その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中島恵さんの『 中国人は日本で何をしているのか(日経プレミアシリーズ) 』です。「プロローグ」をお届けします。
【プロローグ】日本で働いていて、日本と日本人について思うこと
あの頃の日本はすごかった
「日本で働いて三〇年以上。お世話になった日本人は数知れません。大学時代にアルバイトした工事現場の人や、新入社員のときの上司には感謝の気持ちでいっぱいです。来日したのは一九九一年。すでにバブルは崩壊していましたが、それでも当時の日本は活気があって、洗練されていて、キラキラと輝いていました」
五〇代の在日中国人男性は話を続ける。
「朝の通勤ラッシュ、東京駅の改札を出ると、会社員が猛スピードで高層ビルに向かっていきます。その波についていこうと必死でした。日本人は真面目で、他人が見ていなくても手を抜かない。自分も彼らのように努力しようと思いました。あの頃は若かったし、終電近くまで働きました。まさに当時流行ったテレビCMのフレーズのように『二四時間戦っている』感じでした」
また、来日して二〇年以上になる四〇代の男性は、日本企業に入社した当時のことをいまも鮮明に覚えている。
「始業時刻の午前九時に出社したら、上司に注意されました。同僚は八時や八時半から仕事の準備をしていたんです。このとき、日本人の仕事に対する姿勢を初めて知りました。出社後にデスクで朝食を摂る人がいる中国では、そんなことはあり得ない。最近は若手に厳しく接する日本人が減りましたが、昔は上司がいろいろなことを教えてくれましたね」
大学病院の看護師になった中国人女性は、新人の頃の苦い思い出を話してくれた。
「手術室の片づけが終わらずサービス残業をした、と日本人の友人にぼやいたら、『あなたが慣れていないから時間がかかっただけ。そういうのはサービス残業とはいわないよ。もしそうだとしても、その言葉はあまり遣わないほうがいいね』と諭されました」
友人の忠告で仕事への向き合い方、言葉の遣い方を反省したと彼女はいう。時間外労働に対して残業代が支給されなかったのであれば、それは間違いなく「サービス残業」なのだが、これも当時の日本の「職業観」が思い起こされるエピソードである。
さりげなく優しくしてくれた日本人
四〇代後半の女性、徐方さんは留学生として来日したとき、喫茶店でアルバイトをしていた。帰り際、この店のマスターがいつもサンドイッチを包んで徐さんに渡してくれ、それを夕食にしていた。
「残りものだから気にしないで、といってくれましたが、いま思えば違ったかもしれません。日本人の優しさはさりげなくて、ときには気がつかないこともあります。でも、そういう助けがなかったら、経済的な理由で私は留学生活を諦めていたかもしれません。日本の物価は高くて、やりくりが大変でしたが、日本人は皆、とても親切に接してくれました」
二一年の東京オリンピックや二五年の大阪・関西万博で同時通訳をつとめたほか、日中の企業のビジネス通訳、イベント通訳、司会などで幅広く活躍する林媛さんは、山東省から交換留学で来日していた二〇年以上前、埼玉県内のスーパーマーケットでレジ打ちのアルバイトをしていた。
「『あなたはいつも笑顔なのがいいね』と常連の女性から声を掛けられて、自宅に招待されました。彼女は中国語を勉強していたのです。その後、日本の家庭料理や梅酒の漬け方を教わったりしました。のちに、その方は有名企業の社長の奥さんだと知りました。お子さんがいなかったようで、お祭りには浴衣を着せてくれたり、まるで我が子のように可愛がってくれました。残念ながら亡くなってしまったのですが、彼女のことを思い出すと、私はいまも胸が熱くなります」
アルバイト体験が社会の窓口だった
二〇~四〇年前に来日した四〇代以上の在日中国人のほとんどは、当時、日本語学校や大学に通いながらアルバイトをしていた。居酒屋、中華料理店、コンビニ、スーパー、工場など職種はさまざまだが、日本人が徹底的に仕事を教えてくれたというのは、誰もが口にする共通点だ。
当時の中国には「マニュアル」らしきものがなかったという。日本で受けるサービスに「個人差」があまりなく、クオリティが高い理由をアルバイト経験で知ったと語る人もいた。働くことで、学校では学べない「生きた日本語」を覚え、顧客に接する言葉遣いが身についたという人もいる。
中国の都市部では、サービス業や肉体労働は出稼ぎ労働者が担っていて、学生のアルバイト先は家庭教師くらいしかない。九〇年代に来日したある中国人は、「日本では学生が当たり前に働くことに驚きました。最初は『学生の本分ではない』『だから日本の学生は勉強しないんだ』と思っていたけれど、アルバイトは貴重な人生経験であり文化。だから日本人は中国人よりもいろいろなことを知っているのだ、とわかりました」と語る。
大学で勉強するだけで見ることができる日本社会は、ごく限られた範囲に過ぎないが、アルバイトをすることで日本人との距離がぐっと縮まったと語る「かつての留学生」は多い。
東京大学の大学院で学んだ、現在六〇代の男性は、学生時代にアルバイト先の建設会社で効率的な作業方法を考案して社長に認められ、「うちに就職しないか」と熱心に誘われた。結局、金融機関に就職したが、今でもその社長とは付き合いがあるという。
第2章で紹介する「京未来」代表取締役の徐維さんは、北九州の日本語学校に通いながら日本の大学を目指した。当時、アルバイトをしていた食肉加工会社の社員たちにとても可愛がってもらった。京都大学に合格したときには家族のように喜んでくれ、「徐さんがいなくなるのは寂しいけれど、京都でがんばって」と社員総出で温かく送り出してくれた。
徐さんは日本語学校の恩師と現在も連絡を取り合って、悩みがあると会いに行き、他愛もない話をして、自身の原点を振り返る。当時の「いい思い出」があるから、東京でつらいことがあっても耐えられるという。
このように、一九八〇~二〇〇〇年代前半までに留学目的で来日した中国人の多くが、当時の日本や日本人に対して「いい思い出」を持っている。むろん、いじめなど、つらい経験をした人もいるが、それも含めて「人生で最も貴重な時間だった」という。
だが彼らの目には、現在の日本や日本人は変質しているように見える。
「優しさが失われてきた」「精神的な余裕がない」「あまり真面目ではなくなった」「一生懸命さが足りない」「リスクを取らない」「働かない」「道でぶつかっても謝らない」……。
こちらから尋ねない限り、彼らは積極的に語ろうとはしないが、いまの日本について残念な言葉が並ぶ。
来日目的が多様化している
七二年、日中は国交正常化したが、中国からの出国は非常に難しく、本格的に留学できるようになった八〇年代前半、日本に留学できるのは政府関係者の子弟や、国費留学生などごく限られたエリートだけだった。
八〇年代後半以降になると、私費留学生や出稼ぎ労働者が増えた。当時、中国のGDP(国内総生産)は日本の約一〇分の一。経済格差が大きく、来日後は同郷の人を頼り、アルバイトをしながら日本語学校や大学に通った人が多い。
「苦労して日本人の保証人を見つけなければ、アパートにも住み続けられなかった」という話もよく聞く。外国人が賃貸住宅を借り、日本語学校に通うのは(現在でも難しいが)いまよりずっと困難だった。
四〇年近く前、一〇代後半~二〇代前半で来日した人々は、母国よりも日本で過ごした年月のほうが長い。この第一世代以降、在日中国人の人口はほぼ右肩上がりで増えている。
法務省の統計では、二五年一二月末に約九三万人と過去最多を記録した。これは和歌山県の人口(約九〇万人。二五年一月現在)を上回る。日本国籍取得者などを含めると一〇〇万人規模に上る。その約三分の一、約三〇万人が東京都に居住する。
かつては留学と労働目的の人々が多かったが、一五年の「爆買い」ブーム以降は多様化している。円安などの追い風もあって、日本で不動産投資をする人が増えた。
二〇年からのコロナ禍で波はいったん止まったものの、中国政府によるゼロコロナ政策への不満が噴出。不動産不況の長期化、資産保全、子どもの教育に対する不安などを考えて、中国脱出を目的として日本に移住する、いわゆる「潤(ルン)」する人が急増した。
最近、来日する人の一部は、日本で起業するための在留資格「経営・管理」などを取得。一五年からの一〇年で、その資格取得者は三倍近くに増加している。年齢は三〇~五〇代が多い。かつてとは異なり、来日の目的が多様化しただけでなく、来日時の年齢も一〇代から七〇代とかなり幅が広くなった。
さまざまな仕事とさまざまな生き方
近年、あらゆる階層の中国人が比較的簡単に旅行や移住をするようになった結果、「日本の治安が悪くなった」と感じる日本人もいる。
二四年の来日外国人(永住者やその配偶者などを除く)の検挙状況を国籍・地域別に見ると(警察庁の統計)、中国人とベトナム人の二カ国だけで件数は全体の六割、検挙人数は約半数を占める。
のちに詳述するが、運転免許証の外免切替制度の利用者は中国人が最も多く、SNSの発達により白タク問題に結びついたりもしている。TOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)の不正受験なども報道されている。首都圏では(実態はともかく)「中国人が投資目的で不動産を買うから日本人が買えなくなった」と感じる人が増えた。
しかし、当たり前だが、大多数の中国人は日本で、ごく普通に(日本人と同じように)生活している。真っ当に生きているからこそ、報道の対象とはならない。犯罪や不正が目立つように感じるのは、前述したように日本で暮らす中国人が増えているからだろう。
では、日本に住む中国人は、日本で何をしているのか。
職業はさまざまだ。中国人が就く仕事というと、かつてのイメージで、調理師やマッサージ師を思い浮かべる人が多いかもしれないが、前著『日本のなかの中国』でも取り上げたように、会社員をはじめ、医師、弁護士、会社経営者、中国企業の駐在員も増えている。日本人相手に日本語のみで、あるいは日中それぞれに住む中国人を相手に中国語だけで仕事をする人もいる。来日時期や年齢、学歴もさまざまで、一口にその傾向を述べることは以前にも増して難しくなった。
本書では、多様になった在日中国人の「仕事」について、多くの取材をもとにその実態を紹介する。
第1章では生命保険会社、システム開発会社など日本企業で働く中国人を取り上げる。これらの業界に限らないが、「中国人に支えられている日本企業」がいま大企業、中小企業を問わず増えている。
第2章では、日本で起業した人たちを取り上げる。中国人はとかく「社長」と呼ばれることを好む。中華料理店や不動産会社などの経営者が多いが、コンビニ、キャッシュレス決済サービス会社など意外な会社もあり、東京証券取引所に上場する企業も出てきた。
第3章では、彼らの「商才」「商魂」に注目する。中国は「商人の国」、日本は「職人の国」とよくいわれるが、日本に住んでいても、そのDNAは変わらないようだ。
第4章では、違法まがい、あるいはグレーな商売に手を染める人の問題を取り上げ、その背景を紹介する。その半面、大多数の人はまじめに働いていることも解説する。
第5章では、在日中国人対して日本人が抱きがちな誤解や偏見について分析する。
中国人の「仕事」を理解する意味
本書執筆のため、さまざまな人から話を聞いた。その取材を通して浮かび上がってきたのは、今後の日本の労働力は誰が担い、誰が社会を支えていくのか、という問題だ。
日本は急激な人口減少に直面している(中国も同様だが)。国立社会保障・人口問題研究所の統計では、一九九五年の日本の生産年齢人口は約八七一六万人だったが、二〇二四年には約七三七二万人になった。この数は、今後も減少していくのは間違いない。
一方で、日本の人口(約一億二四〇〇万人)のうち、外国人が占める割合は約三%。これは二〇四〇年には一〇%を超え、二〇七〇年には一六%になると推計されている。
AI(人工知能)の発達などにより、産業や労働のあり方が大きく変化すると予測されている。それでも人間の労働力すべてがテクノロジーに代替されることは、当面考えにくいだろう。そうだとすれば、外国人、とりわけ最大人口を占める在日中国人が日本で何を考え、どのように働いているのか。その実態を知ることには大きな意味がある。
ただし、日本で働く中国人にとって、景気やビジネス環境以外にも気になる問題がある。本書の冒頭で紹介した五〇代の男性は、二五年一一月、就任間もない高市早苗首相による台湾有事に関する国会答弁をきっかけに、日中関係が急速に悪化したことを懸念する。
「私の仕事には直接影響しませんが、(在日中国人の)飲み会では話題に上ります。インバウンドなど旅行関係者の多くが困っています。貿易会社にも影響があるようです。
政治の話は誰もSNSには書きません。(中国人の)誰が見ているのかわからないので、いつ、どのように攻撃されるかもしれないからです。同じ中国人でも皆意見が違うので、私も敏感な話は親しい人にしかしません。日本人の同僚も私に気を使っているのか、日中関係の話はしませんね」
次に紹介した四〇代の男性はこう話す。
「二五年末、中国政府が日本への渡航自粛を要請すると、来日経験のない知人は『日本の治安は大丈夫か? 中国人がひどい目に遭っていないか?』と聞いてきます。一度でも旅行した人は『日本は中国より治安がいい』と知っているのでそんなことは聞きません。
日中関係が悪化するたび、はざまに立つ私たちは翻弄されますが、日々の生活に大きな支障はありません。この先、日中関係がさらに悪化するのか、東アジア情勢が大きく変化するのかわかりませんが、自分にできることをしっかりやるしかありません」
日本に住む中国人は「政治」の動きに戸惑い、翻弄されながら、それでも力強く生きている。私たち日本人は、これから彼らとどう付き合っていけばいいのか。本書を通して、この国の将来について考える一助となれば幸いである。
【目次】





