その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は野中郁次郎さん、戸部良一さん、鎌田伸一さん、寺本義也さん、杉之尾宜生さん、村井友秀さんの『 戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ(日経ビジネス人文庫) 』。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】
勝利を導き出す戦略に共通性はありうるのか。本書の問題意識は、なぜ日本軍は敗北を避けられなかったのかを研究した『失敗の本質──日本軍の組織論的研究』(一九八四年刊)の議論の過程で、われわれの脳裏から離れないものとなっていた。「失敗の本質」プロジェクトが終了すると同時に、日本軍とは逆に「なぜかれらは勝利を獲得できたのか」を明らかにする「戦略の本質」プロジェクトを立ち上げた。
どのようなコンセプトで、どの戦いを取り上げるかを議論していく過程で、戦略の本質が最も顕在化するのは逆転現象ではないか、という仮説が浮かび上がってきた。有利な状況では戦略の質は大勢に影響を与えない。しかし、圧倒的に不利な状況で逆転を成し遂げるときに、戦略の本質が最も顕在化する。残念ながら、この仮説を検証すべきケースは、日露戦争以降の日本には存在しなかった。そのため、日本以外の戦いの歴史のなかから、戦略の本質を示す大逆転のケースを取り上げることとなった。
さらに、本書で対象とする大逆転は戦争そのものの行方を大きく変えたものとした。例えば、当初は、北アフリカにおける英独の戦闘(エル・アラメインの戦い)も候補として挙がったが、突き詰めていくと、この戦いは逆転の好例ではあっても、戦争の重大な転機とはいえないことがわかった。事例研究として執筆した原稿は捨てざるを得なかった。
ケースの選定、執筆まではほぼ順調に進んだが、結局のところ、戦略の本質は何かという、根本的なところでわれわれは行き詰まってしまった。前著『失敗の本質』は、日露戦争という過去の成功体験に過剰適応した結果、日本軍は失敗を回避できなかった、というきわめて明快な命題を提示することができたが、戦略あるいは逆転の本質は何か、については確たる命題が見いだせなかった。かといって、われわれは、戦略のハウツーもの、これを実行すれば戦略的に成功するといったチェックリストをつくるつもりもなかった。こうして、プロジェクトはいったん休眠状態となった。
九〇年代に入り、プロジェクト・メンバーの野中らが知識創造理論を日本から発信するなど、経営理論に一つの転機が見られた。一方、冷戦が終焉(しゅうえん)して宗教紛争や、民族対立、テロなどが複雑に絡み合った戦いが出現するなかで、軍事戦略論においてもエドワード・ルトワクやコリン・グレーなどによって新たな観点が提示されてきた。
両分野における知の体系がかなり豊かになってきたとき、われわれも、あらためて戦略の本質とは何かを見つめ直そうということになった。それは、バブル崩壊後の日本に、あまりにも戦略が欠けているように思われたからである。戦略論がないわけではなかったが、流行している戦略論は分析的な戦略策定に終始していた。分析的な戦略論が行き過ぎた結果、戦略を実践する人間の顔が見えなくなっていた。
戦略とは、何かを分析することではない、本質を洞察しそれを実践すること、認識と実践を組織的に綜合することであるはずだ、という確信をわれわれは持つに至った。そこから導き出されたのは、戦略を左右し、逆転を生み出す鍵はリーダーの信念や資質にあるのではないか、という仮説であった。そこからプロジェクトは再開された。
再開されたプロジェクトで論議されたのは、日本のリーダーには徹底的にリアリズムが欠落していると同時に、理想主義も貧困である、ということであった。この二つの指摘は相矛盾しているように思われるかもしれないが、優れた戦略的リーダーはこれらを同時に達成しているのである。
リーダーには、理想主義的リアリズムが必要とされる。ただし、これはリーダー個人の問題ではない。リーダーは、彼が生きる社会から生まれ、社会によって育てられる。とすれば、逆転を成し遂げる優れた戦略は、理想主義的リアリズムをそなえたリーダーによって構築され実践されるが、それはまた、本質を直視し、対話を通じて真理をつくっていく社会のあり方にも関係してくる。わが日本には戦略を社会的に生み出す能力が欠けているのではないだろうか、いや歴史的に見てそうではない、といった議論をわれわれは重ねた。
戦後六〇年、横並び競争の下で成長してきた日本は、グローバル競争に直面し、はじめて戦略の持つ意味の大きさに気づき、戸惑っているのではないだろうか。本書は終章で、逆転を生み出すリーダーに必要な条件を一〇の命題として提示したが、果たして日本にはこの条件を満たすリーダーがいるのだろうか。あるいは、いたのだろうか。われわれは、そうしたリーダーが少なくとも過去には存在し、現在でも潜在的にはどこかにいると信じたい。別の言い方をすれば、日本社会には、本質を直視し、対話を通じて真理をつくっていく能力があると信じたい。
本書は、戦史の事例にもとづいて戦略の本質を突き詰めたものであるが、それと同時に、リーダーシップの本質を洞察しようとしたものでもある。その意味で、逆転を成し遂げることのできる戦略的な視野を持ったリーダーの実践的な資質とは何か、この問題を考えるときのきっかけともなれば、本書の第一の目的は達せられることになるだろう。
本書の完成まで二〇年かかり、ヤングソルジャーだった執筆者たちも古武士となってしまったが、一人も欠けず無事完成を見届けることができた。しかし、われわれは、まだ戦略の本質の何かが少し見えてきたにすぎないと思っている。したがって、われわれも今後、研究を継続していくつもりだが、若い世代の研究者がいつの日か本書を不要にしてくれることも期待したいと思う。
最後に、休日も関係ない研究会を支援してくれた所属部署の方々、家族の配慮に感謝したい。また、出版にこぎつけるまでに、叱咤激励し、背中を押してくれた日本経済新聞社出版局編集部の堀口祐介氏にお礼を申し上げる。かれがいなければ、本書は休眠から目覚めることはできなかっただろう。
二〇〇五年八月
執筆者を代表して 野中郁次郎
【目次】








