その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は日本経済新聞社 政治・外交グループ(編)の『 あなたと日本の防衛を考えたい 』です。
【はじめに】
「あなたと日本の防衛を考えたい」。本書をまとめるに当たって題名に思いを巡らした。「要するになんなんだ」という問いに浮かんだのが、この題名である。防衛には専門的な響きを感じるとの声がある。専門的とは自分と距離がある、もしくはほとんど関係ないニュアンスを含む。
「だからなんなんだ」という質問へのシンプルな回答がないと素通りされる。素通りされていい状況ではないというのを伝えるために、この題名にした。国民の生命・身体・財産にかかわる話だからである。
戦後の日本の平和は、防衛について国民一人ひとりが真剣に考えなくても、米国が担ってくれる所与のもの、すなわち空気のような存在だったのかもしれない。戦前の反動から戦後は軍事的なものへの嫌悪感が防衛に重ねられていた。その雰囲気が時の政権が軍事面で暴走しないよう一定の歯止めの効果を持ったのは確かだ。
中国が米国の覇権に挑み、ロシアはウクライナを侵略した。台湾有事も絵空事ではない。世界の安全保障環境は一変した。日本の防衛について思考を停止し、無関心であっても、平和が勝手に続く保証はなくなった時代に突入したのである。
防衛はイデオロギーではない。イデオロギー論争に終始できるのは、逆にその前提として絶対的な平和があることになる。現実を前にすればイデオロギーは力を持ち得ない。その冷徹な事実を認めるところから始めなければならない。
政府は2022年12月に敵の攻撃拠点をたたく「反撃能力」の保有を盛り込んだ安全保障関連3文書を決めた。
周りには台湾への武力統一を否定しない中国や核・ミサイル開発を進める北朝鮮がある。環境を考えれば、国家として抑止力の強化に取り組むのは当然である。
ロシアがウクライナを侵略したのは、ウクライナの抑止力が脆弱だったのが一因だ。ウクライナが西側の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)への加盟を検討していたが、間に合わなかった。ウクライナに米軍が駐留していれば、ロシアは侵略を開始できなかっただろう。
その教訓を踏まえれば、根拠のない楽観論に依拠して抑止力強化への取り組みを放棄するのは国家としての怠慢になる。同盟を結ぶ米軍と一体で統合抑止の態勢を整えなければならない。
敵国が他国への侵略について不合理と判断すれば、侵略を踏みとどまる。戦争を回避するための有力な手段が抑止力である。
ロシアのウクライナ侵略は日本の一部に残る「空想的な平和主義」が無力で、無責任な考え方である点も改めて浮き彫りにした。日本経済新聞社の世論調査で反撃能力の保有には60%が賛成と回答している。
平和を維持するための防衛の具体的な方法を練り、実践する段階にある。
核を巡る議論も避けて通れない。唯一の被爆国として「核兵器なき世界」を追求する理想は持ちつつ、目の前にある脅威に対処しなければならない。核保有国である中国とそれに邁進する北朝鮮。韓国には核武装論が浮上する。
日本が核保有国に囲まれた場合にどうするか。様々なケースが考えられるはずだ。まずはこうした議論の土壌を整えることである。
第一に日本の国益とは何かということを広く共有しなければならない。安保3文書の一つである国家安全保障戦略で定義した①主権と独立を維持し、国民の生命・身体・財産の安全を確保する②経済成長を通じてさらなる繁栄を実現する③自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的な価値や国際法に基づく国際秩序を維持・擁護する――の3つが柱となる。
政府は13年に初めて国家安保戦略を定めた際に国益の内容を提示した。今回はそれを拡充し「インド太平洋地域において自由で開かれた国際秩序を維持・発展させる」などを付け加えた。
自立的な防衛に踏み出した国家安保戦略に記載する国益について政府・与党内で論争が活発だったとは言い難い。防衛費増額の財源について赤字国債で賄うか、増税で充てるかが目を引いた。
国益への共通認識が乏しいと何を守らなければならないのかもあいまいになる。
今回の国家安保戦略に限らず、戦後78年間、政治の舞台で国益論が白熱したとの印象は薄い。すぐにイデオロギー論争にすり替えられがちだった。
政治の舞台から遠ざかった背後には戦前の軍国主義を想起させる危険な考え方につながるとの懸念があったとみられている。国際協調との相反も指摘された。
東大名誉教授の御厨貴氏は「第2次世界大戦で日本は占領された瞬間、国益を忘れた。国益や私益を考えるより、どうやって生きていくかだった」と振り返った。「高度経済成長期を経て国益について考えるようになったのは中曽根内閣以降だろう」と話す。
新たな国家安保戦略に関し「自民党は国益論から逃げたと言われても仕方がないが、国益論を始めたら、それをどう守るかの手段になる。赤字国債か増税かの対立のほか、自衛隊の位置づけなど憲法改正の議論にも及ぶ」と述べた。
他国はどうか。政治体制が異なる中国の共産党内では「国益は安定と発展」という認識が一般的。習近平(シー・ジンピン)国家主席は22年10月の共産党大会で「我々は国益を重視し、国家の尊厳と核心的利益を守り、我が国の発展と安全の主導権を握った」と語った。
過去の歴史から領土や権益を守る意識が強い。台湾や新疆ウイグル自治区などは譲歩する余地がないとの意味を込めて「核心的利益」と呼ぶ。
中国共産党は経済発展や社会の安定を維持し、領土を守るには党が政府を指導する政治体制の継続が必要だと主張する。その裏にはこうした国益が損なわれれば、共産党による一党支配という「党益」まで揺らぎかねないとの危機感がある。
再び日本。第二に国益を守るのは防衛力だけではない。経済力、外交力がそろって抑止力として機能する。
日本はこの30年間、経済がほとんど成長しなかった「失われた30年」と揶揄(やゆ)されている。経済の構造改革を進め、「出口」を急がなければならない。
保守政党をうたう自民党の経済政策はリベラルを掲げる米民主党型、「大きな政府」路線である。旧ソ連最後の最高指導者、ゴルバチョフ氏は「日本は最も成功した社会主義国家」と評した。選挙でどう勝つかから逆算した経済政策であり、成長が見込めない企業も「票」に見立てて、救済するような政策を続けてきた。その結果、30年以上にわたって日本経済全体が成長せず、世界から取り残される事態を招いた。
だから「政治が悪い」と言いたいわけではない。政治家は世論をみて動く。世論は国民一人ひとりが構成する。「失われた30年」の責任の一端はわれわれにもある。
大衆迎合主義(ポピュリズム)とは一線を画す毅然とした態度を取らなければ、政治はポピュリズムに傾く。経済政策であれば、バラマキ型の財政支出は続く。持続可能な経済成長の基盤づくりとはほど遠い、国の姿である。
防衛力を支えるのは経済力だ。経済が成長しなければ、防衛力も強くはならない。経済力と並んで重要な外交力の要諦は国際協調になる。台湾有事を見据えると「国際協調主義に基づく積極的平和主義」を掲げる日本外交は東南アジア諸国との安保、経済両面での協力拡大が急務だ。
インド太平洋の安定は日米同盟を基軸に英仏独など欧州との連携も欠かせない。
外交力が不可欠と唱えるだけでは、机上の空論になる。ウクライナ支援は外交力の裏付けとして武器供与の存在を大きくした。
米英だけでなく、これまで慎重だったドイツも方針を転換した。ドイツ政府は旧式戦車「レオパルト1」について最大178両までウクライナに供与する。輸出を認めたのは「レオパルト1A5」。ウクライナへの引き渡しを決めた主力戦車「レオパルト2」の旧式にあたる。
日本は食料など人道上の支援や財政支援が中心だ。越冬対策で300台ほどの発電機や8万3500台の太陽光で充電するランタンを順次送る。
日本は輸出のあり方を定める防衛装備移転三原則が立ちはだかり、海外への武器提供には厳しい制約がある。ヘルメットや防弾チョッキの支援にとどめてきた。
侵略された国に殺傷能力のある武器を提供可能にする案はあるものの、実現にはまだ時間を要する。1990年代の湾岸戦争と似たような構図だ。日本は武器提供ができないために国際的には評価を得られない呪縛に陥っている。
これらの問題を国民一人ひとりが認識し、日本としてどうあるべきかを問わなければならない。防衛は米国任せ、経済はポピュリズム、外交は重要性を連呼するだけでは世界からますます取り残されるだけである。
本書『あなたと日本の防衛を考えたい』は日本経済新聞社の政治・外交グループのデスクと記者が総力を挙げてつくりあげた。最後に言いたいのは「防衛とはあなたである」ということ。日本の防衛を取り巻く厳しい現実と危機感を「あなた」と共有できれば、幸いである。
2023年3月 日本経済新聞社 政治部長 吉野直也
【目次】