その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はソール・パールマッター、ジョン・キャンベル、ロバート・マクーン(著)、花塚恵(訳)の『 THIRD MILLENNIUM THINKING アメリカ最高峰大学の人気講義 1000年古びない思考が身につく 』です。

【はじめに】──情報に圧倒されやすい時代を賢く生きる思考法

 この数十年のあいだに、インターネットに繋(つな)がった世界に暮らす私たちは、計り知れないほどの情報にアクセスできるようになった。リンクをクリックすれば、特定の健康状態を改善する治療の選択肢、太陽光発電機の組み立て方、マルタの政治史など、興味を持ったことに関する情報を瞬時に得られる。

 その一方で、情報があまりにも多すぎて、どう分類すればいいのか、どう評価すればいいのかわからないと感じるときがある。
 たとえば、社会科学分野を中心としたデータベースを提供するプロクエスト社は、「集めたコンテンツ量はいまや60億デジタルページに達し、6世紀ぶんの情報が網羅されている」と豪語する。しかもそこに含まれているのは、昔ながらの紙の情報だけだ!
 非営利団体インターネットアーカイブの「ウェイバックマシン」には、1996年以降のウェブサイトをはじめとするデジタル化された人工物がアーカイブされていて、その量は、1兆ページ近くのデジタルコンテンツ、数千万単位の書籍や音声データ、100万近くのソフトウェアプログラムにのぼる。

 これからますます、何を重視すべきかを決めることは難しくなっていく。技術的な情報や専門的な情報に加えて、矛盾する情報、不完全な情報、古い情報、偏った情報、誤解させる目的の虚偽の情報に誰でもアクセスできるようになったいま、啓発的でためになる情報を抜き出すだけでも大変だ。
「あの薬の研究は、製薬会社から資金提供を受けたものか?」
「あの真実味があるように思える製品レビューは、すべてAIによって作成されたのか?」
「あの統計から除外されているものは何か?」
「あの記事は、いったい何が言いたいのか?」
 というように、気がかりなことは尽きない。

 それに、専門的な情報を解釈するにあたって信頼できる意見を発信する専門家を見つけることも、よりいっそう難しくなってきている。
 専門知識があると主張する人は本当に大勢いて、あなたが認めている専門家を、ほかの人も認めているとは限らない。専門家のなかでも意見は分かれるし、不純な動機の持ち主もいれば、世間のことや当人の狭い視点の向こう側にある「現実」をわかっていない人もいるだろう。安心して信頼できる専門家は、どうすれば見つかるのか?

 賢明な判断を下す、意味のある行動をとる、問題を解決する、といったことを、個人として、グループとして、あるいは社会として行おうと思ったら、まずは現実を理解する必要がある。
 しかし、現実の理解が容易ではなく、現状を明確にしてくれると信頼できる専門家が誰かもわからなければ、別の方法を使ってその混乱を乗り越えるしかない。「直感に頼る」という人や、自分が「信じる」と決めたことが正しいと再確認できる証拠を探し求める人、自分が支持する人々と同じ立場をとる人もいれば、なかには、自分と反対の意見の人をけなすことで安心するという人もいるだろう。人は自分の聞きたいことを言ってくれる専門家を選んで相談を持ちかけるし、自分を混乱させる情報を拡散、伝達する輩に懐疑的な姿勢を見せる人を同志のように思う。それが科学者、学者、ジャーナリスト、コミュニティのリーダー、政治家などどんな立場の人であっても関係ない。
 このような対処の仕方は、公私にわたってうまくやっていく一助にはなるだろう。自分の意見と同じ人がいるとわかれば、一体感や帰属意識のようなものが生まれる。しかし、自分が聞きたいことに耳を傾けたところで、現実は明確にならないし、優れた決断を下す役にも立たない。それどころか、社会的、政治的に危険な状態を招きかねない。

「何も考えずに意思決定され、損する」ことは意外に多い

 この情報に圧倒される時代を、個人として、社会としてうまく切り抜けていくにはどうすればいいのか?
 混乱を回避し、思考の罠(わな)に陥ることを防ぎ、愚かな行為や考えをふるいにかけるにはどうすればいいのか?
 自分と異なる解釈をする人や、自分と異なる価値観を持つ人たちと協力して決断を下したり、問題を解決したりするにはどうすればいいのか?

 本書を執筆する物理学者のソール、哲学者のジョン、心理学者のロバートは、この「情報過多」の時代にあって、大きな問題を考えるときや有効な決断を下すときのアプローチを学生に習得させる活動に、10年にわたって取り組んでいる。
 3人の緊密な協力関係が始まったのは2011年のことで、当時すでに問題視されていた、何も考えずに政治主導で意思決定が行われる傾向を憂慮したのがきっかけだった。たとえば、その年の夏に国債を発行する上限の拡大についての議論が行われたが、それは議論というより宗教分裂の様相を呈し、簡潔でも効率的でもないどころか、「国の経済状況を改善する最善の経済政策は何か」という検証可能な質問すら持ち上がらなかった。ほとんどの意見において、賛成派も反対派も一様に、科学的思考の初歩的な原則を軽視もしくは無視していた。
 われわれ3人はしだいに、明晰(めいせき)に考えること、合理的に議論すること、協力し合うメリットを生かして意思決定を行うことに通じる原則をきちんと説明し、そのうえで習得させることはできないかと考えるようになった。

 それが実を結び、カリフォルニア大学バークレー校で「ビッグ・アイデア」というコースが誕生した。チームティーチングで複数の分野を網羅し、自然科学や社会科学の研究者が世界を理解するのに使う概念、ツール、アプローチのすべてを学生に教えることが目的だ。また、それらが日常生活にどう役立つかについても理解してもらうつもりでいた。個人、集団を問わず、論理的に決断を下すときや、日々直面するさまざまな問題を解決するときにも非常に役に立つからだ。
 喜ばしいことに、このコース注1は人気と成果の両方を獲得し、他大学でもさまざまな教員によって採用されている。われわれの授業を受けた学生は、彼らを取り巻く世界についての見方を改めるとともに、個人的な決断、社会の一員としての決断のどちらを行うときにも、新たに学んだアプローチを積極的に使っているようだ。
 また、疑問に思ったことを調べる力、得た情報や知識を評価する力、グループや社会の一員として立ち回る力も向上している。われわれはそんな彼らの熱心に学ぶ姿勢に刺激され、授業で教えたツール──に加えて、新しい概念やグループでの立ち回り方──を教室の外にいる学生やさまざまな年齢の人々に共有する方法を模索し始めた。

ツールとしての科学──その輝かしい実績と影

 いったい、世界はどこに向かっているのか。人々は進むべき道を見失い、自ら苦痛を招き、おまけに素晴らしい好機を逃している。それはひとえに、膨大な量の複雑で矛盾する情報にアクセスできるようになったというのに、それらの理解を助けるツールを手にしていないからだ。問題解決に取り組んでも、問題に関係する事実を明らかにできなければ、そこで行き詰まる。また、地域や政治での解決が必要な問題の場合は、事実について合意に達しても、問題が解決するとは限らない。
 私たち人間は、ロケット技術を考案して月へ飛んでいくことはできても、不確実な状況での対処の仕方や、対立する意見をとりまとめて合理的な決断の下し方がわかるとは限らないのだ。

 とはいえ、月への飛行を成し遂げたのは間違いない。人口が増え続けるなか、思考する種として何世紀にもわたって努力を重ねた結果、飢餓(きが)は劇的に減り、寿命は延びた。それに、いまや大半の人が魔法のようなコミュニケーションツールを手にし、無限に思える情報にアクセスすることが可能になった。
 であるならば、それらの実現を可能にしたものを使って、世界がいま抱えているパンデミック、気候変動、貧困といった問題を解決することもできるのではないか? 過去に見事に機能した知的ツールを活用できないのはなぜなのか?

 その理由のひとつは科学そのものにある。非常に専門的な情報や不可解な情報、一貫性のない情報、矛盾した情報の発信源が主に科学であることから、人々は混乱して科学に失望し、怒りすら感じるようになったのだ。科学に対する信頼は、近年になって損なわれ始めた注2。科学の成功を通じて人々はさまざまな楽園を思い描いたが、そのすべてを実現するだけの力は科学にない。それに、科学が成し遂げたことのなかには、社会、政治、環境に悪影響をもたらしたものもある。
 それらをはじめとするさまざまな理由から、科学は政治的な討論における二極化の象徴になった。要するに、科学が人々にとって難解なものになり、望まない悪影響をもたらすことがあるとわかり、政治的な対立に利用される対象となったことから、科学者に対する信頼、ひいては「科学注3」そのものに対する信頼が大きく失われたのだ。

 しかしながら、科学には、人類が追究してきた非常に厄介な疑問に対する知見(ときには答え)を提供してきた輝かしい実績がある。何千年にもわたって、難問の解決や問題への対処、よりよい生活の実現に貢献したのは事実だ。

 科学は人類の夜明けとともに生まれた探求の文化であり、何世紀にもわたって不可解な世界で矛盾する情報を評価し、知っていることと知らないことを区別してきた。科学者たちはその間ずっと、成功と失敗、大発見と大失態の両方から学び、新たな疑問に対処し、新たな問題を解決するツールに磨きをかけ続けたのである。

 そのツールは、測定器具、六分儀(ろくぶんぎ)、超衝突型加速器、コンピューターなどの物理的な道具にとどまらない。思考習慣、行動規範、方法、手順、標準、アイデア、原則、心構えといった、思考にまつわるツールも含まれる。

「科学者でない人」こそ、科学が役に立つ理由

 こういう思考ツールは知能の「ハック」的な役割を果たす。それらを使うと、多様な言語と文化が混在する世界のなかで、作業効率が向上し、成功する確率が高まるので、より信頼性の高い結果を生み出せるようになる。
 また、情報の評価や、知っていることと信じていることの区別に活用できるパラメーターにもなってくれるので、自分の盲点や偏見や制限を修正しやすくなるほか、解決できなさそうに思えても、あきらめずに粘れるようになる。
 それに思考ツールには、何世紀にもわたって集積された、人々が協力し合うこと、それも考え方が異なる人々が協力し合うことの本質的な価値(と必要性)に関する叡智(えいち)も織り込まれている。科学が大量のトライアル・アンド・エラーを必要とするのはいまも変わらないが、ゼロから始める必要はなくなった。少なくとも、昨日のエラーの一部を今日は回避できる。

 科学者を長きにわたって導いてきた思考ツールの大半は、科学以外の分野では使われていない。だが、それらは使うことができるし、使うべきだ。
 思考ツールは汎用性が高いので、もっと多くの領域や状況で役に立つはずだ。情報や知識を評価するとき、不確実な状況下で決断を下すとき、生活に影響が及ぶ問題を解決するときに、個人で、コミュニティで、地球規模で活用すればいい。
 というより、もっともっと多くの人が、思考ツールの活用にもっともっと慣れることが、この先何年、いや何世紀と人類と地球が繁栄を続けていくうえで不可欠だとわれわれは考えている。3千年紀を豊かに生き抜くためには、この千年紀に適した「3千年紀思考(サード・ミレニアム・シンキング)」が必要だ。

 私たちはいま、仕事やプライベート、政治にかかわる活動のなかで、健康上の問題、仕事の決断、社会政策や環境政策に関する決断をはじめとするさまざまな問題を抱えている。そしてそのほとんどに、高度な科学技術情報が関係する。
 本書では、そうした情報が何を意味し、何を意味しないかを論じるとともに、技術情報で解決できる疑問はどれで、解決できない疑問はどれか(感情的、道徳的、哲学的、精神的な疑問のうち、技術情報で解決できるものはどれで、解決できないものはどれか)を見ていく。
 とはいえ、本書で取り上げる科学の概念やツールは、扱う情報や解決したい問題が科学に関するものでなくても役に立つ。それどころか、複雑でつねに変わり続ける世界にあって、人との交流を営む日々の生活にも適用できる。
「あの大学院課程に、借金をしてでも行く価値はあるか?」
「この新たな膵臓(すいぞう)がん治療プログラムの研究調査に参加するべきか?」
「我が子の学習障害にとって、もっとも有効な介入策は何か?」
「有害な水生雑草に対し、除草剤の使用を市として承認するべきか?」
「学校の設備予算を使って太陽光パネルを設置するべきか?」
「自動運転車両について、州としてどのように規制するべきか?」
 科学のツールは、こうした複雑な問題を解決の方向に導いてくれるのだ。
 ツールの使い方を理解して活用したいからといって、ロケット科学の研究者になる必要はない。というより、科学者になる必要はまったくない。

現代人に不可欠な科学的思考を理解し使いこなす

 私たちはこれまで、ツールの適切な使い方に関する説明を十分に与えられてこなかった。科学的なアプローチは身近に取り入れられるものであり、日常生活のなかで具体的に役に立つのだと、明確にわかりやすく周知することが必要だ。その役割を果たすことが本書の目的であり、そのために、3人の筆者が専門とする、大きく異なる3つの分野の知識を活用したい。

 ジョンは哲学を引き合いに出しながら、疑問や不安に人々がどのように対処してきたか、そうした疑問や不安が現代ではどのように明確化されているかを模索する。また、科学者ではない人々のさまざまな視点を持ち込んで、報道される科学的調査が視聴者や読者の目にどう映るかも明らかにする。彼が話すエピソードは本当に面白い(本では彼のスコティッシュアクセントを伝えられないのが残念だ)!
 ロバートは人の行動について、社会心理学者の観点からの分析を提供する。現実に社会で起きた意思決定の実例とともに、公共政策や法案の作成に携わった彼自身の経験も語る。アメリカ軍が性的志向に関して実施していた「DADT(聞くな、言うな)」政策の撤廃、カリフォルニア州、ワシントン州、バーモント州における大麻の合法化などで政治家に協力したことから、彼には体験談が豊富にあるのだ。
 ソールは分野の垣根を超えてさまざまな科学者と共に研究をしていて、その内容は、宇宙の膨張といった銀河系にかかわるものもあれば、医療用センサーや気象観測といった身近なものもある。彼は、寄(よ)る辺(べ)なさを感じずにはいられないこの世界を人間味のあるものにしたいと考えていて、さらには科学者が行っていることに対する科学者の本音を世間に伝えることで、科学者でない人々にも、自分の行動に科学が関係していると自覚できるようになってもらいたいとも思っている。
 この3人が手を取り合い、みなさんの刺激になると期待して選んだ思考実験や、みなさんにも関係する日常生活の事例を取り上げながら、科学的思考に不可欠な要素を本書で楽しく学べるように努めた。

 パート1では、科学の世界で培われたカルチャーやツールに着目し、それを使いこなすことで、私たちが下す決断の指針となる「互いに共有する現実の理解が信頼できるものになる」ということを論じる。
 パート2では「蓋然的(がいぜんてき)思考」を取り上げる。不確実性に満ちたこの世界において、蓋然的思考は強力な武器になる可能性を秘めたツールであり、それを使ってこの不確かな世界を最大限に活用できるようになるためのテクニックを紹介する。
 そしてパート3では、「為せば成る」という姿勢について論じる。これは、科学者が大きくて複雑で解決に時間がかかる問題に取り組むときに活用してきた姿勢であり、強力な武器を2つ認めてもらえるなら、これがもうひとつの武器に相当する。「為せば成る」の精神の大切さとともに、その姿勢で問題を解決できるようになるためのコツも紹介する。

 そうして科学的に思考するためのツールを活用する準備が整ったところで、次は意思決定という厄介なプロセスにそれらを適用することに話を切り替える。意思決定への適用もまた、ツールの習得と同じくらい困難なタスクであり、意思決定には事実や数字に加えて、価値観、不安、目的がかかわってくる。
 そこでパート4では、個々人の思考を間違った方向に促す原因となりうるものに目を向けて、そうした思考の罠に陥らないようにするための新しいテクニックや既存のテクニックを見ていく。紹介するテクニックは科学の現場で考案されたものだが、科学者でない人にとっても有効だ。
 そして最後となるパート5では、おそらくいまの時代における最大の問いについて考える。他者と協力して問題を解決するときに、何を土台にすればいいのか? 集めうる限りの合理性と人間としての感情を巧たくみに調和させて、パートナー、チーム、社会、世界と共に問題を解決するにはどうすればいいのか?

 集団で生きていく私たちの未来にとって何よりも重要なのは、「人々が団結して力を発揮できる実践的なアプローチや理にかなった方法は、自分たちで考案していける」という考えを持つことではないだろうか。

 私たちはいま、気候変動による大惨事、世界的なパンデミック、深刻な富の偏在化といった問題が現実になりうる局面を迎えている。現代社会に起こりうるそういう類(たぐ)いの問題を解決しても、問題がすべてなくなるとは限らない。地球と衝突する軌道上に大きな小惑星があるかもしれないし、次に巨大火山が噴火すれば、火山灰雲のせいで空路が使えなくなるかもしれないし、作物の病気で世界中の作物が不作になるかもしれない。
 とはいえ、現時点で脅威になっているものであろうと、将来的に大惨事を招く可能性のあるシナリオであろうと、みなで一緒に対処にあたり、たとえ部分的でも3千年紀思考(サード・ミレニアム・シンキング)を最大限に活用すれば、恐怖は感じないはずだ。みなで力を合わせれば、大きな問題だって解決できる!

カリフォルニア大学発・世界のエリート大学生に人気の「最新バージョンの科学的思考」講義

 ここで、本書のタイトルでもある「Third Millennium Thinking(3千年紀思考/3M思考)」という言葉についてひと言述べておく。
 この冗談に思えるほど壮大な言葉を用いたのは、3千年紀(西暦2001年から3000年/21世紀から30世紀)に入ってから使用され始めたなかでも、とりわけ有効だと思える概念やアプローチの総称だとわかってもらいたかったからだ。そうした概念やアプローチは継続的に改善されていて、その起源となるものは伝統をはじめさまざまだが、最大の功労者は最新バージョンの科学的思考である。
 本書に登場する概念の多くをすでに知っているという人はいると思うが、その前提には立たず、本文を読むなかで概念の意味がわかるようにした(既知のテーマについては、読み飛ばしてもらってかまわない)。

 有効な概念やアプローチを一か所に集めて3M思考として提示したのは、それらを包括的にとらえれば、複雑な世界のなかをみなで前に進んでいく道筋が形成されていくと考えたからだ。それに、個人として、親や家族の一員として、グループや組織として、解析を必要とする情報や下す必要のある決断、立てないといけない計画や協力してあたる必要のある取り組みを抱えて日常生活を送るなかで、それらを知っておけば何かと役に立つ。
 だがそれ以上に、われわれ3人の未来のために、3M思考を他者に教示する必要性を強く感じている。なにしろ教える立場にあっても、そうした概念が生まれるきっかけとなったエラーを完全に回避することはできないのだから。
 大学の教室で3M思考を教えているあいだ、エラーを回避する力が少し高まるということはあるだろう。だが本業の研究においては、ほかの研究者たちの力を最大限に借りるという文化がしっかりと根ざしていて、エラーや思考の罠に目を光らせる訓練を科学研究の場で積んだ人々と、互いに正直な関係を保っている。
 筆者の研究に含まれない分野の問題に関しては、科学者に対する目の光らせ方や、互いに目を光らせ合う方法を本書から学んでくれる人たちに解決を委ねたい。

 この数年で、社会の分断が猛烈な勢いで進んだ。そしてその分断には、社会でしばしば問題になる、科学や科学的知識と人々との厄介な関係が、意外なほど深くかかわっている。みなで一緒に社会を前に進めていくための現実的な計画を共有し、そうした社会に対する理解をみなで共有することに希望を見いだしたいなら、自らの思考にエラーが生じる可能性や、反対意見を知ると自分のエラーに気づきやすくなるという事実を受け入れてほしい。また、2千年紀の終盤に、科学の進歩に対する失望と反発が起きた原因を理解し、その傷を修復する方法を模索する必要もある。

 たったひとつの本や方法で、傷を修復することはできない。意見の相違による二極化が、完全に消滅する日がくることもないだろう。しかし、どこからにせよ、手をつけないわけにはいかない。そのスタート地点として効果が期待できるのは、科学にまつわるものだ。科学のツール、概念、手順を拝借して、人々の思考を3千年紀にふさわしいものに変えていけばいい。

【原注】
注1 大学でのコース名は「センス・アンド・センシビリティ・アンド・サイエンス」で、以下のリンクで教材を確認できる。sensesensibilityscience.berkeley.edu.また、ノーベル財団の支援活動部門と協力し、高校生向けに「サイエンティフィック・シンキング・フォー・オール」というコースも開発して普及に努めている。詳しくは以下のリンクを参照。nobelprize.org/scientific-thinking-for-all/.
注2 National Opinion Research Center (2023,June 15). Major declines in the public’s confidencein science in the wake of the pandemic.ほかの分野に比べてまだ優位であるものの、科学にかかわる職種の信頼は著しく失われている。
注3 本書において「科学」とはどういう意味か? ウィキペディアに記載されている定義は「世界に関する知識を検証可能な仮説と予測のかたちで構築する体系的な取り組み」というもので、筆者が意味するところはほぼ網羅されているが、メリアム・ウェブスター英英辞典の「とくに科学的手法を通じて獲得、検証された一般的真実や一般法則を網羅する知識もしくは知識体系」という定義で補完するのが最善に思う。


※本記事では書籍本文中の傍点部を下線で示している

【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示