最近増えている、部下に注意をしない上司や子どもを叱らない親。相手の将来を思うならば、はっきりと言うべきときに「叱るのはかわいそう」と飲み込むのは本当のやさしさでしょうか? 心理学者・榎本博明氏の日経プレミアシリーズ『【新装版】薄っぺらいのに自信満々な人』から抜粋します。

大人にも広がる「嫌われたくない心理」

 人から好かれたい、嫌われたくないというのは、だれもが抱えている思いだろう。

 ちなみに私が20代~70代の社会人および20歳前後の学生を対象に実施した調査では、「人から嫌われたくないという思いが強い」という社会人は54%(強くないという者は20%)、学生は55%(同21%)と、いずれも過半数がそのような思いを抱えていた。

 それが悪いというのではない。だが、そうした思いが強いあまり、言いたいことも言うべきことも言えないとなると、いろいろな面で支障が出てくる。

 嫌われたくない思いが強すぎると、人からどう思われるかばかりが気になって自由に振る舞えなくなる。判断軸が自分の中になくて、他者の反応を基準に動くことになる。

 職場でそんな中高年の上司たちを見ていて、その見苦しさにあきれる若手も少なくない。

 現場の事情をよくわかっていない上役が見当違いな指示をしてきても、
「わかりました。早速そのように対応します」
 などと応じている上司。それを見ている若手部下は、そんな無駄なことをする時間も人材もないだろうにとあきれ、上司の器の小ささを残念に思うとともに、自分もそのうちあんな風になってしまうのかなと不安になる。

 でも、そんな情けない上司だから、「嫌われたくない」といった思いが強くて、自分たち部下に対しても厳しいことを言わないから、ある意味、楽でいいという若手部下の声もある。

 ただし、そのような上司は、結局は部下のことなど何も考えてはいない。頭にあるのは、自分が嫌われたくないということだけだ。

 ここまで言えば、嫌われたくない思いの強い人物は、非常に自己チューな心の構えを持っていることがわかるだろう。

 相手のためには厳しい言葉も吐かないといけない。言いにくいことも言わないといけない。

 嫌われるかもしれないけれど、あえて言うのが相手のためだ。そう考えるのが、自己チューでない人物の思考パターンだ。「自分のため」より「相手のため」を思って行動する。自分が嫌われるかどうかより、どうしたら相手が「できる人間」に成長するかを重視する。

 それに対して、自己チューな人物は、「相手のため」より「自分のため」に行動する。相手の成長に協力しようというより、自分が嫌われないことの方を重視する。

 今は年配者も若手にあまり厳しいことを言わないようになったが、それを「やさしさ」の表れと勘違いすべきではない。「自分かわいさ」の表れと言うべきだろう。

部下に甘い上司ほど自分のことしか考えていない

 近頃は叱られることに慣れていない若者が増えたため、うっかり若手部下に注意すると思いがけない反撃を食らうことがあり、部下を叱るのを躊躇(ちゅうちょ)する上司が多い。

 理不尽な叱り方をする上司に反発するのは当然だが、別に怒鳴ったりきつい言い方をしたりしたわけではなく、穏やかな口調で部下にミスを指摘して、これから注意するようにと言っただけなのに、ムッとした表情をする。

 取引先に対する応対を聞いていて、これはまずいなと思い、応対のまずさを指摘すると、
「自分はそんなことはしてません」
 と、まるで自分を全否定されたかのように反論してくる。そんな若手部下を叱るのを躊躇する気持ちはわかる。

 だが、ミスを注意しなければ、その部下はまた同じミスを繰り返す可能性が高い。まずい応対を注意しなければ、その後もまずい応対を当たり前のように続けるだろう。それでは組織としても困るし、部下自身も成長できない。使えない人材のままだ。これでは上司としての機能を果たしていない。

 それなのに、そのような事なかれ主義の上司が「やさしい上司」とみなされたりする。上司自身も、自分は部下思いのやさしい上司だと本気で勘違いしていたりする。

 部下が提出してきた書類にまずい点が見つかっても、それを指摘せず、
「ご苦労さん、あとはこっちで仕上げておこう」
 と言って、どこがまずいかを指摘せずに、自分で直してしまう。うっかり注意して部下の気持ちを傷つけてはいけないと思うからだという。

 部下の応対がまずくて取引先から怒りの電話があっても、自分が丁重に謝罪して何とかとりなした後、部下を呼んで注意するということをしない。部下も頑張っているのはわかるし、叱るのはかわいそうだという。

 これがやさしさだろうか。このような上司は、意識の上では頑張っている部下を叱るのはかわいそうだ、頑張っている部下の気持ちを傷つけてはいけないと思っているかもしれない。

 だが、その深層心理を探っていくと、そこには「嫌われたくない心理」が見え隠れする。部下を傷つけたくないと意識的には思いながらも、じつは自分が傷つきたくないのである。憎まれ役を引き受けてまで部下を育てる気がないだけなのだ。

 部下のご機嫌を伺い厳しく叱れない上司も、後輩に厳しいことが言えない先輩も、「部下のため」とか「後輩のため」とか思っているかもしれないが、じつは「自分のため」に甘い態度をとっているだけなのである。

 注意されるとすぐに反発する若手だって、「成長したい」「仕事ができるようになりたい」という思いは持っているはずだ。同じようなミスを繰り返したくはないだろう。周囲から残念な人と思われ続けるのを望んでいるわけがない。ただ、叱られ慣れていないために、つい反発してしまうのだ。

 ゆえに、ほんとうに部下や後輩のためを思うなら、言いにくいことでもはっきり言うべきだし、たとえ一時的に気まずくなっても、嫌われるようなことになっても、相手の仕事力アップのために注意すべきだろう。

 うっかり注意すると目の前で反発するだけでなく、パワハラだと陰口をたたいたり、悪意ある噂を流したりするややこしい部下がいるのも事実だが、仕事ができるようになりたいから注意すべき点ははっきり指摘してほしいという部下もいる。そして、仕事のできる人物ほど注意されることをポジティブにとらえているというデータもある。

 部署として使える人材をそろえるためにも、部下自身の成長のためにも、上司としては嫌われる覚悟を持って注意しなければならないときがある。それができないのは、「嫌われたくない心理」に縛られているからだろう。

上司には「嫌われる覚悟」を持つべき局面もある(写真:ponta1414/stock.adobe.com)
上司には「嫌われる覚悟」を持つべき局面もある(写真:ponta1414/stock.adobe.com)
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子どもを叱った先生にクレームをつける親

 子どもに甘い親が増えている。

 学校で悪さをした生徒を先生が叱ると、その生徒の親から、
「ウチの子が先生から叱られたといって傷ついてます。ほめて育てるという時代になんてことをしてくれるんですか!」
「親でさえ叱ったりしないのに、トラウマになったらどうするんですか!」
 などと、クレームの電話が来たりする時代である。

 かつては、わが子が学校で悪さをして先生から叱られたのを知ると、
「何でまたそんなことをしたの!」
「もうそんなバカなことはしないでちょうだいよ」
 と、親もまたわが子を叱ったものだ。子どもとしては、学校で叱られ、同じことでまた家でも叱られるのではたまらないから、先生から叱られたことは何としても親には知られないように、何食わぬ顔で帰宅したものだった。

 ところが今では、先生から叱られたことを平気で親に言ってしまったりする。それを知って子どもを叱るよりも学校にクレームをつける親がいる。どうも子どもに甘い親、子どもに対してものわかりのよすぎる親が増えているような気がする。実際、学生たちに調査しても、自分の親は子どもに甘いという学生が非常に多い。

 そのような親は、意識の上では、自分はやさしい親のつもりでいることが多いようだが、じつは自分かわいさのあまり子どものためを考えることができなくなっている自己チューな親なのである。

 子どもに嫌われたくなくて厳しく叱ることをしない。子どもをしつけるというよりも、子どもの言うことを聞いてやり、子どものご機嫌を取るようなことさえする。

 なかには子どもと自分はとても仲がよいと満足げに言う親さえいる。親子であって、友だちじゃないんだから、仲がよいとか悪いとかで測れる関係ではないはずだ。

 親としてのアイデンティティーが希薄で、自分の気持ちが満足することばかりを考えているから、そのようなことになるのだろう。

親の自己愛が子どもを甘やかす

 わが子をどこに出しても恥ずかしくないように育てる。利己的な気持ちを抑えて人とうまくやっていけるように育てる。逆境を乗り越えていけるような強さを植えつける。厳しい現実にもめげずに力強く生き抜いていけるように鍛える。怠惰な気持ちに負けずに頑張れる子に育てる。しっかりとした価値観を持ち、正しい倫理観を持つ人物に育てるべく模範を示す。

 親としてのアイデンティティーを持つ親なら、そのような子育てをするはずだ。

 だが、自己愛が勝るとそれができない。大事なのは自分がさびしい思いをしないこと。つまり、子どもから嫌われないこと。親自身は意識していないだろうが、自分がさびしくないためには子どもが犠牲になってもかまわないとでもいうかのような行動をとってしまう。

 甘やかされた子どもは、社会性をたたき込まれず、心の強さを植えつけられないため、社会に出てつまずくことになりがちだ。そこで辛い思いをするのは子どもである。

 結局は、「わが子のため」ではなく、「親自身のため」というのが行動原理となっている。
 強烈な自己愛に目がくもり、わが子のことが見えなくなり、わが子の将来を考えることもできずに、ひたすら「嫌われたくない心理」に振り回されているのである。

日経プレミアシリーズ
【新装版】薄っぺらいのに自信満々な人
成果はぱっとしない割に「できる風」のオーラをまといたがる人、SNS経由の薄い人脈をやたらと自慢したがる人…必要以上に自分を大きく見せたがる「あの人」の正体とは? SNSの普及で肥大化する承認欲求と評価不安を軸に、現代人の心理構造をひもとく。

榎本博明著/日経プレミアシリーズ/990円(税込み)