その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は野尻哲史さんの『 60代からの資産「使い切り」法 今ある資産の寿命を伸ばす賢い「取り崩し」の技術 』です。
【はじめに】
資産の取り崩しに関する本をやっと上梓することができました。うれしい限りです。
もともとこのテーマは、2008年の『退職金は何もしないと消えていく』(講談社+α新書)で「引き出し過ぎの怖さ──収益率の良し悪しより大切なこと」として一節を書いたところから始まっています。その後、18年には『定年後のお金』(講談社+α新書)で、今の原型となる取り崩しの基本的なアイデアをまとめました。
当時の私は50歳前後でしたから取り崩しの議論は、理論的な面が非常に強かったと思います。勤めていたフィデリティ投信の仕事の関係で、フィデリティ・インベストメンツの本社があるボストンやフィデリティ・インターナショナルの本社があるロンドンに出張して、現地での退職後の収入(リタイアメント・インカム)について議論するたびに、資産の取り崩しの重要性を痛感しました。
その頃から考えて15年以上経っていますが、まだまだ資産の取り崩し方法が日本の一般の人に知られているとは思えません。
その理由は大きく2つあると思っています。1つは金融ビジネスそのものが抱えている課題で、もう1つはわれわれ生活者が陥っている「退職後のお金との向き合い方」に関する理解不足ではないでしょうか。
そもそも日本の金融ビジネスは、「顧客の資産を増やすことが顧客サービスだ」と考え違いをしている節があります。
もちろん資産が増えることは私たち顧客にとって非常に大切なことなのですが、既に資産ができあがった退職世代から見ると、増やすことよりも、その資産をどのように取り崩して「生活を豊かにしていくか」ということの方が大切なポイントになります。
「顧客であるわれわれは何のために資産運用をしようとしているのか」という根本的なところを、金融機関は理解できていない可能性があります。しかも資産を取り崩すのですから資産が減っていくのは当然です。
しかし現在の金融のビジネスモデルでは、顧客資産の減少は受け入れがたいことから積極的なアプローチができていないように思います。
本書の第1章『「資産活用」の実態』で、60代の生活とその満足度を取り上げているのも、それを資産の取り崩しを考えるスタートにしたかったからです。われわれ生活者が何を望んでいるのか、資産運用がそれを満たしているのかを、フィンウェル研究所が独自に行っている「60代6000人の声」アンケート調査から分析しています。
多くの60代はその資産水準に満足していないにもかかわらず、生活そのものにはまずまず満足している姿が浮かび上がっています。
「資産が少なくても満足した生活を送ることができる」のであれば、なぜ資産運用が必要なのでしょうか。金融機関は「安心できる老後のために資産を増やしましょう」と言いますが、その結果、資産を増やすことが目的になっていないでしょうか。
私自身も60代になって、本当に思い至るのは、これから自分に大切なことは「資産を増やす」のではなく、「より満足度の高い生活を送るために、今ある資産を有効に使っていく」ということです。
もちろん資産の潜在的な力を引き出すために資産運用を続けることは不可欠だと思っています。生活の満足度を引き上げるためにどうすればいいのか、資産運用はその一翼を担うためにどうあるべきなのかを考えることから、退職後のお金との向き合い方を模索していきたいと思っています。
資産を取り崩しながらその資産の寿命を延ばしていく包括的なアプローチを、ここでは「資産活用」と呼んでいます。
「資産活用」の基本をまず理解する
そのうえで、リタイアメント・インカムまたは退職後の収入という概念を正しく理解することが基本になると思います。
実際に、退職後の収入に関するわれわれの理解には多くの誤解が含まれています。典型的な例は、老後2000万円問題でも指摘された、退職後の生活費は公的年金がカバーすることが原則で、その不足分は「赤字」と称されたことです。
退職してもまだ働いて勤労収入を得る人は多く、またわれわれは現役の頃に将来の生活費の足しになるように資産形成も進めているのです。退職後の生活費は、勤労収入と公的年金収入、それに資産の取り崩しによる資産収入の3収入で賄うものですから、勤労収入と資産収入が「赤字補填」の資金といわれてしまうと、後ろ向きなものと映ります。実際には、この3つが日本における退職後収入、いわゆるリタイアメント・インカムの大黒柱といっていいものです。
さらにそのリタイアメント・インカムを少しでも抑制して資産の寿命を引き延ばすという視点からみると、生活費を抑制することも大切なポイントになります。3つの収入と生活費の抑制、この4つの視点が、退職後のお金との向き合い方の大切な対策の柱になります。それぞれを第2章の『リタイアメント・インカムとは?』でまとめています。
退職後のお金との向き合い方、または「資産活用」に対するわれわれの理解不足というのは、「資産の取り崩しの多様な方法とその有効活用で、今ある資産の寿命を延命できる」ことを知らない点です。そのことを意識しないで過ごしてきてしまったことです。
生活者として考えると、われわれの先輩たちは預金金利が7%という時代を知っています。預金にお金を預けておけば、10年で2倍近くになるという金利水準ですから、退職したらすべての資金は預金にしておけば、安心でしかも増えていくことが実感できる時代でした。その時代の資産の取り崩しは、「決めた金額を引き出すようにして、それ以上使わない」という定額引き出し(第3章第2節参照)のルールで十分でした。
取り崩しに関するその感覚を残したまま、2つの大きな環境変化が起きました。1つは金利がほぼ0%に低下し、その水準がずっと持続していること。もう1つは思った以上に長生きする「人生100年時代」といわれるようになったことです。この2つは、保有している資産規模が大きければ、何の問題もありません。預金が増えなくても、100歳まで生きるといわれても、十分な資産があれば生活をするという点で問題は少ないでしょう。
しかし、多くの人はこの2つから「資産を運用して増やさなければ心配だ」という感覚に追いやられました。感覚だけではなく、実際に必要なことになったと私も痛感しています。
だからこそ2014年のNISA(少額投資非課税制度)の導入、17年のiDeCo(個人型確定拠出年金)の拡充、18年のつみたてNISAの導入、22年の資産所得倍増プラン、そして24年からの新NISAのスタートと、矢継ぎ早に資産形成の環境が整い始めているのです。
実は「取り崩し」にこそ技術が必要
ただ残念なことに、資産を創り上げる、いわゆる資産形成ではこの2つの変化への対応を進める機運が盛り上がっているものの、出来上がった資産の取り崩しに関しては、何の進歩もないまま「決めた金額を引き出して、それ以上使わない」という定額引き出しのルールが今もそのまま生き続けています。
本書のなかでも繰り返し警鐘を鳴らしていますが、資産運用を続けながら定額引き出しを行うことは「収益率配列のリスク」(第3章第2節参照)を内包しています。想定した通りの運用成果が得られ、かつ計画通りの金額で引き出していたにもかかわらず、資産は想定以上に減ってしまう可能性がある点を指摘したリスクです。これは、保有資産からの資産収入で自身の生涯をカバーできるようにしたいという願いを打ち砕いてしまう大きなリスクでもあります。
しかもその影響が強く出るのが人生の最後半になってからというわけですから、リカバリーも効きにくいものです。これでは何のために、人生100年・低金利時代の対策として資産運用をしているのかわからなくなります。このリスクを理解するために具体的な数字を示しながら解説したのが、第3章の『「毎月10万円の引き出し」はなぜキケンなのか』です。
この「収益率配列のリスク」を回避するために、どうすればいいかを考えるのが資産の取り崩しのルール作りです。具体的には、第4章で『引き出しは「率」で考える』と題して説明しています。もちろん重要なのは、単に運用している資産の取り崩しの面だけではありません。取り崩す必要金額を少なくすることや資産の取り崩すタイミングを遅らせることなど、多岐にわたるアイデアを包括的に見る必要があります。それこそが本書で述べる「資産活用」です。
もちろん概念だけではなく、より具体的な取り崩しのアイデアがなければ読者の皆様の理解も進まないと思います。そのため、保有する資産を、運用する資産と緩衝材(バッファー)として取り置く資産の2つに分けるという考え方や、資産としての住宅のあり方、上場投資信託(ETF)の活用など、より実践的な部分にも少し入りこむことで、取り崩しのアイデアの実感を持てるようにしています。この点は、第5章の『保有する資産全体のなかで取り崩しを考える』でまとめています。
さらに2024年に始まる新NISA(少額投資非課税制度)を「資産活用」としてどう使うかも大切なポイントだと思っています。特に新NISAに関する書籍やインターネットの情報は、若年層を中心に資産形成の目線ばかりになっています。資産活用世代または資産の取り崩しの視点から新NISAを見る点が欠けていますから、その点を中心に第6章で『資産活用層は新NISAをどう使う?』と題してまとめています。というよりこの章では、私はどうするつもりか、という視点で対策を紹介しているといった方がいいかもしれません。
さらに、第7章では『生活スタイルと資産活用』と題して、自分に合った資産の取り崩しを考える際の指針を見つけるためのロジックを紹介しています。生活スタイルに対する姿勢と資産収入に対する心持ちの2つの軸を使って、自分の置かれているポジションを俯瞰して、そこに適切な運用や取り崩しの考え方を見つけるというマトリックスです。
本来、こうしたルールを決めるには、きめ細やかな1対1の対応が不可欠ですが、ここではそれを考えるロジックの1つを紹介しています。60代、70代、80代と年齢を重ねるなかで、自分の生活スタイルも変わっていかざるを得ませんから、それに合わせてお金との向き合い方をどう変えていくべきかといった視点も盛り込んでいます。ご自身で指針を見つけ出すきっかけになれば幸いです。
第4章から第7章まではこの本の中核となるところですが、この4つの章によって資産活用の重要な柱である資産の取り崩しの考え方と具体的な方法を、ほんの少しですがお示しできればと思っています。
最後に、もう一度「何のために資産活用をするのか」を問うてみたいと思います。自分の暮らしをより満足できるものにするため。これが答えだと思いますが、さらに高齢層が自分の暮らしを満足できるものにしようと保有する資産を活用することで、きっと社会を良くすることにもつながると考えています。
日本の金融資産の3分の2を占める高齢者が、生活を豊かにするためにほんのちょっと消費に積極的になれば、自分の生活を豊かにするだけでなく、人口が減少する日本社会で経済的にも十分な貢献をするはずです。毎年50兆円に上る相続の1割が消費に回るだけで、また60歳以上が保有すると推計する個人資産のわずか0・25%が消費に回るだけで、GDPを1%引き上げる力があります。
この点は第8章で『資産活用層の社会貢献』と題してまとめていますが、このビジネスモデルが出来上がれば、これから超高齢社会を迎えるアジアの諸国に、課題先進国日本から輸出できるアイデアになるはずです。
多くの方に支えられて
ところで、「資産活用」という考え方がなかなか世間に知れ渡らないとはいえ、動きがないわけではありません。何よりこの本が上梓できるようになったことがその証左だと思っています。
「資産活用」というアイデアの普及を考えるなかで転機となったのは、私も委員を務めた金融審議会市場ワーキング・グループで、「資産の取り崩し」の重要性が議論できたことでした。さらに閣議決定された第4回高齢社会対策大綱でも「資産の取り崩し」が言及されました。これらはともに2018年のことです。
市場ワーキング・グループでの「高齢社会における資産形成・管理」に関する議論をまとめた報告書(19年6月発表)は、残念ながら「老後2000万円の報告書」と呼ばれて、本旨とはかけ離れたところに注目が集まり、「資産の取り崩し」の議論は霧散してしまったかのようでした。ただ、そこでのワーキング・グループのメンバー並びに金融庁の担当官の皆さんとの議論は本当に有意義なものでした。
その後、コロナ禍もあり、この議論は下火になってしまいましたが、個人のベースで細々と続けてきました。22年1月に資産の取り崩しに関する研究とその発信を趣旨とした「デキュムレーション研究会」をフィンウェル研究所の活動として立ち上げ、現在2か月に1回、有志の方々が集まって議論をしています。1年半にもわたって、一緒に議論に加わっていただいているデキュムレーション研究会の仲間の力は、ともすれば徒労感ばかりが募る活動を私が続けていられる大きなエネルギーになっています。本当に感謝しています。
もちろん家族も大きな力です。3人の子どもは既に独立し、自分の生活を持つようになっていますが、この本の出版記念パーティをやろうと張り切ってくれています。今、日々の生活は、妻と2人だけになっていますが、それぞれ自分の好きなことに時間を使って、ここからが生活を充実させられる時代になったと感じています。妻と違って私は趣味らしい趣味がなく、強いて挙げれば文章を書くことくらいです。それが収入になるのですから、贅沢なものなのですが、そのお陰で60歳の時に立ち上げた合同会社フィンウェル研究所は何とか軌道に乗ってきました。「ほんの少し社会のためになる仕事を、できるだけ自分が楽しんでやる」ことをモットーにしていますから、それほどストレスにもなりません。
この本が、「資産の取り崩し」「資産活用」に関する議論の火付け役になれたら本当にうれしいと心から思っています。
2023年7月 野尻哲史
【目次】





