その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は勅使川原真衣さんの『 「働く」を問い直す 誰も取り残さない組織開発 』です。
【はじめに】
「なんで自分ばっかり……」
「どいつもこいつも使えない」
こんな声が蔓延(はびこ)り、職場がギスギスする。
常に何かに追われているように慌ただしい。ほかの人を気にする余裕もない。
雑談がなくなり、大量のタスクが積み重なる。
些細(ささい)なことから行き違いが生まれ、窒息しそうな重苦しい雰囲気が漂う――。
こんな様子を見たことも聞いたこともない、と言い切れる人はほとんどいないのではないでしょうか? 少なくない日本企業の職場で今、起きていることです。
このままではいけないとミーティングが設定されますが、ただでさえ忙しいのに目的のよく分からない会合に時間を取られることで、社員は不満顔。空振りに終わります。
「人が足りないんだから、補充してください」
みんながそう願っているのに、ほかの部署も手が足りなくて人を回せません。
新規で採用しようとしても、思ったように採れない。
もはや日本中が人手不足なのです。
本書を手に取ってくださったみなさんは、いっこうに改善できそうにない組織の状況を前に、途方に暮れているかもしれません。もしくは、組織変革のイロハや職場の対話術などの指南本が雨後の筍のごとく量産されている現状に、疑心暗鬼になりかけていてもおかしくないでしょう。
私は、組織開発が専門のコンサルタントです。ギスギスしてにっちもさっちもいかなくなった職場の状況を良くするお手伝いをしています。
この仕事を通じて気づいたのは、袋小路に迷い込み、自力では困難な状況から抜け出せなくなっている組織には、ある共通点が見られるということです。
誰もが「ちゃんと」やっている――良くしようとして悪くなる職場
私の仕事では「誰が悪いのか」という犯人探しをすることも、「誰が正しいのか」という聖人探しをすることもありません。
誰かが悪いから組織の状況が悪くなっているわけではないからです。
みなそれぞれ、自分の信念に従って、力を尽くすべく「ちゃんと」やっています。
経験の浅い若手社員は、自分なりに主体的に考えて成果を出そう、成長しようとしているはず。それなのに「言われたことしかやらない」、「慣れてくると『自分らしさ』とか甘ったれたことを言い出すんだろう」などと決めつけられ、心を痛めています。
入社して数年経ち、自分で仕事を進められるようになった中堅社員は、ドカッと大量のタスクが降ってきて、息もできないほど疲弊しています。
その一方で、20年以上も働いてきたベテラン社員は、「もはやたいした仕事はできないだろう」とレッテルを貼られ、重要な仕事を任されないだけでなく、仕事量が少ないことを暗に批判され、悔しい思いをしています。
みんなを束ねる中間管理職は、上からも下からも横からも「何とかしてくれ」とクレームをつけられ、ヘロヘロになっています。
各方面から問題を持ち込まれるのは人事担当者も同じですが、自身には権限がほとんどなく、上から振られた無理難題に応えようとするので精一杯。社内のメンタル不調者の対応に追われている当人のメンタルも心配なほどです。
そして、唯一権限を持っていると思われている経営者だって、職場を良くしようと最大限努力しているのに、「現場のことを何も分かっていない」、「やり方が古い」などと批判されてしまっているのです。
なんと惜しいことでしょう。誰かが悪意を持って組織を悪くしようなんて、まさか思ってはいません。それどころか、誰もが頑張っているのに、やってもやっても報われず、募るのは徒労感と疲労感ばかりなのですから。
こういう職場にはいったい何が起きているのでしょうか。
それは、個人の信じる「正しさ」が一元的で、自分以外を承認しにくい構造に陥っているということ。そんなケースが散見されるのです。
「自分はちゃんとやっている」、「正しいのはいつも自分」があふれ、「あの人はなんで……」、「間違っているのは相手。もの分かりが悪くて困るな」も同時に蔓延する。これが、袋小路に入った職場の共通点なのです。
問題は「能力がない」ことではない
一元的な「正しさ」にとらわれている状態とは、どのようなものでしょうか。
例えば、状況が改善できず、悪循環から抜け出せない部署があると、
「それはマネジャーの力量の問題だな。責任者を代えればいい」
「メンバーが優秀じゃないからそういう問題が起きるんだ。もっと能力のあるヤツを採らないと」
などと決めつけてしまう人は少なくありません。
このような思考は、ものの見方に多様性がなく、縛られてしまっているといえます。
こうした発想の根底にあるのは、昔ながらの古い「能力主義」です。これこそが、多様なはずの人間に一元的な正しさのモノサシを当てはめ、人や職場の良し悪しを拙速にジャッジしようとするのです。
能力主義とは社会の配分原理です。「能力」のある人が優秀だと評価され、多くを得る。そして、優秀な人が多くいれば組織はパフォーマンスを発揮できると信じられてきました。
仕事がつらくても、自分に能力があると証明するために、歯を食いしばって働いてきた人もたくさんいるでしょう。そうでないと、分け前も満足にもらえないのですから、仕方がありません。
ところが、あまたの職場を観察する中で確信するのは、日本人に深く内面化されたこの古い能力主義こそが、職場が直面している問題の解決を妨げている――ということです。
人手が足りず、部署のパフォーマンスも落ちている中、自分が優秀であることを証明しないと食うに困ってしまうのであれば、ほかの人の頑張りをおちおち認めている場合ではなくなってしまうのです。
能力主義という“椅子取りゲーム”では無理もありません。ほかの人の優秀さを認めると、自分が損するゲームなのですから。
ゆえに、ギスギスした職場の状況を改善するためには、一元的な正しさで自分も他人も縛るような、古い能力主義からの脱却が必要になってくるのです。
みんなが組織を良くすることの当事者
組織のパフォーマンスをアップさせ、人から選ばれる企業になるためには、
「優秀な人が力を発揮できるような体制を整えることが大切」
「能力が低い人をよそに出して、能力が高い人を集めればいい」
などと思うかもしれませんが、全く違います。
こうした古い能力主義の考え方で組織づくりをやろうとしても、うまくいかないでしょう。
私は、組織開発の手法を利用して、職場が生まれ変われるようサポートしています。
古い能力主義から抜け出すと、みんなが伸び伸びと働けるようになり、部署のパフォーマンスがアップし、人が定着します。
そのためには、一部の「優秀な人」にフォーカスするのではなく、全員で組織をつくります。
誰一人、取り残しません。
若手も、中堅も、ベテランも、中間管理職も、人事担当者も、経営者も、みんな組織づくりに参加します。
それが、「脱・能力主義の組織開発」です。
本書は、問題を抱えた「働く現場」を生まれ変わらせるための本です。
組織の改善に関係するのは、管理職や人事担当者だけではありません。職場の誰もに関わりがあります。
もっと言えば、入社したばかりの若手でも、20年以上働いたベテランでも、誰だって組織を良くするためにできることがあります。
つまり、みんながこの本のステークホルダーなのです。
本書の構成は、大きく二つに分かれています。
前半の「パート1 ギスギス職場はもう限界」では、現在の職場が直面している状況を整理し、その根っこに古い能力主義がいかに影響を与えているかを見ていきます。若手や中間管理職、経営者や人事担当者など、当事者ごとに関連する問題をまとめました。
そして後半の「パート2 組織を生まれ変わらせる四つのツール」では、職場をより良くするために活用できる組織開発の手法を紹介していきます。登場する四つのツールは、それぞれが関連しているものですが、単体で利用しても効果が期待できます。また、必ずしも全社的に導入する必要はなく、部署ごとに始められるものです。
古い能力主義を宿した組織の中では、誰もが孤独です。
お互いの頑張りを認められず、つらい思いをしても声を上げることができず、そのつらさを受け止めてくれる人もいない。
また、人手不足が背景にあり、「優秀な人」を採ろうとしてもうまくいかず、従来の発想ではパフォーマンスの高い組織をつくることができません。
「優秀」な“救世主”の不在や、新しい知識やスキルの欠乏を嘆く前に、今すでにここに存在する私たちの発想の転換が急務です。
手持ちの札を使って十分、変革は創出できるはず。
仕事ってこんなもんだから……
どうせやっても……
優秀な人じゃないと……
能力を見極めないと……
“弱い人”なんてうちには……
組織を覆うこのような「錆(さ)び」を、何はともあれ落としてみましょう。
錆びたままでは組織の動きは鈍くなるばかりですが、錆を落とし、組織を覆う固定観念を洗い流すと、再び動き出します。
今いる人を「代える」、あるいは「変える」なんて大ナタを振るうずっと手前で、できることはあるのです。
そのために本書がお役に立てれば、著者としてこんなにうれしいことはありません。
勅使川原真衣
【目次】






