その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はマイケル・シューマン(著)、漆嶋稔(訳)の『 孔子復活 東アジアの経済成長と儒教 』です。
【はじめに】
孔子は世界をどう変えたか?
自分の結婚式が2500年前の中国人によって台無しになる寸前にまで追い込まれるとは夢にも思わなかった。
2009年春、長く付き合った恋人ユーニスと結婚した。彼女は韓国系米国人ジャーナリストで、ごく普通の純白のドレスとユダヤ・キリスト教の挙式を予定していた。ところが、これにペベクと呼ばれる韓国式の婚礼儀式を追加したいと彼女は考えた。純白のドレスをハンボクという色鮮やかで優雅な韓国伝統のガウンに変更し、我々2人が彼女の両親の前で深くお辞儀することにしたいという。その後、両親から祝福を受ける。そして子宝に恵まれることを願い、両親が栗や棗(ナツメ)を投げると、新婦がスカートを広げて受け止める。
ユーニスからペベクのことを聞かされた私は胃がむかむかした。特に不快に思ったのが深いお辞儀だ。これは極めて定型化されたもので、卑屈なほどに床に額を付けてお辞儀する。
私はユダヤ人として育てられ、人は自らを尊ぶべきで、誰に対しても土下座するような真似をしてはならないと教えられた。プリムというユダヤ教の祭りの日には必ず読む旧約聖書エステル記では、ペルシャの宰相があるユダヤ人の男が自分に服従しないことに激怒し、報復として帝国内のユダヤ人を皆殺しにしようとした。現代のユダヤ的慣習では、完全な平伏は神も評価しない。一般的には全能の神に対する服従の証(あか)しとして、両膝を曲げて頭を下げることもほとんどない。
だが、東アジアでお辞儀は日常生活の習慣的な仕草であり、他人(特に権力者)に礼儀を示す普段の動作だ。年長の家族、職場の上司、役所の高官、大学の先輩にもお辞儀する。東京勤務が長い私の友人は、以前、こんなジョークを口にした。
「知っているかもしれないけど、日本に長年住んでいると電話口でもお辞儀するよ」
だが、ユーニスの両親へのお辞儀はありふれたものではない。身振り手振りはより重々しく、特別な意味を示唆していた。現代の欧米諸国とは異なり、他の東アジアのように韓国の両親も少なからぬ崇敬の念を持って遇される。ユーニスの父親にお辞儀すると、私は娘婿としての義理を果たす。拒絶すると式の前に危機を迎え、激怒した新婦をあらぬ動きに駆り立てるかもしれない。
その窮地を救ってくれた孔子に感謝したい。彼は紀元前6世紀に生まれた著名な中国の哲人で、繁栄する平和的な社会の基礎を「孝」の実践と考えた。この道徳概念の重要性はいまも健在で、彼の不朽の遺産の1つだ。
孔子によると、社会で父と息子の関係以上に大切なものはない。親孝行の息子(私の場合は娘婿)の義務は深遠で、人間の美徳の中で最も基本的な徳目だ。家族の中で学んだ道徳と礼は、社会全体に容易に伝えることができる。子が親に尊敬の念を持って行動すれば、学校、職場、晩餐会などでも他人とうまく交流できる。
家族の1人ひとりが自分の役割を理解して果たせば天下はうまく治まる、と孔子は考えた。言い換えると、ユーニスの両親にお辞儀すれば、私は社会における調和を強めるだけでなく、人々、世間、天下の間の整然としたバランスにも貢献する。
だが、これは決して容易ではない。本来ならペベクに秘められた重要性を思えば、私はただ口を閉じて床に額づくべきだった。孔子は常に人々がこのような社会的儀式に従うことを期待した。そうなれば、社会のメンバー間でも平和的に尊重し合う交流の基礎ができると考えた。残念ながら、私は儒教の教えに忠実ではなかった。その証拠に、この慇懃(いんぎん)な儀式が苦痛であることを何かの機会にユーニスに伝えようとした。
いま思うと、私は勘違いしていた。ユーニスはアメリカ中西部で生まれ育ったため、昔気質の韓国女性とは程遠かったはずが、突然本物の儒教徒に変身する。特に、両親には深い尊敬の念を抱いていたのだ。
彼女の心の内のことなので普段はほとんど気づかなかったが、ペベクへの不安を彼女に伝えた途端、儒教徒的伝統が姿を現す。これが彼女の一族が持つ基本的価値観であり、韓国の両親が世界中に散らばっている子供たちに教え込んでいるものだ。彼女にとってペベクはあまりに大切で、交渉の余地は一切なかった。
「慣れてよ」
そのひと言だった。言葉はあたかも墓から蘇った古代の聖人が床を杖でコツコツと叩きながら、私を𠮟責しているかのように感じられた。
私は渋々自分の不満を吞み込んだ。結婚式当日の朝、彼女の弟ジェームズにお辞儀の作法について教えを受けた。好きなやり方は許されず、あくまで正式な作法を求められた。そこでホテル内の誰もいない廊下を見つけ、ジェームズから急ぎ個人レッスンを受けた。
身体は動かさず両手を額に置き、親指と人差し指で両手の間に三角形を作る。それから身体のバランスを取るよりも両手を動かさないことを優先し、膝をついて身を屈(かが)める。次に両手と額が床板に付くまで腰を曲げる。数秒間続けた後、頭を起こし再び両手を使わず、両親が話し終えるまで膝立ちの姿勢を保つ。
ペベクが始まると動悸が速くなった。式の中で最も神経が磨り減る瞬間だった。我が親友諸氏は見守ってくれたが、動悸は収まらなかった。幸い、恥をかくこともなければ他の誰にも失礼なく式を終えたので、ユーニスの父親はとても喜んだ。私は安堵して深呼吸した。だが、意外な展開が待っていた。
ユーニスの両親は我々に、「新郎のお母様にもペベクをなさるべきです」と求めたのだ。母は私がこの儀式に不満なことを知っていたはずなのに喜んで受け入れ、息子が土下座する様子を楽しんだ。これには落胆した。思うに、心の底では誰もが儒教徒なのかもしれない。
16億人の生活に生き続ける孔子
偉大な聖人は現代でも依然として影響を及ぼしている。私の結婚式に孔子の影響があったことは、ほんの一例に過ぎない。孔子が自らの考えを説いてから2500年後の現在も、その教えは東アジア社会に息づく。数え切れない政治的激変や経済的変化、外国勢力の奔流、宗教的文化的影響の中を生き延びてきた。ここ数十年で東アジアの現代化は急速に進んできたが、時代を超越した孔子の理想を理解して取り組まない限り、中国人、韓国人、日本人との意思疎通はやはり至難の業だ。
孔子の教えは政府各省や議会でも見受けられる。例えば、官僚が政策を決めるやり方や民衆との関わり方に影響を与え、企業の役員室や工場ではCEOの経営戦略や人事戦略の指針となっている。教室では教師が生徒に教育する方法を方向付け、寝室では夫婦関係に割り込んでくる。
他にも、東アジアにおける民主主義の捉え方、子育て、職業選択、職場での振る舞い、自己認識に孔子が影響を与えている。事業経営を成功に導き、政府高官との交渉に成功し、デートの話題を理解し、現代東アジアの人々の士気を高める方法を入手するには、孔子の重要性を認識しないと無理だろう。
以上のことから、孔子が史上最重要人物の1人であることは明らかだ。彼の教えは16億人を超す人々の日常生活を形作る。北は日本から南はインドネシアのジャワ島までを含む地域だ。現在の世界を見ると、儒教文化以上に大きな影響力を持っているのはキリスト教文化だけだ。『共産党宣言』や聖書からハリー・ポッター、モカラテ、マクドナルドからブリトニー・スピアーズまで、アジアは外国勢力に攻め込まれている。だが、人々が息苦しくて根無し草のように拠り所なく、誰かに席を奪われそうな恐怖に怯(おび)える日常生活に埋没することはなく、孔子は影響力を保ち続けている。
その結果、アブラハム、イエス・キリスト、ムハンマド、アリストテレス、ゴータマ・シッダールタと並び、孔子は現代文明を築き上げた1人と見なされる。
にもかかわらず、欧米人の大半は孔子を知らない。この認識不足は極めて危うい。アジアが世界的に重要な地域になり、グローバル経済や国際的な地政学上で過去何世紀も影響力のあった地域以上に存在感を高めるに伴い、孔子とその文化も次第に知られるようになった。東アジアの新興国と付き合い、この地域のビジネスマン、政治家、政策立案者を動かすものを理解するために、欧米はこれまで以上に孔子とその哲学、その遺産を深く学ぶ必要がある。欧米の我々が正しく認識すべきは、東アジア文明が我々とはまったく異なる哲学的基礎に基づいて構築されていることだ。教えの大半は孔子の教えであることを理解しなければならない。
欧米の学者や政治家は、ギリシャ哲学(アリストテレス、プラトン、ソクラテス)、聖書などユダヤ・キリスト教の業績、あるいは現代欧米社会の基礎となった思想家(ジョン・ロック、トマス・ホッブズ、アダム・スミスら)を何世紀も研究してきた。
だが、東アジアはそうではない。歴史的に見れば、東アジアの学者、作家、官僚は儒学の経書を学んできた。これが東アジアにおける統治制度の思想的骨格、学校の教育、社会的言説の規範を形成している。
中国では儒書とその注釈書や論文の多くが、伝統的に社会的職業的出世や本物の教養人と認められるための基礎教育に必須の知識だった。中国の役人は1900年間にわたり、これら古典を習得することで職を得てきた。
東アジアでは人間道徳の規準を伝えたのはモーゼではなく、孔子だ。社会における市民、国家、個人の地位の関係を構築したのもジョン・ロックやトーマス・ジェファーソンではなく、孔子である。
だが、東アジアの文明に影響を及ぼしたのは儒教だけではない。例えば、仏教は重要な役割を担ってきた。また、キリスト教やマルクス主義など200年以上前から東アジアに入ってきた外国の宗教やイデオロギーも同様だ。孔子はアジアの歴史上唯一の哲人というわけでもない。例えば、(おそらく神話だろうが)道教を創始した老子は、今でもアジア人の生活に深い影響を及ぼしている思想家である。とはいえ、東アジアでこれほど長期に影響力を保ってきた人物は孔子以外には見当たらない。まさに、東アジア文明の歴史は儒教の進展と軌を一にしてきた。
反動家か革命家か? 暴君か民主主義者か?
多くの人は人生に劇的な影響を与えた教師の名を挙げることができる。私の場合、ニュージャージー州クリフトン高校のデニス・ハーディング先生だ。彼は私に歴史への揺るぎない関心を抱かせ、彼の授業を受けてからほぼ30年後、本書を執筆する意欲まで与えてくれた。帰郷したときは、今でも時々実家近くの軽食レストランに彼を朝食に誘う。素晴らしい教師は、生徒に方程式を解かせたり、大統領の名前を覚えさせたりする以上のことを教えてくれる。例えば、自分が信じるものを具体化させ、生き方を示唆し、情熱に火をつけ、何かが得意になるような学びに導く。
孔子は人類史で最も偉大な教師かもしれない。その経歴を見ると、政治家や役人としてわずかに成功した時期はあったが、人生の大半は人に教える日々だった。だから、彼は教師としてアジアで不滅の足跡を残した。
有名な『論語』は、大半が弟子との問答からなる。孔子が弟子に、徳、良い政府、人間関係、道徳規範、歴史について説いたものだ。孔子が教えた古代中国の智恵、不朽の道徳規範や慈悲心は、彼の言葉を学ぶ現代人の誰の心も揺さぶる。孔子を熱烈に慕う弟子たちが師の教えの価値を確信して次世代の弟子に伝え、その後も代々受け継がれたものだ。孔子逝去後はどの世紀も、新たな世代の信奉者が研究を重ねて経書に注釈を加えた。時には後世の信奉者が聖人の教えを劇的に改めた。その結果、東アジアの有力な倫理的基盤と支配的価値体系となる学派が誕生する。弟子が孔子の教えを広めず、遺産を継承しなかったとしたら、孔子は「孔子」にならなかった。
孔子は東アジア社会でますます不可欠な存在になり、もはや単なる教師ではなく、遥かに偉大な存在として認識されるようになる。孔子は至高の聖人、中国文明の創始者と化す。正式な王位に就いたことはないが、「無冠の王」として天から支配者に選ばれる。中国や韓国の男が本物の君子として認められたいときには、自らを孔子に照らして判断した。19世紀の英国の著名な中国学者ジェームズ・レッグは、「中国では、1人の男が可能な限りの個人的美徳をすべて例示している。また、可能な限りの社会的美徳や政治的智恵もすべて彼が教えている。それが孔子だ」と位置付ける1。
中国では孔子が神に近い何か、例えば聖人らしい風貌に奇跡的な力を備えた超人と見なされた時期がある。伝説では、孔子は霊的存在(中国版ペルセウス)の子だ。孔子に敬意を表するための儀式や供物は2000年にわたって続けられてきた。中国の主要都市ならどこでも、地元の孔子廟を誇りとしている。皇帝でさえ、孔子廟の前で叩頭(こうとう)することがあった。宮廷が孔子に授ける称号は、次第に途方もないほど豪華になった。紀元1世紀に授けられた称号は「褒成宣尼公」で、後に「文聖尼父」「至聖先師孔子」「大成至聖文宣先師孔子」など過分な称号が授けられた。孔子の子孫は国から名家の地位と広大な土地を与えられた。
並外れた称賛や大仰な爵位を受けた孔子は、恥ずかしさで赤面したかもしれない。我々が知っている歴史上の孔子は自分を人並み以上であると主張したことは一度もない。それどころか、自分を完璧な人間ではないと何度も吐露した。師は意外なほど謙虚だった。自らの知性を軽んじ、己の道徳性に疑いを持ち、我が身の貧しさを笑い飛ばした。自分を真の聖人と思ったことは一切なく、まして超英雄と考えたことはない。孔子は次のように認めている。
子(し)曰(いわ)く、文(ぶん)は吾(わ)れ人(ひと)の猶(ごと)くなること莫(な)からんや。
躬(み)もて君子(くんし)を行(おこな)うことは、則(すなわ)ち吾(わ)れ未(いま)だ之(これ)を得(う)る有(あ)らず。(『論語』述而7-32。以下、『論語』書き下し文は、井波律子訳『完訳論語』岩波書店に拠った)
訳:先生は言われた。「学問は人並みにできると思うが、君子の行いは未だ身についていない2」。
神話、伝説、風評、非難、作り話、歪曲など、2000年以上の間に彼の背中に積み重なったものを取り除き、孔子の実像を解明するのは容易ではない。現代の議論における孔子は、古代中国の孔子ではなく、100年前の孔子ですらない。20世紀の歴史家である顧頡剛(こけつごう)は次のように書く。
「いつの時代でも、孔子にはその時代に固有の人物像があり、複数の異なる人物像もある」
また、米国の宗教学者デボラ・ソマーも次のように述べている。
「孔子像は各時代の人々が彼のことを考え、描写することで変化しているが、それに気づく人はいない。結局、彼らには孔子の実像はわからない3」
時代の要請に応じて変化する孔子像のおかげで、孔子は何世紀も時代の荒波に耐え、いまでも生き生きとした魅力的な人物像を保ち続ける。だが、その人物像は孔子自身が夢想もしない何かに変わっている。
孔子の支持者や敵対者から見ると、彼は実在の人間というよりも象徴に見える。
例えば、中国の伝統文化の偶像、帝政の表象、人間の手本、抑圧のシンボル、変節する考え、学問の擁護者、処世術、精神的指導者、中国に関する大いなる善や悪両方のイメージである。換言すると、反動家と革命家、暴君と民主主義者、封建領主と資本家、大学者と一介の詐欺師、外国嫌いとグローバリスト、権力の中心人物と危険な反体制派、魂の破壊者と模範的人道主義者の双方を演じてきた。さらに、中国経済の成功と失敗の要因、文化的原理主義者と救世主的智者、東アジアの強みと弱みの源でもある。
欧米で孔子は中国文明の象徴、古代東洋の智恵の賢明な伝播者、ゆったりとした官服を上品に着た長髭の賢者と受け取られている。孔子が現代に蘇ったとしたら、自分であることを認め難いだろう。
今日知られている孔子は、中国人だけが作り出したものではない。歴史家ライオネル・ジェンセンは、「(現代の孔子は)洋の東西、聖職者や一般人を問わず、多くの人の手によって何世紀もかけて形作られた作品である」と指摘する。ジェンセンによれば、孔子は16世紀に中国に到達したイエズス会宣教師がその一部を創作した。この新しく異質な文明を自分たちが理解できる方法で理解しようとした彼らは、偉大な聖人を始祖とする首尾一貫した「~主義」(Confucianism=儒教)を、中国人自身が思いもよらなかった形で作り上げた。「Confucius(孔子)」という名前そのものがイエズス会の発明であり、中国語の「孔夫子」(Kongfuzi)の奇妙な音訳である。「孔」とは彼の家名であり、「夫子」とは学問や徳に優れた男性に対する尊称だ。我々が知っている孔子は「西洋の想像力の産物」だ、とジェンセンは主張している4。
キリスト教、イスラム教と同じ宗教か?
同様の理由で、孔子が信奉する教義を明らかにすることは孔子の実像解明よりも容易なわけではない。孔子の歴史的性格と同じように、その教えも無数の思想家、作家、皇帝によって解釈が何度も加えられ、展開や構成も重ねられてきたからだ。しかも、何人かは孔子の教えと矛盾する教義や信条を当時流行の思想や実践から取り入れていた。その結果、儒教は伝統、価値体系、儀礼、概念、考えなどの坩堝(るつぼ)となったが、その後異なる路線ごとに分岐し、競合する学派との過熱した論争や対立に発展する。
一方、韓国人や日本人のように、中国本土以外の地域に住むアジア人で孔子像を自国で立ち上げた人々は、同じように自国の思想や実践を孔子の教えの中に注ぎ込んだ。
儒教思想には寄せ集めの性格があるため、儒教の真の姿についてアジア内外で長年にわたる(まだ決着がついていない)論戦を引き起こしている。さらに、儒教はアジアの他宗教(道教や仏教など)とともに一緒くたに議論されることも多い。
中国、韓国、台湾の孔子廟を訪れると、今でも地元の人々が仏陀への礼拝とほぼ同じように孔子廟の前でお辞儀している光景を見かける。モーゼの十戒によく似ているが、儒教は人間の営みの意味を明らかにして導く道徳規範も示している。清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の家庭教師を務めた中国学者レジナルド・フレミング・ジョンストンは、次のように指摘した。
「西側で通用する倫理原則はすべて儒教の教えに明示的または黙示的に示されており、『キリスト教』的徳目もすべて儒教の経書に説かれている5」
儒教を多少深く調べ、その伝統を東西の他の宗教と同じものだと見ると、ある問題が浮上する。儒教には現代宗教が持っている最も明白な象徴が欠如しているのだ。
例えば、誰もが認める聖職者や「教会」はなく、礼拝の対象となる中心神もない。東アジア人の多くが儒教の教えに大きく影響を受けていることを認めはするが、他の世界的宗教の信者が「イスラム教徒」「キリスト教徒」「仏教徒」と自認するのと同じ意味で、「儒教徒」と認める人はほとんどいない。
ソウルの成均館大学校の朴光用(パク・クヮンヨン)教授(儒教学)は、少なくとも10万人の韓国人が宗教的に儒教を信仰していると推定している。決して少なくはないが、韓国の総人口5000万人から見ると、ごく一部だ。
多くの場合、東アジア人は宗教について聞かれると、仏教徒またはキリスト教徒と答え、儒教を文化または家の伝統の領域に追いやる。儒教は宗教ではなく、哲学であり、生き方であり、倫理的な教えなのだ。
また、孔子の教えにおける孔子自身の役割も状況を混乱させている。モーゼやムハンマドとは異なり、孔子は自分の教えが神の啓示であると説いたことは一度もない。自分の教えと宗教を意図的に区別していたようにも見える。『論語』には、次の言葉がある。
子(し)は怪(かい)・力(りき)・乱(らん)・神(しん)を語(かた)らず。
(述而7-20)
訳:先生は、怪異、超人的な力、混乱、鬼神について語られなかった。
孔子は、他の宗教の創始者が熱心に取り組んだ人間に関する深遠な問い(我々はどこから来て、なぜここにいて、これからどこに行くのか)に答えることはなかった。世界の創造、人間の起源に関する物語を作ることもなかった。エデンの園、出エジプト、メッカ攻略のような建国神話の役割を果たすエピソードもなく、来世について思いを巡らしたこともない。死後の世界は何らかの形で信じていた気配はあるが(当時すでに普及していた祖先崇拝の儀式を実践していた)、霊魂不滅に関する考えを明確に説くことはなかった。実際、死についての言及を慎重に避けている。ある弟子が死の問題を孔子に問うと、次のように答えた。
曰(いわ)く、未(いま)だ生(せい)を知(し)らず、焉(いず)くんぞ死(し)を知(し)らん。
(先進11-12)
訳:先生は言われた。「まだ生についてもよくわからないのに、どうして死のことがわかるだろう6」。
孔子にとって、そんな問題に力を費やすことは時間の無駄だった。孔子は極めて現実的な人間であり、実社会に生きる人間の実際の問題を解決することに力を注いだ。人間に道徳規範を教え込み、良い政府を確保し、家族の絆を強め、社会に繁栄をもたらすことに努力した。孔子の目標は徳行を教え、徳行によってより良い社会を作り上げることだった。孔子の考えでは、不可知なものに突拍子もない推測を働かすことは、世界をより調和の取れた場所にするという大切な(かつ現実的な)仕事の邪魔になるだけだ。
孔子は信奉者に来世を示すより、現世に取り組ませようとした。だが、自分の教えを忠実に守った人に、心的、物的な報酬を約束することはなかった。天国の門もなければ、信奉者を待ち受ける乙女もおらず、霊魂が肉体の束縛から解放される保証もない。さらに、教えを軽んじる者に厳罰を加える、と脅すこともなかった。儒教の場合、悪魔もいなければ、地獄に落ちることもなく、ウミウシに生まれ変わることもない。
宗教学者リー・ディアン・レイニーは、こう指摘する。
「儒教的伝統では、見苦しい振る舞いをした者に浴びせ得る最大の侮辱は、『ああ、あなたは君子ではない!』という言葉だ」
孔子が期待したのは、正しい行いをすることだ。その理由はそれが正しいからであり、いつか報われるからではない。善行から得られる恩恵は、立派な行いが何か世のためになるかもしれないという認識である。儒教的認識は道徳的自己完成の探求に極めて近い。ある儒教の経書は、以下のように説明する。
「君子は自分の良心に照らし、何もやましいことがなければ、悩むことはない。君子の優れたるところは世間には見えなくても、ひたすら慎んで行うところだ7」
孔子が時折見せる客観的な現実性から、前出のレッグは「孔子は『宗教と無縁』であり、その教えが中国人を無宗教に導いた。彼の冷静な気質と知性の影響により、中国の庶民の間では熱烈な宗教心が湧き起こり難くなっている」と力説した。
だが同時に、孔子は真理を広めて世界を救う天からの使命を受けていると信じているようにも見えた。自分は中国に平和を取り戻すための古代の智恵を持つ最後の人間であり、人類最後の希望であると自負していた。この役割のため、自分は天から守られていると考えていた。
例えば、古代の経書によれば、孔子が(匡=きょう から来た)敵に包囲されたとき、彼の運命は風前の灯火と思われたが、本人は不安を覚えなかった。天は自分に使命を果たさせるために、自分を守ってくれると確信していた。「文化は私に注ぎ込まれたではないか? 天にこの文化を滅ぼす気がないのであれば、匡の人々が私に手を出せるはずはない!」と孔子は叫んだ。
孔子は当時の人々が自分や自分の教えを理解してくれないと慨嘆したことがある。それでも、天だけは自分を認めてくれている、と思うことで慰めを見いだした。
子(し)曰(いわ)く、我(わ)れを知(し)る莫(な)きかな。[略] 我(わ)れを知(し)る者(もの)は其(そ)れ天(てん)か。
(憲問14-36)
訳:先生は言われた。「私は誰からも理解されないようだ。[略] だが、そんな私をわかってくれるのはやはり天なのだろう8」。
孔子の言葉には、単なる道徳規範を超えた人間と宇宙とのより広範で壮大なつながりの種が埋もれている。孔子の教えの核心には、個人の力に対する信念がある。人が善行をすれば、世の中全体が平和になる。逆に、貧困や戦争に苦悩する混乱した社会は、利己心や不道徳がもたらした結果である。
孔子の目から見ると、人は宇宙の中で果たす役割があり、日々の行いは周囲のあらゆるものに影響を及ぼしている。我々は目的や意味もなく、無為にぶつかり合っているわけではない。我々の行いが富と貧困、戦争と平和、秩序と混乱、公正と不正の違いを決定する。1人の善行は世の中を変える何か不思議な性質を帯びている。
世のすべてを見ているのは、孔子が「天」と呼ぶ何かだ。孔子自身は天について明確に説明してはいないが、後世の儒家は悪行者を罰し、善行者に報いる意図的な力と考えた。これはユダヤ教やキリスト教の神に酷似している。
古代中国の概念を借用し、善王は「天命」を受けるが、王が残虐または無能なら撤回されると儒家は考えた。何世紀も経て、孔子の言葉に含まれる他の宗教性の断片は、より複雑な宇宙観を帯びるようになる。孔子の言葉は大抵必要最小限だが、これに精神的な深みが加わるようになった。その教えは君子としての言動を示すだけでなく、聖人をめざすものとして書き改められた。ユダヤ教、キリスト教、ヒンズー教およびそこから派生した宗教に比べると、儒教は宗教ではない。だが、儒教は無益であるとか、精神性が欠如している、人類が直面する基本問題に対応できない、と主張しているわけではない。
結局、儒教が宗教であるかどうかは、定義次第だ。
欧米では、孔子の教えを自分たちの宗教と比較する傾向がある。これは、欧米人が孔子について学び始めた直後から始まった。中国に到達した初期のイエズス会宣教師は、人々が孔子廟に恭しくお辞儀し、供物を捧げているところを見て、現地の宗教かと考えた。だが、その後さらに調査を進めた結果、中国人は孔子を神として崇拝しているわけではなく、偉大なる聖人として敬意を払っているにすぎないと結論を下した。儒教的儀式は社会的なもので、宗教的な行為ではないとした。
イエズス会宣教師にとって、これは孔子を称(たた)えることとイエス・キリストに従うことが両立可能であることを意味した。つまり、キリスト教に改宗した中国人は教会に行けるだけでなく、孔子廟での焼香も可能ということだ。
一方、競合するフランシスコ会、ドミニコ会などから派遣されたキリスト教宣教師は、別の結論に達する。彼らは中国人家族の祖先崇拝を目撃したことで、儒教はやはり宗教、さらに悪いことに異教信仰であると主張した。その結果、中国人のキリスト教改宗者は好きな聖人(孔子)と絶縁すべきだとした。
その後の「典礼論争」は1世紀以上も続く。最終的に、1715年、教皇クレメンス11世が大勅書を発布してイエズス会に不利な判定を下し、中国人改宗者の儒教儀式への参加を禁じる。激怒した中国の皇帝は報復措置として、大半の宣教師を入国禁止とした。
儒教への信仰を明言する者は、西欧が儒教をひどく勘違いしていると考えている。孔子の教えはユダヤ教やキリスト教の信仰と単純には比較できない。自称儒教徒の成均館大学校の朴教授は私に、学内の孔子廟の外で次のように語った。
「大半の宗教には経典があり、信仰する宗教に従うなら救われると説く。我々にも経書はあるが、そのようなことは説かれていない。他の宗教では神や儀式が必要だが、儒教では生きている現世で最善を尽くすことを説く。すべては自分の行いに自省的であるように、ということだ。自らを善人であり、他人に親切であり、寛大であるようにと努めるのは、いずれも孔子の教えに従ってのことだ」
グローバリゼーションに翻弄される
崇高な偉大さにもかかわらず、孔子は必ずしも世間から愛されてはいない。主要な宗教や哲学の創始者で、孔子ほど毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい人物はいない。アジア内外を問わず、孔子を非難する人々は文明の罪悪はすべて彼が作り出したと主張する。
孔子は女性を抑圧し、イノベーションを抑え込み、農民を貧困に追いやり、暴政を促し、金融危機に拍車をかけたと難詰される。孔子批判者は、中国が西洋に先行して資本主義を発展させることに失敗し、技術面で欧米の後塵を拝したのは彼のせいだと言う。市民的自由や政治的自由を受け入れている現代の東アジア人は、民主主義や人権を邪魔する存在として孔子を見ている人が多い。
さて、このような批判はどれほど公正なのだろう? 孔子の遺産は必ずしも肯定的なものばかりではない。特に、欧米の視点からはそう見える。孔子の教えが生まれた社会は極めて階層的だ。父、夫、支配者など優位な立場の人間は孔子の教えを利用、乱用し、子、妻、庶民など劣位を運命づけられた人々に権力を行使する。つい最近まで、大半の東アジア政府は中央集権的または独裁的だった。儒教の影響を受けた政府の硬直した姿勢は、虐げられた者を暴力に向かわせることが多かった。暴力は政変を起こす唯一の方法だった。
儒教の理想的な社会構造では女性は従属的地位にあり、公職に就くときに大変な苦労を強いられた。東アジアの女性は教育や職業を否定されることが多かった。自分の親の手で出産直後に殺された女の赤子や中絶された女の嬰児(えいじ)も数知れない。
儒教的な企業経営慣行では、部下はトップダウンの意思決定体制に抑圧されている。この結果、東アジアの企業はイノベーションを生み出したり、競争力を発揮したりする能力を抑制されている。厳格な儒教的ヒエラルキーのせいで、東アジアにおける家庭の居間や企業の役員室、学校の校舎など至る所で、様々な残酷な行為が繰り返されている。例えば、韓国の高校で上級生からのいじめを何年も受けた義弟のジェームズはこう訴えた。
「僕の人生は孔子のせいで台無しにされた」
儒教がもたらした破壊的な行為は、私も個人的に何度か目撃した。
1990年代後半、私はウォール・ストリート・ジャーナル紙のソウル特派員を務めた。その間、職場では2人の韓国人女性と働いた。どちらもそれほど伝統的な考え方の持ち主には見えず、2人とも長年海外に住んでいた。だが、私は2人の西洋風の外見や身なりに騙(だま)された。2人はお互いの関係について、韓国の職場で期待されている儒教的ヒエラルキーをすぐに受け入れた。つまり、年長者が年下をいじめて苦しめるようになり、仕事を若手に押し付け、全くの私用でこき使った。
若い女性は悩んだ末に私に救いを求めてきた。私は2人の緊張関係に気づき、もっとリラックスできるアメリカ流職場環境をつくろうと努め、オープンな議論を奨励して勤務時間などの職場規則を公正に適用した。だが、徒労に終わる。簡単に言うと、孔子に勝てなかったのだ。
また、女性の同僚も何もできなかった。職場で働く女性全員が通常の仕事上でも侮辱に耐えている場面を目撃した。彼女らは見下され、怒鳴られ、不適切なセクハラにも我慢しなければならなかった。
ある日、某社役員2人が女性の専属記者と私を昼食に誘ってくれた。露出度の高い女性が跪ひざまずいて料理を出すレストランだった。記者が激怒したのも当然だ。
別の日、女性記者が激高しながら職場に戻ってきた。男性記者が彼女を記者会見室前方の特等席から後方のベンチ席に移動させたという。
私は彼女らを助けようと手を尽くしたが、女性に対する不公平な扱いは手に負えないほど広範に及んでいた。結局、これは韓国における仕事の一面に過ぎなかった。
孔子の名声はこんな不当な行為によって著しく傷ついている。現代人の多くは、孔子を救い難い権威主義者、女性蔑視者、保守主義者と見ている。彼の時代はとうの昔に過ぎているだけでなく、彼の考えはかなり現実離れしており、旧態依然としている。孔子が関与する限り、この地域の現代化は望めず、孔子の教えとは関わりたくないと考える人が東アジアには多い。中国のハイテク起業家の岩張(イェン・ジャン)は、北京でハンバーガーを食べながら、こう語った。
「儒教は歴史的な遺物であり、機能不全に陥っている。中核となる信条は、現代社会の理想と矛盾している」
だが、このような不当な社会的慣行をもって孔子を非難することは、必ずしも正当とは言えない。孔子の教えは何世紀にもわたり、利己的な皇帝、学者、高官によってひどく歪曲され、誤り伝えられてきた。彼らが孔子自身の教えから大きく逸脱したため、自分が一度も擁護や支持もしていない言動をもとに孔子は攻撃されている。
中国共産党創設メンバーの李大釗(りたいしょう)は、孔子を厳しく論難する20世紀の批評家でもあるが、孔子批判に理不尽な部分もあると認めている。例えば、彼は以下のように書いている。
「我々の攻撃の対象は孔子自身ではなく、虚像の孔子のほうだ。この虚像は歴代の皇帝が政治的偶像や権力者として作り上げたものだ。皇帝たちが暴君の手本に仕立てたのは、孔子自身ではなく虚像の孔子のほうだった」
その結果、現代の学者には、人間や哲学者としての「孔子」とその教えに従う「儒家」を分け、本来の「孔子の教え」と数千年の中国史のなかで孔子の名のもとに作られた「儒教」を別物と考えようとする向きもある。
あらゆる悪行の責任を孔子に押し付ける言説は、アメリカで2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件でムハンマドを非難したり、スペイン異端審問所についてイエス・キリストを糾弾したりすることに似ている。儒教学者D・C・ラウは次のように認める。
「何世紀もの間、儒教が多くの独断的な教義を獲得し、権威主義の傾向を発展させてきたことは否定できない。だからといって孔子を責めるのは、後世のキリスト教徒による悪行のことでイエス・キリストを非難するのと同じく、筋違いも甚だしい9」
一方、筋違いかどうかはともかく、グローバリゼーションは孔子に有利に働いていない。過去200年間、東アジア社会に浸透した西洋思想のため、儒教の伝統的価値観を再考するようになった地域は多い。例えば、家族、男女関係、政府や教育の体制、企業統治の方法に関して、西洋の政治的社会的価値観によって極めて異なる考え方がもたらされた。アメリカ的考え方の男女同権、個人の自由、法治主義の現状を見れば、民主主義はかなり根付いている。
これらの考え方の影響を受け、東アジア諸国は大きく変貌を遂げた。民主化運動は東アジア各地で独裁政権を打倒してきた。女性の場合も、政界や実業界でふさわしい地位を求める闘いが増えてきた。過去2世紀の大半で、東アジアでは西洋化が一様に進展してきた。換言すれば、西洋的な経済的、政治的、社会的体制を模倣しようと努力を重ねてきた。資本主義と工業化は貧困に終止符を打ち、国際舞台での影響力を獲得するための手段となり、選挙政治は社会の指導層を選択するのに理想的だった。
成功への道は、もはや儒教の学校経由ではなく、ハーバード大学やイェール大学経由になっている。言語、服装、社会生活において西洋化していることが、近代的で競争力のあることの証しとなった。
東アジア各地の政治家や改革派は生活、自由、幸福を追求するあまり、時には暴力的に儒教を根絶しようとしてきた。多くの東アジア人は、何世紀にもわたってそうであった儒教徒であることをもはや望まなかった。彼らは、儒教など忘れようとした。
共産党幹部も孔子廟へ
一見すると、東アジアの人々はその試みに成功したかに見える。現在、どの地域を見ても、伝統はグローバル文化からの猛攻を受け、次第に消え失せたようだ。
一例を挙げると、日本の着物や韓国のハンボクは結婚式や特別な儀式の装いへと格下げされた。世界の他の地域と同じように、東アジアでもビジネススーツを着用し、ナイキのスニーカーを履き、ミニスカートを穿(は)く。韓国、中国のポップスターがラップを歌い踊るのは、欧米でヒップホップのビートが聞こえてくるのと変わらない。中国人家族はGMの高級車ビュイックやiPhoneに憧れ、ケンタッキーフライドチキンを食べたがる。ソウルにいる義理の両親の実家はシカゴ郊外の住宅にそっくりだ。私が韓国にいることがわかるのは、台所から漂ってくるキムチの香りと極寒の冬に世話になる伝統的なオンドルぐらいだ。感謝祭から年末にかけての休暇シーズンのある日、居間に飾ってあるクリスマスツリーの近くに座っていたとき、義兄のスティーブが私を納得させようとしたのは、儒教、より一般的にはアジア文化が西洋文化を導入したことで一掃されつつあるということだった。
「周りを見てくれ。ここに、アジア的なものは何もないよ」
これに、私は疑問を呈した。
「いや、外見は当てにならない」
確かに、世界中の大半の人々と同じようにアジア人にもBMWやアイビーリーグの卒業証書を求める人は多いが、結婚式で明らかになったように、孔子はいまでもスターバックスのコーヒーカップ、「セックス・アンド・ザ・シティ」のDVD、ブルックスブラザーズのシャツなどの下でしぶとく生き延びている。
孔子はこの地域で驚くほど長い間、生活の一部であり、妻もそうだったように東アジアの人々が他人や社会と関係を持つときには必ず姿を見せる。孔子の教えに従うことは人々にとってごく自然なことであり、日常生活におけるごく普通のことなのだ。
さらに、現在、この地域で新たな富が生まれていることに伴い、人々は古代文化をより自信に満ちた目で新鮮な視点から見直そうとしている。経済的に成功しても、必然的に西洋化に向かうとは限らない。東アジアは、古き慣行、教え、伝統の中に新しい価値を再発見しつつある。
アジアの有力学者の1人であるシンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院のキショール・マブバニ院長は、北京で私と昼食を取りながら次のように説明してくれた。
「200年続いた西洋によるアジアの植民地化と支配は、アジア史をコンクリート板で蓋(ふた)をしたようなものだった。近代化のためにアジアは自らの過去を拒絶する必要があった。過去は負担が重すぎたため、西洋で最高のものを学ぶことに集中した。これに成功した結果、今では別な形で過去と再び向き合えるようになった。今度は、私が『自国文化への自信』と名付けたものを発展させる必要がある。結局、アジアがやっていることは、コンクリートの蓋に穴を開け、過去と再びつながることなのだ。いわば、一種の文化的復興がアジアで進んでいるのだ」
彼はこの動きを「現代アジアで起きている最も重要な出来事」と呼ぶ。
孔子は無用の存在になったという考え方は文化帝国主義の一形態であり、何世紀にもわたって世界の政治や社会的な言説を西洋が支配してきたことによって、アジア人にもそうでない人にも叩き込まれたものだと考える人もいる。
アリストテレスやカントのような西洋の哲学者の思想が今日でも有用とされるのであれば、孔子の思想もそうではないのか。台湾出身でハワイ大学哲学教授のリー・シャン・リサ・ローゼンリーは、電子メールで次のように主張する。
「そうでないと考える唯一の理由は、非西洋的な思考様式や伝統に対する世界的な偏見にある。私にとって重要なのは、西洋と非西洋の哲学者の扱いにこのような格差があること自体が、非西洋世界を、西洋が彼らを近代化へと導いてくれるのを待っている、役立たずの伝統に縛られた犠牲者とみなす植民地的な態度を示しているということだ」
現代史は、東アジア人がそのように感じる正当な理由がないことを教えてくれる。儒教社会は、第二次世界大戦以降、間違いなく世界で最も成功している。韓国、中国をはじめとする東アジア諸国は、歴史上最高の経済成長率を記録し、数世紀にわたる貧困を数十年で一掃し、世界経済における新たな影響力を手に入れた。
倹約や勤勉さといった儒教的価値観が評価されている。東アジア諸国は、多くの発展途上国に比べて非常に強力なガバナンスの恩恵を受けているが、その一因は、孔子に触発された優秀な人材が公務員をめざす傾向にあることにある。アジアの学生が世界最高の大学に殺到しているのは、儒教の遺産である学問への執着心のおかげである。儒教社会の企業は、儒教の影響を受けた経営や労働慣行もあって、熾烈な競争相手となっている。
東アジアの繁栄と安定の結果として生まれたのが、現代社会の代替モデルである儒教モデルであり、最良の組織、慣行、思想は西洋から来たものであるという考え方に挑戦するものだ。東アジアの政治家や思想的指導者は、「西洋の模倣だけが進歩を遂げて世界的な影響力を獲得する方法ではなく、西洋の理想は必ずしも普遍的でもなければ、万人に妥当するものでもない」と誇らしげに唱えるようになった。
マブマニは私にこう説いた。
「明日の世界は、西洋支配の単一文明から、成功した諸文明からなる多元的文明世界になる」
その結果、思いがけず孔子の影響力が上昇している。孔子は近年まで東アジアの多くの国であまりに時代遅れとされてきたが、今では再び興味をそそる存在になりつつある。
過去数百年の大半で孔子を否定してきた中国では、儒教儀式が復活し、儒教教育も復活している。今や、1900年間にわたって宮廷官吏が行ったように、中国共産党幹部が孔子廟で礼拝している。だが、孔子の価値に関する論争や議論がなくなったわけではない。場合によっては、孔子の復活を皮肉交じりに観察しなければならないこともある。
中国や他の国々では、権力者たちが自分たちの目的に合うように孔子を再び悪用し、偉大な賢人が反感を抱くだろう行動を正当化しようとしている。
グローバリゼーションと孔子のせめぎ合いは、相変わらず熾烈を極めている。東アジアの人々は、自分たちの伝統文化を再発見する中で、どの伝統が現代に役立ち、どの伝統が現代に役立たないのか、また、西洋から輸入された新しい優先事項や理想と、儒教の遺産から受け継いだ価値観をどのようにかみ合わせるのかを決めようとしている。事実、東アジアの政治的、経済的、社会的発展は、現代の東アジア人が孔子とどのように折り合いをつけるかによって大きく左右される。
どのような結果になろうとも、その影響は世界的なものとなるだろう。150年にわたる西洋化を経て、多くの東アジア人は、自国の伝統にはもはや西洋が見過ごすことのできない価値と知恵があると考えるようになった。
学者の張維為はニューヨーク・タイムズ紙上で中国の儒教的遺産の利点を挙げ、「今こそ西洋は……『心を解放』し、中国の偉大な思想について、あるいはそこから、たとえそれが余計なものに見えようとも、自らの利益のためにもう少し学ぶべき時なのかもしれない」と誇らしげに宣言した10。
私自身、そのようなプロセスを経てきた。たしかに孔子の思想には、今日では後進的で恐ろしくさえ思える側面がある。聖書についても同じことが言えるが、ユダヤ・キリスト教的伝統が行ってきたのは、聖書の知恵を再解釈し、現代の我々にとって意味を持つようにすることだった。孔子の教えに同じことをしてはいけない理由はない。
孔子の言葉にも、どんな時代、政治体制、文化にも通用する人間観がある。孔子の教えには時代を超越した普遍性があり、国籍や民族、宗教に関係なく意味を持つ。孔子は、過去においてそうであったように、未来においても重要な人物なのだ。
2 D. C. Law, trans., Analects(New York: Penguin, 1979), VII: 33.
3 Deborah Sommer, “Images for Iconoclasts: Images of Confucius in the Cultural Revolution,” East West Connections 7, no.1(2007).
4 Lionel M. Jensen, Manufacturing Confucianism: Chinese Traditions and Universal Civilization(Durham, NC: Duke University Press, 1997), 5, 9.
5 Reginald Fleming Johnston, Confucianism in Modern China(Vancouver, BC: Soul Care Publishing, 2008, 59.
6 Analects, VII: 21(Legge translation); XI: 12(Lau translation)
7 Lee Dian Rainey, Confucius and Confucianism: The Essentials(West Sussex, UK: Wiley-Blackwell, 2010), 203; The Doctrine of Mean, XXXIII: 2.
8 Legge, trans., The Confucian Analects, The Great Learning, and The Doctrine of the Mean, 99; Analects, IX: 5, XIV: 35(Lau translation).
9 Quoted in Wm. Theodore de Bary, ed., Sources of Chinese Tradition, vol. 2, 2nd ed.(New York:Columbia University Press, 2001), 578; Analects(Lau translation), 52.
10 Zhang Wei Wei, “Eight Ideas Behind China’s Success” New York Times, September 30, 2009.
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