より劣り、あまり重要でない領域では自分より優れた友人を選ぶ傾向がみられる。このことは、比較過程および反映過程による自己評価の維持・高揚に都合の良い友人選択が行われていることの証拠と言える。

 このように比較意識というのはじつに厄介なものなのである。

日経プレミアシリーズ『 【新装版】かかわると面倒くさい人
シンプルな話を曲解してこじらせる、持ち上げられないとすねる、どうでもいいことにこだわり話が進まない…なぜあの人は他人を疲れさせるのか? 職場からご近所、親戚関係まで、社会にまん延する「面倒くさい人」のメカニズムを心理学的見地から解剖する。

榎本博明著/日経プレミアシリーズ/990円(税込み)