その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はレネー・ダドリー、ダニエル・ゴールデン(著)の『 ランサムウエア追跡チーム はみ出し者が挑む、サイバー犯罪から世界を救う知られざる戦い 』。本書には「はじめに」がありません。代わりに本書の位置付けが分かる、小林啓倫さんの「訳者あとがき」をお届けします。

【訳者あとがき】

小林啓倫

 本書は2022年10月に発行された、The Ransomware Hunting Team:A Band of Misfits' Improbable Crusade to Save the World from Cybercrime(ランサムウエア追跡チーム はみ出し者が挑む、サイバー犯罪から世界を救う知られざる戦い)の邦訳である。原著は、著名ジャーナリストのダグ・スタントンから「ランサムウエア版『マネー・ボール』だ」と評されるなど、大きな注目を集めている。
 タイトルの通り、本書のテーマはランサムウエア。感染したコンピュータのファイルを暗号化する悪質なプログラムで、暗号化されたファイルは「復号」すなわち暗号を元に戻す処理(本書ではわかりやすさの観点から多くの箇所で「復元」と訳している)をしないと再び使えるようにならない。それに必要なのが「解除キー」で、そのキーと引き換えに身代金(ランサム)を強請(ゆす)るというのが、ランサムウエアを使う犯罪者の手口だ。最近では、被害者のコンピュータに不正アクセスする際に暗号化前のファイルを盗み出しておき、「身代金を払わなければ盗んだファイルを公にする」と脅すという、「二重の脅迫」と呼ばれる手口も横行している。
 そうしたランサムウエアを使う犯罪者集団と、それに立ち向かうはみ出し者たち「ランサムウエア追跡チーム」の活躍を描いたのが本書である。

 本書に興味を持っていただいた方であれば、すでにランサムウエアの脅威については十分ご承知かもしれない。犯罪行為だけにその被害の全容をつかむのは難しいが、2021年の被害総額は全世界で200億ドル(約2・8兆円)に達しており、さらに2031年までに2650億ドル(約37・1兆円)へと膨れ上がるという予測もある(1)。2020年の世界の税収ランキング(2)を見ると、12位と13位のスウェーデンとベルギーがそれぞれ2200億ドル前後であるため、実に欧米先進国の税収並みの金を巻き上げつつあることになる。また最近では、米オープンAI社が発表した「チャットGPT」などの生成AI(文章やプログラム、画像など、さまざまなコンテンツを自動で「生成」してくれるAI)を活用することで、簡単にランサムウエアを開発できるようになる可能性が指摘されており、ランサムウエア犯罪がさらに増加すると予想されている。
 日本も例外ではない。警視庁の発表によれば(3)、2022年に国内で確認されたランサムウエア被害は230件に達し、過去最多となった。ターゲットも多様であり、半数以上の121件が中小企業、また本書でも大きく取り上げられているテーマのひとつである医療・福祉系組織への攻撃についても、およそ1割となる20件が該当している。そのうちのひとつ、大阪急性期・総合医療センターのケースでは、ランサムウエアによって電子カルテなど多くの重要データが暗号化され、外来診療や各種検査を停止する事態となった。2023年3月に発表された報告書では、最終的な被害額は精査中としつつ、調査復旧費用が数億円、診療制限に伴う逸失利益が十数億円以上に達するとしている(4)。
 ただそうした数字だけでは、ランサムウエアという特殊な犯罪が社会にどのような影響を与えているのか、その具体像や全体像をつかむことはできない。ランサムウエアという手口は誰が、どのように編み出してきたのか。被害にあった人々はどのような苦しみを受けているのか。それにどのような人々が立ち向かい、どのような思いを抱いているのか。逆に犯罪者たちはどのような人物で、何を動機としてこの卑劣な犯罪を手がけているのか──そうした具体的な個人の物語を、2人の熟練ジャーナリストが執筆することで、本書はランサムウエアになじみのない読者にも、いま繰り広げられているこの戦いを身近なものに感じさせてくれる。

 著者のレネー・ダドリー、ダニエル・ゴールデンは2人とも、ニュースサイト「プロパブリカ」で記者として活動している。プロパブリカはニューヨークに拠点を置く非営利の報道団体で、新聞など従来型の報道機関が経営に苦しむ中、フルタイムの記者が質の高い調査報道を手がけていることで有名だ。2010年にはオンラインに特化した報道機関として初めてピューリッツァー賞を受賞しており、最近も米国の富裕層、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスといった人々の納税記録をつかみ、彼らに所得税未払いの疑惑があることを報道して注目を集めた。
 レネー・ダドリーは、そのテクノロジー担当として、本書の謝辞にある通り、本書の主人公の1人マイケル・ギレスピーを初めて取り上げた記事を執筆している。また2018年にプロパブリカに入社する以前には、英国の通信社ロイターに在籍。その際に手がけた大学入試不正行の調査報道によって、2017年のピューリッツァー賞最終選考に選ばれるなど、徹底した取材と専門知識に基づく報道に定評のある人物だ。
 もう1人の著者ダニエル・ゴールデンは、プロパブリカで記者兼編集主任として活動している。彼も数々の実績を持つ優れたジャーナリストで、編集者として2回、記者として1回、計3回のピューリッツァー賞受賞に貢献している。その授賞理由のひとつである、2004年にウォール・ストリート・ジャーナル紙で連載された、米エリート大学の不正を追った報道は、2005年にThe Price of Admissionとして書籍化され、ベストセラーとなっている。

 彼らが描く民間人のランサムウエア対抗組織「ランサムウエア追跡チーム」は、決してスーパーマンのような超人的ヒーローでもなければ、バットマンのブルース・ウェインやアイアンマンのトニー・スタークのような、使命感から人助けする大富豪でもない。それぞれが本業や私生活、家庭の財務状況に問題を抱えながら、個人としての熱意で「ランサムウエア狩り」に身を投じている。むしろ人間的には、一般の人々よりもハッカーに近いと言えるかもしれない。実際に本書の中でも、ハッカーの側から彼らに一方的な好意や敬意が寄せられたり、チームもハッカーの思考パターンを理解したりするような場面が何度か登場する。
 一方で彼らを理解し、支援するはずの立場であるはずの味方たち、すなわち米連邦捜査局(FBI)のような国家機関や、ランサムウエア被害者を救済するサービスを提供する企業は、なんとも頼りない存在だ。
 オランダのハイテク犯罪ユニット(HTCU)のように、法執行機関と民間のエキスパートの協力が機能した例も描かれる一方で、本書に登場するFBIは、ランサムウエアという新しい形の犯罪に対処できない、あるいは対処しようとしていない組織として描かれている。また被害者支援を手がける企業を見ても、手柄をアピールしようとして、ランサムウエアの脆弱性を発見したことをプレスリリースにしてしまったり(その結果ハッカー側がランサムウエアの修正を即座に行ってしまう)、実際にはハッカーに身代金を払って問題を解決したのに、ランサムウエアを分析して復元方法を見つけたかのように振る舞ったり(被害者は二重にだまされて金をむしり取られてしまう)と、問題を悪化させる場合すらある。

 ではランサムウエア問題を解決するには、ランサムウエア追跡チームのような(実態はどうであれ)超人的スーパーヒーローが、単独で犯罪者と対決すれば良いのだろうか? もちろんそんなことはない。あらゆる社会問題がそうであるように、さまざまな要素が絡み合うことで、一筋縄ではいかない現象にランサムウエアがなってしまっていることを、本書は明確に描いている。
 たとえばランサムウエアが解除不能で、身代金を払うしかない場合に備えて、企業はサイバー攻撃を受けた際の被害額を補償してくれる保険に加入するようになっている。いわゆるサイバー保険だが、それは企業側の支払い能力に余裕を持たせることで、ハッカー側が身代金要求額を引き上げる結果をもたらしている可能性を本書は指摘する。また本書では、ハッカー側との身代金交渉を代行し、身代金を引き下げさせたり交渉の窓口を維持したりする手助けをするサービスも取り上げられているが、それは確かに被害者の助けになる一方で、ランサムウエアという犯罪がスムーズに進むことを助長している側面も否定できない。追跡チームのような、ランサムウエアの解析に挑む人々ですら、ある意味でその進化を手助けしている(脆弱性やバグを突くことで)とも捉えられる。
 こうした一種のエコシステムが構築されている状況を、本書は「恐喝経済」と呼んでいる。まさにそれこそ、ランサムウエアの被害額を急増させ、先進国の税収なみの規模にまで成長させている要因だろう。たとえ一国の経済において、大企業が1社や2社倒産しても、代わりの企業や産業が登場するなどして回り続けるように、このランサムウエアによる「恐喝経済」においても、仮に1つや2つの大物ランサムウエアやハッカー集団を壊滅に追い込めたとして、ランサムウエアというビジネスモデルがすぐに消え去ることはない。本書の登場人物であるビル・シーゲルが言うように、ランサムウエアとの戦いにおいて、「グランドスラムやタッチダウン」のような明確な終わりは無いのだ。
 ともあれ、これもビルが言っているように、個々の局面での勝利はあり得る。そして立ち向かう問題が一筋縄ではいかないことを理解するだけでも、それに取り組む姿勢が変わり、より油断なく対処できるようになるだろう。本書はランサムウエア、そして恐喝経済という難題に対する特効薬を与えてくれるわけではないが、それが回るメカニズムを私たちに解説してくれるのである。

 マイケル・ギレスピーは2023年3月に投稿したツイートで、自身が手がける、暗号技術とランサムウエア分析に関するツール「クリプトテスター」のメジャーアップデートを発表した(5)。また妻のモーガンは、同じく2023年3月にフェイスブックを更新し、「今日はうちの小さなお守りの2歳の誕生日」というメッセージとともに、息子ルカン・アトラス君の写真を投稿している。その後プロフィール写真も更新し、いまは家族3人が集合した写真が掲載されている(6)。マイケルの父親業とランサムウエア狩りの両立という挑戦は、その後も続いているようだ。

【出典】

1 以下を参照。 https://www.cloudwards.net/ransomware-statistics/
2 以下を参照。 https://www.globalnote.jp/post-10493.html
3 以下を参照。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230316/k10014009911000.html
4 以下を参照。 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/07877/
5  https://twitter.com/demonslay335/status/1630983144269545492
6  https://www.facebook.com/spazzbabyboy/posts/10159339584513354:735164808200719


【目次】

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