その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジョエル・サートレイ(著)、藤井留美(翻訳)、ナショナル ジオグラフィック(編)の『 PHOTO ARK 生命の賛歌 絶滅から動物を守る撮影プロジェクト 』です。
【はじめに】
2005年9月、ナショナル ジオグラフィック誌の仕事でアラスカ州にいたとき、電話の向こうの妻が言った──家に帰ってきてとお願いするのはもうやめにするわ。妻は怒っていなかった。ただ悲しげに、私がいますぐ家に戻らなければ、結婚生活は終わるという事実を告げたのだ。
その夜のことはいまもはっきり覚えている。私はカクトビクの安モーテルに泊まっていて、ロビーの公衆電話で妻と話していた。ブリキ屋根に暴風雨が打ちつけ、どこもかしこも雨漏りだらけで、ついにロビーのテレビがショートして火を噴いた。吹きこむ雨で火は消えたものの、鼻を刺す臭いがロビーに充満していた。外は風が吹きすさび、目を閉じて集中しても、遠くにいるキャシーの声がなかなか聞きとれなかった。
ちょっとだけ待ってくれ。私はキャシーに懇願した。地元の暮らしを取材していたアラスカ州ノース・スロープでは、漁師たちがクジラ1頭をしとめて村に運びこみ、いざ解体を始めようとしていた。この取材のために、多大な時間と金を投じてきたのだ。帰れない理由を並べた私の自己弁護が終わると、キャシーは言った。「ジョエル、いつもご立派な言い訳ね。でも仕事をやめてほしいわけじゃないの。ただ、外を飛びまわって家にちっともいない生活をこれからも続けるのなら、私はもう抜けさせてもらいます。どうするかは、あなたが決めてちょうだい」
翌日、私は飛行機で家に戻った。人生で最善の決断のひとつだった。
キャシーと出会ったのはふたりが21歳のとき。あらゆる面ですばらしい女性だとわかった私は、先を越されまいとすぐに結婚を申しこんだ。私にとっては「格上げ婚」だ──ネブラスカ州の新居で私たちはそんな軽口をたたいた。キャシーは私より頭が良く、ブロンドの髪を伸ばして、彫像のように均整がとれている。彼女は私をおもしろいと思っていて、当時の私はそれだけが取り柄だった。
あの嵐の夜、私はキャシーからの警告で家に帰った。信じられないかもしれないが、「フォト・アーク」はそこから生まれたのだ。
ネブラスカ州リンカーンの自宅では、キャシーと3人の子どもたち、コール、エレン、スペンサーが待っていた。末っ子はまだ2歳だった。仕事より家族を優先するために、無理のない新たな方向性を探ることで家族の意見がまとまった。
6週間後、キャシーの右乳房に大きな腫瘍が見つかった。悪性だった。放射線治療に続いて9か月の化学療法という長い戦いが始まった。具合が悪くて口もきけない病人をどうやって世話するか、父親の務めをどう果たし、家のことをどう切り盛りするか、私はこのとき学んだ。友人たちの差し入れがことごとくラザニアだったとき、笑顔で受けとる知恵も身につけた。
その冬は、キャシーとスペンサーが眠っているあいだに家のなかを歩きまわっては、壁の絵や写真、本棚に並ぶ本を眺めていた。歴史はあるが隙間風も入るわが家には、いずれ完全に姿を消すとわかってオーデュボンが残した鳥の版画や、同様に絶滅の脅威にさらされていた先住民を描いたジョージ・カトリンの絵、エドワード・カーティスの写真が並んでいる。
彼らは消えゆくものを視覚的に記録するだけでなく、往時の姿を愛惜してやまなかった。私はこれまで出会った生き物たち、なかでもまったく注目されず、話題にもならなかった種に対して、同じ気持ちを注いできただろうか? ミノウ、スズメ、カエル、カタツムリ……そんな生き物たちを救うために、私の仕事が少しは役に立ったのだろうか?
キャシーの病気が良くなったら、私はこの方向に進むことにしよう。
そしてキャシーの病気は良くなり、今日まで元気にやっている。私たちの結婚生活も36年になった。私は家を留守にすることも多いが、有意義な理由がある。それに最近ではキャシーも息ぬきがほしいという。私が家にいるとなにかと面倒らしい。
フォト・アークに関して、キャシーと子どもたちは高く評価している。ただし、彼ら曰く「渦中」には巻きこまれたくないそうだ。それでも大いに力になってくれるが、ときには恨まれることもある。
27歳になる息子のコールは旅が好きだが、何日も顔を突きあわせていると、言いたいことも飲みこまなくてはならない。「父さんは父親であると同時に、雇い主でもある。そのバランスをとるのが難しい」とコールは話す。フォト・アークでいちばん愉快な記憶はとたずねると、「とくにない」と答えつつも、こう続けた。「ふだんの生活ではお金を使い、資源を消費してばかりだけど……そのすべてが自然とつながっていると感じる。フォト・アークはきれいな写真集であり、持続可能な生活の指針にもなる。至近距離で撮影された個性豊かな生き物たちを見ていると、いまの状況がどれほど危ういか理解できるんだ」
23歳になったエレンも心境は複雑だ。「大事なことだと思うけど、楽しくはない。1台のプリウスに5人が乗りこみ、2.5メートルのロール紙が何本も天井からぶらさがった状態で8時間ドライブするのは、楽しい家族旅行と呼べないと思う。空港で受けとった大量の荷物を自宅の地下室まで運び、次の撮影旅行でもう一度逆のことをする……いやもう、ぜんぜん楽しくなかった」
「だけど、フォト・アークは自分の行動と生活に影響を与えてきたし、これからもそうだと思います」エレンはそう話す。「賢い買い物をして、水とエネルギーはできるだけ節約する。地球破壊につながるような仕事は選ばない。それが私にはいちばん納得できる生きかただから、死ぬまで続けるつもりです」
末息子のスペンサーは17歳。父親をお手本にしそうにはないが、フォト・アークにはほかの家族と同様貢献している。最悪の思い出は? 「たくさんあるけど、チェコ共和国で動物園のサイ舎に数日泊まりこんだときかな。むちゃくちゃ暑いし臭いし、サイはひと晩じゅう角を檻にぶつけていた。天井の扇風機が鉄パイプに当たる音だと思ってたけど、そうじゃなかったんだ」
最後にキャシー。彼女はこの暮らしになじむ知恵を身につけたが、けっして好きというわけではない。「フォト・アークが最優先で、ほかのこと、つまり家の修理、お祝いごと、食事、睡眠などはすべて後回しです。彼にはとても立派な理由があるんです。すぐに動かないと、生き物たちが絶滅してしまう―ジョエルにそう言われると、私たちも反論できません」
新型コロナウイルス感染症が大流行していたあいだ、私がずっと家にいたことは、家族全員にとって災難だった。それでも1000種以上の生き物を撮影することができた。昆虫が中心だが、そもそもフォト・アークの大多数を占めるのが昆虫だ。すでに1万1250種を撮り終え、いまも着実に数を増やしている。
どうしてこのプロジェクトをやっているのか? それはいまも私の頭を占める疑問だ。人間の管理下にある生き物を全種類写真に収めるには、私が死ぬまで、あるいはその直前までかかるだろう。そのいっぽうで、世界の人口は爆発的に増えつづけている。
1月の寒い台所のテーブルで、最善の答えが見つかったのは今朝のことだ──どんなに大きなことも、始まりはごく小さかったりする。最も弱い生命に目を向けることが、消費行動から熱帯雨林の保護まで、環境全体に気を配る思考へと発展するかもしれない。だからほかの種を救うことは、私たち自身を救うことでもある。
マウスや小さな茶色のヒキガエルを守ることは、正しく気高い行いだ。そこに金銭勘定の入る余地はない。生き物が日々姿を消す世界に憤りを覚える人間が、正しいと思うことを実行に移した喜びがあるだけだ。
だから私は負担だと思ったことはない。草原の風に乗って聞こえてくる希少な鳥のさえずりが消える前に、どんな嵐のときでも山の清流を紅と黄金にきらめかせるマスがいなくなる前に、立ちどまり、驚嘆し、行動するまたとない機会を与えられているのだから。
これがトラやシマウマであれば、支援も集まりやすい。大きくて美しく、何より知名度がある。これがミユビハリモグラやカヤネズミ、ザリガニやクモザルで、さらに生息地の森林にまで関心を向けてもらうには、どうすればいいのか。難しさはエベレスト級だ。
だがぐずぐずしている場合ではない。いますぐ立ちあがり、持てる手段でせいいっぱいの行動をとろう。
前進あるのみだ。
つきあいはじめた大学生のときから、
ジョエルはこういう人でした。
目の前のことが人生のすべてになる。
優秀な鳥猟犬と同じです。
狩りをしろと言われたら、
目的を達成するまで、
狩りだけに集中するんです。キャシー・サートレイ
ドミニカ共和国で
ジャガーの子どもに乳を飲ませ、
ヘリコプターでモザンビークの
雨林の渓谷を行く。
世界各地を訪れ
異なる文化と人びとの暮らしを
肌で感じるのはすばらしい経験です。コール・サートレイ
舗道にミミズを見つけたら草むらに戻し、
家に入ってきた虫は外に逃がす。
小さいながら虫と共生する庭も
つくっています。
フォト・アークに接しながら
成長してきただけに、
人間としてのありかたと、
世界との関わりかたに大きな影響を
受けているのです。エレン・サートレイ
父さんの機材を全部しまって、
次に空港に向かうときに
またひっぱりだすのは、ほんとに面倒だ。
重さ20キロのダッフルバッグなんて
見るのもいやになる。
フォト・アークはやることが
山のようにあるけど、
有意義なことなんだと思うよ。スペンサー・サートレイ
【目次】
【収録写真】



