この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介しています。今日はサイ・モンゴメリー(著)、定木大介(訳)、池田譲(監修)、ナショナル ジオグラフィック(編)の『 神秘なるオクトパスの世界 』。長大な「プロローグ」から最終節の一部を抜粋してお届けします。
【プロローグ「モンスターからスーパーヒーローへ」より】
それにしても、なぜ突然、タコが科学界の脚光を浴びるようになったのだろうか。タコの行動を専門とするフロリダ在住の海洋生態学者、チェルシー・ベニス博士は、タコの驚異的な能力と類まれな才能が多様な科学分野に研究材料を提供していると指摘する。「タコは私たちの、いわば科学アドバイザーだと思います。タコの生態学、行動学、遺伝学を研究することで、海洋の生物多様性と健康、持続可能な漁業、進化、ソフトロボット工学や神経科学のための生物学的インスピレーションなどに関わる多くの問いに答えることができます。そして、科学研究者であり教育者でありコミュニケーターでもある私は、どうすればマルチタスクの達人になれるかをタコから学んでいます」。仲間内で「オクトガール(タコ女子)」と呼ばれる彼女は、教育、研究、フィールド調査に取り組むほか、OctoNationの科学アドバイザーも務めている。
ベニス博士は、シュノーケラーやダイバーが野生のタコと出会い観察する機会が増えていることにも言及する。ビデオ技術の進歩のおかげで、多くの人が観察したものを記録できるようになり、タコの行動に関する興味深い手がかりを科学界に提供している。ベニス自身、OctopusMonitoring Gadget(通称OMG)という革新的な記録装置の発明者である。OMGのおかげで、研究者は野生のタコの様子を初めて24時間連続して録画できるようになった。防水ハウジング、夜間もタコに不快を与えることなく撮影できる赤色ライト、長持ちするバッテリーを備えたOMGが画期的なツールであることは、日夜証明されている。
私は最近、バスケットボール大のチチュウカイマダコ(Octopus vulgaris)が潜水中の鵜(う)に襲われる様子をOMGで撮影した映像を見た。柔らかいタコに比べると、エンパイアステートビルの尖塔ほどもあるように見える長く鋭いくちばしを持つ海鳥が突然現れたとき、それはまるで襲い来るモササウルス(後期白亜紀に存在した海の頂点捕食者)のように恐ろしかった。対して、ほかの軟体動物のように身を守る殻を持たないふにゃふにゃのタコは、哀れなほど無防備に見える。私はてっきり、巣穴に潜って身を守るか、ジェット噴射で遁走するか、あるいはカムフラージュで身を隠すだろうと思った。ところが、空飛ぶ捕食者と対峙したチチュウカイマダコが取った行動は、私の予想を裏切るものだった。驚いたことに、その勇敢な小さいタコは一歩も引かず、上から近づく怪物を直接狙い、ほぼ液体状の腕の1本を振り上げて、殴りかかったのである。
頭足類の生態を研究するC・E・“シェーズ”・オブライエン博士は、カリブ海のサウスカイコス島でOMGを使った野生のタコの撮影を続け、4種のタコをターゲットに、起きているときと眠っているときの様子を記録している。オブライエンが解明しようとしていることの基礎には、神経科学者シルビア・リマ・デ・ソウザ・メデイロス博士による実験室での研究がある。タコが人間のように夢を見る可能性を示唆する興味深い研究だ。
ナショナル ジオグラフィックのシリーズを撮影するSeaLight Picturesのカメラクルーにとっても、先進技術は極めて重要だ。リブリーザー(ダイバーが吐き出す二酸化炭素に含まれる未使用の酸素を再利用する潜水器具)を使うことで、チームは1度に4時間以上も1匹のタコを観察し続けられる。そして、海底に設置された6つの異なるカメラシステムは、それまで報告されたことのないタコのさまざまな行動を捉えていた。
このような近距離からの詳細なビデオ録画や科学的調査は、私が初めてアテナ(編集部注 著者が水族館で魅了され、交流したミズダコ)に出会った頃のやり方に比べると、まったく新しいものである。それでも、科学者たちは何十年も前から続けられてきた重要な研究を土台にして、仕事を進めている。彼らの想像力豊かな実験、鋭い観察力、そして目を見張るような発見の数々が、これからお読みいただくページにインスピレーションを与えてくれた。私がアテナ、オクタビア、カーリー、カルマ(編集部注 著者が交流した歴代のタコたち)と知り合った当時抱いていた疑問のいくつかに、新しい研究が答えてくれることもある。例えば、なぜタコたちはわざわざ私と関係を結ぼうとしたのか。何が彼らを異種の生物──それも自分とはまるで異なる生物である私に、文字通り手を差し伸べさせるのだろうか。
『解明! 神秘なるオクトパスの世界』の撮影中、シリーズディレクターと撮影監督を兼ねるアダム・ガイガーは、これと同じ驚きを経験した。「私やチームの全員がいろいろな種類のタコを見て驚いたのは、一様にある感覚に襲われたことです。それは、知的な動物が自分の世界に相手を招き入れるかどうかを考えていて、こちらはその様子を眺めているような気分と言えばいいでしょうか。害がなさそうだと判断すると、彼らは実際、招き入れてくれます。たいていの野生動物は、こちらが姿を隠していない限り、人間を無視するか、その場を去ってしまうでしょう。でもタコは、自分に比べて巨大で危険かもしれない動物、すなわちダイバーが近づくのを許し、手を伸ばして触れようとさえする。まったく驚くべきことです。彼らは信じられないほど人なつこい」
何十年もの間、タコは孤独を好む動物であり、交接のとき以外は同種にさえ近寄らないと考えられてきた。しかし、近年の驚くべき新発見の数々は、科学者たちがタコの生態について抱いていた最も基本的な思い込みのいくつかが間違っていた可能性を示唆している。
2011年に私が抱いた直感のうち、いくつかは最新の科学により正しいことが裏付けられた。当時の私は、進化上の祖先も、生活様式も、体つきも人間とはまるで違うにもかかわらず、わが友タコの頭脳は私のそれと驚くほど似た働きをすると強く感じていた。私もタコたちもパズルを解くのが好きだった。さまざまな道具の使い方を学ぶところも、過去の出来事を記憶していて、そこから教訓を得るところも同じだった。タコの知能のさまざまな側面に関する観察と研究は、この大きな脳を持つ軟体動物の知的達成について、ますます印象的なレジュメを作り上げている。野生生物学者で科学コミュニケーターのアレックス・シュネル博士は、独創的な実験を行い、タコの親戚であるコウイカの脳がチンパンジーやカラスに匹敵するほど高度な実行機能を備えていることを実証した。
タコが今、旬を迎えているというハファード博士の言葉は、間違いなく正しい。旬という言葉では弱いほどかもしれない。タコはおそらく私たちを1つの転機へと導いたのだ。本書を読めば分かるとおり、高度な知性へ至るには、私たち人間が知る道とはまったく異なる道が存在することを、タコたちが明らかにしている。その道をたどっていけば、私たちはより遠くまで導かれ、考えること、感じること、知ることの意味を共有する経験について、より深く理解できるかもしれない。
【目次】
