その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジュリア・ケラー(著)、児島修(訳)の『 やめる 最良の人生戦略 (日経ビジネス人文庫) 』です。「プロローグ」から抜粋してお届けします。

【プロローグ】

本書の内容

 はっきりさせておこう。
 やめることが、常に正しいとは限らない。

 たとえば、パンデミックによって歴史的な数の離職者が発生し、大学でも中退者が過去最多に達した。2019年秋に米国の四年制大学に入学した学生全体のうち、実に4分の1以上が中退したことになる。中退率は前年より2ポイント増えて2012年以来の最高値となった。同じく、2020年のコミュニティカレッジの中退率も3.5%と高かった。このように教育機関をやめる若者が多い状況は、肯定的にはとらえられない。

 忍耐も、それ自体は悪いことではない。

 人生の試練や苦難を乗り越えるには、粘り強さが必要だ。しかし、「どんな問題でも忍耐力(グリット)があれば解決できる」と考えたり、忍耐力を発揮できない人を見下したりすると、自力ではどうにもならない問題で自分や他人を責めてしまうといった、悪しき結果を招きやすくなる。「やめること」は、一般的に考えられているような単純なオン・オフのスイッチではない。それは知的にも感情的にも高度で複雑な判断なのであり、だからこそ科学者たちは以前にも増して、人間の脳がどのようにそれを成し遂げるのかに強く興味を示しているのだ。

 最近、世界中の神経科学研究所で次々と画期的な発見がなされている。そのおかげで、ある行動が有益でないと判断した場合に生き物がそれをあきらめる方法についての理解がかつてないほど深まった。こうした発見は、薬物やアルコール、過食などの依存症や、強迫性障害、うつ病などによる苦痛を和らげるといった、異論の余地のない「やめること」に役立てられることが期待されている。

 本書では、ゼブラフィッシュ(ヒメハヤ)やミツバチ、ラット、フィンチ、カラス、ニワシドリなどの生き物がどのようにして「やめる行為」をしているのかを調べるための独創的な研究に注目する。加えて、人間に近い生き物についての研究にも目を向ける。有望だと思われていた新製品やビジネスが失敗したときに撤退しないことで生じる高い代償についても考察する(その好例として、セラノスやWe Workなどを取り上げる)。私たちが何かをやめるとき、親やパートナー、友人、上司、恩師など、愛する人たちを傷つけ、失望させる可能性があるという事実にどう対処するかについても考える。

 さらに、『もうこの仕事はうんざり(Take This Job and Shove It)』のようなカントリーバラードから、『白鯨』のような文学作品、『ザ・エージェント』のような象徴的な映画、『ハックス(Hacks)』などのテレビシリーズに至るまで、「やめること」がいかに大衆文化のなかでテーマとして頻繁に登場するかについても掘り下げる。なぜ「やめること」が描かれたシーンがこれらの名作のストーリーを盛り上げるうえで役立っているのかや、これらのシーンに対する反応を活用して自分自身への理解を深める方法についても考えてみよう。

 このほか、人生では運と確率が大きな役割を果たしていることにも目を向ける。私たちはその事実をあまり認めたがらない。なぜなら、自分で人生をコントロールしていると考えたいからだ。しかし、運悪く脱線する電車や墜落する飛行機に乗り合わせる人もいれば、健康的な生活をしていても重い病気にかかる人もいる。

 逆に、適当に選んだ宝くじが当たったり、免許更新の列でたまたま隣り合わせた人と運命の出会いを果たしたりする人もいる。つまり、私たちには良い手が配られることもあれば、悪い手が配られることもある。たいていの場合、成功するか失敗するかは忍耐力の問題ではなく、サイコロの目、つまりは純粋な偶然によるものなのだ。

 では、なぜナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』やノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方(ポジティブ・シンキング)の力』など、長年ベストセラーとなってきた自己啓発書は、「運命は完全に自分次第である」と主張しているのだろうか?

 なぜ、このようなメッセージは魅力的であり、そして危険なのか?
 本書では、こうした紋切り型のメッセージの裏側にある真実を突き止める。

 やめることを創造的な行為とし、今後の人生への出発点とした人たちの実例も紹介していく。文中には、「やめる──その瞬間」という、やめざるを得なかったときにやめた人たちが語る体験談をコラム形式で挿入してある。「やめた話」を聞かせてくれた人のエピソードもあれば、心から望むものを手に入れるために何かをあきらめた有名人の言葉を引用したケースもある。これらの短い証言は、誰かしら、あなたが直面したことがあるのとよく似たジレンマを抱えていたかもしれない人が、立ち止まるべきとき、ひと息つく時間、人生を見つめ直す時期、やめるべきタイミングに気づいた瞬間の記録だ。

 これらの啓示的なストーリーを読むことで、あなたは自分自身のこれまでの人生の分岐点となる瞬間や、転機となるポイントを振り返ることができるかもしれない。それによって、このようなタイミングが再び訪れたときに適切に決断するための準備ができる。その決断とは、何かをやめることなのかもしれないし、そうでないかもしれない。だがいずれにしても、それはあなた自身が自らの人生の状況に基づいて下す決断になる。どこか遠く離れた抽象的で画一的な「忍耐が一番」という理想に基づくものではない。

 各章の終わりには、「QUITTING許可証」と題した、あなたが次のステップに進むためのアドバイスがある。これらの提案は、「やめる」という戦略をうまく取り入れる際に役立つものになるだろう。あなたはこれからの人生で、遅かれ早かれ「やめるべきかどうか」という疑問に直面することになる。

 この疑問に直面したことがない人はいない。誰もが「やめたことリスト」を持っている。それはこれまでの人生で手放さなければならなかった、仕事や人間関係、趣味、考え、生き方などだ。私の場合、それはモーガンタウンでのあの耐え難い瞬間から始まった。でも、それが終わりではなかった。数年後、ケンタッキー州アシュランドで初めて新聞社で働いたときにも、同じようなことが起こった。業績評価は「Aプラス」だったにもかかわらず、私の給料が前任者であるスタンという男性の4分の1しかないことがわかったのだ。説明を求めると、編集長は驚いて言った。

 「スタンは家族持ちだ。ジュリア、君は21歳で、独身で、女性だろう?」

 それで終わりだった。
 編集長は聞く耳を持たなかった。だから、私はやめた。やめるのは2回目だったから、前回よりは少しだけ楽だった。でも、また夜に泣きぬれてタオルがびしょ濡れになった(「これからどうしたらいいの? バカなことをした! いや、そんなことはない。いや、やっぱりバカだ!」)。私はなんとかこの困難を乗り越えた。

 あの仕事をやめるのは、人生を台無しにしかねない決断だった。大事なことなので繰り返すが、人生の戦略として「やめること」を選んでも、それがうまくいくとは限らない。やめるということは、選択を間違うかもしれない恐れに直面しながら、自分で人生の主導権を握ることだ。そして突き詰めれば、間違った選択などはない。

 唯一の絶対的な間違いは、何も選択しないこと。何も選択しなければ、誰かに人生を決められることになるだけだ。

 科学者や学者、歴史家、そして多数の一般の人への「やめること」についてのインタビューを通じて、はっきりと浮かび上がったことがある。人が後悔するのは、何かをやめたことではなく、「やめるべきときにやめなかったこと」なのだ。

「やめること」は愛の行為

 では、本書が読者に届けられるものは何か? IKEAで売っている組み立て式のアイテムみたいな、DIYの「やめること」キットのようなものと考えてほしい。読者は、リビングルームだけでなく、人生全体を豊かにするための大切な道具を組み合わせてつくることになる。本書を読めば、「やめること」についての新しい考え方が手に入る。それは家族や仕事、心身の健康など、重要なことについて決断するための新たな判断基準になるだろう。根性や忍耐力を、新たな視点でとらえられるようにもなる。

 少なくとも本書が、根性(あるいはそれが欠けていること)が人生を評価する唯一の物差しではないことをあなたが考えるきっかけになれば幸いだ。「頑張りすぎなくてもいい、ひとりで背負い込まなくてもいいんだ」という、楽な気持ちになるためのヒントになればうれしい。

 困難は、必ずしも乗り越えなくていい。
 始めたことは、必ず終わらせなければならないわけではない。
 やめたいときにやめられれば、人生の可能性が広がる。
 やめることは、人生の豊かさを信じること。なぜなら、やめることは希望だから。
 それは明日について考えることでもある。やめるということは、そうせざるを得ないときに、何度でも、変われるということなのだ。

 楽しく生産的な人生の秘密は、よく言われるような根性や決意といった資質ではなく、軽快さにあるはずだ。それは柔軟さにあるはずだ。重たい荷物を下ろして身軽になり、未来に大胆に羽ばたくための「あきらめる」という行為にあるはずだ。胸を躍らせながら、新しい生き方を受け入れることにあるはずだ。

 大事なのは、やめどきを知ること。
 なぜなら、やめることは、愛の行為なのだから。

【目次】

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