その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は三原泰司さん、清水尚憲さん、吉川直孝さんの 『建設協調安全 実践!死亡事故ゼロ実現の新手法』 です。
【まえがき】
人・モノ・環境が情報を共有することで協調して安全を構築する、新しい安全の概念「協調安全」――。この話を聞いた2016年ごろ、建設現場への適用性について考えてみたことがありました。
建設現場は、人と機械(建設機械)が共存しなければ仕事ができません。作業環境は、屋外中心の作業がほとんどで、気象条件の影響を大きく受けます。私たち建設の人間は、それを「与えられた条件」として認識しています。さらに、作業形態としてはさまざまな工種があります。こうした現状を、簡単に変えることはできません。とすると、協調安全の考え方を建設現場にどう適用したらよいのか――。
当初は、現場で使われている、手による合図「グーパー合図」をICT(情報通信技術)機器などに置き換えるぐらいしか考えが及びませんでした。グーパー合図の思想は基本中の基本ですが、その程度では、現状の安全レベルと何ら変わりがありません。
そんなレベルの安全で“良し”としてきた認識に対し、それが全く違っていたと気づくようになったのは、セーフティグローバル推進機構(IGSAP、会長:向殿政男氏)の活動に継続的に参加するようになった2017年ごろからでした。
私の不勉強をさらすようで少し恥ずかしいのですが、その当時、IGSAPの中で他業界の方と安全衛生の議論をすると、話がかみ合わなかったり統一した安全用語で話せなかったりといったことの連続でした。そうこうしているうちに少しずつですが、理解が深まってきて、建設業界の安全衛生のアプローチは業界独自であること、そして他業界以上に安全衛生管理が難しいことを痛感するようになりました。実際、リスクアセスメント1つを見ても、製造業のやり方と建設業のやり方ではレベルがとんでもなく違うことに気付いたのです。
こうして次第に分かってきたことは、建設業の安全確保は、「いかに大きく広い領域を抱えて考えていかねばならないか」ということでした。もう少し具体的に説明しましょう。
安全であることは、許容不可能なリスクがないこと、すなわち災害が起きないことです。このレベルを、製造業では、要求安全度水準を満たすように設計された機械システム側で確保します。これに対し建設業では、人によって確保しようとします。機械と違って人による安全確保は、不確かさが常に残ります。人による安全を確かなものにするには、どうすればよいか――。これが、建設産業の最も急がねばならない安全面の課題だと思います。本書の執筆に当たっては、これからの建設業の安全衛生を考える上でどこに焦点を当てるべきかを示す、羅針盤のような役割になることを期待して筆を執りました。
ここで、本書の全体構成について説明します。
第1章は、これからの建設業の安全衛生をどう考え、どう向上させていくかについて、安全の第一人者と土木の専門家による対談です。「人は絶対に死なせてはならない」という共通認識の下、多くの示唆を含んだ内容となっています。
第2章は、建設業の安全の現状を知ってもらうための整理です。特に、同業他社との比較や日本と海外との比較などは、普段はなかなか触れることがないものなので興味深く読んでいただけることができると思います。
第3章では、今まで実践してきた安全衛生活動について、もう少し知っておかなければいけないことを、あえて「盲点」として解説しました。普段の安全衛生活動も、ブラッシュアップする余地はまだまだあります。
第4章では、他分野の方と安全衛生の話をするときに知っておくべき基礎的な用語などを国際規格に合わせて説明しています。安全を共通言語として、他分野の良いところをたくさん学んでいきましょう。
第5章では、労働安全衛生面での海外の先進事例を紹介します。特に注目なのが、建設業における10万人当たりの死亡率が日本の約半分の英国と、近年死亡率が急速に低下してきているシンガポールです。両国には、どんな秘密があるのでしょうか。
第6章では、まず始めなければいけないこととして、普段実践している安全衛生活動をリスクアセスメントとの関わり合いの観点から説明します。そこには、安全衛生活動の基本であるリスクアセスメントを、現場で生かすためのヒントがあります。
第7章では、建設業の安全衛生をより向上させるために、現場で取り組むべき事項を現実的な観点から提案しました。そして最後には、本書のタイトルでもある「建設協調安全」に絡み、建設業の未来に向けての新しい安全衛生の構想について触れています。
私がなぜ、本書の制作に参加したのか、その背景を少しお話しさせていただきます。私自身は建設業に身を置き、主に山岳トンネルの現場において施工管理を中心に40年間ほど仕事をしてきました。幸いにも、私が携わった現場では死亡災害は起きなかったものの、重篤災害はいくつか関わっています。
読者の皆さんは、建設現場の安全管理について何かしらの疑問を持ったことはありませんでしょうか。私は分からないなりにも(実は分かったような気になって)、現場の安全管理を積極的にやってきました。その中で、何となくしっくりいかないと感じた局面がありました。ただ、その当時は、疑問を持ちながらもどう考えていいのか分からず、それ以上考えを進めずにそのままにしてしまいました。
ところが、現場の最前線を離れると、いろいろな物事を少し客観的に見ることができるようになってきました。そして先に触れた、IGSAPに参加させていただくことになり、他業界の方をはじめ多くの方々と交流を持つ中で、しっくりいかずに生じていたもやもやとした霧が次第に晴れてきたのです。では、私がかつて感じた疑問を3つ紹介しましょう。
1つ目:この作業がなければ事故はなかった
経験がまだ少ない若い頃の話です。私が計画した作業方法で工事に当たった坑夫が重傷を負いました。この災害の反省会の席上、職長が私に向って「この作業がなければ事故はなかった」と詰め寄ってきたのです。しかしその会議では、その作業を前提に安全対策を議論していたので、思いもよらない意見でした。
その時に感じたのは、“事後に言われても”と、“災害を回避できなかったことを言い訳にしているのか”ということでした。今改めて考え直すと、職長の配下の人間がケガをしているわけですから、事後の話であったとしても当然の言い分だったと理解できます。話を戻しましょう。
当時、私は目的に対して効果が大きいと思われる作業方法を計画し、安全対策はそれに合わせて考えればよいと思っていました。ハイリスク下での作業は一瞬の気の緩みも許されません。第4章で解説しているように、リスクはできるだけ上流で対策した方がより本質的な対策が取れます。それを実行しなかったというよりも、そもそも施工計画を作成する際に、災害に至った危険事象を想定していませんでした。正直に言えば、関係者は誰一人として計画時にはそのリスクに気付いていなかったのです。
今考え直すと、より安全に施工するために、安全に配慮すべき事項はいくつか考えられました。このような災害が生じることを事前にしっかりと想定していれば、より安全側の考えに基づいた他の施工方法があったように思います。職長が詰め寄った「この作業方法がなければ…」を考える余地があったのです。
安心して作業できる空間を創ること――。これが、元請の管理者としての大きな役目であることを認識できたのは、安全学をひもといてからでした。
2つ目:こんなにたくさんの是正指示にはどこから手を付ければよいのか!
安全衛生管理に厳しい上司の下で施工管理をした時のことです。いつものことではありますが、その上司が現場巡視から帰ってくると、安全関連の多くの是正事項が伝えられます。その日は、新しい工種に移った時だったこともあって、私の机の上には安全是正事項がいつもよりはるかに多く張られていました。
しかし是正するにも、1度にはできないこともたくさんありました。そこで当時は、簡単にできるものや、手配しやすいものから手を付け、上司には「指摘事項のうちの半分ができました」などと報告していました。すると上司から「全部すぐにできるなんて思ってない。要は、意識が重要なんだ」と言われたことを記憶しています。
このエピソードについて、読者の皆さんは是正指示の仕方に足りないものを感じることでしょう。是正内容を整理すると、軽微なものから重大なものまで含まれます。是正は当然のことながら、重要なものからしなければなりません。こう言うと、「重要な是正事項があれば、即、その場で指示をするから」と答える上司の声が聞こえてきそうですが、ならば、後の是正事項への対応は遅くてよいのか、という話になります。短時間の巡視の中で数多くの是正事項に気付く上司は、その卓越した感性から部下に対して“気付き”を伝えるという教育指導的な観点を強く意識していたようです。しかし、“是正”という重要な安全活動の観点からは、安全上の重要な事項、つまり高いリスクに結びつく是正事項を優先すべきです。その優先度を見極め、現場にしっかりと伝えるという発想がなければ、現場は必ず疲弊し、肝心なことに気が付かくなってしまいます。
3つ目:作業員が意図的に不安全行動したらどう対処するのか
管理職になる少し前の現場でのことです。上司である所長から、建設機械の作業半径内立ち入り禁止の対策をするよう指示を受けた私は、三角コーンなどを設置して注意標識を明示しました。そして対策が完了したことを所長に報告すると、所長はこう言いました。「他の作業員が、意図的にコーンバーをまたいで侵入するリスクに対してはどう対処するんだ?」と。当時の私には返す言葉がなく、自分の中では“そこまで考えなくてもいいのではないか”と結論付けてしまいました。
しかし今なら、もう少し踏み込んだ答えができます。人に対する対策は得てして、「教育をします」で終わってしまいます。意図的なヒューマンエラーは常に当事者の判断を伴うので、たとえ法律やルールにのっとっていなくても、重要だと判断したことを優先したということなのです。
つまり、単純に知識教育しただけでは、この種のヒューマンエラーの防止にはつながりません。当時の所長は、どのような答えを持っていたのでしょうか。“絶対”という正しい解はありませんが、本書を読んでいただければ、こうした場面でも自信を持って答えられるようになるはずです。
以上、私のかつての疑問を紹介しました。この中に、実は、安全衛生管理を考える上での重要なヒント(キーワード)があると考えます。
1つ目:危険源の排除(本質的安全対策)
2つ目:リスクアセスメントの神髄
3つ目:予見可能な不安全行動
本書が読者の皆さんの安全衛生管理活動に少しでもお役に立てたら、望外の幸せです。
清水建設 三原泰司
【目次】