その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中村二朗さん、菅原慎矢さんの『 介護政策の経済分析 地域の変容、従事者不足、保険制度の課題 』です。

【はじめに】

 本書の議論の中心は、2000年に創設された公的介護保険制度をその核とする日本の介護政策に関するものである。発足当初の介護保険は、様々な状況が不透明なまま、3年ごとに改正を行うことを制度に組み込み、「走りながら考える」というスローガンのもとに運営されてきた。この25年間、利用者やサービス提供者の双方から不満を漏らされつつも、変化する環境に応じて微調整を重ねながら、高齢化に対応する最大の政策として機能してきたと言える。

 本書では、介護政策と高齢化を取り巻く環境を多角的に分析し、今後の望ましい政策について論じる。現在の介護政策は、ベビーブーム世代の終末期ケアという大きなハードルを前にしている。この時期において、介護人材が大幅に不足することが予測され、その対策が模索されている。

 しかしその後には、高齢化の終焉がほぼ確実に訪れる。第一次・第二次ベビーブームの後に第三次が訪れなかったため、今後の高齢者数は減少に転じる。

 これまで拡大し続けてきた介護需要も、縮小に向かう。需要増大と減少という大きな変化にどのように対応すべきかを考えることが、本書の主要な課題の一つである。介護保険もまた導入から四半世紀が経ち、これまでの歩みを振り返り、これから進むべき道を考えるべき時期に差しかかっている。

 この25年を振り返ると、最大の困難は、日本の高齢化が世界最速で進展し、常にフロントランナーであった点にある。その結果、日本は常に、独自の高齢化対策を模索せざるを得なかった。

 そのような日本の状況を整理するため、本書で我々が扱う対象は多岐にわたる。我々が最も注視するのは、地域の変容である。高齢者や要介護者の生活の場としての地域は、介護政策を考えるうえで重要な役割を持つ。高齢化と、都市への人口流入を伴う経済成長とが同時に起こったことで、日本では都市部と非都市部との状況が乖離してきた。すでに人口減少局面を迎えている地方と、人口集中が続く都市部が併存している状況で、それぞれに合わせた政策を本書は模索する。

 また、高齢化とともに家族の在り方も変化してきた。以前は子と同居している高齢者が多かったのに対し、現在では未婚やチャイルドレスといった、そもそも子供がいない高齢者が増加している。高齢者と子との関係についても、介護を理由とした同居など、高齢化が重要な要素として現れてくるようになった。こうした変化は地域によって異なる形で現れている。

 市場の役割も無視できない。介護保険によって提供されるサービスでは、介護報酬を政府が定めることによって価格が統制される一方、供給者として営利企業も参入できるという形をとってきた。介護サービスの立地の分析から、この25年で独特な民間ネットワークが形成されていることが明らかになる。こうした民間活力をさらに活かすことも、介護政策の将来を考えるうえでは不可避である。

 非欧米諸国に目を向ければ、韓国や中国をはじめ多くの国々が日本と同様に少子高齢化を迎えつつある。しかしこれらの国と比較すれば、日本は高度成長の先頭走者として相対的に時間があるなかで、介護保険を中心に制度的対応を積み上げてきた。その結果、現在日本の介護政策には、これからの重度要介護者の増加への対処はもちろん、その後の需要減少期におけるソフトランディングをも達成するための余地があるものと思われる。

 筆者(菅原)はもともと統計学で博士号を取得した研究者であったが、共著者の中村氏に誘われてこの分野の研究を始めてから、すでに15年ほどが経過した。介護保険が走りながら変化し続けるなかで、分析すべき制度や、分析を可能にするデータが次々と現れ、これまで研究テーマに困ることはなかった。個別論文では、どうしても介護政策全般ではなく制度の細部が対象となる。しかし一見近視眼的な研究の積み重ねも、徐々に視野を広げてくれたと感じられる。本書後半の政策に関する議論は、そうして蓄積されてきた視座に基づくものも多く含まれている。

 また研究に際して、日本各地を訪れ自治体やサービス提供者の現場の声に触れてきたことが重要であった。個別論文には反映できなかった知見が多いのだが、確実に筆者の血肉となり、視野を広げる糧となっている。本書の一つの目的は、介護政策を通して今後の地方の在り方を考えるということであるが、このような視点は現場の方々へのヒアリングなしには得られないものであった。この場を借りて、ご協力いただいた方々に心から感謝申し上げたい。

 本書はこうした現場的視点を取り込むことで、経済学者の著作としては広い視野を備えていると自負している。地域の在り方は日本の在り方でもあり、このようなスケールの大きい課題を扱うのは容易なことではない。しかし、これまで我々が考えてきたすべてではないが多くのことを、本書に込めることができたと考えている。介護政策が再び新しい時代を切り開いていくために、本書が一定の指針となれば幸いである。なお本書における実証分析は、5章を除いて書き下ろしである。

 本書は、JSPS科研費20H01514(中村・菅原とも)、24K04932(中村)、21K01548(菅原)の助成を受けた。実証分析にあたり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブ、介護労働安定センターから「介護労働実態調査」、厚生労働省から「中高年者縦断調査」「国民生活基礎調査」の個票データの提供を受けた。

 また、最後になってしまったが、出版不況のなかで本書のような専門的内容の本を刊行していただいた日経BP、および、出版に際してご尽力いただいた編集部堀口祐介氏に謝意を表したい。

  2026年3月

菅原 慎矢

【目次】

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