その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は野中郁次郎さん、戸部良一さん、河野仁さん、麻田雅文さんの『 知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利(日経ビジネス人文庫) 』です。

【文庫版まえがき】

 本書は二〇一九年十一月に上梓した『知略の本質――戦史に学ぶ逆転と勝利』(日本経済新聞出版)の文庫版である。序章でも触れているように、一九八四年に刊行された『失敗の本質』以来の、言わば「本質シリーズ」の四冊目になる。そのきっかけは、それまでの「本質シリーズ」でも本書でも、理論化の部分を担当し主導的役割を担った野中郁次郎氏が、あらためてもう一度、新たな視角から戦略を考えてみたい、と言い出したことにあった。その提案を受けて、野中氏、麻田雅文氏、河野仁氏、私(戸部)の四人で研究会が構成された。

 麻田、河野の両氏が加わることによって、本書はそれまでの三冊とはやや異なる特長を持つことになった。それは、事例分析が以前よりも充実の度を増したことである。麻田氏はソ連・ロシア史に関する深い学識を、軍事社会学の視点からアメリカ軍を見てきた河野氏はその研究の蓄積を、それぞれの事例分析に十分に生かしてくれた。

 野中氏があらためて戦略を研究することを思い立ったのは、おそらく、SECIモデルに結実した組織的知識創造理論での知見を、軍事を含むさまざまな領域での戦略研究に適用することができるはずだ、という確信に由来していたのだろう。その一端は、戦略現象を二項動態ととらえることに示されている。機動戦と消耗戦、集中と分散、攻と守、正と奇など、これまでは二項対立でありトレード・オフの関係にあると見なされてきたものが、相反しながらも相互補完的な関係にあり、一方だけを選んで他方を退けるのではなく、情況と文脈に応じてダイナミックにその重点配分を変えてゆくことが知略の一側面にほかならない、と野中氏は言う。

 そして、いつ、どこで、どのように重点配分を変えるのかは、「本質直観」によって可能になる。クラウゼヴィッツ流に言えば、それが「クー・ドゥイユ」(一瞥による眼力、戦局眼)である。戦略を主導するリーダーたるものはこうした「戦局眼」を持たねばならない。このことは、国家指導者を研究対象とした「本質シリーズ」三冊目の『国家経営の本質』(文庫版のタイトルは『国家戦略の本質』)で野中氏が打ち出したリーダー論の延長線上に位置づけられよう。

 もうひとつ、組織論の見地から導出された重要なポイントは、戦略の実行面に目を向けたことである。これもシリーズ二冊目の『戦略の本質』で明らかにされ、本書では組織的知識創造理論の知見に基づくSECIプロセスとして、より精緻なかたちで提示されている。戦略は計画の策定で完結するものではない。個人の体験に根ざす暗黙知が「共感」によって組織の成員に共有され、概念化され、実践に移される。その実践の結果を踏まえて、またこのプロセスが繰り返される。

 こうした野中戦略論は本書の終章でダイナミックに展開されるが、それを可能にしたのは、野中氏自身の理論化の大胆さと、麻田・河野両氏が執筆したものを含む四つの充実した事例分析であることに、読者諸賢は気づかれるだろう。

 本書の原版刊行以来、およそ七年の時間が経過した。その間、ロシアによるウクライナ侵略戦争、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃など、新たな形態の武力紛争が発生し現在に及んでいる。そうした武力紛争では、特に衛星コンステレーションやAIを活用したドローンやミサイルによる攻撃とそれに対する防空システムに注目が集まり、「新しい戦い方」として日本でも議論の対象となっている。

 戦いの場はかつてのように陸海空だけにはとどまらない。宇宙やサイバー空間も戦いの場となりつつある。戦いはまた、戦時だけには限られない。平時でも戦時でも、認知戦やハイブリッド戦が戦われる。こうした「新しい戦い方」を含む戦略状況において、過去の戦例から学ぶことはあるのだろうか。

 たしかに過去の戦例から学ぶことだけでは十分ではないだろう。だが、過去の戦例から学ぶことは必要不可欠である。それは、戦いの本質が変わらないからであり、戦いの本質が変わらない以上、その戦いに対処する行為の連鎖、すなわち戦略も変わらないからである。戦い方、戦いの技法は変わったが、戦いの本質を洞察し、それに賢く対処する知略は変わらない。

 二〇二五年一月、本書を生んだ研究会でも刊行に至る過程でも主導的な役割を果たした野中氏が、逝去された。野中氏は、経営学者でありながら、なぜ戦争や軍事戦略を研究対象としたのか、について次のように語っている。「「戦争」に代表される有事は、現実の延長線上では解決できない難題にチャレンジし、新たな知識を生成する創造性が発揮される場だ。人類はそのプロセスを通じて、多くを学び進化してきた。危機的事態や極限的状況は、知恵を総結集して、産官民軍の多様な人々が協働する壮大なプロジェクトでないと克服できない。〔中略〕われわれは、人の営みである「戦争」の本質に真っ当に向き合い、考察することから逃げてはならない。」(『『失敗の本質』を語る――なぜ戦史に学ぶのか』)。本書の主旨は、この野中氏の言葉に貫かれている。

 二〇二六年七月

戸部良一


【目次】

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