その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は日本経済新聞「揺れた天秤」取材班の『 まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白 』です。
【はじめに】
銀行の副店長がある日、突然「クビ」を宣告されました。通勤の道すがら、ショップの店頭に置かれていた洗剤の試供品を持ち帰っていたら「窃盗」と見なされたのです。
商社に転職が決まっていた男性は、入社前の歓迎会で泥酔し、内定を取り消されました。時に人生を狂わせる酒の失敗ですが、どこまで重い処分が認められるのでしょうか。
ドラマのヒットも記憶に新しい「地面師」事件。モデルとされる積水ハウスが55億円をだまし取られた背景にあったのは、取引を成功させたいという社員たちの焦りでした。ソニー生命、ソフトバンク……、有名企業でも日々、様々なトラブルが起きています。
本書は、日本経済新聞電子版の連載「揺れた天秤~法廷から~」を書籍化したものです。
取り上げたのは民事や刑事の裁判で明らかになった「本当にあった怖い話」の数々。どこから読んでいただいてもかまいません。先に紹介したのはほんの一例。「解雇は重すぎる」といった必死の訴えを、裁判官たちはどう判断したのでしょう。
リーガルサスペンスから町奉行の時代劇まで、「法廷もの」は今も昔もエンターテインメントの人気ジャンルです。一方で、弁護士などの法曹関係者か法務部に勤務する会社員でもない限り、リアルな裁判に触れる機会はあまりないことかと思います。なるべくなら関わりたくない、というのが正直なところかもしれません。
しかし、人類が社会を形成して以降、人は争いを避けて通れません。この国で各地の地裁に起こされた民事訴訟は年間14万件、起訴された刑事事件は6万件。そのうちニュースとして報道されるのは、ごくごくわずかな一部にすぎません。
関係者以外は誰も知らない「その他大勢」の裁判をのぞいたとき、私たちが目にしたのは、「裁判沙汰」が日常のすぐ隣にあるという現実でした。訴訟と無縁に生きてきたビジネスパーソンや市民も、いつ「落とし穴」に足を取られるか分かりません。
この世の一寸先は闇。どこでどんな暮らしをしていても、本書で紹介した47本のケースのどこかに、身につまされる物語があるはずです。
司法を扱った映画やドラマに、しばしば象徴的なアイコンとして「目隠しの女神像」が登場します。ギリシャ神話で法をつかさどる女神テミス。左手に提げた天秤は公平と平等を意味しています。
目隠しは公平無私に真実を見抜くためとされていますが、最高裁判所の大ホールに飾られているテミス像は目隠しをしていません。私にはそれが目を開いて当事者や事案に向き合い、見届けた上で公平な判断を下す覚悟に見えます。
事実はひとつでも、真実は人の数だけある。
ドラマ化もされた人気マンガ「ミステリと言う勿(なか)れ」にそんなセリフがありました。
判決が勝ち負けを明確に示していても、単純に「勝訴」「敗訴」と割り切ることが難しい事案は珍しくありません。同じ事実も立場が異なればまったく違って見え、双方の視点に立ってみれば、それぞれの言い分が説得力を持って響いてきます。
どんな争いでも、そこにいるのは紛れもない生身の人々。その切実な訴えと告白に触れたとき、気付かされることでしょう。
これは明日の私やあなたかもしれない。
もし本書を読んで実際の裁判に興味を抱いたら、全国各地にある裁判所に足を運んでみることをお勧めします。傍聴に事前の手続きは必要ありません。裁判の奥深さが少しでも魅力として伝わり、司法を身近に感じていただければ望外の喜びです。
裁判が終わっても人生は続きます。記事で取り上げた方々、裁判で争った人々に平穏な日常が回復されていることを祈ります。
2025年2月25日
日本経済新聞社 社会部次長 山田薫
【目次】




