その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は日本経済新聞社(編)の『 藤井聡太が勝ち続ける理由 王座戦──八冠の先へ 』。「はじめに」に代えて「歴史的で運命的なシリーズを振り返る」をお届けします。

【歴史的で運命的なシリーズを振り返る──「はじめに」に代えて】

 2023年10月11日、将棋史に残る金字塔が打ち立てられました。

 藤井聡太七冠(当時)が、永瀬拓矢王座(同、現九段)に挑んだ第71期将棋王座戦(日本経済新聞社主催、東海東京証券特別協賛)の五番勝負第4局に勝ち、対戦成績3勝1敗で王座のタイトルを奪取、前人未到の八冠独占を成し遂げました。全八冠制覇は、1996年に羽生善治九段が達成した七冠独占を超える偉業です。

 歴史的なシリーズとなったこの五番勝負は、かつてないほどの注目を浴びました。王座戦を主催する日経新聞では、五番勝負の模様を電子版や紙面で詳しく報じました。第4局終了後に話を聞いた両対局者の独占インタビューも大きな話題を呼びました。史上初の八冠達成で、藤井フィーバーは大きな盛り上がりを見せ、23年の日経MJヒット商品番付では、「藤井八冠」が「生成AI(人工知能)」「大谷翔平&ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」という東西の横綱に続く、東の大関に位置づけられたほどです。

 本書は、日経新聞に掲載された記事のほか、担当記者による座談会や電子版の「NIKKEI LIVE」で配信した藤井王座によるトークショー&自戦解説の模様を収録しています。また、書き下ろし原稿として、勝又清和七段による棋譜解説や、日経新聞に観戦記も寄稿するライターの大川慎太郎氏による寄稿も加えています。

 本書のタイトルは『藤井聡太が勝ち続ける理由』となっています。王座戦での戦いぶりを紹介することで、“勝ち続ける理由”、つまり藤井王座の強さの秘密に迫ろうと試みています。

 タイトル通算31期を誇り、藤井王座とは5回タイトル戦を戦った渡辺明九段が「圧倒的な計算力」と評するように、藤井王座の読みの速さや深さ、正確さはトップ棋士の中でもずばぬけています。「異次元」というべき計算能力については、勝又七段による第4章「プロ棋士が読み解く藤井の強さ、思考 解説・王座戦五番勝負」でも詳しく触れられています。

 計算力の高さは「天賦の才」といえるかもしれませんが、結果よりも内容や充実感を求める姿勢を貫いている点も強さの一因ではないでしょうか。

 23年10月30日に日経本社でトークショーとともに催した自戦解説会では、五番勝負の中から「会心の譜」を選んで解説してください、とお願いしました。すると、藤井王座は、シリーズで唯一敗局となった第1局を選んだのです。

 通常、自戦解説というと勝った将棋を紹介するものですが、この敗局が藤井王座には「会心の譜」でした。その理由については、自戦解説の冒頭で「負けてしまったのですが、中盤から終盤にかけて押したり引いたりの展開で、指していて充実感のある将棋でした」と説明しています。

 対局に勝ったとしても、構想のミスや納得のいかない手があれば、藤井王座は悔やみ、反省して、次の対局に生かそうとしています。

 例えば、最終盤の逆転で勝利した第3局では、対局中に何度もがっくりする姿が中継映像には映し出されていました。終局後、大盤解説会場に向かう際には、うなだれて力なく歩く姿を目の当たりにしました。

 勝っても、内容的に納得できなければ、心の底から悔しがる姿を見て、「だから、藤井さんは勝つんだな、強くなるんだな」と痛感しました。

 半面、対局中はどんなに苦しくなっても、最後まで諦めない姿勢も、あまたの逆転劇を生んできた要因でしょう。

 第71期王座戦では、何度も苦境に立たされる場面を見てきました。それは、将棋AI(人工知能)の評価値で勝率1%からの逆転劇が話題を呼んだ、永瀬九段との五番勝負だけではありません。挑戦者決定トーナメント(本戦)2回戦の対村田顕弘六段戦や挑戦者決定戦の対豊島将之九段戦も、最後の最後に何とかひっくり返して、勝利を手繰り寄せています。藤井王座自身、本社でのトークショーで、「いったんは諦めるんですけど」「諦めた上で少しでもチャンスを作れる確率を高めるにはどうすればいいのかと考えています」と明かしています。

 強さだけではありません。藤井王座は、見ていて面白い将棋を指します。

 将棋には「名人に定跡なし」という格言があります。強い人は、定跡つまり常識にはとらわれない、という意味です。藤井将棋はまさに「名人に定跡なし」で、見ていて、「こんな手があるのか」とワクワクしてしまう手が随所にちりばめられています。勝又七段は、本書収録の王座戦第2局の解説で、守備駒の金を果敢にも攻めに参加させた指し回しを取り上げ、「金は守りに使うのが一般的で『金は引く手に好手あり』が基本だったのを、藤井は変えた」「藤井以前と藤井以後では、大局観が変わった」と書いています。

 23年12月15日、第5回野間出版文化賞の贈呈式で、藤井王座は「盤上で魅力のあるストーリーが表現できるように今後も努めていきたい」と語っています。今後、藤井王座が盤上でどんな物語を紡いでいくのか、楽しみでなりません。

 本書のもう一人の主人公は、永瀬九段です。

 “藤井聡太が勝ち続ける理由”の一つとして、永瀬九段を研究パートナーとして選んだこと、そして、2人で継続して研鑽(けんさん)を積んできたことを挙げないわけにはいきません。

 挑戦者決定戦を制し、永瀬前王座への挑戦権を獲得した直後の記者会見で、藤井王座は永瀬九段を「自分を引き上げていただいた方」と表しています。永瀬九段の言葉の端々にも、藤井王座へのリスペクト(尊敬)の念があふれていました。

 タイトルを失った王座戦第4局終局直後のインタビューで、再起に向けた思いを聞いたところ、「公式戦で藤井さんに教えていただいて、番勝負が始まる前と後ではだいぶ見えてきたものが違うかなと思いますので、悲観せず、一歩一歩頑張っていけたらなと思います」と話しています。

 2人の研究会については、藤井王座の師匠、杉本昌隆八段が日経新聞に寄稿した特別手記(本書にも収録)でも触れています。その中で杉本八段は「八冠への挑戦となった王座戦五番勝負の対戦相手が盟友、永瀬拓矢王座(当時)というのも何かの運命だろうか」と感慨深げに書いていますが、私たち主催紙の記者・スタッフも、この五番勝負に運命的なものを感じながら、取材・運営にあたっていました。

 八冠への「最後の砦(とりで)」として、盟友の前に立ちはだかり、白熱した戦いを見せた永瀬九段の姿もまた、多くの将棋ファンの心を揺さぶりました。中でも、決着局となった第4局の終盤、失着に気づいた永瀬九段が頭をかきむしる姿は、モニター越しに見ていても、胸が痛くなりました。

 2人の関係については、大川氏の書き下ろし原稿(第3章)でも詳しく紹介されています。研究会は、王座戦五番勝負終了後、程なくして再開されたということです。そんな2人の研究会の様子は、23年12月16日、東京都渋谷区の将棋会館で特別に公開されました。将棋会館の建設費を募る将棋連盟のクラウドファンディングの返礼として、80万円の寄付をした人たちがじかに見学することができたのです。王座戦五番勝負では和服で戦った2人がラフな普段着で将棋盤を挟んで対局していました。

 誰が最初に八冠の一角を崩すか。永瀬九段は、その最有力候補の一人です。2人が紡ぎ出す新たな物語にも、注目したいと思います。

 将棋史に残る今回の王座戦五番勝負は、藤井王座と永瀬九段という縁の深い2人の戦いということで、運命的なものにもなりました。多くの人々の記憶に残ることにもなったこのシリーズを改めて紹介できることを、主催紙の一員としてうれしく思います。

  令和5年12月

神谷浩司(日本経済新聞社)

【目次】

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