その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は國分俊史さんの『 経営戦略と経済安保リスク 』です。
【まえがき】
「冷戦を長期化させる戦略」。本書はこのグランドストラテジー(大戦略)を実現するために、必要とされる企業経営の在り方について論じることを試みた。また、各国の経済安全保障政策に準拠し、米中でのビジネスを継続するために、対応が必要な論点を提示した。
米中冷戦は米ソ冷戦と異なり、経済の結びつきが強いなかで生じた。そのため、新たな安全保障政策の構想が形をなすまで、長期にわたって試行錯誤が続くはずだ。米ソ冷戦の経験の焼き直しは通用せず、対ソで描かれた「封じ込め」のような対中外交の大戦略は、まだ米国でも描かれていない。
米国の安全保障政策の専門家と議論してきた経験から確実に言えることは、対中政策における企業経営の在り方は、まだ誰も論じていないということだ。
バイデン政権では、米国で最もエコノミック・ステイトクラフト(以下ES)を研究してきた新アメリカ安全保障センター(以下CNAS)から、多くのメンバーが国家安全保障局やインテリジェンス機関の重要なポジションに就任した。筆者が議論してきたメンバーも経済制裁担当に就任しており、CNASで構想されていた政策が、早くも実行に移されている気配が垣間見える。
ESは、外国が繰り出す特定の政策に対し、国家全体ではなく、その政策に影響力を及ぼす関係者に限定し、多様な経済制裁を発動する手法である。CNASはトランプ政権下でも、よりスマートなESの研究をしてきた。だが、企業経営の在り方にまでは議論が及ばないまま、政権交代によって政策実行を担った。
経営の先端トピックスを解説する『ハーバード・ビジネス・レビュー』の論文を見ても、経営と安全保障の結節点を初めて取り上げたのが2020年2月号の「Choke Points」。1年半後の2021年8月号に、ようやく二本目の論文である「The Strategic Challenges of Decoupling」が掲載された。その中身はいずれも、グローバル企業が国際政治の武器として利用されるリスクと、米中デカップリングが進行する未来への備えを促す内容にとどまっている。
こうした理由から、本書は参考材料となる先行研究がないなかで、政策から想定される経営へのインパクトを描く新たな経営の在り方を探るものとなった。前著『 エコノミック・ステイトクラフト 経済安全保障の戦い 』(日本経済新聞出版)で解説した各国の経済安全保障政策と、バイデン政権発足後の米国政府の動向を踏まえ、旧来のMBA的なアプローチでは対応できない課題を想起し、求められる新たな経営の在り方を大胆に描いてみている。
多くの企業が米中冷戦によって米中どちらかの市場を選ぶ踏み絵を迫られていると捉えているが、それは大きな誤りだ。まず日本企業の経営者に求められるのは、「米国か中国か」という単に市場を選択することではなく、各国の経済安全保障政策に正確に従うことと理解すべきだ。
本書の執筆に当たっては、経済安全保障を担当する日本のインテリジェンス機関への支援経験を踏まえ、今後不可欠となる、日本企業のインテリジェンス機関との連携を、より建設的な関係にしていく視点も強く意識した。欧米諸国ではインテリジェンス機関と企業の連携がより緊密化し始めている。両者の連携が、30年は続くであろう米中冷戦下での企業競争力を大きく左右する要因となることが確実な情勢だ。
また、本書は経済安全保障を、経営戦略、研究開発、組織風土文化、経営管理、財務戦略、リスクマネジメント、ガバナンス、人事管理、サプライチェーン、情報システムという経営機能の視点から論点整理している。
なぜこの章にこの論点が記載されているのかと驚くかもしれないが、この数年間、多くの企業の経営陣と議論して、本来責任を有する担当部門ではない方が、問題に気づいていない部門への牽制力を高められると判断したことが理由だ。
選択した論点も、筆者が日本および世界のシンクタンクやインテリジェンス機関と議論しているなかで感じた重要なものだけを抽出しているため、すべてを網羅しているわけではないことをあらかじめ申し上げておく。この執筆期間中も、新たな論点が次々に生まれてきたことを踏まえると、冷戦期間中にすべての論点を網羅することなど、そもそも不可能と断じるべきだろう。また、紙幅の都合上、記載し切れていない、まだ水面下で進められている議論があることも、あらかじめ申し添えておきたい。
最後に、本書を世に出させて頂くうえで、大きな励みとなった一橋大学名誉教授である野中郁次郎先生に、心から感謝を申し上げたい。野中先生には前著『エコノミック・ステイトクラフト 経済安全保障の戦い』にご関心をお持ち頂き、経営の観点から論じる勇気を与えて頂いた。また、経済安全保障に取り組まれている日本のインテリジェンス機関の方々には、本書が少しでも日本企業の意識改革に貢献し、世界水準の健全な連携状態に近づければ幸いである。
【目次】