その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は野中郁次郎、川田英樹(編著)の『 世界を驚かせたスクラム経営 ラグビーワールドカップ2019組織委員会の挑戦 』です。

【はじめに】

 知識創造理論とラグビーの関係は古い。

 ソフトウエア開発において「アジャイル」という手法が主流になっている。なかでも「スクラム」は、組織における集合知創造やイノベーション創出の原理を明らかにした知識創造理論を基盤にしている。

 この手法の開発者ジェフ・サザーランド博士が、既存の開発手法を打破する考え方を模索するために論文や書籍を読みあさって出合ったのが、本書の編著者である野中郁次郎(のなかいくじろう)が竹内弘高(たけうちひろたか)(ハーバード大学経営大学院教授)と書いた論文「新しい新製品開発ゲーム」(“The New New Product Development Game”)だった。

 この論文は、1979年に出版されたエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン アズ ナンバーワン』以降注目された、日本の製造企業におけるイノベーション成功の秘密を解明したものであり、取り上げた事例の多くは、今で言う「クロス・ファンクショナル・チーム」であった。画期的だったのは、プロジェクトの進め方のタイプを、リレー型、刺身型、そしてラグビー型(以下、スクラム型)と整理した点だ。

 リレー型は、開発プロセスの工程が完全に分かれており、次々とリレーのようにバトンを渡して進むやり方だ。刺身型では、前後の工程が重なり合いながらプロジェクトを進める。スクラム型では、複数の工程が入り乱れて同時進行し、連携しながら進めていく。

 リレー型は、決められた工程を効率的に行っていくのには適しているが、新製品を機動的かつ柔軟に開発するには限界がある。当時の日本企業が無理難題を言う顧客の要求に応えるために苦肉の策で生み出したのが、「刺身型」や「スクラム型」のやり方だ。社内の関係部署やサプライヤーを巻き込み、チーム全員で集中的に濃密なプロセスで進行するのである。これが開発のスピードと創造性を同時に高め、想定外の事態にも機動的かつ柔軟に備えることを可能にした。

「スクラム」という言葉は、ラグビーのメタファー(たとえ)である。チーム内でボールをパスしながらフィールド上を一群となって移動する戦い方や、「スクラム」を組んで、選手が互いに重なり合いながら、個々の総和以上の力を発揮して戦う姿が、当時、日本企業で画期的な新商品開発を可能にしている組織の特徴と重なった。

 サザーランド博士は、ベトナム戦争でかつて偵察機パイロットとして従軍し、極限状態での臨機応変な判断と行動の重要性が身に染みていた。だからこそ、サイロになりがちな組織の壁を破壊し、頻繁にコミュニケーションをとって議論し、スクラムを組んで製品開発をしていた日本の製造業のやり方をソフトウエア開発に応用したのだ。

 アジャイル開発の「スクラム」では、「受託」という考え方から「顧客との共創」へ、開発の在り方を再定義した。それ以前のウォーターフォール型のやり方では、顧客の要求変化に柔軟かつタイムリーに対応できないために、実際に開発が終わったときには納品しても顧客の要望に合わないプログラムができあがってしまうことも多くあった。そこで、短いサイクルに開発工程を分け、分析、設計、実装、テストを並列的に行い、順次できあがったものから実際に使ってもらって顧客からタイムリーにフィードバックをもらい、進化させていくことにした。

 スクラムとは、予見的に管理・制御し分業で作業するのではなく、動く現実から経験的に学び、一人ひとりが自律的にリーダーシップを発揮し、チームで共創する斬新的プロセスなのである。

 スクラム型のプロジェクトでは、組織のどのレイヤーにおいてもプロジェクトのビジョンやゴールに即して判断・行動できるよう、プロジェクトメンバー全員に情報共有が徹底される。関係者全員が状況を正しく共通理解していれば、状況が変化しても、第一線のメンバーが、適時適切に自律分散的な対応を機動的に行う全員経営が実現できる。


 さて、本題に入ろう。過去10年を振り返り、世界中から最も高い評価を受けた日本で開催された国際イベントは何か。2019年に日本で開催された「ラグビーワールドカップ」と答える人も多いのではないだろうか。

 ラグビーワールドカップは、2019年の大会が開催されるまでは、過去8回すべての大会がニュージーランド、オーストラリア、イギリス、フランス、南アフリカといったラグビー伝統国で開催されてきた。2019年の日本開催は、初のラグビー伝統国以外、さらに初のアジアでの開催という歴史的意義を持つものだった。

 ラグビーワールドカップ2019™日本大会は、世界中から称賛を集め、事前の予想を上回る成功を収めた。その経済波及効果は6464億円にのぼり、世界中のテレビ視聴者は延べ8億5728万人であった。チケット完売率は99%を記録した。ソーシャルメディアによる大会関連動画再生回数は、前回大会と比較し5倍以上の20・4億回に達するなど大きな社会現象となった。テロ事件など大きなトラブルもなく無事に終わった。「史上最高の大会」と世界を驚かせ、様々な意味で、世界における日本のプレゼンス(存在感)を高めた大会となったのである。

 本書は、このラグビーワールドカップ2019日本大会実現の舞台裏にあった組織委員会を中心にした準備・運営プロセスを、物語り(ナラティブ)の形でたどり、知識創造理論の観点から成功と失敗の本質を洞察することに挑戦するものである。その物語りは、ラグビー日本代表がいかに強くなったかではない。世界に認められた国際大会開催という壮大なプロジェクトを導いた組織(組織委員会)の人々の物語りである。

 華々しい成功への道のりは決して平坦なものではなく、次々と問題が続出する苦難の連続だった。「史上最高」と海外からも大絶賛された大会を実現した背景には、知られざる紆余曲折や失敗、挑戦と試行錯誤の人間ドラマがあった。

 どのようなチャレンジがあったのか。

 組織委員会は、予測不可能な危機に次々と直面した。例えば、準備段階では、新国立競技場が急遽、会場として使えなくなる事態が発生した。また、大会期間中には、台風直撃などによって大会中止か否かの決断を迫られた。他にも、期日が限られるなかで様々な想定外の困難に直面した。

 さらに、組織委員会は、組織内外の多種多様な利害関係者との協働が不可欠だった。組織委員会のスタッフは、プロパーメンバー、官公庁、地方自治体、国内外の民間企業からの出向者など様々であり、出自や専門知識などバックグラウンドは多岐にわたっていた。彼らは、組織風土やルール、行動様式がまったく異なる海外出身の専門家やコンサルタント、あるいは未経験者が大多数を占めるボランティアなど、多様な参画者との連携や共創が必要とされた。

 関係先も国内では各自治体や官公庁、海外では上部組織である「ワールドラグビー」や運営を委託された「ラグビーワールドカップ・リミテッド」などとの交渉や協働が不可欠であった。当然、様々な葛藤が生じた。

 事業構造、組織体制の問題が、プロジェクトが進むにつれ表面化した。2012年5月に設立された当初2名しかいなかった組織は、2019年9月末には348名と大所帯になった。ファンクショナル・エリア(FA)と呼ばれる組織内の各部署の役割は状況に応じて変わり、セクショナリズムも発生した。組織体制は解体・再編成が繰り返された。FAごとの業務進行状況やピークが異なるため、FA横断の活動は最後まで混乱を生じた。

 後ほど詳述するが、組織委員会には最終意思決定権はなかった。また、大会保証料という形で9600万ポンド(約130億円)を上部組織であるワールドラグビーにおさめる必要があった。その主な源泉は、チケット販売からの収益であった。

 このように多くの困難に組織委員会は直面した。

 前職を辞め飛び込んだ者、民間企業、地方自治体、官公庁からの出向者、過去の国際スポーツイベントに関わった経験を持つ海外からのエキスパートなど、多種多様なバックグラウンドを持つメンバーたちで構成された組織委員会は、当初、空気を読みすぎ、腹を探り合い、忖度しあい機動的に動けない組織だった。迷走し、失敗し、空中分解しかけ、想定外の事態という荒波にものみ込まれた。

 しかし彼らは、期日が決まったゴールに向かって、行動し、試行錯誤し、失敗に学び、対外組織ともスクラムを組み、プロジェクトを推進できる組織へと自己革新していった。いつしか、誰もが自律分散的に行動を起こし、挑戦する「スクラム」型組織となったのである。

「失敗はできない。何があっても最高の大会にする」、その思いは共通だった。そのために、人生を懸けた人々がいた。様々なしがらみや制約条件のなかでも闘い続けた人々が、組織を動かし2019大会を成功へと導いた。

 今後は、組織や国家を超えて多様な人材で編成され、迅速な成果が求められるプロジェクトや組織が増えていくだろう。そのような組織は、先述のような難問や課題に程度の差はあれ、直面するのではないだろうか。

 そのような組織の究極の姿とも言えるラグビーワールドカップ2019組織委員会が、ミドルが中心となった現場でいかに準備・運営し、目的を達成したか、また失敗も含めた生々しいプロセスは実際どうだったのか、などについて、経営やリーダーシップの観点から検証することは大いに意義があると考える。

「ラグビーワールドカップ2019日本大会」の報告書はある。しかし、そこにはプロジェクトに携わった一人ひとりの生々しいドラマは描かれていない。何が組織で起きたのか、危機に直面したときに、誰が、何を拠り所にどんな判断を下し、どんなアクションを起こしたのか。

「ラグビーワールドカップ 2019組織委員会」はなぜ成功したのか。その成功の本質は何なのか。組織的に創造され成功へと導いた実践知は何なのか。

 コロナ禍やウクライナ侵攻のように全世界的な想定外の危機がどの場所でも起こりうる世の中において、組織、立場を超えてありとあらゆる知恵を結集する、産官学民横断のオープンなプロジェクト形式の取り組みは、ますます重要性を増すだろう。

 普遍的な課題・挑戦が凝縮された国家的プロジェクトであるラグビーワールドカップ2019組織委員会の舞台裏を読みやすく「物語り(ナラティブ)」にまとめるとともに、知識創造理論によって成功と失敗の本質を洞察し、実践知として後世に引き継ぐことは、日本に留まらず世界中の組織にとって有意義であると考えている。


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示