「有閑(ゆうかん)階級」とは生産的な仕事を一切しない支配階級のこと。経済学者・社会学者のヴェブレンは、19世紀末のアメリカ合衆国の大富豪の行動を観察しながら、『有閑階級の理論』をまとめた。本書を手にしたことのない人でも「衒示(げんじ)的消費」という言葉は知っているかもしれない。「見せびらかし消費」といった意味だ。しかし、本書は単なる消費論を超えている。著者の鋭利なメスは宗教、教育、スポーツ、芸術などの“神聖な”分野に向かい、さらには支配階級を模倣する世間全体にまで及ぶ稀有(けう)な書だ。
ぜいたくから抉り出す支配階級の本質
ユーミン(松任谷由実)のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』。シャンパンの泡とスキューバダイビングの泡が交差する楽曲が発表されたのは1987年。バブルと言われた時代を象徴する楽曲として語り継がれている。
「実際にシャンパンの泡の中に見えたんです。このぜいたくな浮かれ騒ぎも、うたかたかもしれないって」。テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト(WBS)」にゲストでお迎えしたユーミンから、そんな話を聞いたことが今でも印象に残っている。「うたかた」は漢字で「泡沫」。「バブル」である。天才の感性は凡百の学者たちに及ばぬ素早さで時代の本質をつかまえていた。
今月の1冊、ソースタイン・ヴェブレン(1857~1929年)の『 有閑階級の理論 』(原著は1899年刊。リンクは2016年刊行の新版/村井章子訳/ちくま学芸文庫)は、経済学者・社会学者が時代相を描き切った稀有の書物だ。
ヴェブレンといえば、「衒示(げんじ)的消費(conspicuous consumption)」。本書を開いたことのない人でも、この言葉を使えば読んだそぶりができる。「衒示」とは見せびらかしのこと。この言葉から高度消費社会やマーケィングを論じ、浪費の弊害に顔をしかめるのはコラムニストたちのお約束である。
だが、ヴェブレンの議論の中心はそんなところにあるのではない。人間が織りなす階級社会にメスを入れ、富の支配者となり、経済社会の頂点に立つ人々の行動様式を描き切ることこそが、本書の真骨頂である。
19世紀の後半に急速に発展し、世紀末には大富豪たちが大手を振って闊歩(かっぽ)した「金ぴか」時代のアメリカ。富豪たちはもはやあくせく汗を流して働くことはせず、派手に散財してその実力を世に知らしめる。まさに時間をも浪費してみせる「有閑階級」である。有閑階級のルーツを野蛮時代の略奪行動にまでさかのぼる。そんな筆致には誇張が拭えない代わりに、メスさばきは怜悧で皮肉が効いている。
小説『グレート・ギャッツビー』の衒示的消費
その金ぴか時代は1929年10月のウォール街暴落まで続く。この時代の雰囲気を感じ取るのに最適な本がある。F・スコット・フィッツジェラルド(1896~1940年)の『 グレート・ギャッツビー 』(原著1925年刊。リンクは2009年刊行/小川高義訳/光文社古典新訳文庫)である。描かれているのは「黄金の20年代」と呼ばれたアメリカで、「有閑階級」を目指しながら挫折したギャッツビーの物語である。
「色あざやかな電飾はギャッツビー邸の庭全体を巨大なクリスマスツリーと化してしまいそうだ」。夜な夜な開かれるパーティーにはオーケストラが呼び寄せられる。「水上飛行機を買ったばかりで、あすにも飛ばすのだと言う」のがギャツビーである。英国のオックスフォード大学に学び、紳士然と夜会を取り仕切るのだが、どこか怪しい。
お話の顛末(てんまつ)に至る筋運びは小説の王道を行っている。ここで注目したいのは、一種の「成り上がり」であるギャッツビーが織りなす「衒示的消費」こそが、「有閑階級」の生活様式の完璧すぎるコピーであるという点だ。その意味で『有閑階級の理論』は、アメリカ社会を丸ごと貫いている。
いや、成り上がりたちばかりではない。ごく平凡な中間階級や労働者階級に至るまで、世間体とも言うべき見栄(みえ)に細かい神経を払う。そうした世間体や見栄も、一皮むけば有閑階級の生活様式が普及していったものなのである。
話をこのあたりで収めていれば、ヴェブレンも当時の経済学の王道を歩めたかもしれない。だが、「主流派にあっては労働者は正当な労働の名誉を与えられたが、ヴェブレンはそれをも否定した」と、ヴェブレンの系譜を引くジョン・ケネス・ガルブレイスは言う(『 ゆたかな社会 決定版 』(鈴木哲太郎訳/岩波現代文庫)。これでは主流派から疎んじられるのも無理はない。
しかも彼は怜悧なメスで、宗教儀式、学問、社交、狩猟、スポーツ、芸術などの“神聖な”分野に容赦なく斬り込んでいった。例えば芸術的な価値の真贋はどうだろう。世間の評に惑わされない心眼を持つという人物は多いが、ヴェブレンによればまやかしもいいところである。
芸術作品の価値を決めるのは価格であり、高い値が付く絵画や骨董はそれだけで価値があるように見えてくる。もちろんその価値を高める要素には、手間暇かけて作品をこしらえたという「有閑」の影が射し込んでいる。かくて価値と価格の抜きがたい結びつきが生じる。身も蓋もない言い回しは図星である分、彼への反感もいや増したのである。
産業経済に優越する金銭経済
本書については、もうひとつ重要なポイントを指摘すべきだろう。金銭経済(金融や営利)と産業経済(モノづくり)という経済活動の2つの側面を鮮やかに描き切った点である。「モノづくり」に価値が置かれてきた日本の感覚からすると、労働と生産に基づく産業に高い地位が与えられて当然と思われるかもしれない。だが、ヴェブレンが描き出すのはその逆である。
労働や生産を疎ましく思う有閑階級から高く評価されるのは、産業ではなく自らは手を汚さない金融のほうなのだ。ここで言う金融には、企業経営のかじ取りを担い、より高い収益を追求しようとする経営者も含まれる。
「営利的な職業の頂点を形成するのは、創業経営者や実業家の仕事である。実業家は……目端(めはし)の効く人物であり、生産面より営利面に長(た)けている」「生産や産業組織の細部は、あまり金儲(もう)けの才能のない部下、つまり経営の才よりも技能に恵まれた部下に委ねる」
そして資本主義の発展とともに、こうしたスタイルが確立され、強まっていく。「営利的職業は、生産的職業よりもはるかに高い評価を得て認められている」。このあたりはビジネススクールとウォール街が支配する現代のアメリカそのものと言ってよいかもしれない。
日本の「有閑階級」はバブル時代の泡沫だったのだろうか。いや、今でも、投資やビジネスで財を成した寵児たちの好みは、にわか仕込みの茶の湯や香だったりする。
そして、産業経済に優越する金銭経済。そうした色彩は、この日本でも着実に強まっている。ヴェブレンの本を「衒示的消費」の一言ですませてしまうのは、あまりに惜しい。ユーミンの『真夏の夜の夢』でも聴きながら、まず『グレート・ギャッツビー』、それから『有閑階級の理論』へと進んだらどうだろう。
写真/スタジオキャスパー
AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営──。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。
滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)
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