その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はロバート・スキデルスキー(著)、村井章子(訳)の『 ジョン・メイナード・ケインズ 1883-1946:経済学者、思想家、ステーツマン(上) (下) 』です。上巻の序章を抜粋して再構成しています。
【序章】(抜粋再構成版)
「よい生活」の実現をめざしたケインズ
一八八三年に生まれ、一九四六年に亡くなったケインズが学者としてまた官僚として働いた時期は、二つの世界大戦とちょうど重なっている。初めのうちケインズはエドワード朝の楽観主義を色濃く受け継ぎ、自動的な進化によって「よい生活」をする可能性は拡大する一方だと信じていた。師であるジョージ・エドワード・ムーアも、ブルームズベリー・グループの仲間たちもそう認めている。そして最後に、理論、無数の政策、二つの国際機関すなわち国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)を世に残して生涯を終えた。
これらすべては自由経済の基盤を強化すべく練り上げられており、彼が若い頃に抱いていた希望を人々が再び持てるようにすることをめざしたものである。この始まりと終わりの間に、ヨーロッパで始まった災厄と後退が世界に広がっている。したがってケインズが何のために戦ったのか、そして何を成し遂げたのかを推測するためだけでも、この歴史の文脈の中で理解しなければならない。
ケインズの生涯を貫いたテーマとは?
もともと三巻だった伝記を一巻にまとめるために読み直してみると、ケインズの生涯をいくつかのテーマが貫いていたことが、当時よりもはっきりと読み取れるようになった。それらのテーマは、さまざまな点で専門的なこまかいちがいはあるにしても、ケインズの思想に一つの統一性を与えている。
経済学においてケインズがずっと考え続けたテーマは、広範囲で見られる不確実性であり、経済が「興奮状態」に達したとき以外は潜在成長率に近づかない原因として不確実性がどのような役割を果たしているのか、ということだった。
また経済は「流動的」ではなく「硬直的」であるとし、「ショック」からの回復が困難かつ長引き、コストがかかり、しかもなお不完全に終わりやすいのは硬直性のせいだと考えた。さらに彼が重視したのは、経済活動をしかるべき水準に維持するという政府の役割である。しかるべき水準とは、既存および潜在的な資源がおおむね効率よく全面的に活用されているときに、経済が到達しうる最高またはそれに近い状態を指す。
「マクロ経済学」が切り拓かれた理由
ケインズが「古典的」と呼んだ理論はこうした視点から経済を見ておらず、とりわけ不確実性を無視し、賃金と物価は流動的だと仮定する点に欠陥があった。そこで結果的に、ケインズは「マクロ経済学」という新しい領域を切り拓くことになる。それは複数の均衡すなわち複数の経済活動レベルを一つの全体として生産を扱う理論だった。
古典的な理論は非自発的失業は存在しないとの前提に依拠しているが、そのような幸福な状態は「われわれが現に暮らしている経済社会」には当てはまらないとケインズは主張した。ただし自分が提案するような政府の舵取りによって完全雇用を維持できるなら、「古典的な理論はその時点から本領を発揮する」。つまりケインズとしては、稀少資源のさまざまな用途や要素への配分を説明する古典派理論の方法に文句はなかったし、さらに進んで、そうした効率的な配分を行うための最強の手段としての競争市場システムにも何の文句もなかった(Keynes, The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936, pp.3, 378-80)。
だからケインズが根本的に新しかった点は、自らの新しい理論と「古典的」な理論が両立するようそれぞれに「領分」を割り当てたことにある。前者で生産高の水準について説明し、後者でその分配を説明する。ごくおおざっぱに言えば、これがケインズ革命を経済学の長い伝統と結びつける条件だった。だが、二つの領分の間には理論的な摺り合わせが欠けていた。とりわけ問題だったのは、ケインズが大量失業を個人の動機と行動で説明しなかったことである。このことが、一九七〇年代から八〇年代のケインズ革命の解体につながった。
「自由放任主義」に批判的だったのはなぜか?
以上が、ケインズの最も注目される業績の概要である。この業績により、ケインズは最も偉大な経済学者の三人あるいは四人の一人に数えられるようになる。だがこれだけでは、近代思想へのケインズの貢献を網羅したとはとても言えない。ケインズはまた、劣勢に立たされた個人主義を擁護する思想家と解釈することもできる。
当時、個人主義思想は共産主義やファシズムに押され、戦闘的な労働組合に攻撃され、産業の寡占化傾向に打ち負かされそうになっていた。いずれも、当時の経済の「硬直性」が具体的な形をとって表れたものと言える。そうした硬直した経済では、自由主義の旗印の下での自由放任(レッセフェール)はきわめて危険だった。
ケインズが一九二五年に述べたように、「拡散原理からして実現できる以上のもの」を経済システムは求めてはならない。彼はエドマンド・バークを取り上げた卒業論文の中で、尊敬する政治思想家であるバークが、あらゆる犠牲を払っても守るべき自由主義体制の「主郭」と捨て去るべき「外郭」とを区別しなかったことを批判している。ケインズの「中道」思想(より的確に言うなら知的な考え方)では、個人主義に基づく社会の主郭を守るために、外郭の一部を意図的に排除する。自由主義社会を守るためには外郭を捨てることが重要だという彼の主張が、自由主義をめぐる一九四四年の有名なケインズ対ハイエクの論争に発展した。
資本主義の効率改善を急ぐケインズの主張は、危機感に根ざしていた。同じ一九二五年に、彼はこうも書いている。「現代の資本主義は持てる者と持とうとする者の雑多な集合に過ぎず、信仰もなければ内的な調和も公共精神もない。そのようなシステムを存続させるには、ささやかな成功ではなく大きな成功が必要だ」
マクロ経済学・政治哲学・倫理的目的――ケインズの経済思想のコア
資本主義経済の市場制度からより多くの成果を搾り出そうとするケインズの決意には、倫理的な要素も絡んでいる。すべての人に富を生み出すという約束をより早く実現するほど、人類は「よい」生活を謳歌できるようになる、すなわち未来よりも現在を、手段よりも目的を、有益性よりも善を重んじるようになる――ケインズはそう信じていたのである。
師ムーアの倫理的視点にケインズが捧げた忠誠は単に若気の至りではなく、生涯を貫くものだった。一九二八年にウィンチェスター大学で発表された心楽しい小論「孫の世代の経済的可能性」で、ケインズはこの視点に立ち帰っている。この小論に込められたメッセージは、「経済の問題」を解決することは文明の必要条件であっても十分条件ではないということに尽きる。
以上のように、ケインズの経済思想は専門のマクロ経済学、終生戦った政治哲学、究極の倫理的目的という三つの要素から成り立っており、この三つは互いに支え合っている。自由に対する重大な政治的脅威が取り除かれたいまとなっては、ケインズの言う主郭はもはや必要ないのではないか、と問う向きもあろう。
たしかに今日の先進国では、政治的自由主義に対抗するイデオロギーは存在しない。このため経済の大きな変動にも政治体制は比較的容易に持ちこたえられるようになった。とはいえ、大きな変動はやはり人々の幸福や福祉に重大な損失をもたらす。それが積み重なれば今日の「よい生活」は奪われ、より多くの人が享受できる日も遠のくだろう。
厳密な意味での経済学にケインズがもたらした恒久的な価値は、大量失業がなぜ発生し、なぜ長引くのかを経済理論として説明しようと試みたことである。この問題はまだ完全には解決されておらず、この分野でなおケインズ理論の研究は続けられている。
ただし方法論はかつてとはちがうし、「古典的」な理論の扱いもケインズとはちがう。今日では、「古典的」な理論における自己調整機能が依拠していた制度的枠組み(貨幣、銀行、政治、法制度など)の理解は誤りだったと広く認識されている。いや、そもそも制度理論がまったく欠落していたのである。ケインズ自身も制度は所与のものと捉え、景気循環抑制的な金融・財政政策によって予想の改善や安定化を図ろうとした。
翻って今日の不確実性を重大視する研究者は、景気循環の「微調整」よりも経済を安定化させる制度の構築をめざす。市場経済の安定化を図るために必要な制度、ルール、政策をどう組み合わせるべきかという議論は、いまだ結論が出ていない。共産主義の崩壊に伴いこの議論はグローバルに行われるようになった。だが古典派の素朴な理論はもう誰も口にしない。ケインズをどう考えるにせよ、ケインズ理論以前の経済学者はもはや存在しないのだから。
思想家の仕事とは? 思想の役割とは?
BBCは最近世論調査を実施し、最も偉大と思うイギリス人の名前を挙げてもらった。一位はウィンストン・チャーチル、三位はダイアナ妃である。ケインズは一〇〇位以内に入っておらず、アダム・スミスを含め経済学者は一人も入らなかった。これは別に驚くべきことではない。偉大な思想家を称える殿堂は、往々にして一般の人々には知られずに埋もれていく。
思想家はひっそりと仕事をする文明の裏方だ。彼らの思想は時代の空気に浸透し、現実を生きる人々の知性の糧となる。だがその源泉がどこかということは知られないままだ。現代の多くの人々は不況や大量失業は政府が防げるし防ぐべきだと考えている。だが、そうした考えがケインズに発することを知っている人は千人に一人もいまい。まして政府のとるべき施策についてのケインズの考えをまずまず正確に説明できる人は一万人に一人もいないだろう。しかもこれは、英語圏に限っての話である。
偉大な経済学者の中で存命中に「有名人」に最も近づいたのはケインズだが、そのときでさえ、「教育水準の高いブルジョワ」と彼が呼ぶサークルの外にまで名声が広がったわけではない。このサークルは、当時もいまも全体からみればごく一部に過ぎない。
ケインズのよく知られた文章の一つに「遅かれ早かれ、よきにつけ悪しきにつけ危険になるのは、既得権益ではなく思想である」というものがある。私はこれを読んで、「危険」とはどういうことかと当惑したものだ。ケインズは言葉の使い方に非常に注意深かった。
だが、思想はよきにつけても危険になりうるのだろうか。おそらくもっとわかりやすく言うなら「強い影響力を持つ」というほどの意味だろう。つまり、利害関係よりも思想のほうが、よきにつけ悪しきにつけものごとに強い影響をおよぼす、ということだ。実際にもこの一文はそのように解釈されることが多い。とはいえ「危険」という言葉は、ケインズに特徴的な微妙なニュアンスを付け加える。無視するのも危険なら知っているのも危険だ、
なぜなら思想は人を「傲慢」へと、すなわち神のものとされていた力の濫用へと人間を導くことがあり、それは不可避的に神からの報復を招くから、といった意味合いが加わるのである。ケインズの革命宣言である『一般理論』をこの遠回しの警告で結ばなければならなかったことは、経済学を超越する大きなものを公然と認めた証として印象深い。限りなく高く羽ばたくように見えたあの知性は、人間のやることは地上の限界に制約されるとの規律を受け入れた。これこそが私が敬愛するケインズであり、本書ではその人格と功績をお伝えしたい。
この圧縮版では、三巻の伝記の四〇%を削除した(編集部注)。単に割愛した箇所もあれば、凝縮した箇所もある。書き直した箇所も少なくない。考え直した箇所もあれば、誤りを修正した箇所もあり、巻と巻のつながりを足した箇所や、批判やその後の調査を反映した箇所もある。したがって、ある意味で本書は独立した新しい本であり、単独のものとして読んでいただくことができる。三巻は長すぎるとお考えの多くの人にお読みいただければ幸いである。
【目次】