その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はアダム・スミス(著)、山岡洋一(訳)の『 国富論(上) (中) (下) 』です。
【序論と本書の構成】
どの国でも、その国の国民が年間に行う労働こそが、生活の必需品として、生活を豊かにする利便品として、国民が年間に消費するもののすべてを生み出す源泉である。消費する必需品と利便品はみな、国内の労働による直接の生産物か、そうした生産物を使って外国から購入したものである。
このため、国内の労働の生産物かそれを使って外国から購入したものの量が、それらを消費する国民一人当たりでみて多いか少ないかによって、その国の国民が求める必需品と利便品が十分に供給されているかどうかが決まる。
この量はどの国でも、二つの要因に左右されるはずだ。第一の要因は、労働の際に使われる技能や技術の全体的な水準である。第二の要因は、役に立つ労働を行っている人の数と役に立つ労働を行っていない人の数の比率である。国にはそれぞれ土壌、気候、広さに違いがあるが、それぞれの条件のもとで年間に供給される必需品や利便品が豊富かどうかは、以上の二つの要因に左右されるはずである。
年間の供給が豊富かどうかは、この二つのうち、第二の要因よりも第一の要因に大きく左右されるようだ。狩りと漁で生活している未開の民族では、働ける人はみな、多かれ少なかれ役立つ労働を行っており、自分自身のために、そして家族や部族のなかで歳を取りすぎているか、幼すぎるか、身体が弱いかで狩りにも漁にも行けない人のために、生活の必需品と利便品を手に入れようと懸命に働いている。それでも悲惨なほど貧しく、ものが足りないという理由で、幼児や老人や長患いの人を殺すか、原野に放置して飢え死にしたり動物に殺されたりするに任せるしかなくなることが多い。少なくとも、そうするしかないと考えるようになることが多い。これに対して繁栄している文明国では、労働をまったくしていない人がきわめて多いのに、その多くは労働をする人の大部分とくらべて、労働の生産物を十倍も、ときには百倍も消費する。それでも、社会全体の労働の生産物がきわめて多いので、誰でもものを豊富に供給されていて、最下層の貧しい労働者でも、倹約し勤勉に働いていれば、未開の民族では考えられないほど大量に、必需品と利便品を手に入れることができる。
このように労働の生産性が向上してきたのはどのような要因があったからなのか、社会のさまざまな階層に労働生産物が分配されていくときの自然な秩序はどのようなものなのかが、本書第一編の主題である。
ある国で労働の際に使われる技能や技術が実際にどのような水準にあっても、その水準が変わらないのであれば、年間に供給されるものが豊富かどうかは、役立つ労働を行っている人の数と行っていない人の数の比率によって決まるはずである。後に明らかにするように、役に立つ生産的な労働を行っている人の数は、どの国、どの地域でも、そうした人が働けるようにするために使われている資本の量に比例し、資本の使い方に左右されるようだ。このため、本書第二編では、資本がどのような性格をもち、どのように蓄積され、資本の使い方によって、雇用される労働の量にどのような違いがあるのかを扱う。
労働の際に使われる技能や技術がかなり発達している諸国では、労働を全体的にどの方向に導くのかについて、国によって大きく違う政策をとってきた。どの政策をとっても、労働生産物の増加に同じように有利な状況が作られてきたわけではない。農村の産業をとくに奨励する政策をとってきた国もあれば、都市の産業をとくに奨励する政策をとってきた国もある。どの産業も平等に扱ってきた国はまずない。ローマ帝国が崩壊して以来、ヨーロッパでは都市の産業である商工業を、農村の産業である農業より優遇する政策がとられてきた。どのような状況を背景にこの政策が生まれ確立したとみられるのかを、本書第三編で説明していく。
これらの政策はおそらく、当初はある階層の私利と偏見によって作られたのであり、その際に、社会全体の幸福と利益にどのような影響を与えるかは考えられていなかったし、まして見通されてはいなかっただろう。しかしその後、これらの政策から経済政策に関して、大きく違う理論がいくつか生まれてきた。そのなかには、都市の産業の重要性を誇張している理論もあり、農村の産業の重要性を誇張している理論もある。これらの理論は識者の意見に大きな影響を与えているだけでなく、国王や国の政策にも大きな影響を与えている。本書第四編では、これらの理論を、さらにはこれら理論がさまざまな時代にさまざまな国に与えた影響を、できるかぎり十分に明確に説明するようにつとめる。
以上のように本書の第一編から第四編までは、国民全体の収入を生み出しているのが何であり、それぞれの時代にそれぞれの国で、年間に消費されるものを供給してきた源泉がどのような性格をもっているのかを説明することを目的としている。これに対して最後の第五編では、主権者か国の収入を扱う。第五編で示そうとしているのは以下の点である。第一に、国王または国が必要とする経費は何なのか、この経費のうち社会全体が負担すべき部分がどれで、社会のなかの一部だけ、または社会の一部の人だけが負担すべき部分はどれなのかである。第二に、社会全体が負担すべき経費を賄うために、社会全体で拠出する方法にはどういうものがあり、それぞれの方法の主要な利点と欠点は何なのかである。最後に第三の点として、近代のほとんどの政府が税収の一部を担保にして資金を借り入れるようになったが、その理由と原因はどこにあり、この債務が社会の真の富、つまり社会の土地と労働による年間生産物にどのような影響を与えてきたのかである。
【目次】