その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はヤマザキマリさん、清野由美さんの『 蛮族の襲来 ヤマザキマリが大いに語る 』です。

【はじめに】

 ズリッ、ゴボボボボボ、ざっぱん、ぐあはっ。
 ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……。
 古代ローマの公衆浴場でおぼれた男が、二千年の時空を超えて、現代ニッポンの銭湯にワープ。富士山の壁画を背景に、湯船から突然湧いてきたガイジンを、平たい顔をしたじいさんたちがポカンと口を開けて見つめる──。
 これはヤマザキマリのマンガ『テルマエ・ロマエ』で、もっともインパクトのある冒頭のシーンです。
 主人公の古代ローマ人、ルシウスは、五賢帝の一人、ハドリアヌスに仕える堅物の浴場設計技師。ニッポン人にはおなじみケロリンの宣伝入り風呂桶やフルーツ牛乳にいちいち驚愕する、そのカルチャーギャップの描写が、マンガならではのおかしさ満載で、作品は映画とともに大ヒットを記録しました。

 ルシウスが生きたのは、古代ローマ帝国が五賢帝の治世によって、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を謳歌した時代です。
 初代皇帝アウグストゥスから、第十六代のマルクス・アウレリウス・アントニヌスまでの約二百年間に、ローマ帝国は地中海からガリア、ブリタニア、北アフリカ、そして中東と、広大な領土を治めました。土木技術の粋、ローマ街道が中央のみならず属州にいたるまで整備され、あの有名な「すべての道はローマに通ず」という言葉が生まれます。水道橋、コロッセオ(円形闘技場)、公共浴場も各地に建設され、「法」「軍事」「ラテン語」「市民道徳」といった有形無形の資産が、繁栄の上に積み重ねられていきました。その結果、辺境の地の住民であっても、人々はローマ市民としてのアイデンティティを誇るようになったのです。
 しかし、五賢帝時代のあとは混乱期に突入し、帝国は東西に分裂。経済は破綻し、最強を誇った軍隊も、平和ボケした市民がモラルを失って、傭兵への依存を高めたことで弱体化していきます。

 そんな四~六世紀に起こったのが、歴史学でいうところの「ゲルマン人の大移動」、すなわち「蛮族の襲来」でした。ゴート族、フランク族など周辺からやってきたゲルマンの戦士集団は、傭兵となってローマ帝国に定住するようになり、やがてそこから西ローマ帝国を滅ぼす傭兵隊長オドアケルが登場するのです。

 さて、ルシウスの時代から二千年を経た現在、ローマ帝国の興亡は遠い昔の話でしょうか。
 いや、昨今の世の中を見ると、遠いどころか、あたかも今、まさに同時代の話のように身近に感じるのです。

 アメリカ、ヨーロッパをはじめとする西側諸国が直面している移民の受け入れは、まさに端的な話題ですし、自由・平等という近代の価値観を生み出したヨーロッパは、自己矛盾の中で退潮に向かっている。アメリカ・ロシア・中国という大国は力による支配を強め、世界各地で戦争や侵略が起きている。
 我が日本の足元を見れば、投機マネーによって不動産の価格が高騰し、東京では普通に働いている人が家を買えない。物価は上がり、暮らしが圧迫される一方、街では外国人旅行者が立ち食いの串を片手に、「日本、安いねー」と言いながら、我が物顔で闊歩している。そんなあれこれを「おかしいじゃないか」とヘタにつぶやくや、SNSでまたたく間に拡散されて、炎上。
 一昔前にあった社会の均衡や人々の良識が揺らぎ、以前なら起こりもしなかったことが次々と起き、そんな場面に遭遇する度に、遠い昔の歴史でしかなかった「蛮族の襲来」が、ある種のメタファーとなって、脳裏にちくちくと刺さってくるのです。

 ただし、この本において「蛮族の襲来」の「蛮族」とは、昨今の移民問題といった直接的な事象を指しているものではありません。
 私たちの親の世代は、先の敗戦から得たつらい教訓をもとに、平和で豊かな戦後社会を築き、自国を国際社会の一員に引き上げました。
 その礎となった「自分のアタマで考えること」が、今、大きく揺らいでいる。時間と労力をかけて獲得していくものだったはずの知識が、ネットを通じて、たちどころに得られることで、あらゆる領域で価値の希薄化が起こり、その結果「知性」の価値が下落している。

 古代ローマ人は「蛮族の襲来」を、物理的な収奪だけでなく、自分たちが共有してきた精神性、価値観といった無形の財産を脅かすものとしてとらえ、それらが崩壊していくことに怖れを抱きました。
 それと同じような価値崩壊の危機に、私たちは直面しているのではないか。私たちがよしとした文化が変容していくことと、それに対する怖れを表すものとして、ここでは「蛮族の襲来」という言葉を使っているのです。

 では、この危機を救うものは何なのでしょうか。

 歴史を振り返ると、繰り返し起こる変化の中で「ビジョナリー(予言者・幻視者)」と呼ばれる人が現れました。たとえばルネサンス期には、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、科学と数学、表現技術を駆使し、知性と想像力をもって未来を指し示す天才が現れました。つまり芸術家です。

 この本では、ローマ帝国の興亡を、ルシウスの分身として幻視し、体験してきたヤマザキマリを最強の水先案内人として、現代における「蛮族の襲来」を語り、その先の展望を切り拓いていきたいと思います。みなさん、ぜひ一緒に楽しみながら、考えていきましょう。

清野由美(ジャーナリスト)

* 文中のアメリカは「アメリカ合衆国」、イギリスは「英国」を指します。また、一部敬称を省略した箇所があります。カバーと扉のマンガは『続テルマエ・ロマエ』(集英社「少年ジャンプ+」連載中)から引用させていただきました

【目次】

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