その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は池田浩さんの『 消耗しないためのマルチタスク考 産業・組織心理学から解き明かす「忙しさ」の正体と解決策 』です。

【はじめに】

 現代は、かつてないほどマルチタスクを強いられている社会です。
 働き方は柔軟になり、長時間労働の是正も進んできました。また、スマートフォンの普及に伴い、コミュニケーション・ツールもますます便利になっています。家庭においても、食事や掃除などの家事にかかる時間を短縮する機器が増えました。
 それにもかかわらず、私たちの忙しさは和らぐことはなく、むしろ一層加速しているように感じられます。

 そもそも、なぜ私たちはここまで日々「忙しさ」を感じているのでしょうか。

 ドイツ・イェーナ大学の社会学者ハルトムート・ローザ教授は、現代社会に生きる個人にとって、自由に使える時間が増えているにもかかわらず、時間が足りないと感じられる状態を「加速する社会」と表現しています。彼は、そうした社会で生きる私たちの様子を、ハムスターがホイールで走っている姿やルームランナーで走る人の状況にたとえています。つまり、自ら速く走れば走るほど、足元はさらに速く後ろへ動き、その速度に追いつくために、さらに速く走らなければならない︱。こうした状態が続くと、やがて燃え尽きや抑うつといった形で、心身が疲弊していくと指摘しています。

 私たちは日常的に多くの役割と、それに関連する課題やコミュニケーションにさらされています。そして、多くのことを同時にこなさなければならないと、半ば当然のように信じ込んでいます。

 「マルチタスクはデフォルトだ」
 「同時進行しないと間に合わない」
 「忙しいのは仕方がない」
 こんなふうに思っている方も多いのではないでしょうか。

(イラスト:坪本幸樹)
(イラスト:坪本幸樹)
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 しかし、心理学の研究は、人間の注意や情報処理能力には限界があることを示しています。とりわけ、複数の高度な作業を同時に処理することは難しく、むしろリスクを伴います。

 では実生活の中で、マルチタスクは私たちにどのような影響をもたらしているのか。また私たちの忙しさをもたらすマルチタスクとは、いったいどのようなものか。そして、その中で働き続けるための方法はあるのか。本書はこういった点に焦点を当てています。

 私が専門とする産業・組織心理学では、「組織に勤める人々がいきいきと働き、そして成果を上げるためには何が必要か」という問いが古くから研究されてきました。

 私自身も、大学で社会心理学を専攻し、「リーダーシップ」の研究に魅了されて以来、もう30年近くこの研究分野に従事してきました。そして、十数年前からは、管理者のリーダーシップが、働く人々の意欲(ワーク・モチベーション)にどのような影響を与えるのかについても研究を行うようになりました。
 それ以降は、モチベーションの尺度開発に加えて、成果や業績を上げることよりも、失敗やミスを回避することが求められる仕事におけるモチベーションと、そのメカニズムについて研究を進めてきました。

 2019年に、日本経済新聞の「やさしい経済学」というコーナーで当時、関心を集めていた働き方改革を中心に、働く環境の変化とモチベーションを関連づけて考察する「働き方の変化とモチベーション」という連載を担当しました。その連載が拙著『モチベーションに火をつける 働き方の心理学』(2021年、日本法令)になりました。そこで取り上げていたテーマの1つが、「マルチタスク」です。

 2025年に再び日本経済新聞の「令和なコトバ」というコーナーで、マルチタスクや注意残余といった話を紹介する機会に恵まれました。その際、予想以上に関心を示された方が多く、働く人が日々マルチタスクに悩んでいる事実を痛感しました。

 「やさしい経済学」で連載した当時は、1回の記事で取り上げる程度の問題意識しかありませんでしたが、コロナ禍でオンラインのコミュニケーション・ツールが普及し、ますますマルチタスクに悩み、また苦しむ人も少なくないと感じるようになりました。それが、本書の執筆を始めたきっかけです。

 かくいう私自身も、日々のマルチタスクに悩むことが少なくありません。
 仕事を終えて夜に帰宅すると、多忙感でぐったりしながら、あれもこれもと仕事が進んでいない焦りから、イライラしてしまったり、家族に迷惑をかけてしまうことがあります(妻と子どもたち、ごめんなさい)。家庭でも、子どもたち3人の世話や、送り迎えなどもあり、妻との情報共有や連携は欠かせません。学会でも重要な役職を担うようになり、2019年から編集委員長、2022年からは会長を拝命して、一層忙しくなったのです。この間、保護者として、PTAの役員も引き受けていました。

 執筆にあたり、なぜ私たちがここまで忙しくなっているのか、疲れているのかを掘り下げていくと、そこにはいろいろな「マルチタスク」の存在がありました。

 本書『消耗しないためのマルチタスク考』は、私の専門である心理学や産業・組織心理学の研究成果を踏まえて、マルチタスクに悩み、どう対処すべきか悪戦苦闘しているビジネスパーソンに向けて執筆しました。同時に、私自身にとってもマルチタスクに向き合うためのものでもあります。

 本書が、多くのビジネスパーソンにとって、マルチタスクに振り回されることなく、いきいきと働くための一助になることを願っています。

池田 浩


【目次】

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