その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は坂口大作さんの『 戦略文化 脅威と社会の鏡像としての軍 』。「まえがき」をお届けします。

【まえがき】

 戦後の日本は、安全保障を努めて疎遠にしてきた。「軍事=悪」と捉える歪んだ平和主義に裏打ちされた日本社会では、安全保障の中核を担う自衛隊も異質の価値観を持つ組織として敬遠された。そのため自衛隊は、世間の冷たい逆風にさらされながら国防任務に勤しむとともに、広範かつ多種多様な民生支援や広報を行い、敵対的ないし無関心な社会に働きかけ、自己の存在意義について国民の理解を求めてきた。それがそれなりの成果を上げるとともに、戦略環境や社会情勢が変化し、国際貢献活動等の実績が加わると、国民の自衛隊に寄せる風当たりや反感は、創隊期に比較すればかなり緩和されてきたかに見える。

 さらに近年は、北朝鮮により矢継ぎ早に行われる核・ミサイル実験、中国による海空域における力を使った一方的な現状変更、そしてロシアによるウクライナ侵攻等が生起し、日本の戦略環境は戦後最も厳しく複雑であると言われるようになった。冷戦期とは異なり国民は身近に脅威を認識するようになり、自衛隊への関心と期待は高まりつつある。政府は、2022年12月に「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の防衛三文書を策定し、防衛費を急増した。

 では、安全保障や自衛隊に対する日本社会の理解が十分に得られるようになったのかと問えば、必ずしもそうではない。他国による軍事的緊張は、時が経てば対岸の火事として忘れ去られて、国民の安全に対する意識は薄れる。テロ対策もアメリカでは重要な安全保障問題だが、日本では一過性の事件として取り扱われる1。科学、経済、安全保障の連携は一向に進まず、総合的な安全保障政策は依然として停滞している。

 国民が寄せる自衛隊への期待や理想は非軍事的任務にあり、武力集団としての自衛隊ではないことは、世論調査の結果にも表れている。日本の安全保障において「軍事」は変わらず敬遠されがちである。そのため、自衛官の募集、特に任期制隊員の確保は、少子化の進行とともに低迷が続き、自衛隊の人的基盤強化は日本の安全保障の喫緊の課題となっている。

 防衛力の抜本的強化が望まれるなかにおいて、日本社会で安全保障や自衛隊が広く身近に理解されないのはなぜなのだろうか。その理由の一つとして、戦後に生まれた「軍事=悪」という反軍的文化が、しぶとく日本社会に根づいており、それが自衛隊のあり方に依然として大きな影響を及ぼしていることがある。ある国の国防や軍の形とは、その国の文化と国民の総意から成り立つ国民の意思そのものだと言えよう。

 だが、多くの国民や社会から支持されていた戦前の日本軍にしても戦後の自衛隊にしても、同じ日本人により創隊された日本の軍事組織であることに変わりはない。そこにどれだけの差異があるというのだろうか。国防や軍(自衛隊)に対する日本人の心情は、一度の敗戦によって根底から変わってしまったのであろうか。国防や軍の形が文化と国民の総意であるというのであれば、戦前・戦後では、日本民族も日本の文化も変わってしまったのであろうか。


 各国の軍事制度や軍事形態は多くの場合、二つの要因によって定まるのではなかろうか。一つは脅威への対応を含めた国家の戦略的要求である。国家は脅威に対する抑止力と脅威を排除するために必要な能力を軍に持たせなければならない。

 通常、国家に切迫した脅威がある場合は、軍の能力・規模は最大限に高められる2。また、国家目標を実現し国益を増進するために軍事力に依存することもある。強制外交や国力の顕示に、あるいは平和外交を実現する手段として軍を用いる場合は、それぞれの目的に応じた能力のある軍ができる。コーエン(Eliot Cohen)が「戦略とは、いつ、どこで戦うかについて選択するだけでなく、それに備える組織や機関に関わることでもある3」と指摘するように、軍とは戦略的要求を具現化する組織なのである。

 もう一つは、社会の価値観や規範等を含む文化的要因である。軍隊は社会の鏡像と言われるほど、意識的あるいは無意識的にその国固有の文化から強い影響を受ける。地理的条件や民族的特性、自然環境や宗教、歴史的記憶と信念、および世論や社会思想等がつくり出す文化は、脅威認識や武力行使の意思決定および軍の性格を決める基盤となる。

 例えば、他国から武力侵攻を度々受けてきた国では、外的脅威に対する恐怖感と国防に対する強い信念、軍事を重視する価値観が形成され、尚武(しょうぶ)の文化に支えられた屈強な軍ができやすい。反対に安全保障に恵まれた地理的環境にあり、外敵との交戦経験が少ない国家には、軍事を厭う平和的文化が根づき、軍も柔弱になりがちである。

 一般に軍は、社会とは異質な存在と見なされ敬遠されやすい。なぜなら、軍は国家権力を直接的に武力で代弁する組織であるばかりか、他国に対しても自国の人々に対しても巨大な潜在的破壊力を持ち、暴力と戦争を連想させるからである。平時は抑止力として機能し国や国民を守っていても、その成果は認識されがたい。それどころか、非生産的で税金の無駄遣いと罵られ、非難されることもある。

 その異質な軍を受け入れる包容力を社会がどれだけ持ち合わせているのか、それは文化によって異なり、その寛容さの度合いが、軍の精強性を決める一つの要因となる。社会に期待される軍は強く、疎外される軍は弱いであろう。

 しかし、たとえ社会の安全保障意識が薄弱で国民から期待されていなくても、軍は国防に任ずる以上、武力を管理し軍備を強化しなければならない。したがって、防衛力を強化しようとすればするほど軍と社会の間の溝は一層深まるパラドックスに陥る。

 それでも、軍人は自己犠牲を厭わず、日夜厳しい任務と訓練に耐えていかなくてはならない。暴力を管理する者として平時でもセンシティブな緊張状態に置かれ、自らを律していく厳格さも求められる。有事には国民の信頼と賛辞を一身に浴びても、平和な時代においては、水面下で孤独に歩み続けなければならない宿命にあるのが軍人である。

 そのような意味では、多くの職業があるなかで軍人ほど世界共通のマインドを持っている専門集団はないのではなかろうか。世界の軍は似通った境遇に置かれ、軍人は社会から尊敬され脚光を浴びるか、または疎外され孤立するかどちらかの道を歩まなければならない。そして、プライドと自己嫌悪が混在した釈然としないミリタリー・マインドを共有するようになる。おそらく、このようなマインドは、どのような軍事知識を持っていたとしても、職業軍人でなければ理解できないものであろう。

 しかし、軍や軍事制度は多くの場合、軍人ではなく軍を直接知らない一般社会の人々によってつくられる。ドイツの軍人であったゼークト(Hans von Seeckt)は「軍は国民の一部であり、またかかる部分としての自覚を有せねばならぬということである。既に今日では、いかなる国の軍も純粋な国民的性格を帯びたものの身であると考えてよい。さすれば一国民の具有するすべての性質は、そのまま軍の性質に反映するはずである4」と指摘する。

 軍隊はその国の文化を反映し、その点で国民的性格を帯びたものとなる。つまり、軍の姿とは、国民の意思の反映であり、社会の価値観をつくり出す文化とは、軍の外面ではなく内面的強さの神髄、言わば「魂」をつくり出す役割を果たしている。

 人は環境に応じて生活態度を変えることはできるが、生来的な性格を変えることはできない。それと同じように脅威や国策に応じて軍事力や軍隊は変えられるが、その国固有の文化が反映された軍の性格を変えることはできない。地理学者の飯塚浩二が「軍隊の母胎がその国の社会以外ではありようがないし、軍隊の思想、性格はその国の文化の申し子といってもいいすぎではないのではないか。たとえを鉱物にかりれば、結晶とでもみるべきで、明礬の溶液からは、明礬特有の結晶しかあらわれてこないというようなものである5」と述べているように、軍は本質的に文化の呪縛から逃れることはできず、文化によってつくり出された軍の姿とは、国民の意思が反映された文化の偶像である。


 「脅威」と「文化」の間には相関性があり、脅威が弱まれば文化の影響は強まり、脅威が強まれば文化的要素を度外視せざるを得ない戦略と軍がつくられる構図となっている。なぜなら、間近に脅威が迫っているにもかかわらず、反軍的な文化ばかりを優先すれば、その国家は滅びてしまうであろうし、逆に脅威もないのに意味なく軍事力を強めることは、限られた国家資源を無駄に浪費するばかりか、近隣諸国との間に安全保障のジレンマを生み、緊張を煽りかねないからである6

 脅威に軍事力で対応して生存を維持するよりも、たとえ国家が滅びようとも名誉や文化を優先することがあるかもしれない。だが、一般的には軍の形とは「脅威」と「文化」のバランスと調和によってつくられていると言ってよかろう。

 我々はどちらかと言えば文化を意識することなく、脅威のみに目を向けた戦略や軍のあり方に意識を傾けやすい。しかし、グレイ(Colin Gray)が「すべての戦略行動は文化的行動であり、各国の行動様式は、固有の歴史的経験や政治文化、地政学的環境に根ざしている7」と説明しているように、文化的側面から戦略や軍を見ることも必要であろう。

 そのような要求を受けて、1970年頃から国際政治学者によって文化にも目を向けた「戦略文化論」が論じられるようになり、文化と戦略の因果関係について解明されてきた。しかし、戦略も文化も曖昧な概念であり、具体的な事例に乏しく、しかも実証性に欠けていることから下火となり、後に国際関係学の理論パラダイムの一つである、コンストラクティヴィズム(constructivism:構成主義)の流れに組み込まれていった8

 そこで本書では、脅威と戦略、そして文化によってつくられる軍の形に目を向けて、今一つすっきりしていない戦略文化を再考する。抽象的概念である戦略とは異なり、戦略行動をとる軍の形は実際に目視できるため、軍を見れば、その国の戦略と文化の関係が何かしら浮き彫りにされるはずだ。

 確かに軍の形に反映されている文化を抽出するのは難題だが、実際、軍ほど文化の所産と言える組織はないのではなかろうか。なぜなら、安全保障は国家の究極的な「共通善(common good)」であり、その中核を担っているのは軍だからである。日本人が日本的、アメリカ人がアメリカ的と意識する文化が何かしらあり、我々は意識的・無意識的にそれを受け入れており、社会の縮図とも言える軍にも当然、文化が反映されている。特に国民の日常生活に直接関わる兵役制度に文化は写し出される。

 キーン(Donald Keene)は「日本人となったが、毎日の朝食はクロワッサンとコーヒーであり、アメリカ人としての習慣から抜けだすことはできない」と述べている。すべての人間は文化によって支配されており、プログラム化されている。したがってすべての戦略行動は文化的行動であり9、軍も文化的所産と言えよう。我々は、本質的に生得的な文化の呪縛から逃れることはできず、自衛隊は日本人にしかつくれず、米軍はアメリカ人にしかつくれず、軍とは文化をまとった組織なのである。


 本書では、戦前の日米両軍、および戦後の米軍と自衛隊を「文化」「脅威」および「軍事戦略」に照らし合わせて考察・比較することで、軍の形成に何かしら影響を与えている戦略文化を明らかにする。

 陸軍を取り上げたのは、国民の日常生活と交わりが深く、社会的価値観を含めた文化が反映されやすい組織であるからである。飯塚は「軍人は平素命令が一切を決定するような体制の社会に暮らしているために、彼らは生産活動を通じて絶えず現実に審判される地方人の場合と違って、かえって極めて観念的な立場に立てこもりやすいということもある。そのために一国の文化の特色的な一側面が、軍隊において強調されて現れているとさえいうことができる。この意味で、軍隊の比較文化論的な立場よりする研究は、国々の文化を理解する上に、かなり有力な手がかりとなり得るように考えられるのである10」と指摘している。

 それは、「社会」と「軍」の関係を問うことではないかと、疑問を持たれる読者もいるかもしれない。しかし、本書では社会の価値観も広く文化の一部として解釈し、文化も戦略と並んで軍を形作る役割を担っていることを述べたい。また、本書では多少の関連から記述を避けられないにしろ、日米両国の戦争観や軍内部の組織文化11、および細かな兵力の推移・兵制等の歴史的変遷を記述するものでないことを、はじめに断っておきたい。


 日米両国は文化、戦略、軍隊観、そして軍の形において面白いほどコントラストをなしており、戦略文化の差異を引き出す格好の材料を持ち合わせている。しかも第2次世界大戦を境として、両国の文化と軍の形が入れ替わっているのには、興味をひかれる。

 特に米陸軍について多くの紙面を割いたのは、建軍の過程において戦前の米軍ほど、そこに文化の影響を見出せる例はないからである。日米両国は、国際社会において比較的遅く開花した新興国家である。アメリカがイギリスから独立し建国されたのは1776年、日本では明治維新による近代国家への幕開けは1867年であり、その差は100年に満たず、悠久の歴史からすれば、ほぼ同時期と見なしてよかろう。アメリカの建国も、そして近代国家の幕開けを迎えた明治の日本も、どちらも大きな夢と希望をもって誕生した。また、アメリカは太平洋と大西洋に挟まれた島国大陸、日本は四面環海の島国であり、大陸国家に比較すれば他国からの軍事侵略の不安が少ない地理的特性を備え、安全保障では恵まれた環境にある。

 このような類似性がある一方で、建軍という点では両国はなぜか異なる文化を背景として真逆な発展をたどってきた。一言で表現すれば、建軍過程において、米軍には「文化」が、日本軍には「脅威」が強く作用した。

 安全保障上、恵まれた戦略環境にあり孤立政策をとっていたアメリカにおいては、切迫した外的脅威もなく国外に外征でもしない限り、これといった戦略は必要とされなかった。したがって、東洋やヨーロッパ諸国の武士や騎士団等がなんらかの形で武力を用いて国造りをしてきたのとは異なり、アメリカでは職業軍人が建国にあたり中心的役割を果たすことはなかった。それどころか、自由、平等、博愛の精神を建国の理念とするアメリカ社会において、常備軍は個人の自由を奪いかねない中央権力の象徴であり、嫌悪の対象とされた。米軍は、「反軍的文化」をまともに受け不本意に誕生した組織であった。

 アメリカの考察では、主に戦前に行われた陸軍の予備兵力増強施策に目を向ける。連邦軍の増強が抑制されていたアメリカでは、予備兵力を強化することで兵力不足を補おうとした。それに対する議会や社会の反応から、アメリカにあった根強い反軍的文化を垣間見ることができるからである。

 軍に対する警戒を明文化し、露骨に反軍的文化を表出するアメリカに対して、曖昧な情緒性を好む日本文化と軍の関わりを捉えるのは、かなり難解である。明らかなことは、少なくともアメリカとは正反対と言えるような文化が日本軍を形作った。

 日本の近代陸軍をつくったのは、まぎれもなく幕末から押し寄せた列強からの「脅威」であった。日本は、脅威に対応し、いち早く近代国家を築き上げるための強い軍を必要とした。日露戦争後、脅威から幾分解放されても、野心的な国策を満たすための大陸政策と攻勢的戦略は引き継がれ、軍は「外征軍」となり発展した。しかし、過度の膨張政策に作用していたのは、脅威だけではなく、社会思想や世論、民族意識やアジア蔑視といった日本人のアイデンティティをバックボーンとした文化もあった12

 ところが、第2次世界大戦終結を機に、日米両国における社会の軍隊観がまるきり逆転した。アメリカでは軍に信頼を寄せ、日本では軍を悪と捉える規範が生まれた。これは、日米両国にあった戦略文化が急変したことを意味するのであろうか。本書では、大戦という一つの契機が、はたして日米両国の文化を変えてしまったのかという問いを投げかけ、吟味したい。

 また、文化的背景が異なる日米両国間の同盟が、強い絆で長期間機能している理由を文化の側面から考察する。それによって、将来の同盟の姿を多少であっても予見できるのではなかろうか。

 日米両軍に限ったことではなく、軍の形を見ると、そこにはその国ならではの文化を見出すことができるはずだ。そして、半ば不変的な戦略文化を問うことは、その国に通底する軍事的価値観をつかむことになり、それは将来の軍事戦略を予測する確かな手立てともなろう。

 なお、本書で活用している米軍関連一次資料の多くは、米国国立公文書館(National Archives(College Park, Maryland))および米国議会図書館(Library of Congress, Washington D. C.)において入手した。

1 宮坂直史「テロリズム対策における戦略文化――一九九〇年代後半の日米を事例として」日本国際政治学会編『国際政治』第129号「国際政治と文化研究」2002年、61~76頁。
2 松下芳男『明治軍制史論(上)』有斐閣、1956年、122~123頁。
3 Eliot A. Cohen, “The strategy of innocence? The United States, 1920-1945,” in Williamson Murray, MacGregor Knox and Bernstein Alvin ed., The Making of Strategy: Rulers, States, and War, Cambridge University Press, 1994, pp.429-432.
4 飯塚浩二『日本の軍隊││日本文化研究の手がかり』評論社、1968年、292~293頁。
5 同上、292頁。
6 ハンチントン(Samuel Huntington)は、The Soldier and the State において「機能的要件(functional imperative:外敵の脅威から国家を守る精強性)」と「社会的要求(societal imperative:社会から受け入れられる組織特性を備えること)」のバランスについて言及している。Samuel P. Huntington, The Soldier and the State, Harvard University Press, 1957, pp.2-3.
7 Colin S. Gray, “National Style in Strategy: The American Example,” International Security Vol.6, no 2, 1981, p.9; ColinS. Gray, “Strategic culture as context: the first generation of theory strikes back,” Review of International Studies 25, pp.49-69.
8 Jeffrey S. Lantis, Strategic Culture: From Clausewitz to Constructivism, SAIC, 2006, p.1.
9 Gray, “Strategic culture as context: the first generation of theory strikes back,” p.49.
10 飯塚『日本の軍隊』22頁。
11 日米両軍の組織文化について論じた優れた研究に、河野仁『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊』(講談社選書メチエ、2001年)がある。
12 例えば、Jack Snyder, Myths of Empire: Domestic Politics and International Ambition, Cornell University, 1991.

【目次】

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