この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介しています。今日はジャン=ピエール・ルミネ(著)、小金輝彦(訳)、石坂千春(監修)、ナショナル ジオグラフィック(編)の『 ゴッホが見た星月夜 天文学者が解き明かす名画に残された謎 』。第1章「躍動的で色鮮やかな夜」の冒頭部分をお届けします。

【第1章「躍動的で色鮮やかな夜」より】

「私たちの夢は、どのような空間に息づいているのだろうか? 私たちの夜の生活の動力は何だろうか? 私たちの眠りの空間は、本当に休息の場なのだろうか? むしろそこには、絶えず錯綜(さくそう)した動きがあるのではないだろうか? こうしたすべての問題に関して、私たちはほとんど知識をもたない。なぜなら、朝になって覚えているのは、夜の生活の断片にすぎないからだ」

 ガストン・バシュラールは、1942年から1962年に書いた文章をまとめた『夢見る権利』(邦訳は筑摩書房、1977年)で、ボードレールやゴッホのような作家や画家の作品においては、夢想と客観的思考の類まれな総括が、夢のもつ価値を確固たるものにすると称賛している。

「ゴッホの黄色は錬金術によってつくりだされる黄金の色でもあり、太陽の蜜を集めたような金色でもある。けっして単なる小麦や炎や藁(わら)の椅子の黄金色ではない。天才の果てしない夢想によって、永遠に独自の存在となった黄金色なのだ。それは、もはや世界に属するものではなく、まさにひとりの人間の財産であり、ひとりの人間の心であり、一生をかけた凝視のなかで見いだされた基本的真実なのだ」

 私は、30年来の仕事の成果である本書において、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年)とプロヴァンス地方の星空との特別な関係を細部にわたり分析するつもりだ。さまざまな形式の芸術表現が歴史を通じて宇宙科学と密接に結びついてきたこと、そうした結びつきが詩や音楽や視覚芸術において天空に向けるまなざしに、私はずっと魅了されてきた。

 プロヴァンス地方に生まれた私は、子ども時代をリュベロンに近い田舎で過ごした。幼い頃は、自分を取り巻く自然の美しさを観察しては空想にふけるのが好きだった。わが家の庭、イトスギに縁どられた小麦畑、近くを流れるデュランス川……。私はまた、プロヴァンス地方の澄んだ夜空に輝く星たちを見上げ、目に見えるもの──星々の小さな光の点──と、目に見えないもの──星々を隔てている暗い空間、つまり宇宙──との関係について、すでに自問していた。まだ天空の科学への関心が芽生えていなかった当時の私は、宇宙物理学者としての将来の自分の研究が、まさしくこの分野を対象にすることになるとは思いもしなかった。だが私はすでに、夜の闇が宇宙の真の姿を包んでおり、そこに出現する光は奥深い正体のごく一部しか見せていないのではないかと思っていた。

 私は幼い頃から、木炭、グワッシュ、油彩、パステルなどを使って、田舎の風景や海を描いたり、巨匠の絵画を模写したりしはじめた。ゴッホの作品を知ったのは少し後になってからだが、すぐにこの画家の夜空の表現に心を奪われた。1888年9月にアルルで描かれた『ローヌ川の星月夜』では北斗七星の7つの星の配置が写実主義へのこだわりを示しているが、後に太陽、月、星、渦巻銀河など天空の構成要素を描いた作品では、こうした写実主義はあまりはっきりとは表れていない。したがって、ゴッホの空の描写は、1888年12月23日に自分の耳を切るという悲惨な事件を起こし、1889年4月にサン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール修道院の療養所に収容されて精神が衰弱するにつれて、写実主義からもっとも開放された想像力の世界へと徐々に移行したのではないか。私がこの問題の研究に本腰を入れ始めたのは1990年代に入ってからで、当時はこの研究が、これほど長い道のりとなり、意外な展開をもたらすことになるとは思いもしなかった。

 曇天の多い北方に生まれたゴッホは、1888年2月20日、35歳のときにアルルという古びた村に身を落ちつけた。雪の日に到着したにもかかわらず、ゴッホは、昼夜を分かたずまばゆくきらめくプロヴァンス地方の光を目にする。鍛えられた目で澄みきった空と色彩の豊かさを捉(とら)え、衝撃を受けたゴッホの心には、なんとしても空を描きたいという気持ちが芽生えた。

 ゴッホは、1880年に画家になろうと決心するより早く、夜の世界に強く惹きつけられていた。赤く巨大な太陽が強烈な光を発しながら沈むつかの間の黄昏(たそがれ)から、ほの白い夜明けまでの、暗い時間に感動していたのだ。月が出ていることもあれば、星がダイヤのようにきらめいていることもある夜は、見つめるゴッホにとって創造力をかきたてるものだった。

「ぼくには、夜のほうが昼間よりもはるかに生き生きと色彩豊かに見えることがたびたびある」。1888年9月8日、ゴッホは弟のテオに宛てた手紙にそう書いている。

 西洋絵画において、夜景には長い伝統がある。ゴッホは、そのことを完全に意識していた。熱心に美術館に通い、画商で働いていた若い頃は、この主題を扱った作品を販売している。ゴッホはジュール・ブルトン(1827~1906年)の『草取りをする人々』に魅了されていた。1968年に描かれたこの作品では、日没を背景に農家の女性たちが描かれている。ゴッホによると、ブルトンは人間の魂を敬虔(けいけん)な雰囲気のなかに描きだす域に達していた。だが、ブルトン以上にゴッホの創作意欲を刺激したのは、ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875年)だった。1851年頃に『星の夜』を描いたミレーは、『晩鐘』(1857~1859年)によって名声を確立した。この絵では、農民の夫婦が畑で夕方の祈りを捧げており、かたわらにはジャガイモを入れた籠籠(かご)が置かれている。この作品は、長いあいだゴッホにとって「卓越した絵画」だった。

 ゴッホは1885年に描いた『ジャガイモを食べる人々』において、すでに「色彩をともなう暗闇を描きたい」と思っていた。それは、シャルル・ブラン(1813~1882年。フランスの美術評論家)とテオフィル・シルヴェストル(1823~1876年。フランスの美術評論家)の著作で学んだ、ドラクロワの色彩理論にもとづく考えだった。

 1888年4月12日、ゴッホは若い友人である画家のエミール・ベルナールにこう書いている。「たとえば星空は、昼間にタンポポが一面に輝く緑の草原を描いてみようと思うのと同じように、ぜひ描いてみたいものなんだ」。


【目次】

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