その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は飯山辰之介さんの『 SHIFT解剖 究極の人的資本経営 』です。

【はじめに】

 それは異様な体験だった。あまりに常識外れで、言葉を選ばず正直に言うなら、気持ち悪ささえ感じた。

 SHIFTの本社を初めて訪れたのは、2024年11月のこと。場所は日本一高い高層ビルとして知られる麻布台ヒルズ森JPタワーの32階。ガラス張りのエントランスホールからは東京タワーを間近に捉え、目線を先に移せばレインボーブリッジ、さらに遠くには富士山まで見渡せる。素晴らしい眺望に息をのむ。そこまではなんの問題もない。

 迎えてくれたのは、SHIFTの人事を統括する菅原要介・最高人事責任者(CHRO)だ。笑顔が印象的で、物腰はやわらかい。だが彼の語る人材戦略は強烈の一言に尽きた。「御社のやっていることは、どう考えても異様ですよ」

 菅原氏の話を遮って、思わずこう声を上げてしまうほど、その施策は一般的な人事の常識からはかけ離れていたのだ。

 取材が終わるころには、高層ビルから望むぜいたくな景色など、もうどうでもよくなっていた。「どうすれば自分が受けた衝撃を読者に伝えられるのか」。そればかりで頭はいっぱいだった。

SHIFT本社、エントランスホールから望む景色(写真=ドリームムービー)
SHIFT本社、エントランスホールから望む景色(写真=ドリームムービー)
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地味な仕事で爆発的に成長してきた会社

 SHIFTという社名はまだまだ世の中に知られていないだろう。主軸はソフトウエアのテストという一般にはなじみの薄い事業だ。企業が開発したソフトやウェブサービスに不具合がないか、想定通りに機能するかを検証する業務で、IT(情報技術)業界でも裏方的な仕事に位置づけられていた。エンジニアの花形は設計や開発にあり、対するテストは付加価値を生まない「下流の仕事」と見られてきた。

 この極めて地味、かつ誰にも顧みられなかった領域で、SHIFTはのし上がってきた。事業は地味だが成長スピードはすさまじい。25年8月期の売上高は1298億円と、14年の東証マザーズ市場(現東証グロース市場)への上場時と比較して60倍に増え、営業利益は156億円と同126倍に拡大。市場からの期待は高く、株価の時価総額は上場時から100倍を超えて膨らんだ(上場時の公開価格ベースの時価総額と25年8月末時点とを比較)。

 華やかな事業ではない。最先端技術を抱えていたわけでもない。それなのになぜSHIFTは急成長できたのか。この謎を解くカギこそが、初めて聞くと「やり過ぎではないか」と思えるほどの、徹底した人材戦略にあった。

 一端を先取りしてお伝えしよう。SHIFTは社員ごとに450項目を超える人材のデータを継続的に取得している。例えば「現在の年収」とか「5年後に希望する年収」「趣味」「社内飲み会への参加頻度」、さらに「思考や行動の特性」まで、よくここまで収集する気になるなと思うほどの細かな情報が、社内の人事情報システムに詰め込まれている。

 確かに近年は従業員のスキルや経験、キャリアの目標といった人材情報を管理する「タレント・マネジメント・システム」を導入する企業は相次いでいる。だが、ここまで社員を丸裸にするようなデータを抱える企業はないだろう。

 筆者はこれまで様々な企業の人材戦略を取材して回ってきたが、これほど徹底的に社員を知ろうと手間暇かけている会社は初めて見た。そして、その徹底ぶりに衝撃を受けた。

「人的資本経営」に付きまとう難題

 2年ほど前、日経ビジネス編集部は「人的資本専門記者」なる肩書を新たに作り出し、部内でふらふらとしていた筆者に与えた。

 労働人口の減少を背景とした人手不足や賃上げ機運の高まり、それに経営環境の激変などを受け、多くの日本企業が人材戦略の再構築を迫られるようになった。23年3月期以降は有価証券報告書において、人材育成や女性管理職比率、男女間の賃金格差など、社員に関する情報を開示することが義務化されている。「人的資本経営」に対する関心は高まっていた。

 経済産業省の定義によると、人的資本経営とは「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」だという。これを専門に取材する記者の仕事とは、要は企業の人事・人材戦略をカバーしろということ。人的資本経営をどうすれば実現できるのか、打ち手に悩む企業の経営陣や人事部員、マネージャー層のヒントとなるような記事を掲載できれば、読者を引きつけられると踏んだ。

 にわか仕込みではあっても「専門記者」を名乗るからには手をこまぬいてはいられない。様々な企業の人材・人事戦略を取材して回った。ただ手ごたえを感じるような取材先にはなかなか巡り合わない。

 当然だろう。人事制度や人材戦略は社員の人生や生き方に大きな影響を与える。安定した従来の制度を安易に置き換えては大きな混乱を招きかねない。

成果主義の失敗が教える人材戦略の難しさ

 1990年代、バブル崩壊を機に一時もてはやされた成果主義が好例だ。年功序列ではなく社員の成果に基づいて賃金を決める仕組みが模索された。だが、制度は不完全で社員の納得感や共感は広がらず、結果的に当時の成果主義は失敗に終わった。導入した企業では社員の士気が低下し、人材の流出も相次いだという。影響が大きいだけに、人事制度は容易には変え難い。一方、記者の仕事の基本は変化を捉え、記録していくことにある。ドラスチックな変化がないものを魅力的に描き切る力量など、残念ながら筆者にはない。

 さらに言えば、人材戦略は一朝一夕に成果や効果が顕在化するものでもない。新商品とか新サービスであれば、売り上げとか顧客数などで成果を比較的容易に測ることができる。では人材戦略はいつ、どうすればその効果を測定できるのか。今のところ明確な答えはない。

 制度的可塑性が低いこと、業績や成果との相関が見えにくいこと。人材戦略につきまとうこうした難題に、企業の経営者や人事部も常に頭を悩ませてきた。それは経営の本質的な課題とも言える。社員が生き生きと生産性高く働くことができれば、どんな企業であろうと活性化し、業容も業績も拡大していくはず。そこまでは分かっても、いざ戦略や戦術を描こうとすると、とたんに輪郭がぼやけていく。機械やプログラムではない、人間というままならない存在を対象とするがゆえの難題が人事、人材戦略には付きまとう。

1%の「天才」よりも99%の「普通の人々」

 だがSHIFTはひるまずに、人材という得体の知れない対象に正対した。自分たちなりの戦略を打ち立てて制度を設計し、その効果を独自のモノサシでもって検証してきた。そこで得られた新しい知見を武器に、制度に磨きをかけていく。結果、一朝一夕とはいかずとも、極めて短い時間で「人材戦略の成果」を業績と株価に反映させることに成功している。

 この人材に賭ける執念の出どころを突き詰めていくと、創業者の丹下大社長に行き当たる。「なぜ人材戦略にそこまで力を入れるのか」という問いに、丹下社長は落ち着いた口調で答えた。「僕は人の持つ本当の能力が知りたくて仕方がない。能力の発揮を阻む余計なものがあるとすれば、タマネギの皮を剥くように剥がしてしまえばいい。そうすれば、その人が持つ『コアな価値』が見えてくる」

 その対象となるのは、パフォーマンスの高い一部のエリート社員ではない。「僕は1%の天才よりも、その他大勢の、99%の人たちに関心がある。天才にしか興味がないならば、(エリートを集めた)コンサルティング会社でも立ち上げればいい」と丹下社長は言う。

 企業活動は玉石混交のメンバーが総当たりで挑むチーム戦だ。天才ばかりを集めるわけにはいかないし、天才ばかりを集めたところでうまくいくとも限らない。その他99%の人々の能力を、いかに発揮させるかが勝負の分かれ目になる。

 丹下社長は社員一人ひとりの能力を剥き出しにする「皮剥き作業」にひたすら取り組み、その能力を生かす仕組みの導入を進めた。結果、気づけばSHIFTの人材戦略は一般的な企業からすれば「異様な姿」に変貌を遂げていた。

 実を言うと、筆者は当初「SHIFTの異様さを面白おかしく描き、特集記事に仕立てられればいい」くらいに考えていた。だが取材を進めていくうち、徐々に価値観が逆転していった。

「まっとう」だから異様に見える

 企業成長のカギが人材にあることや、人材一人ひとりの能力を発揮させていくことの重要性に異論を差し挟む企業はないだろう。ならば、これを実現させようともがくSHIFTこそ「まっとう」なのであって、「当たり前」とされてきた従来の人事の仕組みこそ、実は「異様」なのではないか――。人材の能力を顕在化させ、生産性を徹底的に高めることに執念を燃やすのは、トップとして当然のことではないか――。こう考えるに至ったのだ。

 一見したところでは異様に見える取り組みも、その裏には極めてまっとうなロジックや狙いが潜んでいる。これを探り当てる作業に筆者は没頭し、いつしか価値が反転する感覚に酔いしれるようになった。

 そしていつしか、当初感じた「気持ち悪さ」は、まったく逆の「爽快感」に変わっていった。この人は、この会社は、もしかしたら日本の会社の人事制度に、いや、社会の考え方に〝革命〟を起こそうとしているんじゃないか?

 本書では人事評価や人材育成、採用戦略、それにエンゲージメントを高める施策など、SHIFTの人材戦略について多方面から解剖していく。これをそっくりそのまま取り入れることは難しいかもしれない。だが人材戦略に悩む経営者や人事担当者、さらに人材のマネジメントに関心のあるビジネスパーソンにとって、目からウロコのヒントになる事例がいくつも見つかるはずだ。

 そして本書を読み進めることで、筆者が感じたのと同じ、価値観が逆転するカタルシスを味わってもらえたらうれしい。

【目次】

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