その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はティモシー・R・クラーク(著)、長谷川圭(訳)の『 4段階で実現する心理的安全性 』です。
日本の読者の皆さんへ
私はこれまで、リーダーシップの専門家として世界各国を渡り歩きながら、異なる文化や背景を持つ人々と仕事をしてきた。その経験を通じて、人類に対して深い尊敬の念を抱くとともに、誰もが同じ基本的なニーズを満たそうとしていることに気がついた。文化こそ人それぞれ違っても、ニーズは同じだ。
文化は強い力を持つと同時に複雑な概念であり、厳密に定義するのは難しい。文化を構成するのは、価値観、前提、信念、態度、行動、伝統、習慣、儀式、風習、工芸品、言語といったものだ。ここではひとまず、文化を「私たちの交流の仕方」とシンプルに定義しておく。こういう定義をするのは、文化の重要要素はすべて、人と人とが交流するときに表に出てくるからだ。
人間にとっての文化とは、魚にとっての水と同じようなものだ。私たちは文化を内包しながら、文化に囲まれてもいる。実際、文化の外に出ることも、文化を取り除くこともできない。文化から逃れられる人などいない。私たちは文化を形づくり、文化は私たちを形づくる。ただし、どの文化に属している人でも、文化に対して何もしないでいるか、自らの望む形につくり変えるかの選択はできる。わかりやすく言い換えれば、「偶然」か「意図的」かを選べるということだ。私は、意図的につくり変えるほうを勧めたい。何もしないでいると、大抵の場合、誰も望まない文化が形成されてしまうからだ。
以前、小さな経営コンサルティング会社のCEOを務めたことがある。仕事を始めてまもなく、私を雇ったのが大槻忠男(おおつきただお)という人物だと知った。大槻氏は日本人で、東京に住んでいた。日本のビジネスでは上下関係が重視されると何かで読んだことがあったので、少々不安だった。上下関係、肩書、地位、権威を中心とした人間関係が求められると思ったからだ。実際、日本社会について書かれた本に、こんな注意書きがあった。「トップの考えに反対することは、非礼な行いと受け取られる」。これには困った。ときには不興を買ってでも自分の意見を述べなければ、仕事などできるわけがない。しかし、私の不安はいい意味で裏切られた。
初めて会った大槻氏は私に、「やあ、ティム。私のことはタッドと呼んでほしい」と親しげに挨拶してくれた。オープンかつ協力的、しかも謙虚な態度でスタッフを引っ張っていく彼の姿は、私にとって衝撃的だった。CEOを4回務め、ペプシコーラ・ジャパンの元社長でもあったタッドは、私から失敗に対する恐怖心を取り除いてくれるとともに、私が安心して能力を発揮し、学び、貢献し、現状に異議を唱えられるようにしてくれた。タッドは優れたビジネスセンス、スキル、経験を持ちながら、一方で、自分にとって最も重要な役割は「文化の設計者」になって、どんな人も受け入れられるインクルージョンの聖域とイノベーションの生まれる環境を創り出すことであると理解していた。
働き始めてすぐに、タッドの協力的な姿勢が嘘偽りのないものだとわかった。タッドは、自分は何もかもわかっているわけではないと自覚していたし、わかっているふりをすることもなかった。そして、私に勇気を出して自分の意見を言える環境を整えてくれた。アイデアを重視し、実力主義を貫き、肩書や地位や権威にこだわらなかった。私の弱さを理解したうえで、恐怖心を心理的安全性に置き換えてくれた。
タッドは多国籍企業で働いた経験から、多様で専門性の高いチームは、心理的安全性という潤滑油で満たされないとイノベーションを起こせないことを学んでいた。また、イノベーションの実現はインクルージョンなしには果たせず、そのためには未知の分野を探求する必要があり、さらにそこでは常に知的摩擦が伴うことも理解していた。彼は私に積極性を求めたが、積極的に行動しやすい環境をつくってくれたのも彼だった。もちろん、私があまり良くないアイデアを出したり、実りの少ない提案をしたり、行き詰まったりすることも少なくなかったが、そんな私を支え、成長を後押ししてくれた。
今日でも、私はタッドのことをよく思い返す。彼と過ごした時間は、私のキャリアの中で最も素晴らしい経験だった。私が大きな成功を収められたのは、彼が高い心理的安全性をつくり出してくれたおかげだ。
皆さんは、会社やチームの中で自分らしさを発揮しづらいと感じたことはないだろうか。ばかにされるのが怖くて、聞きたいことが聞けなかった経験は? 何かを変える必要があると思ったとき、現状打破に挑戦する代わりに黙り込んでしまったことはないだろうか。
そのように自分が傷つく恐れがある行動を避けてしまうのは、思い切ってそういう行動をとったとしても報われず、むしろ罰せられるのではないかと恐れるからだ。心理的安全性とは、弱さを受け入れて報いる文化のことを指す。これこそが高いパフォーマンスを可能にする条件であり、文化全体の健全さと強さを示す主要な指標だ。
人と人との交流は、本質的に傷つきやすいものだと覚えておこう。言い換えれば、他者との交流には多少のリスクや脅威が伴うということだ。人間である私たちは、社会的な環境における心理的安全性の高さを見極めるために、その環境にどんな脅威があるかを察知しようとする。心理的安全性が高いと判断できれば思い通りに行動し、低いと判断した場合はおじけづいてしまう。どんな環境であっても、心理的安全性は私たちの行動やパフォーマンスに大きく影響する。私は研究を重ねる中で、心理的安全性の高さは「尊重」と「許可」の度合いによって決まり、四つの段階を経て発展することを発見した。第一に、自分も仲間になりたいと願い、第二に、安心して学ぶことを求める。第三に、安心して貢献したいと考え、そして第四に、物事をより良くするために、安心して現状打破に挑戦したいと望む。
これが心理的安全性を構成する四つの段階で、国や人種構成や文化が違っても、心理的安全性がこの四つの段階を経て高まっていくというパターンは共通している。最終的にチームに心理的安全性を生み出せるかどうかは、チームメンバーの互いの弱さをモデル化し、それに報いる方法をつくれるかどうかにかかっている。
読者の皆さんには、本書を情報収集のために読むのではなく、行動するため、変化を起こすために読んでもらいたい。そのうえで、自分自身の内面を見つめ直してみよう。今こそ、恐れずに心の棚卸しをするときだ。そして、もしあなたが家族、チーム、組織を率いる立場にいるのなら、組織としての良心を検証してもらいたい。
読者の皆さんには、ぜひ次の四つの質問に答えてほしい。
① あなたは、人はみんな平等だと心から信じ、自分とは価値観が違う相手を、同じ人間であるという理由だけで、あなたの組織に受け入れているか?
② 偏見や差別意識を持たずに他者が学び成長することを奨励し、その人が自信をなくしたりミスを犯したりしたときにサポートしているか?
③ 自分なりのやり方で成果を出そうとする人に対して、最大限の裁量を認めているか?
④ 他者に対し、現状をより良くするために挑戦するよう常に促すとともに、謙虚さと学習マインドに基づいて自分も間違うことがあることを受け入れているか?
この四つの質問は、これから解説する心理的安全性の4段階と一致する。これらの質問にどう答えるかによって、あなたの他者に対する価値観や、人間関係のあり方が浮き彫りになる。また、あなたがどのように人を引きつけるのか、あるいは閉め出すのか、自信を持たせるのか、恐怖を与えるのか、励ますのか、落胆させるのかも明らかになるし、どのように他人を導き、影響を与えるかも見えてくる。
先ほどの四つの質問に加えて、「4 Stages of Psychological Safety™ チーム・サーベイ」をあなたのチームで実施することもお勧めしたい(www.leaderfactor.com/psychological-safety-survey)。すでに効果が実証された、信頼性の高いこの心理測定ツールを用いれば、チームの心理的安全性を最も正確かつ総合的に評価できる。「4 Stages of Psychological Safety™ チーム・サーベイ」のデータを長期的に収集することは、「意図的な文化形成」に取り組むための最良の方法の一つになるだろう(303ページに同サーベイや資料ダウンロードに関する案内を掲載)。
本書を読んだあなたが優れたチーム文化の設計者になることを、心から望んでいる。
ティモシー・R・クラーク
【はじめに】
本書は人間関係についての理論を打ち出している。まず、その背景から説明しよう。数年前、オックスフォード大学でもうすぐ社会学の博士号が手に入りそうだった時期に、私は妻のトレイシーとともに英国から米国に戻った。資金が尽きたからだ。とりあえず1年ほど仕事をしながら博士論文を仕上げ、卒業したら大学で教鞭をとり、幸せに暮らす。それが計画だった。
ところが、実際はそうならなかった。象牙の塔をあとにした私は、汗臭くてほこりが舞う重厚長大産業の製鉄会社に足を踏み入れた。 ジュネーブ製鉄は、USスチールが第2次世界大戦中に建てた、ミシシッピ川以西では最後の銑鋼一貫製鉄所だ。1700エーカー[約6.9平方キロメートル]の広大な敷地に巨大な機械の塊がそびえ立っている。そこはまるで大都市の中にぽつりと浮かぶ自治領のようだ。自社が運営する列車が走り、消防署も病院も自前で、大聖堂さながらの高い溶鉱炉が空に伸びている。バチカン市国の工業バージョンと言えるだろう。その工場では、橋からブルドーザーまであらゆるものに利用される鋼板や薄板、パイプが製造されていた。労働者階級に対して理解のあるつもりだった私は、自分がどこにやってきたのかもわかっているし、そこで立派にやっていけると思い込んでいた。しかし、実際には何もわかっていなかった。
【重要な質問】
あなたはまったく未知の環境に放り込まれたことはあるか?
そこに元からいる人々のことを疑わしく感じたことは?
どんな偏見や先入観を持っていたか?
そこはまったくの別世界だった。私は、シフト労働に鍛え上げられ、大量解雇を生き残ってきた溶接工、機械組み立て工、配管工、クレーン運転士に囲まれて働くことになった。安全帽には慣れたが、ごう音が響き続けるその場所にはロマンチックのかけらもなかった。現場は危険で、どんなミスも許されない。精度が何よりも重要で、思い込みが命取りになる。あらゆる工程のどのタスクにも数え切れないほどの安全手順が決められていて、偶然が入り込む余地はなかった。あまりにも安全が強調されるので、逆に安全のことを考えなくなったほどだ。
そして、運命の日がやって来た。保守作業員が16トンの鉄鉱石ペレットの下敷きになって命を落とした。即死だった。遺族はどれほどの悲しみに包まれるのだろうかと思った。その日の夜、私は最高経営責任者(CEO)とともに、悲しい知らせを家族に伝えにいった。あとになって、数人の従業員が安全規則を破ったために、この悲劇が起きたことを知った。この事故を境に、私は安全に強くこだわるようになった。といっても、そのこだわり方はあなたが今想像しているものとはおそらく違っている。私は、「心理的安全性」こそが、組織のインクルージョン(包摂性)とチームのパフォーマンスの基礎であり、イノベーションに満ちた文化をつくる鍵だと考えるようになった。
無事に卒業した私は、製鉄所に別れを告げ、安全帽と安全靴を脱ぎ、大学の教壇に向かうはずだった。すると、予想外の出来事が起きた。製鉄所のCEOに、工場長になってくれと言われたのだ。私は両極端な選択の決断を迫られた。学者として静かな生活を送るか、屈強な男たち2500人が汗を流す工場でリーダーになるか。私は妻トレイシーと話し合い、製鉄所を選んだ。それはなぜか。人間の行動を現場で直接観察し、研究できる絶好のチャンスだったからだ。その経験を通じて、オックスフォードで学んだ優雅な理論の実効性を確かめ、現実を学べるに違いないと思った。
工場長としての初日、私は早朝に会議を開き、「先住民の文化」と対面した。20人の現場管理者の顔を見つめると、部屋を沈黙が支配した。多くは私の父親ほどの年齢であり、全員が私の部下になる。
彼ら(全員が男性)には、自己統制の形で、地位・権力への隷属と命令への服従が深く染みついていた。権力がすべてであり、それが私の手の中にあることを知っていた。まだ若く経験の乏しい私を権力の源と見なし、誰もが恭順の意を示す。実際、その日から私が司令部、管制塔、支配者になった。社会学者のC・ライト・ミルズが言う「持つべきもののほとんど」を持っていた。現場管理者たちは、こうした場で本音を口にすると不利な状況に陥ると経験上わかっていたので、笑顔で礼儀正しくうんうんとうなずいていた。
【重要な質問】
あなたは権力の座に就いたことがあるか?
権力を持たない側に属したことは?
権力の有無であなたの行動は変わったか?
このようなフィールドワークに適した環境に身を置くのは、社会科学者にとって夢のような話だ。そこで観察したものを正しく解釈することが、私の務めだった。しかし、ただ観察するだけではない。私には改革が求められていた。会社の業績向上のために、変革が必要だったからだ。老朽化した工場は「ミニミル(電炉メーカー)」と呼ばれる小型の工場との競争に苦戦していた。生産力を高め歩留まりを上げるには、権力支配を撤廃して、権威への崇拝や恐怖心を抱かせるような威圧をやめさせる必要があった。組織全体を、地位に縛られた権威主義的な支配モデルから脱却させなければならない。それができなければ、次に不況が来たとき、会社は生き残れないだろう。
営利企業は、競争優位性を維持しなければ生き残れない。それには、イノベーションを生み出せるかどうかが鍵になる。注意深く観察するとわかるのだが、イノベーションはコラボレーションの産物であり、誰かひとりの天才のひらめきから生まれることはまずない。歴史学者のロバート・コンクエストがかつて「簡単に理解できるからといって、簡単に考えることができるとは限らない」と言ったように、イノベーションも簡単に思いつけるものではない。イノベーションを生むには、創造的な論争と建設的な反対意見が欠かせない。言い換えれば、「知的摩擦」が多く、「社会的摩擦」が少ないプロセスである。
この2種類の摩擦を巧みにコントロールして、勇気あるコラボレーションが生まれる環境を構築することがリーダーシップの根幹であるという事実を、ほとんどのリーダーは理解していない。この点は、おそらく究極のリーダーの証しであり、同時に個人の資質が直接反映される部分でもある(図1)。スキル、誠実さ、そして人間に対する敬意がなければ、イノベーションは起こらない。無料のランチ、オープン・オフィス、あるいは流行の先端を行くおしゃれな労働環境などを整えるだけでは足りない。
【重要コンセプト】
リーダーの責務は、「知的摩擦」を増やし、「社会的摩擦」を減らすことだ。
工場で目にしたのは、まったく逆のパターンだった。そこには「心理的安全性」と呼ばれるものが欠落していた。従業員の身体だけでなく、心の安全も守ることこそ自分の責務だとすぐに気づいた。すでに経験したように、「身体的安全性」が不十分だとけがや死亡事故が起こる。一方、「心理的安全性」が欠けていると、メンタルがボロボロに傷つき、パフォーマンスが下がり、能力を発揮できず、自尊心が損なわれる恐れがある。そのため、競争の激しい市場で戦っている企業で心理的安全性に欠けていたら、絶滅の道を歩むしかない。
リーダーシップ論ではまず、社会と文化の文脈(コンテクスト)が人間の行動に強く影響し、文脈を整えるのはリーダーの責任であり、さらに「恐怖は敵」であるとも学ぶ。恐怖は主体性と創造性を奪い、献身ではなく服従をもたらし、イノベーションを阻害する。
【重要原則】
組織内に恐怖が存在するのは、リーダーシップが弱いことの最初の兆候だ。
恐れをなくし、本当の意味での成果主義を基盤に、学び成長する過程にある人の弱さを許容する環境をつくることができれば、従業員はリーダーと本人の期待以上の働きを見せてくれるだろう。
【重要な質問】
あなたは恐怖が支配する組織の一員だった経験があるか?
その際、あなたはどう反応したか?
ほかの人はどう反応したか?
私は5年間 ジュネーブ製鉄で工場長として働きつつ、ある種の観察調査もしていた。この強烈な経験がきっかけとなり、私は、労働者の潜在能力を引き出せる組織と、そうでない組織の違いの解明に乗り出すことにした。この25年、私は文化人類学者として、また心理的安全性の研究者として、社会のあらゆる領域に属するさまざまなリーダーやチームから数多くの教訓を得た。
その結果、心理的安全性は人間の欲求の自然な流れに沿って発展することを突き止めた(図2)。まず、人間は「仲間に入りたい」、次に「学びたい」、三つめは「貢献したい」、そして最後に、現在の状況に変化が必要だと思えるときには「挑戦したい」と願う。この順序は、すべての組織や社会単位において共通している。
【重要コンセプト】
心理的安全性とは、何らかの恥ずかしい思い、疎外感、罰などを恐れることなく、(1)仲間として認められ、(2)安全に学べ、(3)安全に貢献し、(4)現状打破に安全に挑戦できる、と感じられる状態を指す
あるホームレスの人がボロボロの段ボールに、「あなたは私と同類の人間ではないと思いますが優しくしてください」と書いていたように、人間には例外なく何かに所属したいという欲求がある。少し前、私の娘のメアリーは、興味などないのに高校のバスケットボール部の試合を観戦しにいった。そのとき、娘が手に持っていた厚紙のボードにはある真実が記されていた。「友達を減らしたくないからここにいるのよ!」。人間は所属を切望するが、実際にはその欲求が満たされないため人間関係が壊れることがよくある。
本書は、そうした壊れた人間関係に焦点を当てる。主な読者としてビジネスリーダーを想定しているが、本書の内容はあらゆる組織に当てはまるだろう。人と人との関わり方に光を当て、沈黙の科学を解読し、人々の声を解き放ち、より良い人間関係を構築するには何が必要かを明らかにする。具体的には、心理的安全性が人の行動やパフォーマンス、あるいは幸福にどのように影響するかを説明するつもりだ。背後にどんな仕組みが働いていて、それを動かす(あるいは止める)にはどうすればいいか。私の仕事は、パターンを認識することだ。人と人との相互関係において、パターンは誤解しようのないほど明らかであり、その際の課題は共通している。本書で述べる内容は、「観察可能なもの」と「不可能なもの」の両方だ。私はあえて、冷静沈着な観察と情熱的な訴えの両方を組み合わせて論じる。そのほうが、より実践的なアドバイスを提供できると考えたからだ。企業や学校で学んだことのほか、家庭でのプライベートな体験もたくさん紹介する。私が家庭で学んだことが組織で学んだことにも通じるからだ。
【重要な質問】
家庭生活において、人間関係の難しさを感じたことはないか?
私たちは、時に誠実で善良であり、時に犯罪的なまでに無責任だ。人類の軌跡は大部分が冷酷な歴史であり、壮大な戦争絵巻、征服の年代記だ。マヤ・アンジェロウ[米国の活動家、詩人、作家]は嘆かわしい過去を、次のように簡潔かつ文学的に表現した。「過酷な歴史を通じて、私たちは善の名の下で、悪のピラミッドを建ててきた。強欲、恐怖、淫らさが、私たちの中の詩人と司祭を抹殺してきた。善の崩壊は、有史以前から今この瞬間まで続いている」
何千年もの歴史を通じて人類は技術的に発展を遂げてきたが、なぜ社会的には今も原始的なのだろうか?
人間は社会的な生き物であるはずなのに、まるで自由電子のように振る舞い、結合と衝突の両方を繰り返している。繁栄するには、他者と協力し合わなければならない。それがわかっていながら、他人を思いやることに疲れ、大事なことが見えなくなり、いつも逆戻りしてしまう。私たちは、他者を受け入れたり、追い出したりすることを繰り返している。実際、「社会における人間」の研究とは、その大部分が排他と恐怖の研究だ。たとえば、米国の労働者のうち「自分の意見が尊重されている」と感じているのは3分の1にすぎない。
【重要な質問】
あなたは職場で仲間として受け入れられ、話を聞いてもらえているか? 学校では? 家庭では?
人生は人それぞれだが、私たちは誰もが同じ経験をしている。拒絶されたり非難されたりした苦い経験は誰にもある。同時に、自分自身でも、排除や差別、操作や支配、剥奪や軽蔑、友好関係の構築や断絶をしてきた。人種的や社会的、人口統計学的、あるいは心理的理由から線引きをして、他者に対して不当な判断を下し、ぞんざいに扱ったことがある。誰もが疎外された経験があるので、疎外が何を意味するのかを知っている。私たちは慈悲と思いやりを持ち、親切にできる一方で、ハーレム・ルネサンス[1920年代、ニューヨーク・ハーレム地区を拠点に起きたアフリカ系米国人による芸術文化運動]の詩人ラングストン・ヒューズが言ったように、「とんでもなく卑劣」になることもある。
人間は建設的にも破壊的にもなる。時に私たちは、小学生が蝶を分類するように、自分たちを分類する。人を招待したりしなかったり、仲間に入れたり仲間外れにしたり、意見を聞いたり無視したり、癒やしたり虐待したり、神聖視したり傷つけたりする。多様性(ダイバーシティー)を愛し、そして憎む。
【重要な質問】
誰かを排除したり、操作したり、ぞんざいに扱ったことはあるか?
生活の中に、「とんでもなく卑劣」になる場面はあるか?
私は「完璧に正しい人間」に会ったことがない。完璧な両親、教師、コーチも知らない。誰もが発展途上であり、偉大になるための修行をしている。私たちはみな壊れ、傷を負い、罪を背負っているが、同時に素晴らしい才能に恵まれている。
社会を離れてもひとりで生きていけるという考えは、幻想にすぎない。欲を断ち修道院にこもるような生活は決してうまくいかないし、バーチャルリアリティーもはかない一時の夢にすぎない。私たちは他者と同じ空間で、互いに作用し、結びつき、形づくられる。それが真実だ。ハンナ・アーレント[ドイツ出身の政治哲学者]は賢明にもこう述べている。「世界は人と人との間に横たわっている。この間こそが……世界のほとんどの国家にとって最大の関心事であり、最も明らかな激動の場である」
自分の心を開く
本書は情報を得るための本ではない。行動と変化を促す本だ。自分の心を開き、その内側を見てみよう。勇気を出して、心の棚卸しをするときが来た。そして、あなたが家族やチームや組織を率いる立場にあるのなら、そこでも同じことをやってみよう。
その際、問いが四つある。
① あなたは、人はみんな平等だと本当に信じ、自分とは価値観が違う相手を、同じ人間という理由だけで、あなたの組織に受け入れているか?
② 偏見や差別意識を持たずに他者が学び成長することを奨励し、その人が自信をなくしたりミスしたりしたときにサポートしているか?
③ 自分なりのやり方で成果を出そうとする人に対して、最大限の裁量を認めているか?
④ 他者に対し、現状をより良くするため挑戦するよう常に促すとともに、謙虚さと学習マインドに基づいて自分も間違うことがあることを受け入れているか?
この四つの問いは、心理的安全性の四つのステージに対応している。これらの質問にどう答えるかによって、回答者が人間と人間関係をどう捉えているかが大体わかる。どのように人を引きつけているのか、締め出しているのか、自信を持たせているのか、恐怖を与えているのか、励ましているのか、勇気を奪っているのか。つまり、あなたが人を率い、影響を及ぼす方法が明らかになる。
哲学者のトマス・ホッブズは「人類共通の傾向として、人はより強い権力を永遠に求め続け、その欲望が枯れるのは死んだときだけだ」と述べている。権力と富への飽くなき欲求は、人間の幸福に逆行する。なぜなら、人は自己完結しているのではなく、互いにつながっているからだ。かつてカンタベリー大主教を務めていたローワン・ウィリアムズは、「我々はアイソレーション(孤立)ではなく、リレーション(関係)により癒やされる」と語っている。
本来、境界線を引いて他者を排斥することは、生物としての本能ではない。ところが、権力や他者より優位に立つことへのあこがれや不安、自己中心的な考えなどが、私たちを分断してしまう。人は忠誠心を相手に求める。その結果、区別が生まれる。区別から分断が生じ、分断から階級、地位、身分が生まれる。そうやって、人と人との間の距離が広がり、比較が始まり、共感が消え、恐れやねたみ、対立や敵意が芽生え、破壊的な本能や虐待、残虐行為への衝動に発展する。偏見に満ちた考え方に基づいて、互いに傷つけ合う行為を正当化するドグマ(教義)を考案する。皮肉なことに、デジタル世代を生きる私たちは、他者とつながっては孤独を覚え、比較しては劣等感を抱いている。実際、「自分は人より劣っている」と感じたければ、お気に入りのソーシャルメディアを1時間ほど眺めるだけでいい。
【重要コンセプト】
比較や競争を続けると、他者とつながる能力が失われる。
【重要な質問】
あなたの人生の中で、無意味で有害な比較をすることによって、つながる力が失われている領域はあるか?
私たちは互いに冷たい関係の友人にもなれるが、聖者、ヒーラー、善良な隣人として、焼け野原に降り注ぐ癒やしの雨になることもできる。息を飲むほどの思いやりと寛大さと無私の精神で人に尽くせる。私はヒロイズムや偉大な自己犠牲を求めているのではない。もっと根本的な意味で、恣意的な区別をせずに、すべての人を価値ある人間として扱おうと提案しているだけだ。他者を受け入れ、励まし、尊重し、許すこと。幸せになりたいなら、仲間とうまくやっていくしかない。うわべだけの優越感に浸るのはやめよう。間違ったことをやめ、他者に手を差し伸べよう。あまりにも多くの人が、W・B・イェイツ[アイルランドの詩人・劇作家]が「心の中の汚いくず屋」と呼んだものの中に閉じ込められて、自分の恵まれた状況のはるか下で生きている。もし、旅の道連れとなる人々の心理的安全性を少しでも高めることができれば、その人たちとあなた自身の人生は一変するだろう。私は、あなたに変わってもらいたい。人に対する見方と接し方を変えよう。これからあなたを連れていく旅は、喜びと痛みの両方をもたらすだろう。あなたは心から「変わりたい」と思っているだろうか。その思いがなければ旅の準備は決して整わない。
現代における真のフロンティアは人工知能ではなく、感情的・社会的な知能だ。その理由をこれから説明していこう。
◯ 組織内に恐怖が存在するのは、リーダーシップが弱いことの最初の兆候だ。
◯ 心理的安全性とは、何らかの恥ずかしい思い、疎外感、罰などを恐れることなく、(1)仲間として認められ、(2)安全に学べ、(3)安全に貢献し、(4)現状打破に安全に挑戦できる、と感じられる状態を指す。
◯ 比較や競争を続けると、他者とつながる能力が失われる。
◯ あなたは権力の座に就いたことがあるか? 権力を持たない側に属したことは? 権力の有無であなたの行動は変わったか?
◯ あなたは恐怖が支配する組織の一員だった経験があるか? その際、あなたはどう反応したか? ほかの人はどう反応したか?
◯ 家庭生活において、人間関係の難しさを感じたことはないか?
◯ あなたは職場で仲間として受け入れられ、話を聞いてもらえているか? 学校では? 家庭では?
◯ 誰かを排除したり、操作したり、ぞんざいに扱ったことはあるか? 生活の中に、「とんでもなく卑劣」になる場面はあるか?
◯ あなたの人生の中で、無意味で有害な比較をすることによって、つながる力が失われている領域はあるか?
◯ 私は、あなたに変わってもらいたい。人に対する見方と接し方を変えよう。これからあなたを連れていく旅は、喜びと痛みの両方をもたらすだろう。あなたは心から「変わりたい」と思っているだろうか。その思いがなければ旅の準備は決して整わない。
② 偏見や差別意識を持たずに他者が学び成長することを奨励し、その人が自信をなくしたりミスしたりしたときにサポートしているか?
③ 自分なりのやり方で成果を出そうとする人に対して、最大限の裁量を認めているか?
④ 他者に対し、現状をより良くするため挑戦するよう常に促すとともに、謙虚さと学習マインドに基づいて自分も間違うことがあることを受け入れているか?
【目次】



