その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はシモーヌ・ストルゾフさんの『 静かな働き方 「ほどよい仕事」で人生を取り戻す(日経ビジネス人文庫) 』の「プロローグ」から、一部を抜粋してお届けします。
過労死はマラリアによる死者数よりも多い
本書の原題「ほどよい仕事(The Good Enough Job )」は、「ほどよい育児」という考えにちなんでいる。
これは英国の精神分析家で小児科医であるドナルド・ウッズ・ウィニコットが1950年代に提唱した理論だ。ウィニコットは人々の育児に対する理想が高すぎると感じていた。親は赤ちゃんが一切の不快を感じないよう、すべてに対処する完璧な親になろうとしていて、その結果、赤ちゃんが1回でもネガティブな反応を示しただけで、ひどく狼狽(ろうばい)してしまうのである。
だから完璧な対応よりも、ほどほどな世話のほうが親と子のどちらにとっても有益だとウィニコットは考えた。そして完璧な親とは対照的に「ほどよい親」は子の世話はするが、子が完璧ではない現実を受け入れるための余白も残す。その結果、子はレジリエンス(逆境に対する適応力)を身に付け、親も子の感情に過剰に振り回されなくなるのだ。
現代において仕事への期待はどんどん膨らんでいる。かくいう僕も、WeWork で「愛することを仕事にしよう」と書かれたマグカップを片手にこの文章を書いている。非常に長い時間働くことを考えれば、職業選択は(少なくとも選べる余裕がある人にとっては)極めて重要な決断だ。人生のパートナーを選ぶのと同じくらい覚悟を持ってキャリアを追求しようと考えるはずである。
しかし、結論から言うと、常に満足感を与えてくれることを仕事に期待することには失望が伴う。「仕事への傾倒」は、燃え尽き症候群や仕事関連のストレスにつながることが調査によって明らかになっている。また、仕事を中心とした生活スタイルが定着している日本のような国では、それが史上最低の出生率の要因にもなっている。米国でも職業的な成功への過剰な期待が、若者の間でうつ病や不安障害の発生率が過去最高水準に達した一因となっている。世界的に見ると過労に関連した死者数はマラリアによる死者数よりも多い。
こうした調査がなくとも、過剰な期待が失望の原因になることを人々は直感的に理解している。やる気と満足感を得られ自己実現につながる仕事を期待している場合、期待にそぐわない仕事で妥協することは「失敗」のように感じられる。しかし、仕事というのは赤ちゃん同様、常にコントロールできるものではない。自己評価とキャリアを結びつけるのは危険なのだ。
かといって、これは仕事をないがしろにすれば解決できる単純な問題でもない。多くの人は人生の3分の1、およそ8万時間を仕事に費やす。その時間をどのように過ごすかが重要なのは間違いない。だからこそ、やりがいのある仕事を追求することと、仕事に人生のすべてを支配されるリスクとのバランスをどのように取るかが大事なのである。
解決のヒントを得るためにもう一度ウィニコット博士の知恵を借りよう。「完璧(perfection)」と比べると、「ほどよい(good enough)」は手の届く理想像だ。「ほどよい」は仕事で得られるものを美化することもなければ、仕事を絶え間ない苦行であるとするものでもない。「ほどよい」は、あなたなりの「足るを知る」ことを勧めている。あなたの価値は仕事で決まるのではなく、人生における仕事の役割はあなた自身で決められるということを示しているのだ。
大好きな詩人からの予想外の言葉
大学4年生のとき、僕は大好きな作家で詩人のアニス・モイガニにインタビューする機会に恵まれた。当時、モイガニはポエトリー・リーディング(詩の朗読)の全国大会で2年連続で優勝し、キャリアの絶頂にあった。モイガニは僕が初めて出会った執筆とパフォーマンスで生計を立てていた人でもある。彼は世界中を旅して大学で講演をしたり、ミュージシャンの前座を務めたりしていた。僕にとっては職業上のロールモデルであり、韻(ライム)の世界のロックスターだった。当時22歳で詩を学んでいた僕は、社会という未知の世界に旅立とうとしていた。そして「やりたいことを探せ」といった背中を押すようなアドバイスをしてくれることを彼に期待していた。しかし、彼の考えは違った。
「愛することを仕事にすれば、1日たりとも働かずに済む」という言葉についてどう思うかと尋ねたとき、彼は僕の心に永遠に刻まれることを言った。
「仕事はどうやったって仕事だ。一部の人は好きなことを仕事にしている。仕事以外の時間に好きなことができるよう働いている人もいる。どちらがより貴いということはないよ」
最後のひと言は僕を強く揺さぶった。それまでの僕は自分にぴったりの仕事を見つけることこそ人生最大の使命だと信じて疑っていなかったのだ。
「日々をどのように過ごすかは、人生をどのように過ごすかである」とは、作家アニー・ディラードの有名な言葉である。
選んだ仕事とは、その人が日々何をするかだけでなく、その人が何者であるかを定義するという意味だと僕は思っていた。それなのに、僕が尊敬する職業上のロールモデル、少なくとも詩を生業にしている人は、仕事は生活費を稼ぐための手段でも構わないと言う。
しかも、ディラードのよく引用されるこの一文は、しゃかりきになって働く文化や、理想の仕事を絶えず追い求めることを正当化するためのものではないことを最近知った。文章の続きを読むと、ディラードの伝えたいことはむしろ逆であることがわかる。「この1時間の過ごし方は、私たちの生き方である」と続く。「精神を充足させるのに必要なものはだんだんと減っていく。時間は十分にあり、その過ぎゆく様は甘美である」。この言葉は会社での昇進ではなく、今この瞬間を楽しむことを呼びかけるものだったのだ。
仕事に生活を乗っ取られると、人生のほかの要素が隅に追いやられてしまう。心理療法士のエステル・ペレルは、「多くの人は自分のとっておきの部分を仕事で使い、家に持ち帰るのは出がらしの部分だ」と言った。
すべてのエネルギーを仕事に注ぎ込むと、自分の中に存在する配偶者、親、兄弟姉妹、隣人、友人、市民、アーティスト、旅人といったほかのアイデンティティを育む余力がなくなってしまう。投資家が投資先を多様に分散させることで利益を得るのと同じように、人もまたアイデンティティややりがいを感じる活動を多様に広げることから恩恵を得る。人生の意味は授けられるものではない。それぞれがつくり出すものなのだ。そして、創造的な活動には時間とエネルギーがいる。仕事以外の活動に没頭する時間と、それを実際にこなすエネルギーが必要なのだ。
あなたの価値は仕事で決まるわけではない
プロローグの締めくくりに本書の構成について説明しよう。
各章では異なる業界の人の話を取り上げる。ミシュラン星付きレストランのシェフ、ウォール街の銀行家、グーグルの駐車場に停めたトラックで寝起きするソフトウエアエンジニアなどだ。それぞれの物語を通じて、現代の労働文化に根付いている思い込みについて検証する。
例えば、「会社は家族だ」や「愛することを仕事にすれば、1日たりとも働かずに済む」といった仕事にまつわる格言の多くは、よく見るとひどく曖昧で不確かである。
この本がほかのキャリア本やビジネス本と異なるのは、各章が個人の体験に重きを置いている点だ。一部の読者には申し訳ないが、「自己評価と仕事を切り離すための簡単3ステップ」や、「次の人事評価を心配しないで済む10のコツ」といったことは書かれていない。この本は教科書というよりも、あなたの写し鏡のように使ってほしい。
本書を書くことが僕にとってそうであったように、この本をあなたにとって仕事との関係を見直すきっかけにしてほしい。どの人の経験も僕自身の思い込みの正当性を問い、人生における仕事の役割を再定義する助けになった。この本を手に取ってくれたあなたにもぜひそのような体験をしてほしい。
ここで紹介する人は誰もが、仕事のやりがいと生計を立てる手段との間で均衡を見出そうとしている。歴史家のスタッズ・ターケルの言葉を借りれば、それは「日々生きるための意味と、日々生きるためのパンが手に入る仕事」の探求だ。
仕事との関係づくりは1日で終わるものではない。「1時間残業しようか」とか「休みだけどメールをチェックしようか」と頭によぎるたびに向き合わなければならない問題なのだ。この本は、仕事に充足感を求めることに反対するものでも、仕事を必要悪と断定することを強要するものでもない。仕事との関係に悩む人たちの話を通じて、仕事とのより健全な関係をつくる指針を提供したいのである。
仕事とよい関係を築くことは単に仕事を辞めたり、趣味として編み物を始めたりすることで達成できるものではない。また誰もが自分の勤務時間を決めたり、仕事を好きに選んだりできるわけでもない。けれど、仕事に対する期待値だけは自分で決めることができる。
仕事を軸に生活するのではなく、生活を軸に仕事ができるはずだ。
そしてその変化は、「あなたの価値は仕事で決まるわけではない」というシンプルな認識から始まる。
【目次】






