その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はデビッド・ロブソン(著)、土方奈美(訳)の『 知性の罠 なぜインテリが愚行を犯すのか(日経ビジネス人文庫) 』です。
【はじめに】
アングラなインターネットで「キャリー」という人物の言い分を目にしたことがあるだろうか。彼は、世界の秩序を変えるかもしれない、たぐいまれな知識を持っているそうだ。
カリフォルニア州のナバロ川付近で、おそらくエイリアンに誘拐されたとキャリーは言う。そこで出会ったのは「ずるがしこそうな黒い目」をして、キラキラ輝くアライグマに化けた奇妙な生命体で、「このちびのろくでなしにご丁寧な挨拶を受けたあとのことは、まったく覚えていない」という。その晩の記憶は完全に消えている。しかし地球外生命がかかわっていたのは間違いない、とキャリーは言い、「あの谷は謎に満ちている」という意味深な言葉で結んでいる。
キャリーは占星術にも入れ込んでいる。「大方の[科学者]連中は、占星術は非科学的で、まともな研究の対象にふさわしくないという誤った考えを抱いている。とんでもない間違いだ」と、長々と不満を書き連ねている。占星術はメンタルヘルスを改善するカギであり、それを否定するのは「ケツに頭を突っ込むバカ」だけだという。ETや占星術を信じているだけでなく、人間は仮想的な乗り物に乗って、仮想的な旅行をできるとも考えている。
政治の話になると、その内容は一段とヤバくなっていく。「有権者が信じている重大な事実のなかには、科学的根拠がゼロ、あるいはほとんどないものもある」と言い、その例として「エイズの原因がHIVであること」「フロンガスの大気への放出がオゾン層の破壊を引き起こしたという考え」を挙げる。
言うまでもないが、いずれも科学界では広く受け入れられている事実である。しかしキャリーは、それは科学者がカネに目がくらんでいるせいだと言う。「テレビを消して、小学校の理科の教科書を読めばいい。やつらが何を企んでいるのか、知る必要がある」と。
あえて指摘するまでもないとは思うが、キャリーは間違っている。
もちろん、ネット上には根拠のない意見を書き込む人が山ほどいる。しかし占星術信奉者やエイズ否認論者が、傑出した知性の持ち主だとは誰も思わないだろう。
だがキャリーのフルネームは、キャリー・マリスという。みなさんが思い浮かべるような無知な陰謀論者ではなく、ノーベル賞を受賞した科学者だ。マリー・キュリー、アルバート・アインシュタイン、フランシス・クリックらと肩を並べる知性なのだ。
ノーベル化学賞の受賞理由はポリメラーゼ連鎖反応(PCR)の発見で、これはDNAを増幅する手法として使われている。このアイデアはカリフォルニア州メンドシーノ郡をドライブ中にひらめいたとされ、ヒトゲノム・プロジェクトをはじめここ数十年のすばらしい偉業の多くがこのひらめきに端を発している。きわめて重要な発見であり、生物学の研究を「マリス前」と「マリス後」に分ける科学者もいる。
カリフォルニア大学バークレー校で博士号を得ているマリスが、たぐいまれな知性の持ち主であることに疑問の余地はない。その発見は、細胞内のきわめて複雑なプロセスの解明に人生を捧げた者ならではの偉業である。しかしこの驚異的発見をもたらした知性が、エイリアンの存在を認め、エイズを否認する原因にもなっているのだろうか。キャリーはすばらしい知性ゆえに、とんでもなく愚かになったのだろうか。
なぜ優秀な人々が愚かな行動をとるのか、なぜときにはふつうの人よりも過ちを犯しがちなのか、が本書のテーマである。さらに、そうした過ちを防ぐために誰もが実践すべき方法を探り、この「ポスト真実」の世界で賢明かつ合理的に思考するための教訓を示そうとしている。本書の示す方法や教訓を実践するのに、ノーベル賞級の知性は要らない。本書ではマリスをはじめ、詐欺に遭って2キロのコカインを抱えてアルゼンチン国境を越えようとした著名な物理学者のポール・フランプトン、2人の少女に騙された有名作家のアーサー・コナン・ドイルなどの事例をとりあげ、人並み以上の知性を持つ人なら誰もが同じ過ちによって、道を踏み外す可能性があることを見ていく。
大方の人と同じように、私もかつては「優れた知性」は「優れた思考力」と同義であると考えていた。20世紀初頭以来、心理学者は比較的狭い範囲の抽象的思考力(事実の記憶、類推、語彙力)を測ることで、生まれつきの一般的知能を測ることができ、それがあらゆる学習、創造力、問題解決、意思決定の能力の土台になると考えてきた。教育はそんな「未開発」の知能を、芸術、人文学、科学など多くの職業に必要な専門的知識によって仕上げるためのものだと考えられていた。こうした見解によれば、知能の高い人ほど判断力も優れているということになる。
しかし心理学や神経科学を専門とする科学ジャーナリストとして活動するなかで、最新の研究でこうした前提には重大な欠陥があることが明らかになってきたと知った。一般的知能や学校教育は、私たちをさまざまな認知的過ちから守ってくれないだけではない。賢い人はある種の愚かな思考に人並み以上に陥りやすいのだ。
たとえば知能も教育水準も高い人は、自らの過ちから学ばず、他人のアドバイスを受け入れない傾向がある。しかも失敗を犯したときには、自らの判断を正当化するための小難しい主張を考えるのが得手であるため、ますます自らの見解に固執するようになる。さらにまずいことに、こうした人々は「認知の死角」が大きく、自らの論理の矛盾点に気づかないことが多い。
こうした研究結果に興味を持った私は、さらに探究の範囲を広げた。たとえば経営学者は、スポーツチーム、企業、政府組織などで、悪しき企業文化(生産性向上のみを目的とする)がどのように不合理な判断を増幅するかを明らかにしてきた。それによってすばらしく優秀な人材をそろえたチームが、とんでもなくバカげた判断を下したりする。
その弊害は深刻だ。こうした過ちは、個人レベルでは健康、幸福、職業上の成功を阻害する。裁判所では、重大な不当判決の原因となる。医療現場では診断の15%が誤りで、乳癌などの疾病よりも誤診で命を落とす人が多いという状況を招いている。企業では倒産や経営が傾く原因となっている。
こうした過ちの多くは、知識や経験の不足では説明できない。むしろ知能、教育、職業上の専門能力が高い人に特有の、悪しき思考習慣から生じているように思える。それは宇宙船の墜落、株式市場の暴落、そして世界の指導者が気候変動のような世界的危機を無視する原因にもなっている。
こうした現象は無関係のようだが、実はすべてに共通するプロセスがある、と私は思う。私が「インテリジェンス・トラップ(知性の罠)」と呼ぶパターンである。
最もわかりやすいたとえは自動車だ。エンジンの出力が大きいほど、正しい使い方を知っていれば早く目的地に着けるかもしれない。しかし単に馬力があるというだけでは、目的地に安全に着けるという保証にはならない。適切な知識や装備(ブレーキやハンドル、速度計、道しるべ、質の高い地図)がなければ、高出力のエンジンがあっても車はぐるぐる回りをするだけ、あるいは反対車線に突っ込むだけかもしれない。エンジンが強力であるほど、危険なのだ。
それとまったく同じ話で、知能は事実を学んだり思い出したり、あるいは複雑な情報を迅速に処理したりするのに役立つかもしれない。しかしその知力を適切に使いこなすには、チェック&バランス(抑制と均衡)も必要だ。それがなければ、知能が高くなるほど、思考は偏るかもしれない。
幸い、近年の心理学研究はインテリジェンス・トラップをあぶりだすだけでなく、合理的思考に役立つ知的特性を明らかにしている。たとえば、次の一見簡単な問いを考えてほしい。
ジャックは既婚だが、ジョージは違う。
1人の既婚者が1人の未婚者を見ているのか。
「イエス」「ノー」「判断するのに十分な情報がない」のいずれかを選べ。
正解は「イエス」だ。しかしたいていの人は「判断するのに十分な情報がない」を選ぶ。
正解しなかったからといって、落ち込むことはない。アメリカのアイビーリーグと呼ばれる名門大学の学生の多くも間違えた。そして私が同じテストをニュー・サイエンティスト誌に掲載したところ、「解答が間違っている」という投書が殺到した(「正解がイエスである」理由がわからなければ、図を描いてみるか、本書426ページを参照してほしい)。
このテストは「認知反射」と呼ばれる特性(自らの思い込みや直感を疑う傾向)を測定するものだ。このテストのスコアが低い人はくだらない陰謀論や虚報、フェイクニュースに騙されやすい(この点については第6章で詳しく見ていく)。
認知反射に加えて、インテリジェンス・トラップを回避するのに重要な特性として、知的謙虚さ、積極的なオープンマインド思考、好奇心、優れた感情認識、しなやかマインドセットなどが挙げられる。これらが組み合わされば、知性を正常な軌道にとどめ、思考が崖から転落するのを防げる。
こうした研究は、「根拠に基づく知恵(evidence-based wisdom)」と呼ばれる新たな学問分野の誕生にもつながった。かつては他の科学者から懐疑的に見られていたが、従来の知能テストよりも現実世界における判断能力を正しく予測できる思考力テストを生み出すなど、近年大いに盛り上がりを見せている。この研究を推し進めるための、新たな学術機関まで設立されるようになった。一例が2016年に開設されたシカゴ大学の「実践知センター」だ。
インテリジェンス・トラップから身を守る特性のうち、標準的な学力テストで測定できるものは1つもない。ただこうした思考や推論の能力を身につけるために、高い一般的知能を犠牲にする必要はまったくない。それは優れた知能をより賢明に活用するためのものだからだ。そして知能と違って、訓練によって身につけることができる。あなたのIQがいくつであろうと、より賢く思考する方法を身につけることは可能なのだ。
この最先端の科学は、哲学の伝統に根ざしている。インテリジェンス・トラップに関する議論は、紀元前399年に行われたソクラテスの裁判にも登場する。
プラトンによると、ソクラテスはアテネの若者に邪悪で「不信心な」考えを吹き込んだとして告発された。ソクラテスはそれを否認し、自分が賢者と言われる所以、そして告発の背後にある嫉妬について説明した。
ことのはじまりは、「アテネにはソクラテスより賢い者はない」としたデルフォイの神託だった、という。「神はいったい何を言わんとしているのか。これは謎かけだ。いったいどういう意味だろう」とソクラテスは自問した。「私は自分がいかなる意味でも賢者であるとは、まったく思っていなかった」
そこでソクラテスは街を歩き、尊敬を集める政治家、詩人、芸術家と対話し、神託が誤りであることを証明しようとしたが、そのたびに失望することになった。「彼らはみな、自らの職能において成功を収めていたために、他の事柄においても誰よりも賢明で、重要な人間だと思っていた。この誤りによって、彼らが持っていた知恵までがかすんでしまうようだった」
「名声のある者ほど実は愚かであり、劣っていると思われている人々ほど見識が優れていた」
ソクラテスの結論は一見、逆説的である。自分が賢者なのは、自らの知識の限界を認識しているからにほかならない、と。しかし結果は有罪で、ソクラテスは死刑を宣告された。
これは近年の科学的研究の成果に、驚くほど通じるところがある。ソクラテスの逸話に登場する政治家、詩人、芸術家を、今日の技術者、銀行家、医者に置き換えてみよう。すると裁判の様子は、心理学者が現在発見しつつある「死角」を完璧にとらえていることがわかる(そしてソクラテスの告発者と同じように、今日のプロフェッショナルも自らの愚かさを暴露されるのを嫌う)。
ただソクラテスの弁明は的を射ているとはいえ、新たな学術的発見を正確に映しているわけではない。今日の研究は、知能と教育が優れた思考に欠かせないことを認めている。私たちが往々にしてそうした知的能力を正しく使わないことが問題なのだ。
こうした意味で、インテリジェンス・トラップの今日的理解に最も近い洞察を示したのはデカルトだ。「秀でた知性を有するだけでは十分ではない。大切なのは、それを正しく使うことだ」と、1637年の『方法序説』に書いている。「最高の知性を有する者は、最高の美徳とともに最大の悪徳をも成しうる。拙速に進み、道を誤る者より、歩みはきわめて遅くとも常に正しい道を歩む者のほうがはるかに先まで到達できる」
最新の科学は優れた実験によって、従来の哲学的思索をはるかに超えて、知性が両刃の剣になりうる理由と、そうした知性の罠を避ける具体的方法を示してくれる。
この旅に踏み出す前に、ひとつお断りがある。知性をテーマとするすばらしい科学的研究はたくさんあり、そのなかには本書に登場しないものもある。たとえばペンシルベニア大学のアンジェラ・ダックワースは「グリット」という概念に基づく画期的な研究成果を発表している。ダックワースはグリットを「長期的な目標に対する粘り強さと情熱」と定義しており、自身が開発したグリットの測定指標のほうがIQよりも成功の予測に有効であることを何度も示している。きわめて重要な理論だが、知能によって増幅される特定の認知バイアスに対してグリットが有効かどうかは定かではない。また本書の議論の土台となっている、「根拠に基づく知恵」という広いくくりにも収まらない。
本書を執筆するうえで、私は3つの問いに集中した。「なぜ賢い人々が愚かな行動をとるのか」「こうした過ちは、どのような能力や性質が欠如しているために起こるのか」「どうすれば、過ちを防ぐために必要な資質を伸ばすことができるのか」だ。そしてこの3つの問いを、個人から巨大組織に至るまで社会のあらゆるレベルにおいて考察した。
第1部では、問題を明確に定義する。知性に対する私たちの理解のどこが間違っているのか、そして傑出した頭脳が裏目に出るケースというのはどのようなものかを見ていく。たとえばアーサー・コナン・ドイルの心霊主義への傾倒、2004年のマドリード爆破事件に対するFBIの誤った捜査などの例を挙げ、知識や専門能力がこうした過ちを抑えるどころか増幅させる理由を考察する。
第2部は、「根拠に基づく知恵」という新たな学問分野を紹介し、こうした問題への解を提示する。優れた論理的思考のカギを握る思考スタイルや認知能力を説明するとともに、それらを伸ばすための具体的方法も示す。そのなかで、なぜ私たちの直感は往々にして誤っているのか、どうすればその誤りを正しく修正できるかを見ていく。さらにデマやフェイクニュースを退け、希望的観測ではなく確固たる証拠に基づいて選択ができるようにするための方法を考える。
第3部は、学習と記憶に関する科学的研究に目を向ける。優秀な人は知能が高いにもかかわらず学習が不得手で、その潜在力よりはるかに低いところで能力が頭打ちになってしまうことがある。「根拠に基づく知恵」は、この悪循環から抜け出すヒントになる、深い学習のための3つの法則を提示している。この最先端の研究分野は、私たちが個人としての目標を実現するのに役立つだけでなく、東アジアの教育システムがこの3つの法則を非常にうまく活用していること、そして西洋の教育制度がより良い学習者、賢明な思考を育むために学ぶべき教訓も示している。
最後に第4部では、個人からさらに視点を広げ、イギリスのサッカーチームの失敗から、BP、ノキア、NASAなど巨大組織の危機まで、優秀な人材の集団が愚かな行動に走る原因を分析する。
19世紀の偉大な心理学者、ウィリアム・ジェームズはこう言ったという。「たいての人は、モノを考えているつもりで、先入観を組み換えているだけに過ぎない」。本書は私を含めて、そんな過ちに陥りたくないと願うすべての人に向けた、知恵の科学と技(わざ)を学ぶための手引きである。
【目次】

