その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」をご紹介します。今日は西口敏宏さんの『 原材料化する人類 ネットビジネス支配のカラクリ 』。「はしがき」をお届けします。

【はしがき】

“幸せな”奴隷化の先に何が?

 2500年前、繁栄を極めた古代アテネで、今日人類の多くが日々実践しその恩恵を受けている民主主義の祖型的な形が誕生した。そればかりではない。21世紀の現代もなお、われわれ人類の審美眼を魅了し、感動させ、生きる歓びを与える壮大な文明の痕跡が無数に残っている。比較的短かった古代アテネの時代に、よく知られるように、古典劇、哲学、神殿、彫刻や、啓(ひら)かれた言論、裁判制度、軍隊などが一挙に噴出して驚くべき進化を遂げ、現代文明のあらゆる側面に、その祖型的な遺伝子を刻印し続けている。

 それらの構築物はあまりにも完成度が高く、不朽の美と頑健さを有していたため、後世の人類にとっての不幸は、それらの真価を損なわずには何ひとつとして、意味のある追加的要素を付与することが至難の業であり続けていることだ。

 過去25世紀の間には、世界のあらゆる地域で想像を絶するほど多くの出来事が起こり、おびただしい数の国家や政体が勃興し、繁栄し、絶滅した。文化や宗教、学芸の面でも、気の遠くなるほど豊かで、バラエティーに富んだ発展と衰退を見た。人間活動のあらゆる分野で、主役は目まぐるしく変遷し続け、万巻の歴史書や近年のChatGPTでも、とても追随できないほど無数の者たちが、しばらく活動した後に、消え去った。

 とはいえ、20世紀末、今から3分の1世紀ほど前に、ソビエト連邦が崩壊し、東欧諸国を含む多くの旧共産諸国が民主化と自立の道を歩み始めてからの約10年間には、今振り返ると信じ難いような、極度に楽観的な世界観がこの地球上を闊歩していた。

 曰(いわ)く、人類が古代ギリシャ・ローマ以降、計り知れないほどの艱難(かんなん)をもろともせずに追求してきた個人の尊厳、基本的人権、民主政治は、遂にその根源的な障碍から解放された。つまり、歴史はようやくその究極の到達点に達し、“終焉した”のだと論じられた。さらに、このクリティカル(重大)な分岐点の後は、民主国家間の戦争は原理的にペイしないためにカテゴリーとして消滅し、国際紛争の主軸は、民主国家vs.テロ集団のような非民主的諸勢力との間の闘争に移っていくだろうとも主張された。

 だが、2001年9月11日にイスラム過激派アルカイダによるアメリカ同時多発テロ事件が発生して以降、そうした楽観的な主張は次第に下火となり、2003年のイラク戦争をはじめ幾多の国際紛争を経て、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻によって、最終的なトドメを刺されたかのように見える。

 こうした事実の伝えるメッセージは明確だ。つまり、世界はハッピー・ハッピーに、穏やかで統一された未来などへは向かっていない。それどころか、現実問題として連日のように、異を唱える人々の間の分断が深刻化し、格差と不信感による亀裂がいや増しに広がって、この地球上に蔓延している。

 さらに、本書が論じるように、そうした深刻な変化の兆しは、紛争の敵対先とされていた非民主勢力そのものを超えて、驚くべきことに、まさに歴史の最終到達点に達したはずの民主主義の総本山、アメリカ合衆国の内側から発していることが、様々な証拠から明らかになりつつある。

その危機に気がついているか?

 そうした進展の多くは、思いがけないことだったかもしれない。だが今日、注意深い観察者は次のことに気づいている。つまり、過去20年余り、ある意味で、世界の民主化傾向とほぼ軌を一にして急発展してきた、アメリカ発のインターネットビジネスの隆盛こそが、あたかもその量的拡大と反比例するかのように、同国内ですでにくすぶっていた“社会的分断”の動きを、より過激で御し難い“亀裂”へと拡大することに貢献したのかもしれないということである。そして、本書で詳述するように、この現象には、あらゆるネットビジネスに共通する特異な仕組みが関係しており、誰もそれを避けることができないのだ。

 今日、世界中のネットユーザーのなかで、1日たりとも、ネット業者が次々と提供してくる便利な各種サービスのお世話にならずに過ごす者は皆無に等しいであろう。意識しなくても、ユーザーは毎日、様々な検索や調べもの、画像の閲覧やアップ、さらに物品の売買などで、ネット上にあふれる利便性を享受している。

 だが、次のように考えるユーザーもいるに違いない。ちょっと待てよ。そうした利便性の裏には、何だかすぐには解せないが、人知れず怪しげな仕組みが潜んでいるのではないだろうか? 日頃の忙しさにかまけて、これまでじっくり考えてみる余裕はなかったとはいえ、やはり何か腑に落ちない。いつもそうと意識してはいないが、実際、こうして日常生活に流されてしまっている間、知らず知らずのうちに、一種の“リスク”をわが身に背負い込んでしまっているんじゃないか。これまで、ネットサービスを便利に使っていただけで、あまり真剣には考えてこなかったが、やはり不安だ。何かが不気味なのだ。その裏には、何か人知れずリスキーなものが隠れているんじゃないだろうか……。

 そうした漠然とした思いは、実は図星であり、的を射ている。

天文学的な不平等

 もしこれまでに、たとえ一瞬でも、あなたの心にそうした疑念や不安がよぎったとしたら、ぜひ本書を手に取って、少し先まで読み進めてみることをお勧めしたい。隅から隅まで熟読しなくても、当面構わない。というのも、本書のどの箇所に一番関心を持たれるかは、人それぞれかもしれないが、それでもやはり通奏低音のように、この書物に一貫して流れる根源的な知見やメッセージは、21世紀の現代人すべてに関わる、普遍的で喫緊性の高い問題だからだ。

 要点は次の2つである。

 第1に、とりわけユーザー側に現状認識が極端に乏しいのが通常とはいえ、現下のネットサービスの供給者とその利用者が日々交換する各種データと個人情報を比較検証すると、両者がそれぞれ享受する「利得」には月とスッポンほどの違いがあることが分かる。

 第2に、そうした事実はつまり、双方の間に天文学的な「不平等」が存在することを意味する。

 より具体的に描出してみよう。

 ユーザー側は、気の向いたときに、自分の知りたいこと、興味のあることをネット検索し、写真や動画を楽しみ、「いいね!」を共有するといった、指先1つの作業だけで、世界を相手に対話し、全能感を味わって、ハッピー・ハッピーなひとときを過ごすことができるかもしれない。そのプロセスで、しばしば“承認欲求”も満たされる。しかも、騙しの手口に引っかからない限り、一切はタダで済むのだ。こんなに安上がりで「ハッピー・ハッピーな供給装置」(あるいは召使い)は、滅多なことでは、他に見つからないだろう。

 他方、ネットサービスの供給者側は、とりわけ巧妙な業者ほど、個々のユーザーの想像を絶するほど容易に、数十万から数百万人、ときには数億人分の個人データを、やはり指先1つで、タダで自動集計し、さらに高度なノウハウの心得があれば、そうしたユーザーの意見形成、消費行動から投票行動に至るまで、マス単位で思いのままに操作・誘導して、莫大な利益を上げることができる。つまり、ネットサービスの供給者と利用者のそれぞれが享受する「利得」の間には、まさに数億光年分もの相違があり、まったく比べ物にならないということだ。

 有り体に言えば、その仕組みは、19世紀イギリスの工場労働者が、資本家階級にいかに搾取されているかを研究して、その“不正”のメカニズムを理論的に暴いたカール・マルクスらの洞察でさえ、子ども騙しに思えるほどなのである。

 さらに具合の悪いことには、200年前の労働者とは違って、21世紀のネットユーザーは、根源的に異なる状況下における“認知限界”にさらされている。

 つまり、作業としては、いやいや従事していた工場労働とは真逆で、自分の好きな時間帯に、好きなサービスだけを選択し、しかも、たっぷりでもちょっぴりでも、任意の分量だけ、自らの欲求に従ってすべて“意のまま”“ご随意”に享受できるのだ。

 そのため、少なくとも見かけ上、主観的には、自分ひとりだけの自由意志で行う“趣味的な営為”であり、誰にも邪魔されない。また、「いいね!」をクリックする気軽な行為などの先にある“深み”にハマることはできるだけ避け、それでも都合が悪くなったら、シャットオフしてしまえばオシマイ! 何とも安直で、都合よくできているのだ。

 だが、ちょっと待てよ、と事情通はここで口を挟むかもしれない。見かけによらず、たとえ表面的には問題なさそうに見えても、ネットビジネスは奥が深く、ある意味、陰湿な執拗さを秘めている一面があるからだ。そして、圧倒的大多数を占めるユーザーたちは、そうした側面に気づいていない。あるいは、見て見ぬふりを決め込んでいる向きもあるだろう。

ネット操作技術の驚異的進展

 その一方で、本書が論じるように、ネットテクノロジーは人の想像を絶するところまで進化している。例えば、早くも2010年代には、ケンブリッジ大学のアレクサンドル・コーガン博士らによって精緻な「マイクロターゲティング」手法が開発された。

 この新技術によって、個々のネットユーザーの個人情報(性別・住所・年齢)と、Facebookの「いいね!」などの履歴といった限られた情報から、その関連づけによって、通常の人間づきあいではなかなか見えてこない個人の行動パターンが鮮明に浮かび上がり、その人の性格特性が精緻に予測できるようになった。

 そうした技術を応用して、数千万人分の選挙民データから浮動票層を抽出し、彼らを巧みに誘導して意図した通りの投票行動に導き、2016年のイギリスのEU離脱決定やドナルド・トランプ米大統領当選の多数派形成を巧みに実現させたのが、選挙コンサル企業のケンブリッジ・アナリティカだった。

 つまり、その新手法によって、「ピンポイントのマインド操作」が可能となり、対立候補に絶対投票“したくなくなる”情報のかけらを1つ吹き込むだけで、狙った通りに票が動くようになったのだ。

 また同時期に、ケンブリッジ大学で博士号を取得後、スタンフォード大学に移籍したマイケル・コジンスキー准教授が開発した「サイコメトリックス分析」によって、「行動から性格の逆引き」が可能となり、本人自身よりも本人のことが正確無比に分かるようになった結果、その“心の操作”も容易になった。しかし、その半面、人間の幸せ、自由、人生さえも一方的に踏みにじられてしまう恐れも、現実問題として浮上している。

 さらに危惧すべきは、このような「ネット操作技術」の進展によって、瞬く間に人々の間に「分断」が創出され、その傷口が広がり、社会的亀裂が悪化して収拾がつかなくなる事態を未然に防ぐ手立てがないということだ。というのも、皮肉なことに、そこに介在するテクノロジーは、人々が2つの勢力に分断され、拮抗しているときにこそ、最大の効力を発揮するからである。本書では多くの事例や経験的証拠を通じて、そうした負の側面を深掘りしていく。

 このようにネット技術の革新が、まるで盛りのついた若馬の群れのように秒単位で急進化し、世界をその操作下に置きつつあるなか、この10年余りの短期間で、人類は否応なく2つの極端なカテゴリーに分割されてしまった。すなわち、片やほんの一握りの、今や超巨大となったIT企業(例えば、2024年6月の時点で、エヌビディア、マイクロソフト、アップル各社の時価総額は、日本の一般会計予算のそれぞれ約4倍強!)の経営者たちであり、彼らこそが、もう一方の世界人口80億人中、約7割を占めるインターネット利用者55億人の“原材料化”を通じて、天文学的な利益を稼いでいるのだ。

全人類を欺く3つのカラクリ

 そのカラクリは、次の3点に集約できる。

(1)浸透性──ネットユーザーは自らの〝自由意志〞でネットサービスにコネクトし、“良い時間”を過ごす一方で、その個人データは業者のアルゴリズムによって、自動集計・分析され、莫大な利潤の“原材料”として有効活用される。

(2)秘匿性──仕組み上、そうした自動集計と利潤創出のカラクリは、個々のユーザーにほとんど意識されることはない。

(3)超効率性──巨額の物理的投資と大人数を要した旧来の製造業や小売業等とは異なり、一部のデータセンター等を除くと、IT企業一般の物理的制約は限りなく僅少であり、代わりに、むしろアイデアで先行し、斬新な発想や独創性をよりスピーディーにビジネス化する者こそが勝者となる。さらにネットビジネスの仕組み上、全人類の7割に及ぶユーザーの個人情報がタダで入手・活用できるため、“原材料”は無限である。その結果、比較的容易に、極端な少人数で天文学的な稼ぎを上げることが可能となる。

 こうした画期的な属性により、ネットビジネスは、単に効率のよい利潤創出様式といった次元をはるかに超えて、人類のつながりそのものを一変させた。

 つまり、伝統的なヒト同士による生身のコンタクトではなく、“指先”接触を介した人間ユーザーの“資源化”によって、利用者らはIT業者に自らタダで“原材料”を提供するかけがえのないソースとして突如再編され、その歴史的属性もリライトされて、まったく新たなビジネス目的の役割を付与されたのである。

 エグイ言葉で表現し直せば、そこに、至極便利で利用価値が高く、また利用しがいのある膨大な「原材料階級」が出現したのだ。

 その結果、過去25世紀かけて、しばしば血で贖(あがな)いながら、人類が築き上げてきた西欧型民主主義の諸制度や社会常識が、ある意味、この数十年で不可逆的に“反故(ほご)”にされつつある。その代わりに、正当な手続きさえ踏まず、ユーザーの認識も巧みに回避したまま、競争に勝ち残った一握りの私企業による独占的な「個人情報の集中と資源化」が、大通りを戦車の隊列が凱旋するかのように、地球規模で大躍進しているのだ。

 本書は、計画性なく、行き当たりばったりで発生し、偶発的に人々の間に定着してしまったかのように見える、このような新種の支配のメカニズムを、近年の経緯や事例を振り返りながら分析し、その危惧すべき社会的インパクトを考察する。そうした作業を通じて、インターネットを利用するすべての現代人の身辺に降りかかる喫緊の課題を取り上げ、検討していく。

 そのアプローチは、百科全書的な網羅方式というよりも、緊急性のあるトピックごとに、鋭利に切り込んでいくスタイルを採る。

 さあ、われわれには、あちこち寄り道している暇はない。直ちに新たな探求の行路へ踏み出そう。

2024年9月吉日   西口 敏宏

【目次】

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