その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小林カツ代さん、本田明子さんの『 伝説の家庭料理家 小林カツ代のロジック 』です。
【はじめに】
わが師・小林カツ代が天国に拠点を移してからはや12年が過ぎた。私が師のレシピに出会ったのは、1980年刊『小林カツ代のらくらくクッキング』(文化出版局)。タイトルにつられて母が買ってきた。わが家には料理の本や雑誌は山ほどあり、それらを見ながら自分の食事は時々作っていたが、なかなか本の写真通りには仕上がらなかった。ところが、その本の中に≪白身魚のボンファム≫というフランス料理まがいの一皿があり、そのキャッチフレーズが「ホワイトソースをスイスイ作る法」。試してみると15分ほどで写真通りにできただけでなく、素晴らしくおいしくできてしまった! 夢中で本に載っている料理を片っ端から作り、その作り方の簡潔さとおいしさに感動したことは今も忘れられない。
「おおっ、私は天才かも!」その勘違いが、私の人生を決めたといっても過言ではない。母は母で、カツ代料理教室に通い始め、我が家は1980年からカツ代レシピであふれるようになった。母は気に入ると毎日しつこく作る人で、習ってきた苺アイスとシュークリームは常備おかずならぬ、常備おやつとなった。カツ代レシピには難しいことは一つもなく、レシピどおりに素直に従っていくと、今までの常識や基本と違っていても、辿りつく先には最高においしいものが待っていた。
弟子入りして、すぐに教わったのは、料理の修行年数より、知ることが大事だということ。「おっ、修行をしなくていいのか!」私はすぐさま喜んでしまっていたから、できの悪い弟子である。師匠の書いた原稿を出版社別の原稿用紙に清書するのも弟子の仕事だった。レシピ原稿には、短大の調理実習では見たこともない調理法も書かれていた。思えば、私が感動した白身魚のボンファムにも、「魚をゆでる」という初体験のプロセスがあった。
時は流れ、当時はスピード料理やらくらく料理と言われたものが「時短」という表現に変わり、より効率を求められるようになってきた。活字離れが進み、求められるのはより短く、簡潔なレシピ。しかし、時短レシピにも、「ここは省いてはいけない」という大事な調理のプロセスがある。それを知っているのと知らないのとでは、できあがりが全く変わってしまう。なぜそうするのか、それをしないとどうなるのかを理解していれば、ほかの料理にも応用でき、自分自身の料理の幅も深さも広がって、こんな楽しいことはない。おいしくできた達成感はストレートに楽しいという感情にリンクする。
例えば、ごぼう。師匠はある時期からごぼうはザブリと洗ってすぐに調理するようになった。それは近年、ごぼうの種も変わり、畑の土も変わって、ごぼうのアクが昔ほど気にならなくなったからだ。水にさらし過ぎると、ごぼうの風味や香りが損なわれてしまう。そうした素材の変化も見逃さなかった。日本料理では、だしを取る時、昆布は沸騰する前に引き出し、かつお節を加えて一番だし、二番だしを取るのが常識だが、師匠は家庭向きに一気に煮立てて、だしがらをギュッと絞った。「けしからん料理家が出てきた」とクレームがテレビ局に来たり、苦言のお手紙を頂戴したりしたのも、今や笑い話だ。
先日、ある会合で、私は「正統派の料理家」と紹介されて一瞬、耳を疑ったが、ああ、カツ代式のロジックは今や常識に変わったんだなとしみじみ感慨深かった。蒸し焼きのハンバーグも今はあちこちで見るが、昔、テレビで司会者に、「あんなやり方はおいしくないんじゃないか」と堂々と言われた時は「食べもしないでなんてことを!」と言い返した。師は昔のやり方を否定するのではなく、おいしいという答えを導く方程式をいくつも考える人だった。
この本は、師の残した膨大なエッセイを含む250冊以上の著書から、師の言葉と私の言葉をライター兼編集者の山田冨起子さんがつなぎ編んで下さった1冊です。料理の変遷を紀元前・紀元後をもじって、カツ代前・カツ代後と表現されることありますが、小林カツ代はまさに料理の時代を変えた人でした。「平和あってこその食べもの」が師の口癖でした。そして、何よりも野菜やお米などの食材を作ってくれる方々を尊敬してやまない人でもありました。
どうかこの一冊が、日々の食卓に役立ち、食卓においしい笑顔があふれますように。
2026年 春 家庭料理家 本田明子
【目次】


