その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はクリスティアン・ロン(著)、夏目大(訳)の『 ダーウィンの罠 私たちはなぜ重要な選択を間違い続けるのか? 』です。「プロローグ」の一部を抜粋してお届けします。
【プロローグ】
ピチャーの教訓
二一世紀の初頭、オクラホマ州ピチャーは、間違いなくアメリカで最も不幸な町になっていた。町の人口は何十年にもわたって減り続けていた―それは町に仕事がないからだけではない。ピチャーの乳児死亡率は異常なほど高かった。町の地面は陥没穴だらけだった。そしてピチャーの人々は老いも若きも心臓病、肺疾患、癌などの重い病気にかかりやすかった。鉱石の採掘が行われなくなって以来、その付近の町はどこも苦しんでいたが、ピチャーの状況は特に悲惨だった。
かつて町を支えたものがすべての災いの元になっていた。ピチャーはオクラホマ州の北東端、オザーク高原の縁に位置し、カンザス州、ミズーリ州との州境に近い、いわゆる「トライステート地域」にある。今そこを訪れると荒涼とした場所に見えるが、一世紀前には地下深くに埋まった膨大な鉱物資源のおかげで栄えていた。一九二〇年代、トライステート地域は世界のどこよりも多くの亜鉛と鉛を産出していた。亜鉛や鉛は、当時は塗料、導管、家庭用品、兵器などの材料となり、また真鍮などの合金を作るのにも使われる重要な金属だったのだ。
ピチャーの鉱夫たちは亜鉛や鉛のことを「王様ジャック」と呼んでいた。何十年もの間、ジャックは良い王様だった。トライステート地域の亜鉛や鉛の鉱山で働く鉱夫たちは高い賃金を受け取り、地域が栄えるとともに金持ちになっていった。「おそらく世界中にピチャーほど、この一、二年で大きく変わった町もないだろう」と一九二〇年の地元の新聞の記事には書かれている。町には毎日のように商店、映画館、ボウリング場など新しい建物ができていた―そして同時に、鉱石を精製した残りかすを積み上げた「チャット・パイル」と呼ばれる小山も次々にできていった。
鉱夫たちの掘り出した鉱石はすぐに精製工場へと送られる。そこで鉱石に圧力をかけて、価値のある金属を取り出すのだ。金属を取り出したあとの残りの部分は細かく粉砕されて「選鉱くず」になる。この選鉱くずを「チャット」と呼んでいたのである。ピチャーでは、チャットを町の郊外に捨てていて、それが小山になっていた。やがて、チャット・パイルは、町のどの建物よりも大きくなった。中には高さが六〇メートルにも達するチャット・パイルもあった。風が吹くとチャットは吹き飛ばされて空気中を霧のように漂い、町の生活空間や人々の肺の中に入っていった。
活況は永遠には続かなかった―永遠に続くことなどないのだが―鉱物の埋蔵量が残り少なくなると仕事はなくなっていったのだ。一九六〇年代頃には、ピチャーの鉱床は掘り尽くされ、あとに残ったのは失業した鉱夫たち、鉱夫の未亡人たち、そして過去の良き日々を思い起こさせるチャット・パイルの数々だけだった。また残っていた人々も次々に町を離れていった。やがて、ピチャーやその周辺に残っている人々の間で、血液疾患や認知障害、様々な種類の癌などの病気が驚くべき速さで増えていることがわかってきた。
写真家のシェルドン・ディックの一九四〇年の映画「人と埃(Menand Dust)」でも、同地域の住民の多くが消耗性疾患に罹患していることに触れている。「珪肺(けいはい)症、結核、栄養失調など様々な病気にかかっている。時が経つにつれ、病状は悪化し、時が経つにつれ、多くが死んでいく」ナレーターがそう語り、カメラはしばらく間に合わせで作られたであろう墓地を映し続ける。「私たちに健康を、私たちに仕事を、私たちに命を」短いドキュメンタリー映画の最後にナレーターはそう言う。声は間もなく悲しげな叫びに変わる。「私たちに健康を! 私たちに仕事を! 私たちに命を!」
しかし、ピチャーの住民たちには健康も仕事も命も与えられなかった。ディックのドキュメンタリー映画から半世紀以上が過ぎたあとの調査で、地域の住民の塵肺の罹患率が全米平均の二〇倍にも達していることがわかった。一九九〇年代の別の調査では、ピチャーの子供たちの三八・三パーセントで血中鉛濃度の異常な上昇が見られるとわかった。全米平均はたったの二パーセントなのでその違いは非常に大きい。
なぜそのようなことになっているのか原因は明らかだった。地域の小川には死んだ魚が浮いていた。その川には鉱山が放棄されるとすぐに地下水が流れ込んだのだが、水に有毒物質が多く溶けていたのだ。夏に川遊びをした子供たちの髪が酸性の水のせいでオレンジ色になってしまうこともあった。そして、巨大なチャット・パイルから長年の間降り注ぎ続けた微量の鉛を含む粉塵が住民たちの血液に入り込んでいたのも問題だった。一九八〇年代はじめ、アメリカ合衆国環境保護庁(Environmental Protection Agency EPA)は、同地域を全米で最も汚染された地域の一つだと宣言した。二〇〇〇年代にはピチャーの周辺地域はあまりにも有害だということで、州政府と連邦政府は、残っていた住民たちに現金を支給して立ち退きを促した。
現在のピチャーは正真正銘のゴースト・タウンである。かつて活気が溢れていた町は、朽ちていく建物や埃を撒き散らすチャット・パイルだけを残して空っぽになってしまった。鉛と亜鉛のおかげで地図に載ったピチャーは、一〇〇年後、同じ鉛と亜鉛のせいで地上から消えることになった。
ハノイのネズミ一掃計画はなぜ失敗したか
ピチャーはなぜこのような悲惨なことになったのか。世界に必要とされる産業で栄えたのに、その産業が地域のすべてを破壊することになってしまった。労働者の健康や環境の保全に無頓着すぎたせいだ、と鉱山の経営者を責めるのは簡単だ。ピチャーの有力者たちを冷酷なディケンズ的悪役に仕立て上げて非難すれば多少は気が晴れるかもしれない。だが彼らが、労働者たちを病気にし、町を毒まみれの廃墟にしてやろうと企んでいたとは考えにくい。彼らの目的はともかく鉛と亜鉛が高く売れる間にできるだけ稼ぐことだけだったはずだ。そのため地中からできるだけ短期間にできるだけ多くの鉛と亜鉛を掘り出そうとした。
私はピチャーの物語を企業の強欲さを証明するだけの単純なものだとは考えていない。これはもっと示唆に富む寓話である。人が、あるいは人の集団が、特定の狭い目標―できるだけ速く効率的に鉱物を掘り出す、など―だけのために行動を最適化すると、他人や環境に思いがけない悪影響を及ぼすことがある、ということだ。この現象は鉱山業だけに起きるわけでも、ビジネスの世界だけに起きるわけでもない。同様のことは、生物学、心理学、経済学、政府、ウイルス学、人工知能などあらゆる分野で起きる。それで多くの人を不幸にすることもあるし、持続可能性を損なうこともある。職場や地元の街など、身近な場所でこの現象に直面することもあるだろう。
個が自らの利益を追求して効率的にふるまうことで全体には悪い結果がもたらされる、ということは、生物の歴史でも、人間の社会でも繰り返し起きてきた。身体全体を犠牲にして増殖を続ける癌細胞。世界全体を滅亡の危険にさらしても恐ろしい核軍拡競争を続ける国家。システムが単純か複雑かに関係なく、構成要素がそれぞれに近視眼的な成功を目指す戦略を採ることが、全体にとって害になる。個が自らの問題を解決しようとすると、全体には新たな問題が生じることになるのだ。誰かが、あるいは特定の集団がある一つの目標に向かって突き進むと、たとえ悪意はなくても皆の幸福、安全、繁栄を損なうことがある。私たちはつい狭い意味での「成功」を目指して動いてしまうが、その成功を測る指標自体は、私たちが真に求める価値とは無関係な場合がある。ピチャーで起きたのはそういうことだ。大局を見ていなければ、努力すればするほど悪い結果がもたらされることになる。
「悪い結果」が常にピチャーのように壊滅的とは限らない。「ハノイのネズミ一掃計画」のように少々滑稽(こっけい)な、ブラックユーモアのような例もある。ベトナムがフランス領だった時代の話だ。当時のハノイではネズミの多さが問題になっていた。そこで一九〇二年、フランス植民地政府は、その一掃計画を実施することにした。計画は一見、素晴らしいものに思えた。一般の住民たちに協力してもらってネズミを駆除するのだが、ネズミの尻尾が持ち込まれれば一本につきいくら、というかたちで対価を支払うことにした。報奨金が得られるとなれば、事業として大々的にネズミの駆除に取り組む者も現れるだろうと政府は期待していた。大人数で下水道に入り込み、大量のネズミを一気に駆除して大金を稼ごうとするに違いない。それでネズミ問題はすぐに解決すると考えた。だが、実際に起きたことは予想とはまったく違っていた。
報奨金で稼ごうとしても限界があることにハノイの人たちはすぐに気づいたのだ。ネズミの駆除に成功すると、この一掃計画は終了し、収入源の報奨金はなくなってしまう。そこでネズミを捕まえても殺さず、尻尾だけを切り取って解放することにした。そうすれば生き残ったネズミが繁殖して数を増やす。しばらく経つと、ネズミの数は減るどころかかえって増えていることを知って政府は驚くことになった。中にはネズミを自宅でわざわざ養殖して増やす者や、地方に「ネズミ牧場」を作る者まで現れた。植民地政府は困惑し、結局、数ヶ月間で計画は中止になった。なんともはや、である。
ピチャーの場合と同様、この計画が失敗したのはハノイの住民たちの強欲さと不誠実さのせいだと決めつけてしまうのは簡単だ。住民たちが計画の「真の意図」に沿って行動していれば、計画は成功したはず、というわけだ。その考えは間違いではないが、計画そのものに誤った行動を誘発する要素があったのではないかと考える方が得るものは大きいだろう。この場合、植民地政府が真に望んだこと―住民の健康や衛生状態の向上―は、彼らが計画の進捗を測るのに使った「集まったネズミの尻尾の数」という指標では達成できなかったわけだ。
「ハノイのネズミ一掃計画」は、経済学者たちが「倒錯したインセンティブ」と呼ぶものの典型例である。意図せず元の問題をさらに悪化させるようなインセンティブということだ。倒錯したインセンティブがあると、人々は、たとえ他の全員にとっては状況が悪化してしまうとしても、自分の利益のために制度の抜け穴をうまく利用するよう促されることになる。ただ、集団や社会全体の幸福を犠牲にしても自らの短期的な利益を追求するような人間の衝動を説明するには、経済学的な理論だけでは不十分だと私は考えている。こうした利己的な衝動は人間だけのものではないからだ。実のところそれは地球に生物が現れた時から一貫して存在する衝動だと言ってもいい。進化の欠陥、自然選択のプロセスの奥深くに埋め込まれたバグのようなものである。
私はこの現象を「ダーウィンの悪魔」と名づけた。
ダーウィンの悪魔とは、近視眼的な、特定の目標のみにとらわれた行動を促す圧力―より正確には「選択圧」―のことである。たとえ、長期的には全体に悪い影響をもたらすとしても、それに構うことなく目標達成のために動いてしまうのだ。「選択圧」は、進化について学んだことのある人にとっては馴染みのある言葉に違いない。それは、特定の環境内での成功の確率、つまり生存確率を上げる行動を促す力である。たとえば、この世界の大部分が海だったとしたら、うまい泳ぎを習得するよう―あるいは性能の良いジェット・スキーを所有するよう―促す強い選択圧がはたらくだろう。
私はあえて「悪魔」という刺激の強い言葉を使っている。高校の生物の教科書に出てくるような用語ではないが私は適切な言葉だと思う。英語には「肩に乗った悪魔(Devil on your Shoulder)」という表現があるが、まさにその感じだ。この進化的な圧力は目に見えない有害な力としてはたらき、望ましくない結果をもたらす選択をするよう私たちを促す。「ダーウィン」という名前を使ったのは、本書の第1部で詳しく書く通り、それがチャールズ・ダーウィンが最初に提唱した「自然選択」のプロセスに直接結びつくからだ。自然選択にさらされた者たちの適応戦略の副産物だとも言える。
「ダーウィンの悪魔」は厳密には前述の「倒錯したインセンティブ」とまったく同じではない。ダーウィンの悪魔は人為的に作られたものではないからだ。ダーウィンの悪魔の方がより根源的な力、生物が生来的にさらされている力である。どうにかして生き延びるよう個体を促す進化的な力だ。その前提に立ってはじめて私たちは、今起きている様々な問題の真の原因を知ることができ、問題解決のために何をすべきかを考えることができるのだ。
現在の多くの社会問題の要因となっている有害な進化のメカニズムについて読者に知ってもらいたい。ダーウィンの悪魔がどのようにはたらくのか、歴史にどう影響を与えてきたのかを明らかにしていく。本を読み終えたあとには、それまでとは違う視点で世界を見られるようになるはずだ。ここで取りあげたような大きな問題だけでなく、日常で出合う小さな問題に対する見方も変わるだろう。
問題について表面的な説明に満足することなく、その根本原因に目を向けることができる。そして、選択圧を変え、世界を救うにはどうすればいいかを考えられるようになるだろう。
本書は3部構成になっている。第1部では、ダーウィンの悪魔という概念について徹底的に解説をする。その起源、私たちの日常生活における存在、そして歴史に与えた影響を見ていく。また悪魔の力を弱めるのに協調が重要になる理由も説明する。第1部の最後には、ダーウィンの悪魔の理論を基に、なぜ我々地球人が宇宙の中で孤独であるように見えるのかを考察する―それを考えていくと、生命は元来、非常に脆弱なものであることがわかる。
第2部では、現在、世界にとって特に脅威となっているダーウィンの悪魔について考察をする。普遍的な、資源、力、知性に対する欲求に従って行動することが、人類を滅亡の危機にまで追い込んでいるとわかるはずだ。AIテクノロジーの進歩、核兵器や生物兵器などの危険な兵器、そして地球温暖化。どれも歯止めをかけずに放置していると、地球上の生命の未来、人類の生存を脅かすことになる。
第3部では、今後、私たちが歩むべき道を提言する。重要なのは、ダーウィンの悪魔を「ダーウィンの天使」に置き換えることだ。ダーウィンの天使とは、世界全体にとって善となる行動を促す選択圧である。人類すべての幸福、満足、健康、安定につながるような行動を促す選択圧だ。第3部では、まず人類の未来にとってこのパラダイム・シフトが必要な理由を解説し、どうすればダーウィンの悪魔を打ち負かし皆が互いに協調し合う世界が作れるかも詳しく述べる。
世界はかつてないほど危機的な状況にある。鉱物資源で繁栄したにもかかわらず消滅してしまったピチャーのように、繁栄を極める世界はいくつもの深刻なリスクにさらされ、滅亡の危機にあるのだ。いずれも、人間が短期的な利益を果てしなく追求することから生じるリスクだ。私たちは、ピチャーの物語を教訓にすべきである。リスクをもたらしているダーウィンの悪魔を打ち負かさない限り、世界にはピチャーと同じ運命が待ち構えているだろう。
ダーウィンの悪魔に立ち向かい、征服しない限り、人類は次の世紀を生き延びられない。戦うにはまず敵を知ることだ。ダーウィンの悪魔という恐ろしい敵と戦う場合も例外ではない。人類の未来を守りたいのであれば、私たちから未来を奪うダーウィンの悪魔をよく理解しなくてはならない。
【目次】








