その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は井上達彦さん、鄭雅方さんの 『世界最速ビジネスモデル 中国スタートアップ図鑑』 です。
【まえがき】
有史以来の急成長
世界経済は、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)と呼ばれるアメリカ企業と、アリババやテンセントといった中国企業によって動かされているという論調が目立ってきました。中国ではアリババとテンセントに限らず、スタートアップ企業の躍進には目を見張るものがあります。有史以来、最速のスピードで巨大化しているといっても過言ではないでしょう。
たとえば、ECサービスのピンドゥオドゥオ(拼多多)は共同購入とSNSを組み合わせ、創設わずか3年で利用者が3億人を突破しました。この拡大はアリババが運営するタオバオの2倍のスピードです(タオバオは3億人の利用者の獲得に7年を要しました)。
この速さは、例外ではありません。この他にも日本ではまだあまり知られていない中国スタートアップが、さまざまな業界で急成長している姿を目にするようになりました。本書は、そういった企業たちの成長プロセスに注目し、急成長の秘訣に迫ります。そこで読者の皆さんにズバリ問います。
「中国のスタートアップ企業が、これほどまでの急成長を成し遂げられたのはなぜでしょうか」
このように問いかけると、多くの人から「それは、市場規模が大きいからだ」という答えが返ってきそうです。これは間違いではないのですが、単純にそれだけではありません。「市場さえ大きければ良い」ということであれば、他の国や地域でも急成長企業を見つけられるはずだからです。
しかし、中国のスタートアップのように、群をなして急成長している事例は他に見つけられません。それゆえ、世界中のスタートアップ起業家、投資家、大企業の経営者、イノベーター、政策立案者、そして経営学者が、中国のビジネスモデルの群生的な発展プロセスに注目し始めているのです。
一般に、3つの観点からその理由が検討されてきました。
①中国の社会・経済・文化
②中国のエコシステム
③中国のビジネスモデル
第1に、中国の社会・経済・文化がデジタル技術とマッチして、企業の成長を促しました。中国の人口は日本の約10倍、市場の規模が巨大なので伸びしろが大きいのです。しかも経済の自由化が始まって数十年しか経っていませんが、政府の重点政策のおかげで、企業は十分な助走をとりつつ、スピードに乗ったタイミングで勝負を仕掛けることができました。
第2に、ビジネス生態系である「エコシステム」が理想的な形で発達し、スタートアップのインフラが整いました。エコシステムとは、出資者、パートナー、供給業者や顧客から成り立つ協調的ネットワークのことで、それを自然界における生態系のメタファーによって示したものです。このエコシステムの発達により、中国では早い段階から産業の発達に不可欠な通信インフラが整備され、その後、決済や物流のインフラも急速に整えられていきました。それゆえ、後に続く中国のスタートアップ企業は、少ない投資で一気に規模を拡大できるチャンスを得たのです。
そして第3に、ビジネスモデルの秀逸さがあります。ビジネスモデルとは、「どのような価値をいかに創造して顧客に届け、自らの収益として獲得するかを論理的に記述したもの(注01)」です。中国の企業たちは、グローバルな視野でお手本にすべき秀逸なモデルを徹底して模倣し、独特のビジネスモデルを創新したのです(注02)。
02:創新とはイノベーションのことを意味します。中国共産党と国務院は国家戦略として2016年に「国家創新駆動発展戦略綱要」を発表しました。戦略的目標として2020年にはグローバル経済におけるイノベーション国家の仲間入りを果たし、2030年には上位に、そして2050年にはイノベーション国家の頂点の一角を占めて「創新強国」となるという目標です。実際、2020年には自然科学分野の論文数で、中国が米国を抜いて首位となっており、着実にイノベーション力を高めていると考えられます。
すでに、第1の点と第2の点については、政治経済の専門家によって議論されてきており、良書も複数出版されています(注03)。
そこで、本書では、第3の点に焦点をあてて、スタートアップ企業の成長のロジックを解明していきます。アリババやテンセントといった、超巨大企業のみならず、知られざるスタートアップの急成長事例に注目し、「成長の方程式」を探し出します。
ビジネスモデルが置かれた状況への理解がなければ、「有史上で最速の成長」についての説明はできません。成長のロジックが成り立つ前提条件を明らかにするためにも、ビジネスモデルがどのようなエコシステムに埋め込まれているのかを理解する必要があります。本書は、ビジネスモデルを起点に、ミクロの視点からマクロの視点へと必要に応じて、視野を広げていきます。
3世代で築かれた中国スタートアップのピラミッド
中国のスタートアップを理解するためには、経済の自由化が始まってからのデジタルイノベーションについて知っておく必要があります。時代を区切って整理すると、第1世代=インターネット革命、第2世代=スマホやクラウドサービス、第3世代=ビッグデータと決済インフラとなります。
それぞれの時代において、ひときわ輝いた企業たちがいます。それが積み重なって3つの階層から成るピラミッドが出来上がりました。このピラミッドは経済成長の歴史を象徴したものです。
まず、第1世代。インターネット革命が起こり、テンセントやアリババが生まれました。創業から20年ほどしか経っておらず、創業者も健在ですが、スタートアップを超越した存在です。これらの企業抜きには「有史以来の最速成長」は語れません。自ら先頭に立ってさまざまなイノベーションを引き起こすと同時に、後に続くスタートアップを支援する役割も果たしています。
そして、第2世代。スマホやクラウドサービスの登場で、ショートムービーアプリやIoT家電、O2Oサービスなどが生まれました。テンセントやアリババが築き上げたインフラを補完する立場の企業です。第1世代の超巨大企業の提供するインフラやサービスのおかげで成長してきましたが、自らもプラットフォームの一翼を担い、アリババやテンセントに負けないような役割を果たそうと積極的です。次の世代のプラットフォームを目指して挑戦し続けています。
最後に、第3世代。ビッグデータと決済インフラが整備され、漫画アプリや共同購入サービスが生まれました。今まさに世界最速の急成長を遂げている企業たちです。規模の面では第1世代の超巨人や、第2世代の挑戦者たちには到底及びませんが、成長のスピードだけを見れば、彼らを凌駕する存在です。これらの企業がのびのびと活躍できるのは、ピラミッドの基盤がしっかりしているからです。情報通信のインフラが整い、スマホが普及して決済までできる、という環境が整っているからこそ、そのインフラを前提に、少ない資本でピンポイントに大ブレイクすることができるのです。
本書の構成
本書は、急成長のロジックを感じ取ってもらうために、第1世代、第2世代、第3世の企業群を3部構成で紹介します。3つの世代のビジネスモデルを、本書のテーマである「世界最速の成長の論理」という視点で捉えます。優れたビジネスモデルは好循環を生み出すといわれますが、その好循環をストーリーとして描き出すことで理解を深めます(注04)。
直近の動向をつかんでいただくために、あえて歴史の流れとは逆に、第3世代、第2世代、第1世代という順番で成長の論理に迫ります。
ピラミッドの構成を簡略化して図示すると次のようになります。本書の構成と関連づけて、その概要を説明していきましょう。
[第1部]第3世代 ビジネスモデルの急成長の論理
まず第1部では、2015年以降に隆盛した第3世代の企業群を紹介します(注05)。いずれもモバイルインターネットを利用する事業で躍進した企業で、先代たちが築き上げたインフラの上で、コンテンツ開発や、マッチングによる紹介や共同購入などのサービス提供に専念できる立場にあったのです。これらの企業は個々の企業のビジネスモデルに注目することで、成長のロジックを語ることができます。
ここでは急成長のビジネスモデルを分析する手法として、システムシンキングの図式を使います。これは人が人を呼び、マネーがマネーを集め、情報が情報を生むという好循環をビジュアルに表現するものです。
CASE1では、スマホ向けの漫画アプリの快看漫画を紹介します。1人の漫画家が起業を決意し、スマホ向けにアプリを開発して漫画のエコシステムを築き上げたというサクセスストーリーです。
CASE2では、中国の社会や文化を色濃く反映させた美容整形の新氧を紹介します。医療ミスなどの社会問題を解決するために立ち上げられた情報サイトが業界の構造を変え、より健全なエコシステムを構築しました。
CASE3では、グローバルに展開して急成長を果たしたオンライン英会話VIPKIDを紹介します。中国における大きな需要に応じるために、北米ネイティブの教師に声をかけ、世界最大規模のオンライン英会話教室を作ったという物語です。
CASE4では、成熟した業界で急成長を成し遂げた共同購入事業に注目します。ピンドゥオドゥオはSNSをうまく使い、既存の大手とは異なるビジネスモデルによって世界最速成長を成し遂げました。
これらの企業は、いずれも新しい市場を創造することに成功しました。自身の成長はいうまでもなく、パートナーと共に新しいビジネスモデルを構築し、パートナーとの協働によってエコシステムを築き上げることができたのです。
[第2部]第2世代 ポートフォリオによる急成長の論理
第2部では、2010年以降に隆盛した第2世代企業群を紹介します(注06)。こちらもモバイルインターネットに関連する企業で、先代たちが築き上げたインフラの上で、それを補うようなサービスで成長を遂げました。第3世代の企業よりも歴史が長く、事業も多岐にわたります。それゆえ、1つの事業だけではなく、複数のビジネスモデルの組み合わせ、すなわちポートフォリオに注目して成長のロジックを解き明かします。
第2世代の急成長を説明するロジックは2つあると考えられます。1つは得意とするビジネスモデルをさまざまな業界に転用する「横展開」です。そしてもう1つは、得意とする市場に対してさまざまなビジネスモデルを投入する「融業」です。これらは両立可能で「横展開+融業」による成長パターンもあります。
CASE5では「横展開」の典型例として、TikTokでおなじみのバイトダンスを紹介します。バイトダンスは、スマホ向けのニュースアプリで培ったレコメンド技術(AIアルゴリズム)をショートムービーに転用して大成功を収めました。
CASE6では「融業」の代表として、サービスプラットフォームのメイトゥアンを紹介します。メイトゥアンは、外食、フードデリバリー、娯楽、旅行など、あらゆるサービスを融合するスーパーアプリで、中国人の日常生活に欠かせない存在となりました。
CASE7では、「横展開+融業」を実現した企業としてシャオミを紹介します。シャオミは、世界屈指のユーザーコミュニティを横展開しながらIoT製品を開発し、それをサービスと融業させて急成長を果たしました。
[第3部]第1世代 エコシステムレベルの急成長の論理
第3部では、1990年代後半に第1世代として登場したテンセントとアリババを紹介します(注07)。共に中国の経済を牽引するデジタル巨人です。築き上げてきた経済圏はあまりに大きいので、ビジネスモデルのポートフォリオだけでその成長を説明しきれるものではありません。そこで本書ではエコシステムの概念を援用し、成長の論理の解明を試みます。
テンセントとアリババは、エコシステムづくりにおいて対照的ともいえる成長を遂げてきました。テンセントが「緩やかな連携」を前提にしたエコシステムを築き上げているのに対して、アリババは「緊密な統合」をもとにしたエコシステムを築いています。両者の類似点と相違点に注目することで、マクロな好循環を描き出します。
CASE8では、テンセントの「模倣から創新」に至るエコシステムづくりに注目します。自らが担う基盤のサービスは「海外の先進ビジネス」を模倣して創新し、それを取り巻くサービスについてはパートナー企業に委ねる。このようなオープンエコシステムと連続的なマイクロイノベーションによって実現する成長について解説します。
CASE9では、アリババの「統合プラットフォーム」によるエコシステムづくりを紹介します。アリババは、情報サービス、決済サービス、与信サービス、配送・物流サービスを統合することでインフラを築き、あらゆるビジネスを支援することで成長を果たしました。ECビジネスによって得た資金をもとに、自ら大胆なイノベーションに挑む様子を描き出します。
最後のまとめでは、中国スタートアップ企業の全体像をつかんでもらうために、「有史以来の急成長」を可能にした3層構造のピラミッドについて解説します。ある世代の新サービスが、次の世代の前提を作り、その前提が「当たり前」となって新しいチャンスが生まれる。この好循環は、それぞれの層の企業が、それぞれの役割を果たすことで生まれるものです。3つの層が有機的に結びつくことによって急成長の「方程式」が完成するのです。
有史以来の急成長は、中国という特別な環境下での現象ともいえるのですが、ビジネスモデルの発展手法に関する世界最先端の実験場であることも間違いありません。そして、その実験の成果から、起業家、投資家、大企業の経営者、イノベーター、政策立案者、そして経営学者が学べることは多いのではないでしょうか。
最後に、本書のキーワードとなるエコシステムについて少し補足しておきます。
前述したようにエコシステムとは、出資者、パートナー、供給業者や顧客から成り立つ協調的ネットワークのことですが、本書では、その生態系をどの範囲で捉えるかによって、小・中・大と分けています。
● 小エコシステム……各業界における特定企業を取り巻くビジネス生態系
● 中エコシステム……テンセントの生態系、ないしはアリババの生態系
● 大エコシステム……テンセントとアリババを合わせた3世代ピラミッド
小エコシステムは特定の業界にかかわるエコシステムのことで、たとえば、スマホ向けの漫画、美容整形プラットフォーム、オンライン英会話といった範囲での協調的ネットワークのことを指します。各CASEではこの範囲のエコシステムが議論されています。
中エコシステムは、これらの小エコシステムを複数結びつけたものです。中国のスタートアップでは、テンセントないしはアリババがその中心(ハブ)になってさまざまな業種のスタートアップが結びつき、生態系が築かれています。テンセントのパートナーから構成されるネットワーク、ないしはアリババのパートナーから構成されるネットワークは中エコシステムに該当します。
大エコシステムは、テンセントとアリババのエコシステムをすべて包摂したものです。テンセントとアリババは、競争関係として捉えられることが多いようですが、巧みな棲み分けも行っており、協調的に中国の産業を発達させているという側面もあります。本書の3世代ピラミッドというのは、テンセントとアリババの双方を含めた競争と協調のネットワークのことでもあります。
以上が、少々長くなりましたが、本書を読み進めるための下準備です。それでは、世界最速ともいえる成長を成し遂げたユニークなスタートアップの物語を始めることにしましょう。
【目次】