その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はフェリス・ジャブル(著)、ヤナガワ智予(訳)の『 大地球史 生命が地球をつくった 46億年の新しい進化史 』です。
【はじめに】
子どものころ私は、自分が天気を変えられると本気で信じていた。カリフォルニアの田舎で育った幼少期、夏になれば庭の草花は干からび、道路のアスファルトは裸足(はだし)で歩けば間違いなく火傷(やけど)するほど高温になる。そんなむせ返すような暑さの日はよく、画用紙に青いクレヨンでもくもくと分厚い雨雲の絵を描いて庭の真ん中に置き、その周りをぐるぐると歩きながら、ホースの水と枯れ草を混ぜた「魔法の薬」を振りかけていたものだ。雨乞いのまじないのつもりだった。雨の日には定番の「雨、雨、あっちいけ」の歌を、「雨、雨、こっちこい」と言い換えて呪文のように唱えながら──。
成長するにつれ、気象について本当のことがわかってきた。学校の授業で、湖や川や海から蒸発した水分が上昇気流に乗って大気中に運ばれ、冷やされて凝結し、ごく小さな水滴──雲粒になることを学んだ。この空中を漂う雲粒どうしが衝突して合体し、浮遊する塵(ちり)などを巻き込みながら成長し、やがて綿のようにふわふわしたかたまりを形成する。それが雲。その雲が重さを増して上昇気流では支えきれなくなったとき、雲粒は地上へ落下するのだ。雨とは、大気の物理的プロセスで必然的に生じる現象であり、人類やそのほかの生き物が受動的に受け取る「天からの贈り物」なのだ、と教わった。
ところが数年前、私は、自分の気象に関する考え方を完全に変えてしまうような、それどころか、地球自体に対する認識をもひっくり返すような、驚きの事実を知った。子どものころ以来めったに味わうことのなかった、とてつもない感動や可能性へのわくわく感を取り戻せたような、そんな気分になったほどに。私が驚愕(きょうがく)した事実、それは、地球上の生命体は雨に対して受け身であるだけではないということ──実は生命は、自らも雨を呼び起こしていた。
たとえば、アマゾンの熱帯雨林。アマゾン一帯には、毎年2500ミリメートル近い雨が降る。中には、1年間の降雨量が4000ミリメートルを超える場所もあるという。アメリカ合衆国本土全体の年間平均降水量の、実に5倍を上回る雨が降るのだ。これほど大量の雨が降るのは、さまざまな地理条件が重なった結果というのがひとつにある。赤道直下の強い日差しが海面や陸地からの水蒸気の放出を加速させ、貿易風が海から湿った空気を運び込み、南北に横たわる山脈はその流れ込む空気を上昇気流に変えて冷却・凝結させる。熱帯雨林は、雨が多く降る場所に生まれるのだ。
しかし、それは事実の半分にすぎない。落ち葉などが堆積する森林の林床の下では、植物の根と糸状(しじょう)菌との広大な共生ネットワークが築かれ、土壌から吸い出した水分を幹、茎、葉へと送り込んでいる。そうして潤ったアマゾンの4000億本近い樹木は、過剰な水分を放出し、毎日200億トンの水蒸気で大気を満たし飽和状態にする。同時に、あらゆる種類の植物が塩分を分泌し、刺激臭のあるガス状の化合物を排出している。カクテルの飾り傘のような可愛(かわい)らしいキノコや、ドアノブのようにずんぐりしたキノコが、胞子の煙を噴き出し、風が細菌や花粉、葉や樹皮の破片を大気中に巻き上げる。微生物や有機残留物を多く含んだ森林の湿潤な息吹には、雨を生むのに理想的な条件が詰まっているのだ。空気中に水分が豊富にあり、かつその水分の凝結を助ける微粒子が非常に多いため、雲がすぐに形成される。浮遊細菌の中には水滴が凍るのを促進するものもあり、それによって雲はさらに大きく重く成長し、決壊しやすくなる。アマゾンの森林は、通常、1年間の降雨量の約半分を自ら生み出しているのだ。
さらにいえば、アマゾン熱帯雨林は、その樹冠の上の天候のほかにも、はるかに多くのことに影響を与えている。この広大なジャングルが放出する水、生物遺体[動植物の死骸や破片などの有機残留物]、微小な生命体のすべてが、空中に巨大な川を作り出す。熱帯雨林の中を蛇行して流れる川に沿うようにして、上空に現れる水蒸気の帯だ。この空飛ぶ川は、南米大陸全域の農地や都市に雨をもたらす。アマゾンの熱帯雨林は、長距離まで届く大気の波及効果によって、遠くカナダにまで雨を降らせていると結論づけた科学者もいる。ブラジルに生えている木が、マニトバ州の天気を変えることだってあるのだ。
この、アマゾンの知られざる雨召喚の仕組みは、地球上の生命にまつわる従来の通説を揺るがすものだ。これまで、生命は環境に左右されると考えられてきた。もし、地球が適切な大きさと年齢の恒星を周回していなければ、もしその恒星からの距離が近すぎたり遠すぎたりしていたら──もし、安定した大気と液体の水と、有害な宇宙線を緩和する磁場がなかったら、地球に生命は存在しえなかった。地球上で生命が進化できたのは、この星が生命の存続に適しているからだ。ダーウィンの進化論以来、時代時代で主流となった科学的概念においても、環境からの刻々と変わる要求が、生命の進化のしかたに大きく影響することが強調されてきた。生息環境の変化にうまく順応できる種が最も多くの子孫を残し、できない種は絶滅する。
しかしながら、この真実には、あまり評価されていないもう1つの側面がある。それは、生命もまた環境に変化をもたらす、というものだ。20世紀半ば、生態学が正式な学問の一分野として確立すると、こちらの事実も西洋の科学界で広く認識されるようになった。とはいえ、その焦点は、ビーバーが作るダムによる影響やミミズによる土壌改良など、比較的小規模で局所的な変化に当てられていたにすぎない。あらゆる生物が各々の生息環境を劇的に変える可能性があり、微生物も真菌(しんきん)類も、植物も動物も、1つの大陸のみならず地球全体の地形や気候を変化させうるのだという考え方は、真剣に考慮されることはほとんどなかった。「地球上の植生や動物の姿と習性は、その大部分が環境によって形づくられてきた」。レイチェル・カーソンは、1962年に出版した著書『沈黙の春』[新潮社・1974年刊]にそう書いていた。「地球誕生から今日までという膨大な時間で考えるなら、生命体が実際に周りの環境を変化させたという逆方向の影響はごくわずかであった」、とも。エドワード・O・ウィルソンも、2002年の著書『生命の未来』[角川書店・2003年刊]で同様のことを述べている。「ヒトは、地球物理学的影響をおよぼす力となっており、この星の歴史上その不名誉を獲得した初の種となった」
アマゾンの“雨乞いの舞”について初めて知ったとき、私は興奮を覚えるとともに困惑した。植物が地下から水を吸い上げ、大気中に水蒸気を放出することは知っていた。しかし、アマゾンの木々、真菌類、微生物が一緒になって、雨林という名称の由来となった大量の雨を呼び起こしており、ある大陸の生命体の活動が別の大陸の天候を左右しているという事実は、あまりに衝撃的だった。アマゾンの熱帯雨林が、自力で散水する庭園だったとは……。私は、このことにすっかり魅了されてしまった。アマゾンのような巨大な生態系でそれが可能ならば、もっと大きな規模でも同じことが起こりえるだろうか? 生命はその歴史を通して、いかにして、どの程度まで、地球を変えてきたのだろう?
私は、これらの問いへの答えを探るなかで、生命と地球との関係に対する科学的な認識が、ここ数年のあいだで大きく塗り替えられつつあることを知った。長年の定説とは裏腹に、生命は地球の歴史を通して圧倒的な地質学的影響力となっており、氷河や地震や火山に匹敵する、あるいはそれを凌(しの)ぐ威力を発揮してきたのだ。過去数十億年にわたり、微生物からマンモスまで、あらゆる生命体が陸と海と大気を変容させ、宇宙の軌道を周回する岩石のかたまりを、私たちが知るこの世界へと作り変えてきた。生物は、その生息地で不可避的に起きる進化プロセスの生産物であるだけでなく、その環境の調整役であり、自身の進化に自発的に関わってもいる。私たち人類もほかの生物も、地球の住民である以上に、地球そのものなのだ。この星のからだから誕生した命であり、この星全体の生態系を循環させる原動力なのである。地球と生物は密接に結びついており、一体のものとして捉えることができる。
この新しいパラダイムの到来を示す証拠は、私たちの身の回りのいたるところで見てとれる。しかし、その大半はごく最近になって発見されたもので、利己的遺伝子やマイクロバイオームの概念に比べれば一般の意識に浸透していない。およそ25億年前、シアノバクテリアという海洋微生物が光合成を始めたことにより、地球は一変した。大気が酸素で満たされ、空がおなじみの青い色調になり、有害な紫外線を吸収するオゾン層が形成され始めたことで、生物が海から陸へ進出できるようになったのだ。今日、植物をはじめとする光合成生物は、大気中の酸素濃度を、複雑な生命の維持に十分なほど高く、しかしわずかな火花で引火して地球を火の玉にしない程度に保ってくれている。微生物は、多くの地質学的プロセスにおいて重要な役割を果たしており、地球の鉱物が多様性に富んでいるのも、微生物の存在によるところが大きい。科学者の中には、大陸の形成に欠かせない要素だったと考える者もいる。海洋プランクトンは、ほかのすべての生命体にとって不可欠な化学物質の循環を促し、水蒸気を放出して雲量を増やし、地球の気候を修正してきた。ケルプの森やサンゴ礁、貝類、エビ・カニなどの甲殻類は、大量の炭素を取り込んで海の酸性化を緩和するだけでなく、水質を改善し、過酷な天候から海岸線を守ってくれる。また、ゾウやプレーリードッグからシロアリまで、多種多様な動物がこの星の地殻を絶えず作り変え、水や空気や栄養素の流れを促進して、何百万もの種の繁栄を促してきた。
人類は、地球を変貌させた生命体の中でも近年で最も極端な例である。ある意味、地球史上最悪の例といえるかもしれない。先進工業国は、太古のジャングルの動植物や海洋生物などの炭素を豊富に含んだ死骸を化石燃料というかたちで採掘して燃やし、また生態系を破壊し劣化させることで、二酸化炭素(CO2)やそのほかの温室効果ガスを大気中にあふれさせ、地球の気温を急速に上昇させた。その結果、海面は上昇し、干ばつや森林火災が頻発し、嵐や熱波が激化して、最終的には何十億もの人々や、人類以外の無数の生き物を危険にさらしている。気候変動阻止に向けた社会的および政治的な対策が進まない数ある理由の1つは、「人類には地球全体に影響をおよぼすほどの力はない」という頑(かたく)なな考え方だ。実のところ、そうした力を持つ生物は人類だけではない。地球上の生命の歴史は、生命が地球を作り変えてきた歴史なのである。
私は、地球と生命体との相互依存について研究するなかで、「地球は生きている」という古くから議論を呼んできた概念に何度も行き着いた。アニミズム思想[森羅万象に魂や精霊が宿るとする思想]は、人類最古かつ最も遍在する信仰ともいわれている。歴史を通して、多様な文化が、この生命と精神の概念を地球とその構成要素にも広げてきた。数々の宗教において、地球は神、多くの場合は女神として擬人化され、母性的あるいは怪物的、もしくはその両方と考えられている。アステカの人々は、トラルテクトリを崇拝していた。トラルテクトリは、鋭い鉤爪(かぎづめ)を持つ巨大な怪物の姿をした神で、ばらばらに引き裂かれた体がこの世界の山や川、植物となったと言い伝えられている。北欧神話では、大地を意味するヨルズという名の女神が、大地の化身でもあった。地球を巨大なカメの背中で育つ庭園と捉えた文化も複数ある。古代ポリネシア人は、天空の神ランギと大地の女神パパを崇(あが)めた。この夫婦神は互いに深く愛し合うがゆえに長らく抱き合ったままだったが、ついに子どもたちによって天と地に引き離された。それでも彼らは互いを求めて叫び続け、その叫びが立ち昇る霧となり、降り注ぐ雨となったといわれている。
神話や宗教から生まれた「地球は生きている」という考え方は、初期の西洋科学にも浸透し、何世紀にもわたって存在している。古代ギリシャの哲学者の多くが、地球をはじめとする惑星を、魂や生命力のある生き物と捉えていた。レオナルド・ダ・ヴィンチは、地球と人体の類似性を説き、岩石を骨に、水を血液に、潮の満ち引きを呼吸になぞらえている。近代地質学の礎を築いた18世紀のスコットランド人科学者、ジェームズ・ハットンは、地球を「生理機能」が備わり自己修復能力を有する「living world(生きた世界)」と表現した。その後まもなく、ドイツの博物学者で探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルトが、自然とは生物が「網の目のような複雑な織物」で結びつけられた「1つの生き物」であると説いた。
しかし、ハットンとフンボルトは科学者の中でも例外で、経験主義に固執する者たちからは特に異端視されていた。19世紀半ばになると、ヨーロッパの科学界では、たとえ比喩的であっても地球を生き物として表現するのは時代遅れと考えられるようになる。学問の領域は、より専門化され、還元主義的になり始めていた。科学者たちは、物質や自然現象を、具体的なカテゴリーに細分化して生命体と非生命体とを区別するようになったのだ。それと同時に、産業革命と植民地帝国の拡大の影響で、機械化、利益、征服などを背景とする言語や世界観を支持する風潮が大々的に広まった。地球はもはや、崇拝すべき巨大な生命体ではなく、搾取されるのを待つ非生物資源のかたまりとなった。
「惑星は生きている」という概念が、西洋科学の正典といわれるものの中で最も世間に浸透し最も長く語られることとなる「ガイア仮説」にたどりつくのは、20世紀後半になってからのことだ。イギリスの科学者であり発明家でもあったジェームズ・ラブロックが1960年代に提唱し、のちにアメリカの生物学者リン・マーギュリスとともに発展させた。ガイア仮説では、地球上のすべての生物と非生物は「生命にとって最適な生息地として自身を維持する力を持つ広大な存在の一部でありパートナーである」という考え方が提唱されている*1。この概念を通して考えるなら、地球は巨大なレッドウッド[セコイアの一種]のようだと、ラブロックは記している。樹木には、おもに葉と、幹、枝、根の中の薄い組織層などごく一部にしか生きた細胞が存在せず、成長した木の大部分は枯れている。同じように、地球の大部分は非生物の岩であり、生命を咲かせる皮で包まれている。少量の生きた組織片が木全体の生存に不可欠であるように、地球の生きた皮膚は、この星全体の維持に役立っている。
地球を生き物と表現した科学者はラブロックが最初ではなかったが、彼のビジョンの大胆さ、壮大さ、雄弁さが、称賛と嘲笑の渦を巻き起こした。彼は1979年、環境保護運動への世間の関心が高まるなか、ガイア仮説に関する最初の著書を出版している。ラブロックの考えは一般大衆の熱狂的な支持を得たものの、科学界からはあまり歓迎されなかった。その後数十年にわたり、科学者の大半がラブロックの仮説を批判し馬鹿にさえしたのだ。「ガイア仮説なんてものは、駅の雑誌売り場がお似合いだ。崇高な科学者たちの真面目な学術書をけがさないでもらいたい」。進化生物学者のグラハム・アーサー・チャールトン・ベルは、ある書評でそう書いていた。のちにイギリスの王立協会の会長となるロバート・メイも、ラブロックを「正真正銘の愚か者」とこき下ろした。微生物学者のジョン・ポストゲイトは特に辛辣だった。「ガイア──偉大なる地球、母なる大地! 命宿る惑星! 新聞雑誌がまたもやあれをまことしやかに取り上げるのを見て、あまりのナンセンスに顔を引き攣(つ)らせている生物学者は私だけだろうか?」
しかし、時が経(た)つにつれ、ガイアに対する科学界からの風当たりは弱まっていった。ラブロックの初期の著作では、地球の主体性を強調しすぎる主張がたびたび見られたために、生き物である地球が自身の状態を最適化したがっているという誤ったメッセージが伝わってしまっていた。それでも、ガイア仮説の本質──生命は地球を変化させるだけでなく地球の自己調節に不可欠な存在だという考え方──には、先見の明があったといえる。研究者の中にはいまだにガイア仮説という言葉に拒否反応を示す者もいるが、ガイアの真理は、地球システム科学の基本概念となっている。地球システム科学は、地球を構成する生物と非生物を、統合された1つのものと捉えて専門的に研究する比較的新しい学問分野だ*2。地球システム科学者のティム・レントンは、彼も彼の同僚たちも「今では生命と地球の共進化について、生命の進化が地球を形づくり、地球環境の変化が生命を形づくる、両方で1つのプロセスであると認識している」と記述している。
地球そのものが生命体であるという考え方は、いまだ物議をかもしているものの、この概念に賛同する科学者もいれば、柔軟に受け入れ始めた人も少なくない。「私たちの惑星(ほし)が生きているということに、疑問の余地はない」と、大気科学者のコリン・ゴールドブラットは言う。宇宙生物学者のデビッド・グリンスプーンも、地球は単に生命がいるだけでなく生きている惑星だと主張し、「これは明白な事実である。生命の誕生は、地球の上で起きたというより、地球そのものに起きたことだ。生物と非生物が密接に関わり合い影響をおよぼし合っている。この相互作用がなかったなら、地球は今とはまったく異なる星になっていただろう」と綴(つづ)っている。ガイア仮説を猛烈に批判していた者たちでさえ、考えを変え始めた。2020年、進化生物学者のW・フォード・ドゥリトルは、オンライン雑誌『Aeon』に寄稿したエッセイの中で心境の変化を語っている。「告白しよう──ガイア仮説に対する私の見解は、ここ数年でいくぶん変わってきている。私は当初から、ラブロックとマーギュリスの仮説にかなり批判的な態度を示してきたが、最近は彼らの主張にも一理あるのではないかと思うようになった」
「地球は生きている」説を毛嫌いする人たちの主張は、今も昔も変わらない──地球は生き物ではない。なぜなら、ほかの“本物の”生き物のように、食べたり成長したり繁殖したり、自然淘汰(とうた)を通して進化したりはしないから──。しかしながら、そもそも、生命が何かという客観的な基準や正確で普遍的に認められた定義などいっさい存在しない。代わりに、生物と非生物を区別するのに参考にできるそれぞれの特性が、教科書に羅列されているだけだ。それでも、両者を明確に分類することはできない。私たちが非生物と考えているものの中には、生物と同じ特性を持つものも多々あるし、その逆もまた然(しか)りだ。たとえば、火は燃料を消費するにつれ大きくなるし、水晶は高度に組織化された結晶構造を忠実に複製しながら成長していくが、ほとんどの人は、どちらも生き物だとは考えない。反対に、ブラインシュリンプ[ホウネンエビモドキ科の節足動物。別名アルテミア]や、クマムシと呼ばれる微小動物など一部の生物は、長期間にわたり何も食べず成長せず変化もしない完全に無代謝の休眠状態に入ることがあるが、それでも生き物とみなされている。大半の科学者は、細胞を乗っ取らない限り繁殖も進化もしないウイルスを生物の領域から除外しているが、同じように宿主なしでは生きられず子孫も残せない寄生性の動物や植物を生物と呼ぶことにはためらいがない。
生命とは、カテゴリーというよりスペクトル、名詞というよりは動詞である。物質の明確な分類でもなければ、物質の性質でもない。むしろプロセス、つまりはパフォーマンス。生命とは、物質の行動そのものなのだ。科学はまだ生命の正式な定義や基本説明を定めるにいたっていないが、過去1世紀に専門家の多くが支持したのは「生命とは、自己を維持するシステムである」という概念だ*3。生命というシステムは、必ず訪れるといわれる最大エントロピー[宇宙の温度が均一化され生命活動が維持できなくなる状態]という名の終焉(しゅうえん)に向かって突き進む宇宙の中で、ありえないほど高度な組織構造を維持するために、自由エネルギーを活用している。理論的には、どんな物質のシステムも、十分な複雑さとエネルギー供給があれば、生命と呼ばれる現象のひとつに加わることができる。私たちは、生命がさまざまな規模で発生するのだということを、もっと自然に受け入れられるようになるべきだ。生命は、細胞、生物、生態系、そしてそう、惑星にも起きている。
多くの生物と同じように、地球もエネルギーを吸収し、蓄え、変換している。組織化された構造、それを覆う膜、そして日々のリズムを有する体を持っている。地球の天然の要素から、岩や水や空気を絶えず貪欲に取り込み、変化させ、補充する無数の生物が誕生した。そうした生物は、単に地球の上に生息しているのではない。文字どおり、地球の延長なのである。もっといえば、生物とその生息環境は共進化によって密接に結びついていて、相互の持続性を高める自己調節機能として一体化することも多い。そうしたプロセス全体で、地球という惑星に呼吸、代謝、温度調節、そしてバランスの取れた化学反応といった、一種の生理現象をもたらしている。地球は、単一の生物でも、よくいうダーウィン的進化の産物でもない。それでも、地球は正真正銘の生命体であり、構成要素どうしが互いにつながる巨大な生命システムなのだ。
もしラブロックが彼の仮説に違う名前をつけていたなら、科学界の最初の受け止め方は、もう少し柔らかかったかもしれない。ラブロックは、1950年代に『蠅の王』[早川書房・2017年刊、新訳版]を著した友人ウィリアム・ゴールディングの助言を受けて、自身が主張する「地球は生命体」という概念を、地球の化身であるギリシャ神話の女神にちなんで「ガイア」と命名した。そのせいで、彼の理論には、擬人化を嫌う科学界のタブーを犯したという消えない烙印(らくいん)が押されてしまったのだ。ラブロックが意図したかどうかは別として、このネーミングは彼の理論に母性的な印象とある種の神秘性を与え、比喩的表現を嫌い宗教や神話のようなものはなんでも敵視する批評家たちの格好の標的となったのである。今、「惑星は生きている」という考えを21世紀に向けて再評価しよみがえらせるにあたり、古い名前を使い回したり新しい呼び名を考えたりする必要はもうない。私たちの惑星は、すでによく知られた名前を持つ特別な生命体だ。「地球」と呼ばれる生き物なのだ。
地球は、私たちが知る生命体の中でも最も大きくて最も複雑な形態であると同時に、最も理解するのが難しい存在である。単に機械にたとえるような比喩では、この星の生命力の強さや豊かさを捉えきれない。生息する生命体のほとんどが植物と微生物であることから、動物の体にたとえるのも適切ではなさそうだ。きっと地球を表現するのに完璧な比喩などないのだろうが、本書を執筆するなかで、私はこの「生ける地球」という概念を説明するのにちょうどよくて引き立て役にもなる比喩を見つけた。それは、音楽だ*4。
リン・マーギュリスが書いているように、生命(いのち)ある地球は「生物、それらが生息する惑星、エネルギー源である太陽、この三要素の相互作用から生まれた創発特性」である。音楽もまた、創発的な現象であり、譜面上の音符にも楽器の形にも、奏でる音楽家の巧みな手の動きにも、還元することはできない。それらすべての構成要素が相互に作用して生まれるのが、音楽なのだから。音が正しい並びで演奏され、ほかの音の並びと正しく組み合わされたとき、私たちはもう、単なる音の羅列を聞いているのではない。音楽を体験している。同じように、地球と呼ばれるこの生命体も、生物とその生息環境が互いに影響し変化し合う、非常に複雑な一連の相互作用から生まれている。
地球は、誕生から5億年ほどのあいだは、純粋に地質学的な構造物だった。最初に登場した生物がこの惑星の原始的な特徴とリズムに適応するようになると、生物も周りの環境を利用し始め、双方が互いを変化させていった。以来、生物学と地質学、生物と非生物は、切り離して考えることは不可能な、複雑な旋律の二重奏を奏でるデュオのような関係になっている。地球と生命体は、何億、何十億という長い年月をかけ、絶え間ない混乱を乗り越えて、深い調和を見いだした。地球全体の気候を調節し、大気と海洋の化学反応を調整し、水や空気や重要な栄養素を地球のさまざまな層で循環させている。巨大火山の噴火、小惑星の衝突、海の縮小、そのほか想像を絶する大災害が地球を幾度となく荒廃させ、そのたびに、長年確立されていたリズムは大きく崩された。しかし、私たちの生ける惑星は、毎回驚異的な回復力を発揮している。壊滅的な災害に見舞われたあとも自らを復活させ、生態系に新しい調和のかたちをもたらしてきた。
私たち人類を、はるかに大きな生命体の一部だと認識して、地球というオーケストラの一員として捉えることを学ぶと、地球に対する私たちの責任の大きさが、かつてないほど明確に見えてくる。人間の活動は、地球の気温を上昇させた、あるいは「環境に害を与えた」というだけではない。私たちが知る最大の生命体の生態バランスを著しく乱し、この星を危機的な状態に追い込んでしまっている。環境危機は急速に激化しその規模も甚大であることから、人類が介入しなければ、地球が自力で完全に回復するまでに数千年から数百万年を要するだろう。そして、その過程で、この星は私たちがこれまでに知っている世界とはまったく異なる世界、つまり、現代の文明や今私たちが依存している生態系を維持できない世界になってしまうだろう。
人類は、地球システム全体を研究し、それを意図的に変化させる能力を持つ唯一の生き物だ。しかし、これほどまで複雑なシステムを完全にコントロールしようとするのは、はなはだ傲慢といえるだろう。代わりに私たちは、地球に対する一方的な影響力を認めるとともに、自分たちの能力の限界を受け入れる必要がある。何をすべきかは明らかだ。気候危機の最悪の結末を回避するためには、裕福な工業国と脱工業化国が率先して、化石燃料をクリーンで再生可能なエネルギーに速やかに置き換える世界規模の取り組みを主導しなければならない。地球システム科学では、補完的なアプローチの重要性が強調されている。地球は、炭素を貯蔵して気候を調節するためのさまざまな手段を進化させてきた。過去数世紀にわたり、海洋と大陸、そしてそこに存在する生態系は、人類の排出する温室効果ガスの大半を吸収し隔離してくれていた。森林、草原、湿地帯、そして海底草原、深海平原、サンゴ礁を保護し回復させることができれば、それらによる地球安定化のプロセスが活性化され、長い、長い年月をかけて発達してきた生態系の同調性を維持することができる。
本書は、生命がどのようにして地球を変化させてきたかを探り、地球そのものが生きているということが何を意味するかを考察するとともに、私たちが暮らすこの世界を維持しているすばらしい生態系を讃(たた)える本である。この惑星がいかにして現在私たちの知る地球となり、それがなぜこれほどまで急速に、まったく違う世界に変貌しつつあるのか、そして、地球史上極めて重要な瞬間を生きる私たちは、私たちの子孫がこの先何千年と受け継ぐことになる地球の姿を形づくるために最終的に何ができるのかを、読者の皆さんとともに考えていきたいと思う。本書の3つの部門、「岩石」「水」「大気」は、地球の三大構成要素を指すと同時に、「岩石圏」「水圏」「気圏」という3つの主要領域を反映している。その順序は、それぞれの質量の豊富さに基づいている。地球は、水よりも岩石が圧倒的に多く、空気よりもはるかに水が多い。各部門は3つの章に分かれており、最初の章は、地球で最古かつ最小の生物である微生物がその生息層をどのように変化させたかを検証する。2つ目の章は、微生物に続いて登場した真菌類、植物、動物など、より大きくて複雑な形態の生命体がもたらした重要な変化に焦点を当て、それらの変化がそれ以前に起きた変化をどう利用していたかを解明する。そして3つ目の章では、比較的新しい歴史のなかで、人類がいかに急速に地球環境を変えたかを振り返り、地球との関係を改善するための最善策を探る。
私たちの探検の旅は、地殻の奥深くから始まり、いくつかの大陸を渡り歩き、広大な水の世界に身を浸し、最後は3つの主要領域の中で最も幽玄で、上空1万キロメートル近くにまで広がる大気の層に到達する。その途中、海中の森を泳ぎ、動物たちが景観を作り変える実験的な自然公園を訪れ、樹冠と雲の中間にある観測所にも登るのでお楽しみに。そして、科学者、芸術家、発明家、消防士、洞窟探検愛好家、漂流物収集家など、多彩なバックグラウンドの魅力的な人物に出会い、生命ある地球の研究と保護に人生を捧(ささ)げる彼らの活動について学ぶ。また、45億4000万年という激動の歴史のなかで、地球の形成に重大な影響をもたらした出来事のいくつかにタイムスリップし、そこからどんな未来がありえたのかを想像してみたいと思う。そうして私たちは、アマゾン熱帯雨林の中心から自宅の裏庭の土にいたるまで、今日の地球のあらゆるところに生命の痕跡があることを、認識できるようになるだろう。
*2 のちにガイアと呼ばれるようになる概念をラブロックが初めて公の場で発表したニュージャージー州プリンストンでの会議から33年後の2001年、複数の主要な国際科学機関が「地球規模変動に関するアムステルダム宣言」に署名した。この宣言では、「地球システムは、物理的、化学的、生物学的な要素および人類で構成され、各構成要素間の複雑な相互作用とフィードバックによって成り立つ単一の自己調節システムである」と定義された。
*3 システム科学者は、システムを「全体で1つのものとして機能する構成要素の組織化されたネットワーク」と定義している。システムは、分子のように小さく単純なものから、宇宙のように広大で複雑なものまである。一部の科学者は、微生物であれ森林であれ、惑星であれ、どんな形態の生命体も、定義上は生命システムだと主張する。
*4 科学の世界では昔から、音楽に関係する比喩を取り入れる興味深い伝統がある。古代ギリシャの人々は、惑星の整然とした動きを「天球の音楽」と呼んでいた。弦理論では、「振動のパターンで宇宙の進化を調整する極小の弦」が存在すると仮定している。ゲノムは楽器に、遺伝子発現は歌にたとえられることが多い。また、英語で楽器のオルガン(organ)、臓器(organ)、そして有機体(生物、生命体、organism)という言葉は、すべて語源が同じで「機能する」という意味である。
【目次】


