その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中山淳雄さんの『 クリエイターワンダーランド 不思議の国のエンタメ革命とZ世代のダイナミックアイデンティティ 』です。

【はじめに】

 エンタメは常に国家や社会、家庭が築き上げてきたものから反逆的な存在であった。それは時間を忘れさせ、生活を忘れさせ、自分を忘れさせる。熱中と没頭を繰り返すエンタメ体験は、社会の構成員として労働し、GDPに貢献する〝本当の世界〞とは次元を分かったところにある。

 〝ウソの世界〞であるエンタメは、社会と個人の間にある軋轢や矛盾に着目し、その心理的な昇華を果たすべく、仮の空間を用意してくれる。

 1960年代後半からのスポ根マンガは、それまで〝米国が日本を救ってくれた〞ようにSF・ロボットなどヒーローの登場を待ち望む時代から、自信を取り戻した日本が自らの肉体を使い、社会的な勝利を勝ち取っていく成長物語への転換を象徴していた。

 1970年代のヤクザ映画や時代劇は、都市化・工業化によって成長する国家・経済と犠牲にされる個人の生活の矛盾が目につくようになった時代に、「義理人情を忘れない時代遅れのヒーロー」としてのヒューマニズムを思い出させる役割を担った。

 1980年代後半からのトレンディドラマは、都会生活とファッションと恋愛ストーリーに囲まれた「憧れの生活」を映像化し、多くの人々を大都市への移住に駆り立てた。

 1990年代になると、バブル崩壊により成長物語に失望した人々が、新しい物語を求めて謎めいたハンドパワー番組やノストラダムスの大予言などの呪術的な世界にひかれていった。

 2000年代になると享楽的な芸人バラエティ番組や海外へと目を向けた番組などが発展していく様子も、時代を映す鏡であったと言える。

 その時、そのタイミングで、人々の心の穴を埋めるものとしてエンタメは存在している。それは解決しがたいものを心理的に昇華し、折り合いをつけ、また前向きに進むための治療・回復行為である。現実として立ちはだかる強圧的な「社会」や「家族」に対し、「個人」が心のよりどころとして逃避し、回復するための救済手段を与えるものであった。エンタメは社会の矛盾をつまびらかにし、それを個人単位で咀嚼し、消化するための武器になる。

 〝ウソの世界〞は現実の矛盾が大きくなればなるほど、大きな花を咲かせるものだ。人種対立があれほど根深い米国だったからこそ、黒人たちからブルースやR&B、ヒップホップといった新しい記号的表現が生まれて続けてきた。米国が多民族国家でなかったら、あれほどの音楽大国になっただろうか。敗戦後のアイデンティティ喪失と米国への従属から生まれた日本のエンタメもまた、米国成長モデルのマイノリティ実行者として、輸入されたアニメやゲーム、コミックを咀嚼し、米国オリジナルのそれとは異なる新しい記号的表現に昇華させてきた。

 今、新しい記号表現を生み出しているのは、Z世代のエンタメ行動である。生まれながらのデジタルネイティブとして〝ウソの世界〞と〝本当の世界〞を自在に行き来する手段を得たZ世代は、旧世代とはまるで違う行動原理を持つ。近年のエンタメヒットのビジネスモデルや作品傾向を理解することは、目の前にある世代分断を理解するために非常に有効な手段になるだろう。

 本書は3部作の完結編である。

 2019年発行の『オタク経済圏創世記』では、マンガ・アニメ・ゲームなどの日本コンテンツがいかにして世界の「オタク」を味方につけて成長してきたかを語った。

 2021年発行の『推しエコノミー』では、コロナによって加速したエンタメファンの行動変化に注目し、内向的な趣味趣向をたしなみとする「オタク」ではなく、外交的で自分たちの好きなものを押し上げていく「推し」の生態系について語った。

 どちらもよく売れ、ゲームやアニメの会社だけでなく、想定外にもテレビ局から音楽レーベル、出版社、不動産から教育系に至るまで多くの企業のマーケターやエグゼクティブ層から「読んでます」と声をかけられることが増えた。それに続いた『エンタの巨匠』(2023)や『エンタメビジネス全史』(2023)はインタビューや歴史分析という形で、前の2作の背景を深め、本作へとつなげるマイルストーンの位置にある。最初から私が描こうとしていた世界は、この『クリエイターワンダーランド』であった。

 私は10年ほどゲームやアニメを海外向けに作るプロデューサーの立場でいくつかの会社に関わってきた。その経験をもとに、3部作の前2作品では日本と海外の「地域差」と「メーカー/ユーザーの差」の変化を描いてきたが、本作は「世代差」に挑むものである。

 Z世代(1995〜2010年生まれ)、すなわちデジタルネイティブとして10代をスマホとともに過ごしてきた初めての世代のエンタメ受容行動は、それ以前の世代とは明らかに異なる。彼らは自分の写真や動画をネットに上げ、自分が表現することがそのまま誰かに届くことを生まれながらに享受してきた世代である。いわば「アップロードネイティブ世代」でもある。それは我々ダウンロード中心の世代とは根本的に異なる。

 彼らが「歌ってみた」「踊ってみた」の動画をアップし、エンタメへの関与を表明することに、果たしてどんな社会的意味があるのか。それはただの享楽的な時間消費に過ぎないのだろうか。本書では、Z世代が牽引する変化を中心に、エンタメを発信源として進行しつつある世界的な変化、特に日本社会の変化について語っていきたい。


 エンタメの歴史と変化はメディアのそれと表裏の関係にある。ここでエンタメとメディアの歴史をざっと振り返っておこう。

 19世紀まで「マスメディア」は存在しなかった。放送も配信も出版も確立されていなかった時代、エンタメは劇場などを通じて提供されるもので、基本的に「ライブを流す」ものであった。その場で生成し、目の前にいる人を楽しませる。伝播の仕方は原始的で、どれほどの傑作であっても視聴者は数百人から多くても1万人が限界であった。

 だが20世紀のエンタメはマスメディアの勃興をもって大きく変わる。即興演劇やスポーツの熱狂を100万人に同時に伝える手段が現れた。映画・本・雑誌・新聞・ラジオ・音楽・テレビは、エンタメをパッケージ化し、アーカイブとして残すことで、繰り返し視聴することを可能にした。まるで冷凍食品をレンジでチンをするかのように、いつでも誰でもその時の面白さや興奮を(部分的に)再生することができる。「アーカイブ化したものを全国100万人に流通させる」という形式がエンタメの根幹を握ったのが20世紀なのだ。

 この時代が長くなれば長くなるほど、「流す」機能としてのプラットフォームが力を持つようになる。テレビも劇場も書店も、その顧客・商圏の独占性によってクリエイターを囲い込み、次第にそのメディアを通じてしかユーザーと向き合えない時代になってくる。作り手は次第に自分自身との対話よりも、流すメディアが何を言っているかを気にしながら創作を行うようになる。創作活動は徐々にBtoCではなくBtoBの様相を帯びるようになる。

 20世紀に確立されたこのマスメディアの世界に、〝破れ〞ともいえるイレギュラーを発生させ、逆回転の事例をもたらしているのは、2000年代のネット浸透とデジタル世界である。誰もが情報発信の手段を得て、それまでマスメディアが流すエンタメを享受するだけの存在だった人たちが、自ら「創る」「参加する」といった活動を始めた。

 その場となったのは、誰もが知るマスメディアとは対極的な、マイナーなクリエイターのためのメディアである。ニコニコ動画、ユーチューブ、TikTok、pixivなどにアップされた「アマチュア」の創作には、プロのクリエイターの作品を勝手に使った「二次創作」も多く、当初から海賊版として誹(そし)りを受けるようなものだった。だが、2010年代に再び「ライブ化」していくメディア空間で「アマチュアの二次創作」は「推し」という形で積極的に受容されていく。ファンも一次創作の〝共犯者〞となって人気を盛り上げ、オリジナル自身もそこに乗っかって一緒にお祭りを演出していくのだ。

 「ライブ化」したネットメディア上には、新しい「プロ」が登場する。視聴者の反応に即興性をもって応えるライブ配信者やVチューバー01のような存在である。彼らはマスメディアが支配するエンタメ世界では「アマチュア」に過ぎなかったが、自分たちのマイナーなコミュニティにおいては「プロ」である。口コミで広がるそのパフォーマンスに、Z世代は酔いしれる。

01 Vチューバー(VTuber):CGのキャラクター(アバター)を使った動画投稿・生放送を行う配信者。バーチャルユーチューバーの略。

 そして民衆の中からの成功者として、2020年代にニコニコ動画やボカロ(ボーカロイド)から生まれた多くのトップクリエイターたちが、今やメジャーメディアであるテレビやアニメの世界を席巻している。

 我々がこの100年で推し進めてきた「100万人に届けるためにパッケージ化され、冷凍食品を解凍するかのように楽しんでもらう」という映画・本・雑誌・新聞・ラジオ・音楽・テレビのあり方が、ここ10年で劇的に変わってきている。円本ブームが興り、ミリオンセラーが初めて生まれる昭和1年(1926)から数えて、現在は昭和99年(2024)年になる。100年かけて日本の隅々まで浸透したメディアとコンテンツの大量流通モデルは、今後は崩れ行くばかりだろう。すなわちマスの崩壊である。

 20世紀のマスメディア化・アーカイブ化からの反転として、21世紀にマイナーメディア化・ライブ化していくというトレンドは、我々の近代のアイデンティティのあり方も大きく揺るがしている。それはエンタメの消費行動のみならず、人々の自己認識や社会的交流の在り方にも大きく影響する。これが本書において語りたい一大テーマである。

 時代は「ダイナミックアイデンティティ」に変わってきている。この100年間、我々はマスメディアによる思考のパーティションで仕切られ、数千万人や数億人が1つの概念を共有して生きてきた。次の100年間はそのパーティションを融解させていく時代になる。

 自らが自分の生きやすさに合わせてアイデンティティをダイナミックに操縦し、あざとくなめらかに可変させていく。「普通は」から「自分は」になっていく世界線02である。皆がアバターをつけかえながらハンドルネームで〝実社会〞を構成していく。

02 世界線:もともとは相対性理論で使われる物理用語だったが、「自分が暮らしている世界とは別の世界(パラレルワールド)」を意味する言葉として使われるようになってきた。

 本書の構成は以下のようになる。

 第1章では、ここで述べてきたことを引き継いで、問題提起を行う。最近のヒット作などエンタメの動向を見ていきながら、Z世代が加速している社会の変化、すなわち「ダイナミックアイデンティティ」について論点を広げていく。

 第2章では、消費者として受動的にコンテンツを受け止めるだけだったアマチュアたちが、シェアと共感によって自分たちの創作を広げていった過程について述べる。ネットの新たな流通インフラが登場した2000年代半ばからの変化から説明していく。

 第3章では、ファンダムについて語る。ファンがクリエイターと直接つながる手段を手に入れたことで、スターを発掘して育てるのはマスメディアの独占物ではなくなった。

 第4章では、「古臭いもの」とみなされてきたゲームセンターなどのリアル空間がライブ要素を手に入れ、復活してきている様子について述べる。Vチューバーなどが求めているのは、ユーザーとの物理的な接触を持てる空間、偶然の出会いがある空間なのだ。一周まわってこの〝本当の世界〞がいかにエンタメを包含しながら、ライブでダイナミックなサービス業になってきているか、ということについて語っていく。

 第5章は、それらすべての前提が始まる100年前の話に巻き戻る。始まりを知らずして終わりを知ることはできない。そもそもなぜマスメディアが生まれたのか。それがいかに我々を「一元的アイデンティティ」に閉じ込め、一方で革新的カルチャーを生み出してきたのか。マスメディアと日本社会について語る。

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【目次】

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