その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は平野聡久さん、マッキンゼー金融研究グループの『 マッキンゼー 金融業の競争戦略2030 』です。
【はじめに】分かっているけど変われない
課題の所在──「戦略」が空回りしている
ティーンエイジャーの娘を乗せて運転する車の中で、大音響でK-POPが流れる。曲名は「Strategy」。歌詞では意中の相手に近づく綿密なアプローチのことを“ストラテジー”と呼んでいるらしい。うーむ、これって戦略なのだろうか……。自分は一応、世の中で言えば戦略コンサルタントに分類される職業だが、これを戦略と言い出すと本当に何でもアリになってしまう。
しかし笑ってばかりもいられない。ビジネスの世界でも、実のところ“戦略”という言葉が同じくらいルーズに使われているからだ。企業の会議でも「戦略をきちんと考えよう」「戦略が重要だ」といった言葉が飛び交うが、その中身は「よく考える」「丁寧に段取りを組む」といった程度で語られていることが多い。だが本来、戦略とはそんなふわっとしたものではない。
この本では、戦略の役割をこう定義したい。「戦略とは、組織を従来の延長線上から、意図した“別の方向”に動かすためのものだ」。現状の延長で十分であれば、必要なのは戦略ではなく「緻密な計画」である。わざわざ“戦略”という言葉を使うのは、「延長線上にはない変化」を起こしたいからだ。
この観点から日本の金融業界を振り返ると、戦略はほとんど成果を上げていない。「日本の金融は変わらなければならない」と言われるようになって、もう10年以上が経つ。DX、チャネル統合、データ活用、生成AI──。やるべきことのリストは出揃い、各社ともに多くのプロジェクトやPoCに取り組んできた。にもかかわらず、顧客体験は劇的には変わらず、現場はむしろ忙しさを増している。
仕事柄、国内外の金融機関を様々な角度からベンチマークすることが多い。ここ10年で、デジタルとAIは世界の金融機関の「本体」の側に大きく入り込んだ。UI/UX、アプリの使い勝手、与信やプライシング、運用とシステム基盤──。こうした領域で、日本と海外の差はむしろ広がっていると感じる。
マッキンゼー・アンド・カンパニーで行った分析では、日本の代表的な銀行アプリと海外の先進銀行のアプリには、UX、機能、スピードの面で「見れば明らか」と言えるほどの差があった。マッキンゼーが海外で出版した、デジタル・トランスフォーメーションの方法論をまとめた『Rewired』の著者が日本の金融機関を訪問し、経営者やDX部門と議論したあとに「率直に、日本の現状をどう見るか」と尋ねたところ、返ってきた答えはシンプルだった。“Very bad.”
とはいえ、これは「日本の経営者に覚悟がないから」ではない。多くの経営者は危機感を持ち、「変えなければならない」と繰り返し口にしている。現場の意識も決して低くはない。問題は、その意気込みを「現実の変化」に変えるための戦略OSが整っていないことだ。
私自身を含めたコンサルティング業界にも責任がある。「全社IT戦略」「デジタル戦略」「DX戦略」といった文書を開いてみると、多くは次の二つのパターンに分類できる。パターン1は、実際には「どう計画を進めるか」「どの順番でプロジェクトを進めるか」といった戦術的なノウハウに終始し、現状の組織を“別の方向に動かす戦略”にはなっていないもの。パターン2は、経営者に対して変革の危機感や、デジタルやAIに対する「意識の高さ」を説く内容に終始し、「では具体的に何をどう変えるのか」という論点がほとんど書かれていないもの。
そして、この二つを組み合わせた第三のパターンも目立つ。「経営者が○○(デジタルやサステナビリティなど)を自分事として真剣に捉えないといけない。そして緻密なロードマップ・計画を主導しないといけない(後者を経営者がやるのは現実的に難しいので、我々コンサルタントがお手伝いします)」という、我田引水の言説だ。
日本の金融において「戦略」は、言葉としてはたくさん使われているのに、現実の変化はほとんど生み出していない。その奇妙なギャップこそが、本書が出発点とする課題である。
構造的な問題──戦略の四要素がバラバラに機能している
では、なぜ戦略がここまで空回りしているのか。本書では、戦略を次の四つの要素から成るものとして捉える。①ポジショニング:どの競争軸で、どの位置を取りにいくのか。②ケイパビリティ:そのポジションを実現するために、どんな組織能力を持つのか。③ビジョン:その戦略とケイパビリティを、内外にどう“物語”として伝えるか。④計画:それをどのような節目とスケジュールで実行していくか。
日本の金融では、この四つの要素がいずれも歪んだ形で扱われているように見える。
第一に、ポジショニングの前提となる「競争軸」が古い。いまだに4P(Product / Price / Promotion / Place)的な発想―つまり、「商品ラインナップ」「金利・手数料の微差」「広告枠」「店舗網」などを軸に戦略が語られがちだ。しかし、会話型UI、モバイル中心のチャネル統合、外部エコシステムとの接続、リアルタイム与信、ソリューション化、摩擦ゼロの業務運営、止まらないシステム基盤……こうした要素が競争力の中核になっている時代に、4Pだけでは「どこでどう戦うか」の本質を捉えきれない。加えて、日本の金融はボトムアップの合意形成を重視するため、「どこに賭け、どこを捨てるか」というメリハリのあるポジショニングが苦手だ。結果、全方位で平均的に頑張るが、どこにも強烈なエッジがない、という状態になりやすい。
第二に、ケイパビリティ(組織能力)が戦略の中心として扱われていない。ポーターの後期理論、RBV(資源ベース理論)、Hamel & Prahaladが示したように、「どんな能力を持っているか」が、ポジションと同じくらい戦略の本質である。ところが多くの中期経営計画には、「目指すポジションを実現するために、どんなケイパビリティを新たに育てるのか」が具体的に書かれていない。人材ポートフォリオをどう変えるか、組織構造をどう変えるか、テクノロジーとデータを社内にどう蓄積するか、といった議論がほとんどなく、「コアとなる部分は、同じ組織・同じ人材・同じプロセスのまま、新しいポジションだけ新設される(○○推進室、○○変革室)」ことが多い。これでは戦略が実現しないのは当然である。
第三に、ビジョンの位置づけがずれている。本来ビジョンとは、「決めたポジションとケイパビリティを、内外のステークホルダーに伝えるための言葉」である。つまり、ポジショニングとケイパビリティが先にあり、それを言語化したものがビジョンであるべきだ。しかし現実には、「まずビジョンから作る」ことが多い。その結果、ビジョンがポジションにもケイパビリティにも結びつかず、美しいが中身のないスローガンになりがちだ。「ビジョンを描いて、それにふさわしい戦略と計画を考えよう」という順番は、一見まっとうだが、実際には「スローガン先行で、戦略が追認」という状態を生みやすい。
第四に、計画が大きすぎる。日本の金融機関の中計を見ると、数十~数百ページに及ぶ資料、詳細なKPIとスケジュール、膨大なプロジェクト一覧が並んでおり、そこに最も多くのリソースと時間が費やされている。計画を細かく立てること自体は悪いことではない。問題は、その重さゆえに柔軟性が失われ、頻繁な見直しが難しくなることだ。環境が変わっても計画を変えるのが大仕事になり、最終年度には「次の中計づくり」で頭がいっぱいになり、振り返りは形だけになる。
結果として、「ふわっとしたビジョン」+「結びつかない戦略っぽい言葉」+「膨大な計画」という構造になっている。この三層構造の真ん中にあるべきポジショニングとケイパビリティがスカスカであるため、現状を“うまく回す”ことはできても、経営者の意志で組織を新たな方向に変える力はほとんど残っていない。
本書のアプローチ―ポジション → ケイパビリティ → ナラティブ →計画へ
以上の問題意識のもと、本書は次のようなアプローチをとる。
第1部では、RIFTという新しい競争軸で構想を描く。主にリテール金融を念頭に、デジタル・AI時代の顧客へのバリュープロポジションから見た“競争軸”を洗い出し、再構成する。そのために、ポーターのアクティビティ・システム(活動システム)の視点で、UI/チャネル、外部エコシステム(Embedded Finance)、即時与信、ソリューション化、人×AIアドバイザリー、モーメント起点マーケ、業務運営とシステム基盤といった要素を分解し、マッキンゼーが世界の金融機関で見ている最新のトレンド・ベストプラクティスを土台に、「今、どこで勝ち筋が生まれているのか」「これからどこに差がつくのか」を整理する。
こうした分解を通じて、本書は金融の競争構造をRIFT(Reach /Intelligence / Trust / Flow)という四つの軸で捉え直す。Reach:顧客にどこから・どの文脈で届けるか。Intelligence:どれだけ速く・的確に理解・判断・提案できるか。Trust:それがどれだけ透明性を持ち、説明可能で、安心できるか。Flow:どれだけ途中で止まらず、滑らかに完結できるか。RIFT自体は特別な理論ではなく、カンバセーショナルUI、チャネル統合、エンベデッド・ファイナンス、リアルタイム与信、摩擦ゼロの業務フロー、レジリエンスの高いインフラ……といった散らばったDXトレンドを、顧客価値の観点から束ね直した「新しい競争軸の見取り図」に過ぎない。
第1部は、このRIFTを土台に、デジタル・AI時代の主要トレンドと事例、陥りがちな罠、裏返しとしての成功の鍵を整理し、「どんな戦い方の型があり得るのか」を見える化するパートになる。そのうえで、「自社はどのRIFTプロファイルに寄せていくのか」「どのドメイン/ジャーニーで勝ち筋をつくるのか」を考えるための土台を提供する。
第2部では、Rewiredを土台にケイパビリティ/ナラティブ/計画を設計する。構想だけでは組織は動かない。構想と同じくらい重要なのは、それを“実装”する戦略である。第2部では、マッキンゼーの『Rewired』のアプローチを土台に、RIFTで描いた姿を現実にするためのケイパビリティと運営方法を解説する。まず、人材・オペレーティングモデル・テクノロジー基盤・データという四つの観点から、組織としてどんな能力を持つべきかを整理する。ここは、終身雇用・ローテーション・外注文化と正面からぶつかる領域であり、日本の金融が最も苦手で、同時に最も伸びしろが大きい部分である。
次に、Rewiredの重要要素であるChange Managementを下敷きに、組織を実際に動かすためのビジョンの位置づけ直しや、インセンティブ設計について考察する。ビジョンはスローガンではなく、「ポジションとケイパビリティを伝える物語」として扱い直す。最後に、日本の金融機関のコアであり、旧態依然としている「戦略と計画のあり方」を変える。QBR(Quarterly Business Review)、OKRといった仕組みを紹介しながら、中計を“儀式”から“動く戦略OS”に進化させる道筋を提示する。
本書の内容は、多くがマッキンゼーの知見と現場での経験を通じて磨かれてきたものだが、構成とメッセージは、筆者が日本の金融機関とのプロジェクトを通じて得てきた実感に基づくオリジナルであり、文責はすべて筆者にある。
この本が、日本の金融機関が本当に変わるための一つの“刺激”になれば幸いである。「うちの中計や戦略のOSは、このままでいいのか?」と一度立ち止まって考えるきっかけになれば、筆者として望外の喜びだ。次章から、具体的にRIFTという新しい競争軸を用いて、金融のポジショニングとトレンドの意味合いを解きほぐしていきたい。
【目次】





