その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は音部大輔さんの『 マーケティングの扉 経験を知識に変える一問一答 』です。

【はじめに】

 マーケティングを始めて長い月日がたちました。多くの水が橋の下を流れ、その間に手に入った経験値は、いずれ来し方を歩む誰かの役に立つかもしれません。自身が若い頃を振り返れば、多くの先輩や上司に助けられてきましたから、これらの知見は自分のものというよりも、たまたま自分が知ることとなった、“公共財”でもあるような気がします。本書は、マーケティングという魅力的な職種・活動領域の迷いや悩みに対して、いくばくかでも抜け道や解決の示唆につながるよう、経験値を共有する試みです。
 まだ入社2年目か3年目の、あるかないか分からない可能性以外には何も持たない若手だった夏の日の午後、担当していたブランドの販促活動で悩んでいました。テレビ広告もよさそうだけれど、値段を少し下げるのも有効そうです。果たしてどちらを提案すべきか、うまく考えがまとまりません。
 明日までには提出しなくてはならず、イライラしたり、ブツブツ言ったりしていると、国内最高峰の学校を経て米国でMBA(経営学修士)を取得された頭脳明晰(めいせき)な先輩が通りかかりました。彼はよほど急いでいない限り、ちょっかいをかけてきます。そして、いまだかつて急いでいるところを見たことがありません。その日も、やはり声を掛けてきました。リモートワークなどという習慣も概念もなく、常時先輩たちの目にさらされる通路脇の机に座っていたことの利点の1つは、こうした非公式のやり取りだったように思います。
「おやおや、音部さん、また怖い顔してお困りですね」――。パーティションの中に入ってきます。「困ったときには目的に立ち返れですよ」と私の尻を軽く蹴っ飛ばしながら言い残し、隣のブランドの新入社員にちょっかいをかけに行ってしまいました。そこにあることすら気付かなかったカーテンが、目の前で大きく開かれ、瞬時に天地を一望したような感覚に襲われました。

「施策として広告がいいか値下げがいいかではなく、そもそもの目的が曖昧では話にならないな」

 以前にも聞いたことのある明瞭的確なアドバイスでしたが、これで自分ゴト化できました。「目的」を明らかにすることが、意思決定の初めの一歩です。これは戦略の概念を明確に理解する原体験ともなりました。実践と研究を経て、20余年後に出版した『なぜ「戦略」で差がつくのか。|戦略思考でマーケティングは強くなる』(宣伝会議)に至る、戦略についての論考の起点だったように思います。目的さえ明確になれば、問題の半分は解けたようなものです。あとは自身が持つ資源を、最も有意義に投下できる案を選べば必然的に成功しそうです。
 上司の指示を見直し、改めて目的を整理しました。その年の12月末までに所与の売り上げを達成すること。それには9月から残り16週間で、前半6カ月の平均よりも5%程度、売り上げが上回れば達成できると把握しました。
 そのためのアプローチは2つ想定できました。一つは「毎週5%ずつ、継続的に売り上げ拡大を促す方法」。つまり、「5%×16週」という考え方です。例えば、来月から毎週末値下げをすることで実現できるかもしれません。
 もう1つは「11月と12月の間に集中して売り上げを促す方法」です。つまり、「10%×8週」と理解できます。例えば、年末の消費者プロモーションの展開などが考えられます。いずれも机上の計算では、12月末までに所与の売り上げを達成できそうです。
 これら2つの方法は、「目的の再解釈」と言えます。達成すべき売り上げ(円)を、成長率(%)と活動を展開する期間(週)へと、単位が変化しているのに気付かれたと思います。目的をうまく再解釈できると、このように単位が変わることが少なくありません。そして、それぞれの再解釈案が、すなわち戦略の選択肢です。
 翻って、手元の「資源」を確認してみます。用意できそうなマーケティング予算は今期全体の15%分の販促予算と、全社の営業活動の25%程度の工数でした。今期全体の15%では、16週間にわたる活動の原資としてはいささか心もとない印象です。16週は年間52週間の約30%に相当しますから、15%では半分程度の割り当てにしかなりません。値下げ案では価格に焦点が当たるため、アイデアで勝負しにくい傾向も危惧されます。
 対して、11月と12月の消費者プロモーションはアイデア次第でマーケティング予算の使い方を強められるかもしれません。年間の15%もあれば、ひと山つくれる可能性もあります。それに、全社の25%程度の営業力を投入可能な、そこそこ優先順位の高いブランドだったことも有利に働きます。
 この目的と資源量において、最も確からしい案を選ぶのはさほど困難な作業ではありませんでした。11月と12月に集中する、2つ目の再解釈案を採用すればいいのです。解いてしまえば、それほど難しい課題ではありません。とはいえ、「目的に立ち返れ」と尻を蹴っ飛ばされなければ、「新しいテレビ広告をつくりましょう」などと、とんちんかんな提案をしていた可能性は否めません。
 本書の冒頭ですが、ここで「戦略の考え方」について、少し説明しておきたいと思います。前述の事例を概念化すれば、普遍的に使いやすくなるだろうと思います。実際にマーケティング戦略を立案する際に必要不可欠な原則ですが、それ以外にも、「達成すべき目的」があり「資源が有限」である場合にはきっと役に立つと思います。

「目的」と「資源」について

 全てのマーケティング活動には「達成すべき目的」があり、使える「資源は有限」です。そこで、資源を有効に使うための指針が必要です。この指針が「戦略」です。
 戦略は「重要な」「長期的な」「計画的な」などの言い換えや、高尚な雰囲気を出すために曖昧なまま使われたりしますが、「目的達成のための資源利用の指針である」と定義づけられます。戦略というと難しそうに思えますが、その構成要素は前述の通り、「目的と資源」の2点だけです。戦略を明確にしておくことで、計画をうまく立案しやすくなるだけでなく、正しい意思決定も示唆してくれると思います。
 実際に戦略を開発する際には、①目的の再解釈、②資源の解釈、③資源の優勢を図ること、の3点に気を付けましょう。

①目的の再解釈

 目的を明確にした後、再解釈をすることで戦略の選択肢とします。例えば、「来期は10億円の売り上げ増を達成する」という目的が示された場合、この「10億円の売り上げ」は(A)「10万人の新規ユーザー」を意味するかもしれないし、(B)「100万人の既存ユーザーが年に1回多く使う」、あるいは(C)「既存ユーザーの10%が買い替えをする」などと示されるかもしれません。それぞれの再解釈案(A)(B)(C)が、いわば戦略の選択肢です。10万人の新規ユーザーを獲得するアプローチと、既存ユーザーに1回多く使ってもらうアプローチでは随分と異なりそうです。いずれも目的を達成できますが、この時点では、まだどれを選べばいいか分かりません。

②資源の解釈

 (A)から(C)のそれぞれの選択肢に対して、どのような資源を投下できるか考えてみましょう。新規ユーザーを獲得するのに十分なマーケティング予算が用意されているとか、既存ユーザーのうち追加使用をしてくれそうなユーザーが200万人は確実だとか、既存ユーザーの買い替えを来期に5%程度は見込めそうだ、などと把握できるかもしれません。

③目的と資源を比較する

 ①で再解釈した目的と、②で解釈されリストアップされた資源を比較します。再解釈された目的に対して、資源が多めであれば、実現しやすい戦略案となっていることでしょう。目的に対して資源が多めであることを「資源優勢」と呼びます。山に登るとき、山頂に至るルートがいくつかある、といった場合を想像してみてください。再解釈案はそれぞれのルートです。リストアップされた資源は自身の装備や脚力のことです。自身の装備や脚力(資源)で登り切れるルート(再解釈された目的)を選んでいれば、登頂の可能性は高まります。
 戦略の概要とつくり方を簡単に説明しました。本編で、悩みや迷いを解決する際にも使うことの多い考え方です。目的とか資源といった言葉が出てきたときには、この説明を随時参照してみてください。理解しやすくなるかもしれません。

「成長」について

 本書には「成長」についての議論や示唆が出てくることがありますが、成長の根源的な考え方についても最初に言及しておきましょう。成長については、様々な経験則や流儀や信念がありそうですが、国内外の企業でマーケティング担当VPやCMO(最高マーケティング責任者)などの経験を通して「成長とは昨日できなかったことが明日できること」だと考えるようになりました。私のなかでは定義ですが、外から見れば個人の信条にすぎないかもしれません。

 昨日できなかったことを明日できるために必要なのは、「昨日は持っていなかった資源や手段」を手に入れることです。追加された手段の分だけ、できることが増えるのは自明です。新商品の導入や新販路の開拓、新部門の創出や追加の資金・人員などがこれに当たります。明日できることが増えれば、ビジネスの成長なども期待できます。

 もう1つの方法は、新しい知識を手に入れる、つまり「昨日は知らなかったやり方が分かる」ことです。知識も、資源や手段の1つだと捉えることもあります。ここで言う知識は、本に書かれるような「静的な事実」だけではなく、経験を通して得られる「動的な理解」なども含みます。逆上がりができるようになったのは、筋力が付いたからというよりも、やり方が分かったからです。つまり経験を通して知識が手に入ったからだと思われます。

 10年目のプロフェッショナルが5年目時点より大きな貢献ができるのは、5年分の経験を経て「知識」の量が多くなったからです。知識が成長の大部分を占めていることが分かると思います。

 そして、その知識に大きく貢献するのが「経験」です。経験を知識に変えることで、大幅に知識の獲得量を増やし、結果的に大きく成長しやすくなるでしょう。そのためには、それぞれの人や活動に個別で固有の(具体的な)経験を、いろいろな人や活動に応用可能である(抽象的な)知識に変えることが必要です。

 自身の経験から何を学んだのか、意識することで経験値を知識に変え、将来にわたって使いやすくなるだろうと思います。

本書の構成

 本書では、経験の整理にも役立つよう、質問を5つの章に分けました。すなわち、マーケティング、キャリア、戦略、リーダーそしてスキルです。書名に合わせ、それぞれを扉と見立て、全88個の質問に分けています。質問を受けていたときにはこうした章立ては持っていませんでしたが、書籍化するに当たって読みやすいよう分類してもらいました。

 それぞれの質問の関連は強くなくて、いわばバラバラな一問一答なので、テーマごとに選んだり、目次から気になる質問を探したり、もちろん最初から順番に進んだり、お好みに従ってお読みください。

【目次】

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