その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。…が、本日の1冊、ジュリア・ケラーさんの『 QUITTING やめる力 最良の人生戦略 』は「はじめに」がありません。代わりに訳者・児島修さんの「あとがき」をご紹介します。
【訳者あとがき】
本書は、2023年4月に米国で刊行された『Quitting: A Life Strategy:The Myth of Perseverance-and How the New Science of Giving Up Can Set You Free』(タイトルを直訳すると、「“やめること”という人生戦略。忍耐神話の噓と、あきらめることに関する最新科学で自由になる方法」)の邦訳だ。
著者のジュリア・ケラーは、20代のときに味わった大きな挫折が、後にジャーナリスト、小説家、大学教師として活躍することになる人生の大きな転機になったという自らの体験をもとに、現代社会では「グリット(忍耐力、根性)」が過度にもてはやされ、「クイット(何かをやめること)」の価値が不当に低いものとされていることに大きな疑問を持つ。
そして、ピュリツァー賞受賞歴のある名ジャーナリストとしての敏腕を発揮して、大量の文献を渉猟し、科学やスポーツ、ビジネスなどをはじめとする幅広い領域の著名人に取材を敢行。さらには「やめて人生を変えた体験」を持つ大勢の一般人に話を聞くことを通じて、「やめること」が、私たちが生きていくうえで欠かせない行動であるにもかかわらず、なぜ悪者扱いされているのかという謎に潜む真実を鮮やかに解き明かしていく。
科学は「やめること」の背後に潜む複雑で高度なメカニズムを、ようやく解き明かし始めたばかりだ。たとえば野生動物は、栄養を得る、外敵から身を守るなど、生き延びるために必要な行動を優先させ、無駄だと判断したことは迷わずやめる。そうしないと自分の命が脅かされるからだ。
だが人間はなかなかやめられず、やめてもそれを後悔しがちだ。近代以降、ベストセラーとなった自己啓発書の影響もあって、「勤勉に働くことこそが成功のカギであり、途中で物事を投げ出せば人生が台無しになる」という価値観が社会に浸透するようになった。私たちは世間のプレッシャーのなかで、苦しくてたまらないのに無理をして何かを続けようとしている。だが多くの小説や映画で描かれてきたように、人々は「やめることに」に強く惹かれている。心の底で、「やめたい!」と願っているからだ。
私たちは、自分が思っている以上に運命や環境に翻弄されながら生きている。けれども、人間は運命の前でなす術のない非力な存在なのではない。私たちには、現状を変える力がある。その大きな切り札になるのが、「やめること」「あきらめること」「手放すこと」なのだ。
ただし、著者は闇雲に今の仕事や人間関係をやめることを煽っているのではない。「続けること」にも大きな価値があるし、今いる場所でも、考え方や行動を少し変えるだけで(本書の言葉でいえば「疑似的にやめる」だけで)、大きな変化は起こせる。それでも私たちは、「やめること」が自分を守り、新しい道を切り開くための大切な選択肢であることを忘れるべきではない。それは心の声に耳を澄まし、状況を客観的にとらえ、周りの人の意見に耳を傾けながら、勇気を持って一歩を踏み出すことなのだ。やめることは、創造的な行為なのである。
困難は、必ずしも乗り越えなくていい。始めたことは、必ず終わらせなければならないわけではない。やめたいときにやめられれば、人生の可能性が広がる。人は古いものを捨てて新しい何かに挑むとき、多くを学び、大きく成長できるのではないだろうか。
望む人生を送れていないのは、必ずしもあなたの努力が足りなかったからではない。「ここが自分の居場所だ。これが自分の生きる道だ」という確信が持てないのなら、進むべき方向を変えることは決して後退ではない。それは自分を愛することであり、一度きりの人生を、できる限り豊かにしようとする試みなのだ。
著者の一番のメッセージは、「続けるにしてもやめるにしても、自分の判断で選択できる。人生は、あなたの手の中にある」ではないだろうか。本書が、読者のみなさんがより良い人生を送るための一助になることを心より願っている。
児島 修
【目次】
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