その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は安藤優一郎さんの 『お殿様の人事異動』 です。
【プロローグ】
江戸時代は、国替えという名の大名の異動(転勤)が繰り返された時代である。大名は幕府(将軍)からの異動命令を拒むことは許されなかった。
当の大名は転封(てんぽう)してくる大名に城と所領を引き渡すとともに、転封先の大名からは城と所領を受け取るが、実際に国替えが完了するまで半年近くを要した。内示から発令、移動まで、それだけの時間が必要だった。
国替えとはすべての家臣とその家族を連れて移動するものであり、その引っ越し費用は参勤交代に要した費用とは比べものにならなかった。国替えの理由は様々だが、突然に命じられることが大半であり、当事者の大名や家臣は大混乱に陥る。幕府からすると、いわば人事権を行使することで自己の求心力を高められる効果があった。
将軍の人事権は老中や町奉行といった要職で威力を発揮したが、その裏では嫉妬と誤算が渦巻いていた。老中松平定信は将軍家斉から辞職願を慰留されることで権力基盤の強化に成功したが、最後は辞表が命取りとなり失脚した。辣腕ぶりで江戸庶民に人気が高かった火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためがた)長谷川平蔵は、それゆえに上司や同僚の嫉妬を一身に浴び町奉行に就任できないまま終わった。
本書は、将軍が大名に行使した国替えという人事権、殿様と呼ばれた大名や旗本を対象とする人事異動の泣き笑いを通して、現代にも相通じる江戸時代の知られざる裏側に迫るものである。
各章の内容を簡単に紹介しておこう。
第Ⅰ章「国替えのはじまり〜秀吉・家康からの異動命令」では、豊臣秀吉による天下統一の過程で諸大名が頻繁に国替えを命じられた背景に迫る。秀吉から関東転封を命じられた徳川家康は関ヶ原合戦の勝利により天下人へと一気に上りつめるが、江戸開府に先立って断行した史上最大の国替えはその象徴だった。
第Ⅱ章「国替え・人事異動の法則〜幼君・情実・栄典・懲罰」では、国替えや幕府要職者の人事異動の基準を様々な事例を通してあぶり出す。江戸初期を除き、国替えの対象は主に譜代大名。役職の異動つまり昇進にも一定のコースがあったが、国替えにせよ昇進にせよ、その裏では情実そして金品が働いていた。
第Ⅲ章「国替えの手続き〜指令塔となった江戸藩邸」では、国替えの命令を受けた時から、城引き渡し、受け取りが完了するまでの過程を追う。国替えを命じられた藩どうしは綿密な打ち合わせが不可欠であり、幕府に進行状況を報告する必要もあったため、おのずから江戸藩邸が指令塔にならざるを得なかった。
第Ⅳ章「国替えの悲喜劇〜引っ越し費用に苦しむ」では、国替えに要する莫大な費用をめぐる領民との駆け引きに注目する。転封を命じられた大名は御用金という名の献金を御用達商人や領民に課すが、虫の良い話であり思惑通りにはいかなかった。逆に、領民から貸金の返済を求められて窮地に陥る事例が少なくなかった。
第Ⅴ章「人事異動の悲喜劇〜嫉妬と誤算」では、歴史教科書でもお馴染みの歴史上の著名人が人事異動に翻弄された姿に焦点を当てる。そこでは各人の栄達に対する周囲からの嫉妬や反発が決定的な意味を持っていた。
第Ⅵ章「国替えを拒否したお殿様〜幕府の威信が揺らぐ」では、幕府が国替えを撤回した唯一の事例を取り上げる。天保十一年(一八四〇)に幕府が庄内・川越・長岡三藩に命じた三方領知替が撤回に追い込まれた背景と、その歴史的な意味を解き明かす。
エピローグ「国替えを命じられた将軍様」では、将軍の座から転落した徳川家が一転、明治政府に国替えを命じられた過程を追う。明治維新という政権交代の象徴的な出来事だったが、その後も戊辰戦争の戦後処理という名の国替えは続いた。
以下、お殿様の人事異動という切り口から江戸時代を生きた武士の実像に迫っていこう。
【目次】