千葉県館山市の北条文庫は、カフェ、イタリアンレストラン、レザー工房、ホテルが入る「YANE TATEYAMA」内にあるセレクト型の書店だ。オーナーである田村仁さんは、家業の設備工事会社を経営していたが、築50年超のビルが売りに出されているのを知って、10万円で購入。リノベーションをして2024年、書店を核とする複合施設を作り上げた。田村仁さんに開業までの経緯や、館山の文化的土壌、売れ筋の本などを聞いた。
老朽化したビルを10万円で購入
田村さんはお店を始める前、何をされていたのですか?
北条文庫オーナー・田村仁さん(以下、田村) 僕の本業は家業の建設業です。大学では日本中世史を学び、大学院にも進みました。
文献や資料に触れながら一人で過ごす静かな時間は、今思い返しても、ずっと続いてほしかったと思うほど、幸せなものでした。ただ、期限内に論文としてまとめ、それを発表し続けていくという、研究者として根本的な素養が自分には欠けているという事実に気づき、研究の道は断念することにしました。
その後は都内で仕事をしていましたが、東日本大震災や結婚を機に故郷へ戻り、家業を継ぐことになりました。
家業では、いわばスクラップ&ビルドを効率よく進めることを仕事としてきました。ただ、そうして事業に向き合ううちに、どうも自分の中には、それとは少し違う価値観があることに気づきました。
それは、これまで受け継がれてきたものを一度捉え直し、新しい価値を見つけながら、これからにつないでいくということでした。
そんなとき、長い間放置されていたこのビルが、10万円の価格で売りに出されているのを知り、すぐ購入しました。
ここはもともと何の建物だったのですか?
田村 築50年を超えている建物で、「吉田漁具店」という会社のオフィス兼店舗兼住居でした。その後、館山市の所有になり、一時は商店街の多目的施設として使われていましたが、使われなくなり、長い時間が経過していました。
この建物はユニークな構造をしています。北条文庫のある1階は西側の道路に面し、2階のレストランも東側の道路に面しています。すなわち敷地が海岸段丘の上にあって東西に高低差があるのです。このビルを見た瞬間、僕はここで面白いことができそうな気がしました。
館山の本の文化を引き継ぎたい
なぜ本屋だったのですか?
田村 僕はインドア派で、学生時代は古本屋に入り浸っているようなタイプでしたから、「まず本屋をやろう」と思いました。館山には昔ながらの書店はありますが、書店の数そのものは多くありません。
選書にこだわり、古書と新刊を区別なく扱う店にしたい。すぐには役立たないかもしれないけれど、少し視点をずらしたり、何かに気づくきっかけを与えてくれたりする本を置きたいと思いました。
この場所で書店を開くことで、館山にこれまであった本の文化に、新しい形でつながっていけたらとも思っています。
店名の由来はどこから?
田村 明治時代、この近くに万里小路通房(までのこうじみちふさ)と地域の有志が作った私設の図書館「北条文庫」がありました。館山は避暑・避寒の保養地として、明治以降、東京からたくさんの知識人が移住してきた土地です。万里小路通房は安房に移住した公卿出身の伯爵ですが、教育・文化の発展にも大きな影響を与えました。都会から来た人と地元の人の交流によって生まれる館山の本の文化を継承したいと、「北条文庫」を店名にしました。
実際、書店を始めて気づいたことはありますか?
田村 本屋を始めてみたら、本好きの人が可視化されたというか、書店が求められていたんだなと思いました。当店は大きなメディアにはあまり取り上げられていませんが、口コミの効果なのか、予想以上に遠方からもお客様がいらっしゃいます。
「故人の残した本を買い取ってほしい」という依頼も数多くあります。お宅に伺うと、膨大な蔵書があって、この地域にもこんな読書家がいたのか、生きているときに話をしてみたかったと思うこともありました。
この場所に興味をもった人たちが集まる
この建物には北条文庫のほか、カフェ「ALRIGHT COFFEE ROASTERS」、ジビエレザーの工房「伝右衛門製作所」、イタリアンレストラン「Acqua Tozzo」、ホテルが併設されています。
田村 書店と同時に併設のコーヒーショップを始めました。これは「買った本を開いてすぐに読みたい」という個人的な好みによるところが大きいです。
僕はコーヒー品質評価の国際資格であるQグレーダーを取得しており、スタッフと日々コーヒーのクオリティ向上を目指しています。
近頃は単体で地域のマルシェに呼ばれることや、飲食店から焙煎豆卸のご依頼も増えてきました。コーヒーショップとしても、目的地として選んでもらえることを目標にしています。
レストラン、レザー工房はテナントとして入ってもらっていますが、誘致したというよりは、この場所に興味をもった方々が自然に集まってきて、今の形になりました。
僕がこの場所を取得できたのは、特別に幸運だったからではありません。実際、この建物には長い時間、買い手がつきませんでした。地方には、遊休物件を活用して事業を始められるチャンスがある一方で、商圏人口が小さい分、多様で個性的な商いであればあるほど、持続するのが難しいという面もあります。それでも地方には、自分たちの暮らしを少しずつ自らの力で作り変えていく余白があると思います。
「YANE TATEYAMA」という名前は、学生時代からの友人が門前仲町で営んでいる「YANE」からもらいました。その友人は、店舗設計を専門にしてきたデザイナーで、この建物全体のデザインにも関わってもらっています。
もともとの「YANE」も、いろいろな商売をしている仲間たちが集まってできた複合施設で、「ひとつ屋根の下」という意味があったと聞きました。
書店のフロアを案内していただけますか?
田村 こちらは地域の本のコーナーです。雑誌『大神宮の森へ1』『大神宮の森へ2』(安房大神宮の森コモンプロジェクト編/羽鳥書店)、書籍『コモンズの新たな地平』(高田宏臣・小倉沙央里著/羽鳥書店)は、伝統的な土木技術を掘り起こし、森林や庭などの再生事業に携わる高田宏臣さん(一般社団法人 地球守・有機土木協会代表理事)の活動を紹介したものです。
羽鳥書店は、東京から南房総へ拠点を移し、この地域にまつわる本も刊行しています。北条文庫のオープンをきっかけにご縁ができました。「南房総での生活で足りないと思っていたのが行きつけの本屋さんだったので、うれしい」という言葉が印象に残っています。
こちらも安房に関係の深い著者のコーナーですね。
田村 浅井慎平さん、つげ義春さん、安西水丸さんなど、この地域とつながりの深い方々の本を集めています。惜しまれつつ閉館しましたが、千倉町には浅井慎平さんの作品を所蔵・展示する「海岸美術館」がありました。当店は浅井さんとのご縁があって、一部の作品をお預かりし、展示しています。浅井さんや海岸美術館のファンだった方がそれを知って来店されることもあります。
また2026年3月に亡くなったつげ義春さんには『ねじ式』をはじめ、房総半島を舞台とした作品がたくさんあります。
イラストレーターの安西水丸さんは、幼少期千倉に住んでいました。水丸さんの作品には重要なモチーフとして横一線の水平線が出てきますが、これは水丸さんが子どものときに見た千倉の海の光景です。
南房総には今も海女文化が残っています。『海女の習俗 岩瀬禎之写真集 海女の群像・続編 千葉・岩和田1931-1964』(彩流社)は御宿町の岩和田海岸の海女たちを撮影した貴重な記録。古書ですが人気が高く、3万円以上します。
絵本がたくさんありますね。
田村 オープン当初は自分の好みや関心のある本を中心に仕入れていったのですが、お客様の求めに応じて次第に棚の構成が変わってきています。当店にはお子さん連れのお客様も多いので、絵本が増えてきています。
絵本の中では仕掛け絵本がよく動きます。本を買うためというより観光のついでに寄られるお客様も多いのですが、「かわいい!素敵!」と本を開く光景を見るのはうれしいことです。
ロングセラーはありますか?
田村 『見えない世界で見えてきたこと』(石井健介著/光文社)は25年5月に刊行された本で、ずっと売れています。著者の石井さんは館山在住。36歳の時に視力を失い、目の見えている人と見えていない人をつなぐ「ブラインドコミュニケーター」として多岐にわたる活動をしていて、個人的にも注目しています。
『火の見櫓の上の海 東京から房総へ』(川本三郎著/NTT出版)は、夏目漱石から芥川龍之介、三島由紀夫、つげ義春まで、房総を愛した東京人の足跡を追った本。ここまで解像度高く描いてくれると、地元民としてはうれしくなります。
最後に、お店を訪れたついでに立ち寄るといい、近所のお勧めスポットはありますか?
田村 この先少し歩いた所にある北条海岸の「北条桟橋」をお勧めします。北条桟橋は以前館山と東京を結ぶ汽船の発着場でした。近くの踏切には「汽船場」の名が残っています。別名「鏡ケ浦」と呼ばれ、天気の日には富士山がよく見えます。
取材・文/桜井保幸 写真/木村輝
参考サイト YANE Tateyama【フォトギャラリー】




















